沿革
最終更新日 03/01/13 (月)
昭和24年、滋賀大学は…
・旧制滋賀師範学校
・滋賀青年師範学校
・彦根経済専門学校(旧彦根高等商業学校)
を包括して、学芸学部(後に教育学部と改称)、経済学部の2学部からなる新制大学として発足しました。
その後は長年に渡り、教育学部は地元教育界、経済学部は産業界へと多くの人材を輩出し、現在に至っています。
クラブ活動についてはキャンパスが滋賀県北部の彦根市(経済学部)と同南部の大津市(教育学部)に離れている分、各部ともいろいろな形で活動しています。我々ソフトテニス部は経済学部体育会ソフトテニス部と、教育学部運動部連盟ソフトテニス部の2学部合同で、「滋賀大学ソフトテニス部」として日々「リーグ昇格」を目標に活動しています。
創 部 は い つ ?
クラブページトップのロゴでは創部年を「1946年」とさせてもらっていますが、実際には詳細な資料が残っておらず、名簿に於ける最年長の先輩である山崎昭雄さん(24年卒・経専22回)入学時を仮の創部年とさせてもらいました。
山崎さんによると、戦前の活動については不明、戦後は誰とも無くボールを打ち始め、山崎さんの代の先輩方が「部」としての体制を確立されたそうです。
定 期 戦 の 始 ま り は ?
[滋和戦:しわせん=近三戦]
経済学部(商学部)を発祥とした和歌山大学・大阪市立大学との3校対抗戦で、正式には『近畿三大学親睦ソフトテニス大会』といいます。2002年で69回目を数える伝統ある大会ですが、開始時期は69年前ということではなく、過去は年2回行っていた時期もあったそうです。なお、『滋和戦』とは和歌山大学との体育会総合定期戦のことをいい、ソフトテニス部に関しては、三大学戦に滋和戦も組み込まれているわけです。→滋和戦戦績
余談ではありますが、滋和戦の負けるとその時の幹部は坊主になるという体育会ならではの伝統も当部にはあります…。
練習中に視線を上げれば勇壮な彦根城。滋賀大の面白さです。
[福井大・岐阜大・名市大の各定期戦]
野村昌治さん(43年卒・経済16回)によりますと、この時期は関西でなかなか勝つ事が出来ず、他地区に「勝って自信を持つため」の相手校を求め、野村さんの代からこの3大学との定期戦を始められたそうです。
戦 績
クラブの戦績についてですが、1980年以降の記録が手元に残されており、関西リーグ戦(男子)では3部優勝、2部との入替で敗退という記録が最高の成績となっています。
また、近国では過去に3度勝っています。(男子) ※女子は調査中。
1980年〜現在までの戦績は「記録部誌」にてご覧いただけます。
歴 代 顧 問
多くの先生方にお世話になってきました。
在職 氏名(敬称略) 略歴 1969〜1972 高田 彬 元経済学部長・故人 1973〜1976 阿部 昭二 1977〜1997 福岡 忠雄 98年より関西学院大学文学部教授 1998〜 原 秀六 社会システム学科教授
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