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祝:霧の乙女号乗船!(1997.1.19)
新婚旅行で乗れなかった、霧の乙女号にこんなに早く載れるとは思いませんでした。この日は私の30歳の誕生日で、最高のプレゼントになりました。
もうこれでやめられなくなりました。気合いを入れて、さあ第2回目にいきましょう。
1984.1.19 サウンド・ストリート
オンエア曲
大滝詠一/指切り
ドクター・フィール・グッド/ミスター・ムーンライト
アーサー・アレキサンダー/アンナ
デシー・バンクス/ゴー・ナウ
デーブ・バーソロミュー/カントリー・ガール
大滝詠一/外はいい天気だよ
内容
- 大滝さんのソロ第1作「大瀧詠一」は、1972年にキングから発売されたが、シングル「恋の汽車ポッポ」(72年12月)から1年かかっての発売だった。「デビューアルバムから時間をかけるのが定例化した」と大滝さんは言っている。
- また、このアルバムは、達郎さん曰く「それまで、日本では、ロック・プログレのレコードは結構出ていたが、アメリカンできれいなメロディー(60年代中期)のものは初めてだった」そうで、しかも「大滝さん=はっぴいえんど」とは知らずに聴いていたらしい。このことに対して、大滝さんは「時代の申し子とはこんなもの」と答えている。
- このアルバムで、初めてシンガーズ・スリーがロックのフィールドに登場。
- 「指切り」のテンポがのろいのは、松本(隆)のドラムのせい。
- 昨年の11月末にとあるFM誌で「世界史分の日本史、分母分子論」を発表したが、本当はものすごく長く、雑誌に載ったのは1/10〜1/20くらいらしい(この論文がAmi-go Gara-geに登場するのはいつの日でしょうか?)。「足腰が立たず、口も開かなくなったときは、これをライフワークにする」とのことである。
- 2曲目、3曲目との関連で、「最近はリプロが多く出て、これまで聴けなかった音が聴けるようになった」との達郎さんの発言に、大滝さんは「リプロを活用しない人はコレクターじゃない。真のコレクターはオムニバス盤とかリプロを有効に活用して耳に入れなきゃだめ。持ってるだけではだめ!」と答えている。
- 3曲目の「アーサー・アレキサンダーは(ビートルズの)ジョンが一番影響を受けた歌唱法かもしれない。ビートルズはカバーしたものを、必ず自曲(持曲?)に取り入れることができた」と大滝さん。
- 「1年遅れるかもしれないけど、GO! GO! NIAGARAの復活予定がある。番組の最後も必ず復活するといって終わった」と大滝さんは言い、さらに、「歌手の道、音楽家の道は捨てても、DJの道は捨てない。足腰立たなくなってもDJはやる」と力強く宣言している。(ひょとしたら大滝さんは、足腰立たなくなってからの方が、今よりもずっと忙しくなるかもしれない)
- 4曲目のレコードは、両者とも所有しているが、「大滝さんのより盤質がいい」と達郎さんが自慢している。この曲紹介のあと、達郎さんが「この曲は全然ヒットしなかった」と言っている途中に、大滝さんが「お金持ちの人?」と突っ込んでいる。これはバンクスと銀行(=バンク)をかけていたのだろうが、達郎さんには聞こえなかったのか、それとも相手にされなかったのか、全く反応を示さなかった。
- 「世界史をひとつの地図にたとえて、人間・音楽を置くと、音楽は地域といっしょに動く、歴史を時間も含めて平面上と、時間という概念を3次元においてみると、その移り変わりがよく分かる。今度CG使って、フロッピーディスクで売りだそうかな」と大滝さん。これを受けて「歳とったら、NHKで30分もらって、時事放談の音楽版をやるってのはどう?」と達郎さん。
- 2週じゃ面倒だから、もう1週ということになる(何が面倒なのか?)。