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2000.4.2 野上眞宏 「はっぴいな日々」トーク・ライヴ
| MC1: | 今日はFM福岡30周年記念の催しですが、「ゆでめん」も発売30周年。これも奇遇ですね(野上さん呼びこみ)。レココレに「はっぴいな日々」の連載がありましたね。 |
| 野上: | 鈴木さん(誰のことか不明)のバーで、「はっぴいえんどの写真をたくさん撮った」と話したのが、レココレの編集長に紹介されるきっかけとなりました。写真だけならよかったんですけど、作文は嫌いだったので、文章は書きたくなかったんですが、書くことになってしまいました。 |
| MC1: | レココレの編集長が私の1年後輩といった縁もあり、この写真展が福岡で開催できたんですね。そもそも、「はっぴい」と出会ったのは? |
| 野上: | 細野さんと同級生だったんです。高校のときは音楽やってる有名なやつがいるというぐらい。大学になって、同じクラスになり、親しくなって、いっしょに試験勉強もしました。そこからですね。このころ、細野さんはすでに、「すごいやつ」と評判でした。 |
| MC1: | 写真家になったきっかけは? |
| 野上: | 元々趣味では撮っていましたが、自分が写真家になるとは思っていませんでした。音楽や芸術などの専門職は、小さなころから得意だった人がなるものだと考えていたし、写真家なんて才能がある人だけがなると思ってたので、自分が何らかの専門職につくとは思いもしませんでした。ところが、細野氏が好きなもの(音楽)に打ち込んでいる姿を見て、大学を卒業して自分も好きな写真で、写真家になろうと決意して、鋤田さんに弟子入りしたんです。そういう意味では、細野がいなければ、写真家にはなっていなかったかもしれません。高校時代からジャズ・ピアニストのオスカー・ピーターソンのライヴの写真とか撮っていたんですよ。鋤田さんより早かったですね。彼はもう有名な写真家でしたから。当時はね、会場に出入りしてステージ脇に上ったりして写真撮ってても、何も言われませんでした。いい時代でしたね。 |
| MC1: | 「はっぴい」を撮った最初の写真が、会場の入り口に在る銀座のものですね。この人たちを撮ろうと思ったきっかけは? |
| 野上: | 大学入って写真部に入ったけど、すぐ辞めました。学生運動の時期で、メーデーや春闘の写真とか撮ると評価される時代だった。それが嫌でね。で、バーンズに行って、「この人達の写真を撮っておいたらいいな」と撮り始めたんです。当時、全く有名ではなかったので、誰もカメラマンが来なかったというのもあります。 |
| MC1: | 幻のスージークリームチーズの話を聞かせてください。 |
| MC3: | 細野BOXの「Mr.Soul」は、野上さんの家に集まって演奏会をやったときのテープからですね? |
| 野上: | うちで演奏が始まって、これも「録っておかなきゃならない」って思ったのね。それでフィリップスのオープンに録音しました。後日、細野氏に「いるか?」と訊ねると、「いらない」という返事。それで、カセットにいいとこを1時間だけダビングして、オープンは捨てちゃった。「Mr.Soul」はこの後、茂君のソロが続いて全部で10分ぐらいあるんです。夜中騒いでるものだから、近所の人が警察に電話したらしくて、演奏してると電話が鳴っているような気がしました。そしたら、ほんとに鳴ってったんだけど、うるさくてなかなか気付かなっかった。出ると「警察です」って。電話のベルの音がテープに残ってました。 |
| MC1: | ピープについては…? |
| 野上: | ピープは、コンサート・イベントのタイトルなんです。ドクターズという、柳田優、岡野正が在籍していたビートルズのコピー・バンドがありましたが、このバンドをトリにするために開催したというイベントです。レコード・コレクターズに細野晴臣特集が載るんですが、そこに未公開写真を発表します。 |
| MC1: | 今日の写真のなかに、細野さんがギャラをもらってふざけている写真がありますが…。 |
| 野上: | バンドで1回2万円でした。エイプリルフールは月給制でしたね。 |
| MC1: | 今ならいくらでしょう? |
| 野上: | 今、集めるなら、金額もさることながら、大滝さんが難関でしょう。 |
| (会場爆笑) |
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| MC1: | はっぴいえんどの4人を集めると、いくらぐらいかかるでしょうかね? |
| MC2: | 実家の田んぼ売っても無理でしょう。大滝さん呼ぶなら珍しいレコードで釣らないと無理かも。 |
| MC1: | 幻の投石事件があったそうですね。 |
| 野上: | 慶応大学の学園祭「三田祭」に、はっぴいが出ることになったんです。ところが、前の頭脳警察が異常に盛り上がって、えんえんと終わらない。もう、帰ろうか、などといらいら状態。やっと出番になっったんだけど、大滝さんが「時間が押したので、1曲しかやらない」と言ったら、学生達が怒って石を投げ出した。「はいからはくち」をやって、みんな半べそ状態で帰りました。だから、後姿の写真しかないんです。 |
| MC3: | ジャンジャンの写真、おもしろいですね。ボトルが高い。お客さんの様子も、こんな感じだったんですね。当時の店でのライヴの様子は、いかがでした? |
| 野上: | 1ステージが30分ぐらいでしたか。1曲が短くてね。それまでは、サイケの時代で、客は踊りまくっていましたが、はっぴいになったころから、みんな踊らなくなりましたね。はっぴいは男のファンが多かったですね(一部爆笑)。 |
| MC1: | 会場の後ろのほうに、「風街ろまん」のジャケの元になった写真がありますが、結構、表情が変わったものもあるんですね。 |
| 野上: | モデルにならなかった写真もあるんです。何枚も撮ったので、少しでもよくなるようにとの親心で、別のプリントを渡しました。えぇ、細野氏のが、そうです。 |
| MC1: | 当時のアルバム・ジャケットはどう作られてたんでしょう? |
| 野上: | 一般的にはレコード会社の宣伝担当が、プロダクションからもらった写真を、周りをぼかすとか、適当に加工してただけです。だから、予算はゼロ。デザイン集団MUではね、外盤のジャケのいいものを見てたでしょ。だから、赤字でもいいものを作ろうとしました。 |
| MC1: | ここに私物の「サディスティック・ミカ・バンド」があるんですが…。(中のレコードをアシスタントの女性に落とされ)いつもクラブとかで、乱雑に扱ってるからいいですよ(でも、ちょっとむっとしたような表情)。 |
| 野上: | 加藤和彦さんは前にフォークルで有名で、「加藤和彦の新しい仕事」ということで、確か当時としては破格の20万円の予算がつきました。それで、ヤシの木は新聞紙で作って、砂浜はオガクズまいて。余談ですが、このときオガクズまいたのは立花ハジメ君。このとき、ミカ・バンド見て、ミュージシャンになりたいと思ったそうです。 |
| MC1: | じゃ、これがなきゃ、プラスティックスもなかったんですね?ジャケットのコンセプトはミカ・バンドと相談して決めたんですか? |
| 野上: | いえ、勝手に決めてやりました。表のジャケは、小原さんのアロハを接写したものなんですよ。内ジャケ写真は「4の5」のポラロイドで撮ったんですが、2枚目でOKでした。いいものが撮れちゃったんですよ。しかし、この内ジャケ写真がイギリスで好評で、それがあってイギリスでツアーができ、大人気を博したんです。 |
| MC1: | MUはいろんなジャケのデザインをやったんですね。 |
| 野上: | 3人のデザイナーがいて、みんな狭山のアメリカ村に住んでました。大滝さんの「ファースト」もやりましたが、大滝さんのは、「金はないが注文は多い」という赤字覚悟の典型例でした。大滝さんは、「都会と田舎が両方在る風景がいい」って言ってね。車を運転して、高速道路の前に木が茂ってるようなとこを探し回りました。で、最後に、観葉植物のある室内で撮ったのが採用に。まったくの赤字でした。でも、お金がなかったのは、大滝君の責任ではないんですけどね。 |
| MC1: | 当時の部屋に観葉植物なんかおいてあるのは、とっても珍しいですよね。そういう意味では、都会的ということだったんでしょうね。 |
| 野上: | でも、当時、「ニュー・ミュージック・マガジン」に矢吹さんが担当のジャケ評があって、ほとんど海外の作品が選ばれる中で、国内からMUの作品が数枚だけ選ばれましたが、大滝さんの「ファースト」が初めてでしたね。小坂忠さんの3rd(「もっともっと」と思われます)は失敗作でした。コンセプトが表現できませんでしたね。マッシュルーム・レーベルのジャケは、よくやりました。ただ、ジャケとして、とてもいいできだったにもかかわらず、音楽的に残らない作品だったため、今になっても復刻されず(ブルース・バウワーという名前が出てましたが、私には全くわかりません)、仕事として残っていないジャケットもあります。また、MUの奥村さんのジャケット展が5年前ぐらいに開かれたことがあります。今は、小学館文庫のすべての装丁をされてます。 |
| 質問: | はっぴいのメジャーデビュー?は岡林のバックでしたね。どうしてだったんでしょう? |
| 野上: | みんな乗り気じゃなかったんだよね。だけど、ザ・バンドと一緒だというので無理やり納得させられたようなもので。当時、岡林がロックのバックバンドをつけるという話が出たとき、他にできそうなバンドはありませんでした。 |
| 質問: | 大滝さんが「はっぴいは、暗いバンドで、寡黙を強いられた」みたいなことをラジオでいっていましたが、野上さんから見てて、実際のところはどうだったんですか? |
| 野上: | 細野氏はひょうきんでしたよ。ディスコとかに行っても、おかしな踊りをしたりして。にわとりのマネとかやるんだ。茂君は4歳くらい年が離れていたこともあり、ちょっと時間があれば、いつもギターを弾いていた印象があります。ほんとにギター少年という感じ。松本さんはマンガを、時には文庫本をいつも持ってて、3人と比較したら暗い感じかなぁ。大滝さんは、あのとおりでした。一緒によく遊びに行ったのは細野さんですね。当時、入るだけで1万円取るようなディスコへ行ったりして。でも、お金出して入った記憶はないなぁ。 |
| 質問: | 広角の写真が多いようで、かなり近くから撮ってあると思いますが、どんな感じだったんでしょう。メンバーは撮られていることを意識していたんですか?それから、未発表の写真はありますか? |
| 野上: | 遊び感覚で撮っていました。仕事だと思って撮ってなかったので、自然に撮れたんだと思います。まだ未発表のもの、ありますよ。「はっぴいな日々」はレココレの増刊が出るし、夏に(?)季刊誌「ロック画報」が出るのにも掲載します。はっぴいに限定したものではないんですが…。いずれは決定版の写真集も出そうと思ってますよ(会場拍手)。ニューヨークを撮った写真集は出しています。久しぶりに日本へ帰って、渋谷のガングロ少女を見まして、最初は、「なんだ?」と思いましたが、これは日本だけの現象で、だんだんおもしろいなと思うようになり、昨年いっぱい写真を撮りました。もう、やめましたけどね。これは、「日本カメラ」6月号に載ります。これは、ニューヨークでも写真展やりますが、受けると思いますよ。 |
| MC1: | 絵ハガキは限定1000セットですので、どうぞ。野上さんのサインも、もらえるそうなので。野上さん、今日はありがとうございました。 |