<多摩ピンalways>写心劇場〜私の琴線に触れたもの〜

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K.Tatsuki

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あたらしいこと


あたらしいことを始めた。
あたらしいことを考えてみた。

新しい世界が、あるかもしれない。
新しいものが、見えるかもしれない。

じっくり見たり。
ぼんやり見たり。
うえから見たり。
ななめから見たり。
みぎから見たり。
ひだりから見たり。

明日は何が見えるのだろう。
見て、感じて、想像してみよう。

素晴らしいものが見えるはず。
新しいものが見えるはず。

K.Kamiie

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梓川


上高地の象徴といえば河童橋
今年は、河童橋が吊り橋となって100周年だ
こんなにも上高地が日本人の心を魅了するのはなぜだろう
大正池でバスをおりて河童橋に向かう途中、ファインダーを覗いて気がついた
「どこを撮っても梓川の気配を感じる・・・」

屹立する樹木の先に様々な梓川の水紋がかたちをあらわす
梓川の流れに色を添える草花たちが生命の匂いを放出する
鳥たちのさえずりが梓川の水音と響きあう

梓川にいかされている数々の自然たち
梓川の気配とともに、その素顔を写真に残したい
それが私なりの上高地に対する迫り方である。

I.Nagata

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小さい庭で…


猫の額という表現がぴったりの庭だが、この夏の格別の暑さは
あっという間にプチジャングルにかえてしまった。
足もと視界を遮る南天・山吹の枝をかき分けると目の前に「虫」。
といってもそれはすでに抜け殻。蝉の抜け殻だった。
椿のこんな低い場所に、しかも葉に…。せっかくなのでそのままにした。
11月になった今でも椿の葉にしがみついている。

夏の残暑の水やりは、重労働である。じょうろで何度も往復しなければならない。
最低でも三日に一度は必要だ。その日も水道の所まできて、ぎょっとした。
水道脇のバケツの中に一生を終えた蝉がいた。わざわざバケツの中に落ちなくても…である。
抜け殻を残した蝉でもないだろうが…。

そのまま一週間ほど過ぎた。蝉の死骸は消えていた。
さて、どうなったのか…。
かと思うと、蝉の抜け出した穴から植物の芽が出ているのを見つけた。
小さい庭にもドラマがある。

T.Morikawa

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赤い大地


気が遠くなるような長い年月をかけ、
地殻変動と、風や水による侵食を受けた赤い大地は、
幸運な偶然を積み重ねて、不思議な造形を築き、私の目の前に拡がっていました。
それは青い空と相まって、強烈なコントラストで私に迫り、
私はその圧倒的なスケールに茫然とし、その感動を自らに刻み込もうと夢中でシャッターを切りました。
この感動を伝えるためには、やはりカラーが必要と思い、初めて自らでのカラープリントにも挑戦しています。
皆さんと、この感動が共有できれば幸せです。
ヒトが超自然的なモノの存在を意識するのは、こんな景色に出会った時かもしれませんね。

M.Mizukami

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ケータイ表現主義 ににんがしの向こうに2010


フィルム一眼レフからすっかり遠ざかってしまった。
胸ポケットからいつでもどこでもほぼ毎日光学3倍ケータイカメラ。
光の量と種類、カメラと被写体の動き・動かし具合とで、兎に角手軽に非正統写真がどんどん撮れて即像が確認できる。
2×2=4を超えて、肉眼ではあり得ないちょっとずれたりとんでもずれたりの色彩と像、色とかたちのメタモルフォーゼが、
表現主義のような世界が現出する。
対象と瞬間の、空間と時間のもうひとつの楽しみ。



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