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1990.1.2 キッズ・アライブ

佐野: キッズ

山下: アライブ

大滝: みなさん、あけまして、

大滝・山下・佐野:おめでとうございます。

 曲:

Rock'n Roll お年玉

佐野: 1990年、明けましておめでとうございます。佐野元春です。「キッズ・アライブ」、特集番組ということで、今日は素晴らしいゲストを迎えています。大滝詠一さん。

大滝: どうも、明けましておめでとうございます。

佐野: そして、山下達郎さん。

山下: みなさん、明けましておめでとうございます。

佐野: 大滝詠一さんの「Rock'n Roll お年玉」で始まりました。

大滝: (笑)。

佐野: これ、「新春大放談」って副題が付いてるんです。

大滝: なるほど(笑)。「新春大予言」じゃないのね。

山下: (笑)。

佐野: 違う(笑)。で、時間、2時間ももらちゃったんですよね。

大滝: 2時間もいただいて。

佐野: 2時間。

山下: 2時間フルでやるんですか、これ?

佐野: はい。

山下: すごいですねー。

佐野: なんかニュースも途中に入らないし、CMも入らないし。

大滝: 何言ってるんだ(笑)。

山下: 世の中と隔絶して。

佐野: はい。

山下: 浮世を忘れて。

佐野: はい。大滝詠一さん、「Rock'n Roll お年玉」、これ、いつの作品?

大滝: 1977年の作品でございまして、

山下: 78年じゃないですか?

大滝: 77年なんですよ。

山下: あー、そうですか。

大滝: えぇ。

山下: そうでしたっけね?

大滝: で、「ナイアガラ・カレンダー'78」というのは、77年につくったんですよ。

山下: あー、そうか、そうか。なるほど。

大滝: 「カレンダー」というのは、前年の12月ぐらいに出したレコードなんですけどね。

山下: なるほど。もう、そんなになるんだ。12年?

大滝: ですから、13、12年、13年。

山下: あっ、13年。まぁ、12年ぐらいですね。

大滝: そうですね。

佐野: 自分のことで恐縮なんだけれども、デビューして10周年を、

大滝: 佐野君が?

佐野: 迎えたんですけど。

大滝: いやいやいや、デビュー10周年。

(拍手)

佐野: ありがとうございます。

山下: なるほど。

大滝: あなたは何年なの?

山下: 私、15年です、今年で。

大滝: あらー。15周年とか、なんかやるんですよ、普通。

山下: なんでですか?いいじゃないですか。

大滝: やるじゃないですか、やっぱり。

山下: シュガー・ベイブのレコードが出てから15年なんです、今年で。

佐野: 大滝さんがはっぴいえんどでデビューしてから、

大滝: 20年(笑)。

山下・佐野:(笑)。

山下: ほんとに20年?

大滝: 20年。1970年の7月でしたから。

山下: じゃぁ、5年おきに、こう、きてるんだ。

佐野: 5年おきにきてる。

大滝: デビューがね。

佐野: うん。

山下: すごいかもしれない。

佐野: さっき、大滝さんがちょっと話してくれたけど、やっぱり、

大滝: えぇ。

佐野: 5年周期で、なにか物事にけじめがあるという。

大滝: なんとなく5年だと、ひとつ、なんか、あれじゃないですか。きっかけがちょっとあったりしませんかね?

山下: そうですね。

大滝: いかがなものでしょう?

山下: そんなもんでしょうね。だいたい、ほら、オーディオ機器とかね、

大滝: ふん、ふん。

山下: 例えば、その、我々のスタジオ、レコーディング・スタジオだとね、

大滝: ふん。

山下: 24チャンっていうのにね、替わってから、違う違う。16チャンネルのね、マルチ・トラック・レコーダーが出てから、24に替わるまでが5年なんですよ。

大滝: なるほど。

山下: それで、それから、デジタルの24チャンになるまで5年なんですよ。

大滝・佐野:あー。

山下: で、今年あたりから、48にだんだん替わってきてますから、ちょうど、それから、デジタルが24から48に替わるのが、だいたい5年なんですよね。

佐野: うん。

山下: だから、あと5年経つと、また48チャンがいったい、いかなる仕儀にいたるのかと。

大滝: なるほど。

山下: そういう感じじゃないですかね。

佐野: 大滝さんのとこの、ナイアガラ・レーベル、

大滝: はい。

佐野: これは、レーベルの、その、アニバーサリーみたいなこと、やったことあるんですか、過去に?

大滝: いや、ありませんね。だいたい、だから、「ナイアガラ・トライアングル」という企画がございまして、お二方にも参加していただきましたけども、あれがだいたい、記念のつもりでやっているんですよね。

佐野: あー、そっか。

山下: うん。

佐野: 「ファースト」が出たのが、

大滝: 76年で。

佐野: 76年。

山下: だいたい、あれですよ、ナイアガラのね、第一弾がシュガー・ベイブでしたから、

大滝: そうでした。

山下: ナイアガラ・レーベルの15周年なんですよ、今年ね。

佐野: そうだね。

大滝: まったく、おっしゃるとおりで。

山下: (笑)。私の歴史は、ナイアガラの歴史だという。

大滝: そうか(笑)。はじめて気が付いた。で、ナイアガラは自分でレコード番号持ってたんですけども、

山下: うん。

大滝: 「NGLP-0001」っていうのが、シュガー・ベイブで(笑)。

山下: (笑)。

大滝: 当時、「NGLP」っていうレコードの番号を考えたんですけども、全く申し訳ない(笑)。

山下: (笑)。

大滝: そういう、変な番号を付けてしまいましてですね。

山下: なるほど。

大滝: 15年ですね。

佐野: ところで、「新春大放談」っていうとね、やっぱり、去年1年間、

山下: はい。

佐野: それぞれ、どんな活躍したか、活動したか、報告がてらってのがあるんだけど、達郎さんからいこうかな。

山下: はい。私は4月までコンサート・ツアーやってまして、そのあと、まりやの「シングル・アゲイン」というのを、ひと月ぐらいかかってやって、そのあと、ライブ・アルバムを出しましたから、11月にライブ出しましたんで、

佐野: うん。

山下: 9月の頭までライブのトラック・ダウンやってて、そのあとは、まぁ、今年の夏ごろにはLP出したいんで、今、曲を書いてるってとこですかね。

佐野: うん。「シングル・アゲイン」のロング・ヒットというか、ロング・セラーというか、

山下: おかげさまで。

佐野: びっくりしましたね(笑)。

山下: よくわかりませんね、私も(笑)。買っていただいたお客さんに聞いてくださいという。「わしゃ知らねー、記者に聞け」という、古いやつがありますが。

佐野: それから、達郎さんのクリスマス・ソング、

山下: はい。

佐野: 大ヒットして。

山下: あれは、まぁ、ほとんど演歌ですね、6年前の曲ですからね。

佐野: あと、ベンチャーズの編集ものでしょ?

山下: それは、まぁ、趣味ですから(笑)。あんまり、声を大にしていえるようなことじゃないです。

佐野: なんか、僕ら3人の中で一番充実してたような感じがするんだけども(笑)。

山下: そうですか?

大滝: 私はだいたい論外ですからね(笑)。

山下: いや、ペースとしては、例年とそれほど変わってるわけじゃないんですけど、非常に、こう、80年代のおしまいに、

大滝: よい年でしたよね。

山下: よい年でしたね。非常に、自分では、「よい年だ」、「ラッキーな年だ」という。ああいうものは、やっぱり、ラッキーというか、そういうものがね。

佐野: うん。

山下: こういう商売、「運7分、実力3分」みたいなところありますから。

佐野: うん。

山下: だから、すごくいい年だったですね。

佐野: 僕の話しになりますけども、

山下: はい。

佐野: 僕は、ニュー・アルバムが去年出て、それのプロモーショナル・ツアーで明け暮れた1年だったかな。すごい楽しかった。

山下: ふーん。もう終わったんだよね、ツアー。

佐野: うん、終わった。

山下: 私がインタビュアーにまわりますけど。

佐野: はい(笑)。12月のね、末に終わりました。

山下: 今は何をしてるんですか?

佐野: 今はね、コンピュータいじってる(笑)。

大滝: なんだ(笑)?

佐野: コンピュータの話しは、またあとで出ると思うけども、順番からいくと、達郎さん、僕と来て、いよいよ大滝さんなんですけど。

大滝: 私はね、とあるレコード会社の方々、方から依頼を受けましてですね、「なんとか大全集」をつくるというので、半年間かかって、解説を書いておりました。

佐野: うん。

大滝: みごとに出ませんでしたけどね、そのレコードが。ほんとうに、たいへんでしたけども。

佐野: 解説を書くのに半年かかったという。

大滝: 半年かかりましたね。だから、もう、ほとんどレコード1枚つくったような気分になりましたから、1991年に予定しているアルバムもできないかもしれませんけどもね(笑)。

佐野: (笑)。確か、「新春大放談」、3年前だったか、2年前の「新春大放談」で、

大滝: えぇ。

佐野: 「1991年には、必ずニュー・アルバムを出す」と、

大滝: えぇ、なんか。

佐野: 宣言しましたけど。

山下: ですね。

大滝: なんかね、いいましたね。

山下: どうなってるんですか、それは?

大滝: どうなってるんでしょうかね。

山下: ひとごとみたいにいわないでください。

大滝: ひとつ、本人からいいにくいと思うんですけど、まぁ、これはちょっと話しがずれるんですけども、山下君のシュガー・ベイブ15年も含めてなんだけど、その、順番からいってね、シュガー・ベイブっていうのは、日本初のポップス・グループだったんですよね。

佐野: うん。

大滝: で、日本のポップスがやっぱり、ここへきて15年で定着したということなんだと、僕には思えるんですよ。

佐野: うん。

大滝: で、「クリスマス・イブ」が1ヒットになるというようなことがね、ここにきて起きるというのは、だいたいがクリスマス・ソングというもの自体がね、あまり日本の歴史のなかで、そうあるものではなくて、

佐野: なかった。

大滝: ほとんど新しいものですけども、それがヒット・チャートの1位になるということはですね、これは、ほんとうに、ひとつ、日本のポップスの時代が大きくですね、定着したということですね。

佐野: うーん。

大滝: で、フロックではないんですよ。何年も、これから、以前にも出てきて、チャートに毎年出てきてた曲でね、佐野君のクリスマス・ソングもずいぶん聴きましたけどね。だから、あとこの90年含めて、2000年までに、毎年、10年ごとに、毎回、例えば、チャートに入ってくる曲っていうのは、「クリスマス・イブ」だと思いますよ。

佐野: あー。

大滝: ただ、日本が「クリスマス・ソングのオリジナルを持てた」というのが、またちょっと難しくいうと、また戦後のひとつの、

山下: うん。

佐野: そうかもしれないね。

大滝: じゃないでしょうかね。

佐野: でも、本来だったら、お正月の歌が。

大滝: と思うんだけど、お正月の歌ってどうしてみんなつくんないんだろうね(笑)。

佐野: いや、だからね、その意味合いを込めてね、このキッズ・アライブ1曲目をね、大滝詠一さんの「Rock'n Roll お年玉」ではじめたんですけど。

大滝: いやいや、ほんとに、作品がよくなかったんだと思うんだけど。

佐野: でも、まぁ、シュガー・ベイブの話しも出たし、2曲目、シュガー・ベイブでいきたいと思う。

大滝: そうですね、シュガー・ベイブ聴いてみたいですね。

山下: シュガー・ベイブ?

大滝: えぇ。だから、ライブ・アルバムであれでしょう、迫力の、シュガー・ベイブ時代の「ダウン・タウン」をライブで歌ってるのが、この前のライブ・アルバムに入ったでしょ。

山下: (笑)。

佐野: 出ました。

大滝: えぇ。

佐野: それでは、去年リリースされた達郎さんのアルバム「JOY」から、曲はなんだっけ?

山下: なんにするんですか?

大滝: シュガー・ベイブ時代の名曲ですよ。

山下: あっ、シュガー・ベイブ時代の曲ですか。じゃぁ、「DOWN TOWN」しかないじゃないですか。

佐野: 「DOWN TOWN」

 曲:

山下達郎/DOWN TOWN

佐野: 山下達郎さん、アルバム「JOY」から、曲は「DOWN TOWN」でした。シュガー・ベイブ時代の名曲です。

山下: いきなりふられて困りましたが。

大滝: 「DOWN TOWN」っていうと、佐野君にも「DOWN TOWN」が付いた曲が。

佐野: 「DOWN TOWN BOY」、ユーミンの曲にもある。

大滝: 「DOWN TOWN」?

佐野: うん。「DOWN TOWN BOY」

大滝: 「BOY」。

山下: あー、ほんと?

大滝: 同名異曲?

佐野: そう。

大滝: ふーん。でもあれですよね、ライブを聴いてるとあれですよね、昔の、あれで昔の歌を歌ったわけでしょ?

山下: そうです。

大滝: 当時は。

山下: はい。

大滝: 昔の歌って、佐野君、でも、昔の歌っていうか、以前、デビューのころの歌とか、歌うというのは、照れませんか?

佐野: ライブで?

大滝: ライブ。

佐野: これ、やっぱりね、すごく思うんだけれども、例えば僕の曲のなかで、「SOMEDAY」とかさ、

山下: あぁ。

佐野: すごく一般的に知られた曲があるでしょ。

大滝: うん。

佐野: で、僕、10年ずっとライブやってるんだけどね、途中、全くね、歌いたくなくなったときがあった。

大滝: あるだろうね。

佐野: うん。確かに「SOMEDAY」をやればね、みんな喜んでくれるんだけども、正直にいっちゃうとね、やりたくなくなっちゃったときがあるんです。そのときは絶対歌わないですけどね。

山下: 10年やってて、皆勤賞の曲ってないの?

大滝: 皆勤賞(笑)。

佐野: 皆勤賞の曲はね、ない。

山下: あー、そう?

佐野: うん。どんどんアレンジ変わっていっちゃうから。

山下: あー、そうか。佐野君、アレンジ変える人だからね。

佐野: うん。だから、本来の意味で、オリジナルのアレンジで、「毎回、この曲をやる」ってのはないですね。

山下: 僕なんか、謡曲なんですよね、それは。僕は、ステージが、今、「DOWN TOWN」聴いてもらってわかるように、まったくオリジナル・アレンジと寸分違わぬというかね、リズム・パターンもおんなじだし。

大滝: ローリング・ストーンズに相通ずるものがありますよね。

佐野: (笑)。

大滝: 関係ないか。

山下: 僕ね、やっぱりね、自分の価値観でわからないんだけど、ステージ見に行ったとき、やっぱり、オリジナル・アレンジじゃないといやなんです。

佐野: それ、よくわかる。

山下: だから、要は、その、オリジナル・アレンジ、自分が飽きないで、やる気持ちがもてればいいわけで、

佐野: うん。

山下: それにはやっぱり、なんか、自分でいうのもおかしいけど、要するに、そういう、自分で歌ってて楽しい曲じゃないとだめなんですね。

大滝: うん。

佐野: だから僕もね、「VISITORS」っていうアルバムを出したころね、デビュー・シングルの「アンジェリーナ」って曲があって、

山下: うん、うん。

佐野: それを、全然違う解釈で、元々、ロックン・ロールなんだけれども、ファンクな感じでアレンジしたのを演奏したんですよ。で、すごくこう、原曲っていうのは、イントロに、イントロがものすごくチャーミングな曲なんですよね。「そのイントロが聴こえてこない」というところでね、ファンの人たちから、すごく怒られました

山下: あー。

佐野: うん。

山下: オリジナル・アレンジと違うという意味ではね、最高峰ははっぴいえんどなんですよ。

佐野: あー。

山下: とにかく。毎回違うの。

佐野: やってました。

山下: うん。

佐野: 僕がね、16歳のとき、15、16のとき、よーく見に行ってたんですけれども、アルバムと全然違うんですよね(笑)。

大滝・山下:(笑)。

佐野: 編曲が。ちょっと行かないとね、大滝さんのヨーデルが始まっちゃうの。

山下: ほー。

大滝: (笑)。

山下: あれですよね、オリジナル・アレンジで初めてやったのって、解散コンサートのライブなんじゃないですか?

大滝: あれもまぁ、近かったですけど、多少ちょっと、16ビートがかかった感じだったけども。だから、あれでも、まぁ、あまりオリジナル・アレンジとはちょっと言い難かったですけどね。再結成のときも、またアレンジ変えたという、どうしようもないバンドですよね(笑)。

佐野: そもそも、はっぴいえんどのなかで、「オリジナルと違うアレンジでやろう」と言い出しっぺは誰なんですか?

大滝: いや、みんなそうですよ。あんまり好きじゃないんですよ、おんなじように。っていうか、

山下: ライブが嫌いなんですよね。

大滝: うん、ライブ自体が、ライブ自体で、まただから、「おなじことをやらねばいけない」ということだけで。要するにね、押しつぶされてるんですよ。あれは強さですよね。「あのとおりにやれる」っていうのは。

佐野: うん。

山下: (笑)。

大滝: 山下君のステージを見てると、いつも。まっ、ふたつのタイプがあるんですよね。

山下: うん。

大滝: 海外のミュージシャン見てても、「必ずアレンジする人」と、「絶対に変えない」っていうのとね。

山下: だから、阪神巨人、変な話し、阪神巨人みたいにね、「おんなじネタ二度とやらない」っていうね。

大滝: 漫才の人たち?

山下: うん。漫才の、ああいうタイプと、それから、やっぱり、いわゆる落語ですよね。

佐野: うん。

山下: 枕は違えるけど、本題のものに関しては、やっぱりルーティーンは、基本的には「どれだけおんなじできるか」っていうのかな。

佐野: うん。

山下: そういうようなものがね、厳密にいうとおんなじじゃないんだけど、それの違いかな?

佐野: なるほどね。昔、ジョン・レノンが、73年ぐらいだったかな、だからもう、1人、ソロの活動をやってるときに、「どうして、ビートルズ再結成しないんですか?」っていう質問に対してね、「再結成して、昔と同じように『抱きしめたい』を歌う自分が想像できない」と、「そんなのはストーンズにまかせておけばいい」という名言があったんだけれども。

大滝・山下:(笑)。

大滝: まぁ、ふたつのタイプがあるんですよ。

山下: ふたつのタイプがあるね。どっちがいいとはいえないですもんね。

大滝: 確かに、でも、山下君が言ったように、客として、お客さんってのは、基本的に保守的ですからね、

佐野: はい。

大滝: 聴きに行った場合には、自分でもね、アレンジがあまり変わってたりするといやなんだけど。でも、いいように変えてもらって、うれしいときもあるんですよ。

山下: あるね。それはすごく難しい。

大滝: 難しいんだよね。だから、そこは、

山下: 僕ね、シュガー・ベイブのバンドやってるときにね、ものすごく変えたんだ。だから、それは、もう、レコード出てなかったしね。やっぱり、何枚も出していくとね、難しい問題ありますよね。

大滝: あるね。

山下: で、やっぱり、昔の曲なんか、「DOWN TOWN」なんか特に、今やってるメンバーじゃないからね。

佐野: うん。

山下: そういうような曲を再現するのは、結局、100%おんなじにはならないわけでしょ?

佐野: うん。

山下: 最近の曲は、要するに、ステージもスタジオもおんなじメンバーだっていうのもあるから、だから、だいじょうぶなんだけど。昔の曲ってね、佐野君なんかでも、昔のLPなんか、メンバー違ったりするでしょ?

佐野: 違ったりする。

山下: そういうのね、あるもんね。

佐野: やっぱり、メンバー、当時のレコーディングしたメンバー一人ひとりのね、やっぱり、発するキャラクター、音、

大滝: あるよね。

佐野: 情緒感ってあるじゃないですか?

山下: 大滝さんなんかはさ、

大滝: はい。

山下: 「ロング・バケーション」とかんとき、ライブ何回かやったでしょ?

大滝: 3、2回、東京と大阪で2度やりました。

山下: 僕、「ロング・バケーション」が出る直前のライブっていうのを、

大滝: あぁ。

山下: 郵便貯金でね、

大滝: ひどかった日。

山下: かぜひいて、あれだったですけど。

佐野: (笑)。

山下: そのときは、要するに、基本的に、なんていうのかな、大リズム・セクションっていうの?

佐野: えぇ。

山下: パーカッションが4人で。

佐野: そうそう。あれはすごかったね。

山下: ピアノが何人っていう。基本的に、でも、2、3回やったの、ヘッドホン・コンサートとか、

佐野: やりましたね。

山下: そういうのでも、基本的にその編成でやってるわけですよね?

大滝: そうですね。

山下: で、アレンジ、基本的にはおんなじっていうね。

大滝: やろうとしたけど、うまくいきませんでした(笑)。自慢じゃないけど。

佐野: ヘッドホン・コンサートって、でも、あれは、「THE ONLY ONE」だね。あれから発展形、全然ないですもんね(笑)。

大滝: ヘッドホン・コンサートって、変な形だもんね、だって(笑)。佐野君にも出ていただきましたけどもね。

山下: (笑)。

大滝: まっ、そういうあれだから、「3人で」っていうと、共通項はナイアガラ・トライアングルなんですけど。よく、いいでしょうかね?私の話しをして、

山下: どうぞ。

大滝: 「Vol.3は?」という話しをよく聞かれて、常に考えているんですけども、やっぱり、「山下君や佐野君のような、偉大な才能の人と巡り会えればね」というふうに思うんですけど、紹介してくださいよ(笑)。

佐野: このへんで曲いきたいと思うんですけれども、

大滝: えぇ。佐野君の曲をかけないといけないわけですよね。

佐野: 僕の曲?

大滝: 順番からいくと。

佐野: じゃあ、今話しに上がりました、ナイアガラ・トライアングルVol.2から、僕の製作で、大滝さんのプロデュース。この曲を聴いてください。曲は、「Bye Bye C-Boy」

 曲:

佐野元春/Bye Bye C-Boy

佐野: ナイアガラ・トライアングルVol.2から、佐野元春、「Bye Bye C-Boy」でした。

山下: うん。

佐野: すごい久しぶりに聴いた、今。

大滝: 82年ですから、8年前のものですね、もはやね。

佐野: 声がなんか、(聴き取り不可)だったけど。

大滝: どうですか、山下さんは?

山下: いや、いい。この曲好きなんですよね。

佐野: 最近、こういうメロディックな曲、書いてないから。

山下: ないでしょ?

佐野: 今、達郎さんに怒られてたとこですけど(笑)。

大滝: (笑)。

山下: そうなんですよ。いや、別に私がいうような筋合いのもんじゃないんですけど。「そういうの、もっと聴きたいな」と僕は思ってるという。

佐野: ちょうどね、僕が「SOMEDAY」ってアルバムをつくってた時期かな?

山下: ふん。

佐野: 大滝さんと、ナイアガラ、これ、いっしょにつくらせてもらって、大滝さんのレコーディングを生まれて初めて見たときにね、やっぱりショックでしたね。

山下: (笑)。

佐野: アコースティック・ピアノ2台、パーカッション4人、アコースティック・ギター4人、「せーの」でいくという(笑)。

山下: そ、そ、そ(笑)。あれ、でも、79年からですもんね、あのやり方ね。

大滝: いや、77年だ、ほら。自分のスタジオで人数集めてやったんだけど、うまくいかなかったんですよ。

山下: うん。

大滝: あそこの狭い、

山下: ところじゃダメなのね?

大滝: 6畳のところに、だいたい、15人ぐらい入れて、1回やってみたんですよね。77、8年に。

佐野: うん。

大滝: それでもうまくいかなくて。で、やっぱり、大きいスタジオ行ったら、まぁ、なんとか。

山下: うん。

佐野: そう、大きいスタジオで、僕、コントロール・ルームの方で見てたんですけれどもね、「ポップ・オーケストラ」という言葉がまず頭に。なぜかね、すごく抽象的な言い方で申し訳ないんだけども、全体のセッションがあるでしょ?

大滝: うん。

佐野: そのセッションの上に、「スーッ」と虹がかかってたんですね。

大滝: ほーっ。

山下: ロマンチストだな。

大滝: うれしい表現をしてくれる(笑)。

佐野: それくらいショックだったのね、初めて見たとき。達郎さんは、大滝さんのレコーディングのようすってのは?

山下: 僕ね、見たことなんですよ。大人数レコーディングは。

大滝: 大人数になってからはね。

山下: 僕が、だから、大滝さんのブラスとかね、やってたころは、福生のスタジオでね、4人ぐらいで「フッ」とやって。で、ほとんどノー・エコーの世界でね。

佐野: (笑)。

山下: それを東京のスタジオに来てから、ブラス入れるという。時間があれば、ブラスが東京から福生まで来て、やるっていう状態でしょ。

佐野: まぁ、ナイアガラ・ファンだったら、リスナーの方で、ナイアガラ・ファンだったら、知ってると思うんですけど、大滝さんのレコーディングで、達郎さんが弦アレンジをしたり、ブラス・アレンジをしたりしてるんですね。

山下: あんまりうまくなかったですけどね。

大滝: コーラス・アレンジとか、ずいぶんね、

佐野: コーラス・アレンジもね。

大滝: ずいぶん、クレジットはしてないときもあって、怒られましたけども(笑)。

山下: (笑)。

大滝: ずいぶんね、手伝っていただいてますよ、ほんとに。

佐野: ここでね、もう一度検証したいのはね、大滝さんの、結局、大滝さんを中心として、世の中に輩出していったミュージシャンたち。達郎さんを中止として、世の中に輩出していったミュージシャン、僕、たくさんいると思うんですよ。

山下: そうかな?

佐野: で、そのへんのことを、ご自身から聞きたいなと思うんだけれども。

大滝: (笑)。

山下: いかがですか?

大滝: いるんですか、私の場合は?私の場合は、「邪魔をした」っていうケースばっかりじゃないんですかね。

山下: 私は、いちおうお師匠さんですからね。

大滝: なんだ、それ(笑)。

山下: もう16年ですからね。初めて行った、暑い夏の日、今でも覚えてますけどね。

佐野: へぇー。

山下: はっぴいえんどっていうバンドってのが、やっぱり、僕、高校のときだったんですよね。

佐野: うん。

山下: で、あれが、やっぱり、僕なんかのスタンスからいえば、僕は洋楽100%の人間だったんです。で、GSなんかも聴いてましたけども、やっぱり、ごく限られたね、あれで、

佐野: うん。

山下: GSはライブを相当見ましたけど、GSってのは、要するにシングル・ヒット以外は全部カバーなんですよね。

大滝: あー。

山下: だったんです。だから、いかにその時のヒット曲を、他のバンドよりも、GSよりも、早くカバーできるかっていうのがGSの競争、精神というか。当時は、要するにだから、時代的な背景もあって、そんなオリジナルなんてとんでもないし。

佐野: うん。

山下: 偉い作曲家の先生が書いてくれる作品を、推しいただいてね、「シングルとして、やっぱりやらなきゃいけない」という、芸能界のシステムになってましたから。ただし、だから、あの人たちはみんなクラブ・バンドですから、今、パブとかクラブとかいいますけど、クラブ・バンドなんですよね、みんなね。

佐野: うん。

山下: だから、演奏力はみんなあったから。そういうバンドじゃないと、要するに、レコーディングさせてもらえなかったから、人がレコーディングして、自分たちが歌うっていうようなことはなかったんです。だけど、そういうことじゃなくて、本質的に、そういうものと全く発想を異にして、「日本語で歌って、曲をつくる」っていうのかな、そういうことを始めた最初は、問題なくはっぴいえんどなんですよね。

佐野: 問題ないですね。

山下: それはもう、誰が何というと、そうだと思うんです、僕は。でも、それがね、大滝詠一って人だと知らない。

佐野: その当時はまだわからなかった?

山下: その当時は。はっぴいえんどってバンドではあったけど。この人が、それが「大滝詠一」という名前がね、具体的にあれするっていうのがなかったんです。

佐野: そうですね。

山下: 僕が大滝さんと、初めて大滝さんとこ行く直前に、大滝さんソロ出してね、その1曲目がアカペラだったんですよね。

佐野: あー。

山下: あれも日本では最初のアカペラでしょ、こういうロックン・ロール・フィールドではね、恐らく。それで、あれはね、実によくてね、僕は好きなんだけど。「指切り」なんか、シュガー・ベイブでもカバーしてましたけど。

佐野: うん。

山下: あれは、言ってみれば、五目味のLPで。で、それが「大滝詠一」という名前を、初めて認知した最初なんですよね。

佐野: なるほどね。

山下: これが、「はっぴいえんどというのをやってる人だ」と、だから、「なるほどねー」って。聴いてみると、確かにいい曲、自分の好きな曲を書いてる人が、「あっ、この人なんだ」と。

佐野: そうそう。僕はね、やっぱり、ライブでわかりましたね。「あっ、この人が曲を書いてるんだな」って。

山下: うんうん。

佐野: 大滝さんが、まぁ、リード・シンガーだったけども。

山下: はっぴいえんどをかけたいんだけどね、ほんとはね。

佐野: はっぴいえんどいきましょうか、ここで?

山下: CDも出たし。

大滝: 出ましたね。

山下: うん。

大滝: あれはね。

山下: どうして黙ってるの(笑)?

佐野: (笑)。

大滝: 20周年(笑)、恥ずかしい。「20年前のものだと思ってね、聴いていただければ」っていう感じありますけどね。

山下: あれはなかなかすごい。

大滝: うーん、とにかく、やっぱり、具体的には、出てなくてもね、僕の場合の曲なんか、やっぱり、細野さんのベース・ラインの非常によいサポートとか、いろんなことも含めてなんだけど。やっぱり、4人の、茂のギターがね、今聴いても、「やっぱり一番いいのは、茂のギターだけだな」と思えるときがあるのね(笑)。正直にいうとね。だから、やっぱり、4人のアンサンブルがつくったもので、僕はバンドの場合は代表者でしかありませんでしたね、単純に。ステージなんかで歌うっていう意味合いではね。

山下: MCをする。

大滝: そうそうそう。司会者です、はっぴいえんどの(笑)。

山下: なんなの。

大滝: だから、4人のアンサンブルがやっぱり、非常によかったんじゃないかと思いますね。

佐野: そうですね。

大滝: とにかくね、ほんとうにね、「日本の今までにないようなものの、そういう、日本のポップスとか、日本のロックをつくるんだ」って、本気で思ってたっていう珍しいバンドです(笑)。

山下: 佐野君、何が一番好き?

佐野: さっき、達郎さんから出てたね、

山下: いや、私は誰がなんといおうと、「12月の雨の日」のシングル・バージョンが聴きたい。

大滝: (笑)。

佐野: 賛成ですね。はっぴいえんど、「12月の雨の日」

 曲:

はっぴいえんど/12月の雨の日

佐野: はっぴいえんど、曲は「12月の雨の日」。これは、71年発表したシングルで、シングル・バージョンで聴いてもらいました。

大滝: 当時はね、シングル盤で、ラジオのスポットまでうったんですけど、

山下: へぇー。

大滝: 売れませんでした(笑)。

佐野: こんないい曲なのに。

大滝: やっぱり、でも、「シングルを売らなければいけないんだ」みたいなことは、でも、やっぱり、当時からあってね、今だってそれはもう、もちろん変わってないし。

山下: やっぱり、ネットワークの問題でしょ。やっぱり事務所とかさ。

大滝: でもなんかさ、今、「アルバムの時代、アルバムの時代」っていわれてるけど、シングル盤をヒットさせるっていうようなことの効用のひとつとして、やっぱり、ひとつの曲に結集して、いいものを、こう、練り上げていこうというか、1曲になんか、集中したものをつくろうとかっていう、そういう精神って、いいんじゃないかしらね。

佐野: 僕はいいと思うな。だから、大滝さんが、はっぴいえんど時代っていうのは、ロック・バンドがシングル・ヒットを飛ばすなんてことは、もう、全然考えられなかったですよね。

大滝: まぁ、GS以外のところではね。

佐野: GS以外では。最近は、バンド・ブームということで、

大滝: すごいですね。

佐野: 去年、おととしとバンドがもう、たくさん出ましたけれども。そういうバンドがシングル・ヒットを飛ばすというね、状況になってきてるわけですね。

大滝: なってきてましたね。

佐野: で、大滝さんなんかはどうなの?

大滝: 20年前は考えられませんでしたね。

山下: そう?

大滝: うん。いや、結局、だから、あれでしょ?中身はわからないけど、20年後にはっぴいえんどが今やってて、今の「12月の雨の日」みたいなのが出れば、少しは売れるんでしょ?

山下: 売れるでしょうね。

佐野: うん。

大滝: それがでも、ヒットするなんて、思ってもいなかったし、当時。ただ出しただけで。

佐野: チャート誌ってのはあったんですか、当時?

大滝: チャートはあったけど、

山下: ありました。

大滝: もちろん入りはしませんでしたよ。そのシングルはね、全然。

山下: そうだね。

大滝: だから、今にして思えば、非常に、「やっぱり20年経ったんだな」と思うし、

佐野: うん。

大滝: バンドっていえば、佐野君だってやっぱり、インディーズということで、いろんな若い人たちの面倒を見るっていうか、

佐野: 面倒見てるってことじゃないんですけどね、

大滝: 面倒見るっていうか、プロデュースするっていうかね。

佐野: 割と新しい世代が、新しい音楽感覚、新しい言語感覚を持って、「次々出てきてるな」っていう実感はありますね。

大滝: なるほど。

佐野: だから、コンピレーション・アルバムつくったときも、現場で、全く僕はプロデューサー側にまわっちゃったけれども、楽しかったですね。すごく楽しかった。どのバンドも、その世代なりの秘密の言語ってのを持ってるんですよね。

大滝: ほーっ。

佐野: 僕にはわからない。その世代の音楽リスナーと、その世代のロック・バンドしかわからないような秘密の言語というのがね、歌詞の中に、

大滝: 週刊誌的にいえば、キーワードですか?

佐野: キー・ワード。それを逆に、探し当てるのが、すごい、こう、楽しい作業だったけど。

大滝: ほーっ。

山下: ふん。

佐野: 大滝さんなんか、どう思いますか?

大滝: 最近のバンド?

佐野: うん、バンドの。

大滝: 例えば、米米クラブが「ファンク・フジヤマ」のようなものを出してね。で、あれが2位になるとか、1位になるとかいうような時代ですよね。あれ、20年前ですよ、ああいう曲を出して、100位もかすりませんでしたよ、全然。

佐野: うん。そういう、メジャー、まぁ、米米クラブっていうのは、メジャーなバンドだけれども、以前よりか、こう、アマチュアのバンドっていうか、これからプロに嗜好しているバンドが出やすい状況になってきた。

大滝: なりましたよねー。

佐野: 発表の場がすごく、

大滝: 多くなった。

佐野: 多くなってきた。

大滝: だから、話しを多少蒸し返すようなんだけど、山下君と知り合えたのもね、佐野君なんかのときも、ギリギリだったんだけど、佐野君のときは、山下君ときは、発表の場とか、出て行く場所というのはほんとうに限られていて、ほんとうに数がなかった。

佐野: 限られてました。

山下: そうですね。

大滝: なかったから、たまたま知り合えたとも、ほんとにいえるんですよ。

佐野: うん、なるほど。

大滝: だから、そういう意味でいくと、今、だから、そういう、どういうのかな、劇的な出会いだとか、必然のものとかって起こりにくくなったかもしれないね。

山下: うん、にくくなりましたね。

大滝: ものすごくだから。出れる場所が多いって。

佐野: アマチュア・バンドが急に、マス・メディアであるところのテレビにね、「ドン」と登場しちゃうとか。達郎さんなんかはどうです?

山下: バンドっていうのは、必ず、何年かにサイクルでね、あるもので、バンド・ブームって、今、ブームっていいますけど、こういう商売やってると、やっぱり、取材なんかだと、「今のバンド・ブームどう思いますか?」っていうようなことを(笑)、

佐野: よくいわれますね。

山下: さんざんっぱら聞かれるわけで。別にバンド・ブームは今に始まったことじゃなくて、ブームに仕立ててるっていうね、今はそういう時代だから。僕がシュガー・ベイブっていうバンドをやってたときだって、何百というバンドがあったわけでね。

佐野: ありました。

山下: あれも、まさにバンド・ブームで。あのころは有名な「なんとかマガジン」という雑誌がありましてね、そこで、「今の日本の、これからのバンド」っていうね、特集で、何十ページっていうところ割いて、1ページに6つも7つも書いてね、それが延々続いてるやつで、シュガー・ベイブってのは紹介されましたけどね(笑)。そういう時代と、全く、基本的には変わってないんですよ。ただ、それがほとんど残らなかったのは、さっき大滝さんが言ったみたいに、「場がなかった」から。

佐野: うん。

山下: 僕がバンド始めたときは、ライブ・スポットもなかったし。今、やっぱり、音楽ライターとかいう、音楽のメディアっていうかな、特に書くメディアに携わってる人っていうのは、だいたい、そういう、僕とおなじ世代か、僕より上なんですよね。そうすると30代から40代にかけての人がすごい多いわけで、そういう人たちの目からみると、昔のバンドのね、「ないところから始まって、血肉を削って上がってきた」っていう、

佐野: あーっ。

山下: そういう意識がすごく強いから、「今のバンドはものすごく軽薄にみえる」っていうのね。たとえば、「格好が先になってる」とか。僕はね、何でもいいと思うんですよね、僕なんかにいわせれば。それがもう何年かして、これが淘汰されて、ほんとに優秀な人がどういうことをやるかっていうのが一番楽しみで。ただ、それが僕とどういう接点を持つかというのは、それは別問題でね。僕は基本的に、そういうとこで、僕は僕のエリアでやることがあるから、あれだと思いますけど。僕は割と、そういう意味では、目くじら立てて、あれするような感じでもないし、もっとたくさん出てきて、切磋琢磨すればいいんじゃないかって、なんか修士の教科書みたいになってますけど(笑)。

佐野: 元々、ロックン・ロールとか、ロック・ミュージックっていうと、もう、今日、楽器手にしたら、明日ね、

山下: そうです、そうです。

佐野: バンド組んで、すぐに人前で発表できる。

山下: そうです。

佐野: そういうプロフェッショナリズムとは離れたところでね、生まれてしまう?

山下: そうです、それがロックン・ロールの信条ですからね。

佐野: だから、そういった意味では環境が整ってきたなと。ただ、その環境の整え方が、ちょっと問題だなと思うのは、昔もバンド・ブームはあったけれども、お金持ち、すなわち企業がそういうバンドたちにお金を、結局、例えば、スポンサナイズしようとかね、そういう動きはなかったですよね。

山下: うん、まぁ。かといって、だから、ほんとに、「1ステージやって5000円」っていうね、世界だったから、僕らは。そういうところがいいのかっていうね。僕はだから、どっちでもおんなじだと思います。例えば、スタンダード・ナンバーっていうのがね、アメリカなんかで残ってますけど、あのころはまだレコードではなくて、ミュージック・ピースの時代だったでしょ?譜面の時代だったですよね。あんときにはほんとに、月に何千曲っていう曲が出てきて、そんなかでクズと宝に分けられたわけですよ。そういうことの繰り返しですからね。別に、大人になっちゃったかな、そういう具合に。メディアに呑まれていく人はいくだろうけど、それでまた突出していく人は必ず出てくるしね。

佐野: 大滝さんは、こう、大滝さんといえば、古いレコードのことをよく知っていたりとかね、

大滝・山下:(笑)。

佐野: そういうイメージが一般では強いと思うんだけれども、

大滝: あまりいわないようにして(笑)。そのイメージから脱却しようと思ってるんだ。

佐野: でも、やっぱり、ひそかに日本のね、そういう新しい世代の音楽っていうのは、やっぱり、耳にしたり、自然に耳に入ってきたりするもんでしょ?

大滝: そうですよね。で、ただね、とにかくね、ひとつだけいえることはね、みんな恥ずかしがらずに楽器持って歩いてるということだよ。

佐野: あー、よく見かけます。

大滝: これがだから、違うんだよね、昔とは。要するにカバンを持つ感覚で持って歩いてるんだよ。僕ら、恥ずかしくてね、持って歩かなかったバンドだったけどね、僕らはね。

山下: 大滝さんは、どうして恥ずかしかった?

大滝: えっ?なんか、恥ずかしかったんだよね。

佐野: ミュージシャンであることが?

大滝: うーん、なんかギター持ってるってのが、なんか嫌だったんだ、すごく。で、細野さんもあんまり好きじゃなくてね。持ってこなかったりして、人に借りたりとか。なんかしらないけど。それから、あとはね、あれですよね、親の人に、とにかく「そういうことをやってるのは不良だ」とかいわれた時代で、バンドやってると学校から文句いわれたりね、「やるな」とかいわれた時代でしたから。やっぱり、なにがしか、後ろめたいものがありましたよ。今もあるんだけど、実は。

山下: 今のバンドやってる人は、「全然ないか」つったら、そんなことないんじゃないかな?

佐野: うーん。

大滝: いや、ギター持ってるかっこ見ると、なんか、そうも思えないんだけどなー。だって、親がとにかく、じゃんじゃんやらしてるでしょ、だって、今は。それは少なくとも、違いますよ、前のものと。

山下: それはだから、我々の、ほんとに、大滝さんのね、

大滝: カット、カット(笑)。

山下・佐野:(笑)。

大滝: 何をいわんとしたのか、分かったかな。

山下: 大滝さんの年の人が親をやってるんだから。

大滝: ちょっと、ちょっと。

佐野: 大滝さんの世代でいう、「エレキは不良だ」という考え方ありましたよね(笑)。

大滝: ありましたよ。

佐野: で、新聞なんかにもね、例えば、

大滝: 「北海道の高校が禁止をした」とかいうのが一般紙に載ったりとかですね、そういうのが、一般紙に載った時代でしたよ。

佐野: ベンチャーズなんか、どうだったんですか、当時?

大滝: やっぱり、

山下: すごいですよ。

大滝: うん、すごかった。「エレキ=ベンチャーズ」、「エレキ=不良」っていう(笑)。

山下: 僕、今でも覚えてますけどね、中学2年、あっ、3年のとき文化祭があったんですよ。それで、僕、バンドやってね、演奏したでしょ。でね、「Act Naturally」って曲がありましてね、ビートルズのね、元々はBuck Owensという、カントリーの曲なんだけど、ビートルズがやってるんですよね。で、司会っていう人がいましてね、「この曲はビートルズが取り上げてる曲です」って言ったら、先生がとんできてね、「ビートルズのやってる曲はやっちゃいかん」、

大滝: (笑)。

山下: これは今でもすごい覚えているけど。

佐野: ほー。

山下: その程度のもんでしかないんですよね。

佐野: でもやっぱり、10代のとき、「やっちゃいけない」といわれると、余計ね、

大滝: まぁ、それもね、

佐野: 聴きたくなったり、やりたくなったりするんですよね。

大滝: それもあるんだけど。だから、別にね、今、それを持って歩いてる人が、そういう「羞恥心がないから悪い」とかって、そういう意味じゃなくて。

佐野: えぇ。

大滝: とにかく、だから、一般的になりましたよ、とにかく。で、悪いっていうんではないし、親は「やれ」っていうし、持って歩くのも普通になったし。だから、それだったら、それなりの、次のものっていうのが出てくるはずですよ、絶対。

佐野: うん。

大滝: 多分、出てくるだろうし、出てきつつあるように僕は思いますけどね。

山下: まぁ、20年前の、大滝さんがだから、バンドを始めたころっていうのは、そういう音楽自体許容されなかったでしょ?

大滝: うん。

山下: 許容されないってことに関しての、やっぱり、エネルギーというかね、それがひとつのエネルギーになって、アンチっていうのかな、カウンターっていうかね、

佐野: うん。

山下: そういうものになったけど。今は、そういう、大滝さんの話しにもあるように、許容されてるから。

佐野: うん。

山下: 例えば、大滝さんぐらいの年の人が親をやってるわけだから、それは自分が聴いてきた音楽をね、ある程度踏襲してるものだから、それほどやっぱり、違和感がないわけでしょ。許容されてるなかで、どういうものをつくるかってのは、これね、結構大変なの。

佐野: なるほど。

大滝: それはそれで、その時代、また大変だよね。

山下: 大変ですね。

大滝: 反抗するよりも大変かもしれない。

山下: 閉塞されてないから、

佐野: なるほど。

山下: 「どうぞ、やってください」と、好きなことをいくらでもやるっていう、先進的なね、キャパシティのなかで、ほんとの意味での、要するにその、あんまり好きじゃないけど、オリジナリティとかね、クリエイティブとか、あんまり好きな言い方じゃないけど、そういうものをつくるって、結構大変なもんがある。

大滝: でもね、ほんとにでもね、不思議な曲つくるよ、でも。最近の人って。ほんとに、変な、変な歌。

佐野: いや、「大滝さんが変な歌つくる」って言っても、あんまり説得力ない(笑)。

山下: うん、説得力ないな。

大滝: ないのかな?まいったな。だから、僕はさっき言ったみたいに、だから、そういう意味あいでいくと、楽だったね。例えばだから、「クリスマス・ソングがなぜないか」とか言って、「クリスマスは日本のもんじゃないから、音頭にしちゃえ」とか、「クリスマス音頭」だとか、「お年玉、新年のものがないから、つくれ」とか、だから、そういうなんか、「アンチ」の方が楽だよね。そういう意味でいくと(笑)。

山下: 確かにね。ロックがアンチじゃなくなっちゃったからね(笑)。

佐野: ここらで、また曲いきたいんですけど、今、話しのなかでベンチャーズ出ましたけど、

山下: はい。

佐野: ベンチャーズについては、この曲を聴いたあと、達郎さんからいろいろと聞きたいと思います。これは、達郎さん、どういう関わり方をしたんですか?このCDは。

山下: 去年、ベンチャーズが,CDがね、一挙に何枚か発売されたんですよね。

佐野: えぇ。

山下: 僕、ベンチャーズに限らず、そういう60年代とか、50年代の古い音楽のね、っていうのは、ご存知のように全部アナログだったわけで、それを今、CD化作業が進んでるんですけど。まぁ、詳しい話しはめんどくさいからいいませんけど、CDにするって、結構大変なことなんです。で、具体的に何が大変かというと、「いい音のCDをつくる」ってのが結構大変なんですよね。で、いろんなオールディーズの、ベンチャーズも含めて、いろんなCD買ってるんですけど、どうも音がね、いまいち気に入らないわけ。僕、ベンチャーズすごく好きだから、「どうせやるんだったら、自分にやらしてくれ」と、自分がつくった、いい音のCDのベンチャーズを自分で聴きたいっていうね、それだけのために、だから、「監修をさせてくれ」って、自分で選曲して、マスタリングやって、監修して、去年の11月に2枚組で41曲入りでね、ぶっこむだけぶっこんで、出したんです。それが、「ベンチャーズ・フォーエバー」っていうね、2枚組のCDになって出てるんですけど。

佐野: CD、「ベンチャース・フォーエバー」から、この曲を聴いてください。曲は「TOMORROW'S LOVE」

 曲:

Ventures/TOMORROW'S LOVE

佐野: ベンチャーズ、曲は「TOMORROW'S LOVE」でした。

山下: これはね、ベンチャーズのオリジナルなんですよね。オリジナル・ソングはたくさんあるんですけど、これが一番、とにかく好きでね。

佐野: うん。

山下: これはもう、ベンチャーズのモースト・フェイバリット・ソングなんです。

佐野: 曲数、これ、かなり多いですけれども、まとめるのにどれくらい時間かかったんですか?

山下: いや、曲を、マスタリングをね、オリジナル・マスター、とにかく、聴いてチェックするのはものすごく時間かかったんです。「JOY」っていうライブ・アルバムをトラック・ダウンしてるね、エンジニアがバランスとってる間に、おもてで曲チェックして(笑)、マスタリング自体は2日です。

佐野: あー。で、一番大変だった作業というと、僕なんかが思うのは、やはり、選曲にあったんじゃないかと思うんだけど。

山下: そうですね。ベンチャーズはね、ものすごいLPが多い人たちでね。で、日本でベンチャーズっていうと、若い人たちがどう思うか知らないけど、まぁ、僕らの世代もどう思うか知らないけど、一世を風靡した、一世を風靡しすぎてね、ベンチャーズってすごい誤解されてるんだけど、あとは、末期には歌謡曲のね、ヒット・ソングなんかを出したりしたから、結構誤解されてるんだけど、ベンチャーズってのは、とにかく、アメリカ、イギリス、全世界通して、ロックン・ロールの、こういう演奏だけのグループはインストゥルメンタル・グループっていいますけど、ロックン・ロールのインスト・グループとしては、間違いなく最高なんです。で、ライナー・ノーツにも書いてありますけど、アルバム・アーティストとしての、アルバムの売り上げの歴代っていう形では、60年代の10年間を取れば、ビーチ・ボーイズとか、ストーンズより上なんです。

佐野: あー。

山下: それぐらいの、すごいもんなんですけど、ベンチャーズっていうのが、あまりにも日本的に認知されたおかげで、非常に日本的な売れ方っていうかな、「ベンチャーズの人気は日本だけだ」って、それ嘘なんです。実際にアメリカでもあれして、ひとことでいうなら、「ロックン・ロールの歌のない歌謡曲」なんです。

佐野: なるほど。僕、1956年生まれなんですけど、僕が中学生のころ、ベンチャーズは渚ゆう子さんっていうね、

山下: あぁ、もう、

佐野: 歌手のバッキングをしてて、

山下: そのころですね。

佐野: そのイメージがやっぱり強いですね。

山下: でしょ。だけど、初期に、やっぱり、ベンチャーズっていうのは、ほんとの意味でのロックン・ロールのグループなんです。だから、4人だけで、ギターだけで、エレキ・ギター2本と、エレキ・ベースですよね。で、ドラムですよね。4人組なんですけど、エレキ・ギターだけでつくられたインストゥルメンタル・グループとしては、最初のものなんです。

佐野: なるほど。

山下: えぇ。

佐野: 大滝さん、ベンチャーズというと思い出すようなことあります?

大滝: まぁ、嫌いでしたね、

山下・佐野:(笑)。

大滝: 昔は。もう、売れてるのは、もうヤでね。

山下: 売れてるのはヤだっていう、それだけのことで。

大滝: とにかくヤで。ほとんど、当時は、もちろんヒット曲は聴きましたけど、あまり好きではなかったんですが(笑)。だから、昔のレコードをね、「よく知ってる」とかなんとかいわれてもね、僕の場合、だから、「あとで聴いて好きになる」とかっていうケースがずいぶん多いんですよ。

佐野: あっ、そうですか。

大滝: うーん。

山下: 実際、だって、レコード出てませんでしたもんね、当時。

大滝: 当時。

山下: バディ・ホりーとかだって、エディ・コクランとか、結局、60年代の末まで、僕らは全然聴けなかった。今でも覚えてますけど、70年ぐらいに、「バディ・ホリー全集」ってのがね、日本で初めて2枚組で出て、初めてバディ・ホリーって、聴けたんですよ。

大滝: うん。

山下: ですよね?

大滝: チャック・ベリーも、ずいぶん、

山下: チャック・ベリーもそのころですね。

大滝: リバプール・サウンドが出てきてだったんだけど。ただ、ベンチャーズでおもしろかったのはね、曲調が日本の人が好きそうなメロディとかっていうのをね、どういうわけだか、なんか、ベンチャーズがつくるんですよ。そこに着目したとある会社が、やっぱりおなじ会社だったんだけども、それを日本のポップス流にアレンジしていこうということで、実は60年代中期の日本のポップスと呼ばれるものはね、ベンチャーズがベースなんですよ。

山下: うん。

大滝: 間違いなくベンチャーズがベースなんですよ。

山下: そうですね。

大滝: で、そういうような形で、日本のポップスっていうのは、やっぱり、GSがビートルズだったりとか、まぁ、それ以前にはね、ラテンのトリオ・ロス・パンチョスだとか(笑)、いろんな、あとは、ペレス・プラドのマンボだとかね、ほんとはね、日本の歌謡曲ってのは、ほんとのことをいうと、全部、洋楽がつくってきたんですけど、この90年を迎えるにあたってですね、若者がつくってるとこのオリジナルってのを聴くとね、1個とか、具体的なものが浮かんでこないっていうところが、なかなかにおもしろいですよね。

山下・佐野:うーん。

大滝: そこが、見えないというか、なんか、やっぱり時代が変わっってきたんでしょうね。昔はだから、ひとつの、佐野君流にいえば、イディオムの、それをなんか、ひとつのリ・アレンジみたいなことだったんだけど。今は、なんかほんとに、こうね、混じってて、

山下: 複数のイディオムが入ってきてるからでしょ。

大滝: っていうことで。

山下: で、それだけやっぱり情報化社会って、下世話な、俗的な言葉だけど、昔は輸入される音楽というのは、ほんとに数が限られててね。

佐野: えぇ。

山下: 例えば、スカとか、例えばその、今のライとかね、ああいうのって、そのころからあったんだけど、輸入は愚か、聴く術すらもなかったわけですよね。それで、ラジオなんかで聴ける音楽ってのは、ほんとに数限られたビルボードの世界っていうかね、だから、それに全神経を集中して聴いてたわけで。今はもう、そのへんの渋谷あたりのレコード屋にいけば、なんだってあるわけでしょ。

佐野: うん。

山下: それはもう、100人来たら100枚、誰でも要するに、選択可能な状況に置かれてるわけだから、そういうなかで生み出される音楽の形っていうのは、今のバンドのね、すごく反映されていると思いますけどね。

大滝: おもしろいんじゃないですかね。新しいものも、古いものも含めて、並列に置いてあるわけでしょ。で、彼らはそれを、まぁ、並列に捉えるわけなんで、我々はある程度、まぁ、何年か、新しい人は別にしても、20年もやってくると、もう縦列にひとつの歴史ができちゃってるから、なんかひとつあった場合にはね、どうしてもその後ろにしっぽが付いてるんですよ。

佐野: うん。

大滝: それが、彼らはまるでなくて、全部、横、並列に聴けて、つくるわけだから、これはおもしろいのが出てきても当たり前だと思うし、

山下: そうですね。

大滝: 非常に期待を持ってますよね、私は。

佐野: ベンチャーズ、日本の男の子たちに初めてね、エレキ・ギターっていうか、ロックン・ロール・ギターを、日本の男の子たちに初めて弾かせたグループだとすれば、じゃぁ、日本の男の子たちに初めてね、ロックン・ロールを歌わせた外国のシンガーっていうと、誰にあたるの?

大滝: ほんとの意味合いでのロックン・ロールを歌わせた人ってのは、いないんじゃないかなー(笑)。

佐野: 「あいつみたいに歌いたい」という、こう、しびれさせた。

大滝: あぁ、そういう意味?

佐野: うん、初めて、こう、しびれさせた。

大滝: そういう意味?うーん、どうなんだろうかなー。

山下: いかがですかね?

大滝: シナトラのあとで、まぁ、ロックン・ロールって意味合いでいくと、だから、エルビスでしょうね、どうしてもね。

佐野: あー、でも、エルビスのこの歌ってる姿っていうのは、当時、日本のテレビなどで流れたんでしょうか?それとも例えば、音楽雑誌なんかに出たのかな?

大滝: ニュース・フィルム程度のものじゃないですか。当時、映画館でよくニュースとかやってたから。まぁ、あったとして、それだけど、まっ、写真じゃないですかね、ほとんど。

山下: 大滝さん、エルビス一番最初に聴いたのは、いつですか?

大滝: えーっと、私は中学の2年です。

山下: ふーん。

大滝: あっ、中学1年か。

山下: レコードでですか?

大滝: レコード。「心の届かぬラブ・レター」っていう、2年かそこら。だから、ずっと後なんです。

山下: へぇー。

佐野: いわゆる、ロックン・ロールの時代を過ぎた、

大滝: 全然あと。

佐野: あとですね。

大滝: だから、中学2年ぐらい、1年か2年ですからね、もうそれから1年3ヵ月くらいで全部追いかけて。

山下: ふんふん。

佐野: やっぱり、プレスリーの、こう、顔見て、大滝さんしびれた?

大滝: しびれた。いや、歌い方。

山下: 歌い方?

大滝: 歌い方。それがね、一番最初にしびれたのがね、ラジオで放送したサントラなんですよ。で、それがレコード買ったら驚いたんだけども、サントラって歌が違ってた。

佐野: あー。

大滝: で、サントラの歌がよかったわけ。

山下: ふーん。

大滝: そのラジオのサントラ・バージョンがすごく好きでね、もう、「エルビスのようになろう」と思ったんですよ。

山下・佐野:ふーん。

大滝: ところが、何を間違えたか、時代がもう、全然そういう時代じゃなくって、

佐野: (笑)。

大滝: それで、髪を伸ばしてしまって、日本語のロックを歌ってしまったんですよ。だからもう、出遅れてしまって、はや何年ですよね。

佐野: うーん。

山下: 僕ね、僕なんか、エルビスのあとの世代でしょ、ビートルズ・エイジでしょ。で、エルビスっていうのは、我々の世代にとって、非常に印象が悪いんですよね。だから、佐野君のベンチャーズじゃないけど。それの元凶は「エルビス・オン・ステージ」って、あの、映画なんですよね。

大滝: あれね。

山下: 僕ね、あのころね、「映画批評」っていう雑誌が当時ありましてね、それの座談会っていうのにね、僕まだ学生だったんだけど、その「映画批評」の編集やってるのが僕の先輩だったんでね、高校の。で、その座談会で、「エルビス・オン・ステージ」を見た座談会っていうのがあって。これ、今見ると、赤面もんなんだけど(笑)、もう罵倒中傷のね、「こんなものは」つってね。でも、こないだNHKでね、

大滝: いいね、NHKはいいよ。

山下: 60何年でしたっけ?69年でしたっけ?

佐野: 一度、

大滝: あぁ、「カム・バック・スペシャル」、「68カム・バック・スペシャル」、68年ですね。

山下: あれが、こないだNHKでやりましたけれど、直前のエルビスなんですよね、「オン・ステージ」のね。

大滝: はい。

山下: ほんの1年、2年前のエルビスなんだけど。これは黒い革ジャン着て、

大滝: うん。

山下: まぁ、先生、顛末話してくださいよ。あの番組の。

佐野: あれは兵役後、確かカム・バックした、

大滝: いや、そういうんじゃなくて、

佐野: じゃなくて。

大滝: ずーっと休んでて、映画しかつくらなかったんですよ。

山下: うん。

大滝: 10年、10年じゃないか、7、8年ぐらいね。それで「やろう」と思い立ってですね、昔の革ジャン、昔の革ジャンっていうのはおかしいけど、

佐野: (笑)。

大滝: 革ジャン着て、ギターひとつでね。

佐野: はい。

大滝: それで、横にギタリストひとり置いて、あとはパーカッションのようなもので、

山下: 椅子叩いてね。

大滝: 椅子叩いてね。で、ギターひとつでね、ほんとに昔の、ほんとうの自分がスタートしたときのロックン・ロールの姿のままで、それを最初にやったんですよ。

佐野: あー。

山下: うん。

大滝: それから「エルビス・オン・ステージ」みたいな、きらびやかな舞台に立ったんだけども、その前に、自分の一番最初の原点を認識するためにですね、ほんとにもう、「うちでただ歌ってる」みたいな感じの、エルビスの情念というかね、すごかったね。

山下: それは去年、NHKで放映されたんですけどね。

佐野: あー。

山下: あれがもし、「エルビス・オン・ステージ」とおんなじころに、もうちょっと後でもいいや、キャロルがね、出たときに、あれが日本でオン・エアされてたら、大きな形でね、僕、エルビスの認識は全然違ったものになると思った。

佐野: キャロルって、日本のバンドのキャロルですね?

山下: うん、日本の。キャロルのころ、要するにね、ロックン・ロールの時代があったでしょ?革ジャン着たね。

佐野: はい。

山下: あんときに、あのエルビスのあの番組がね、日本で放映されたならば、

佐野: うんうん。

山下: 僕はね、今のエルビスの評価って、全然違うと思った。僕、ものすごい、それ、話しには聞いてたけど、こないだのNHKで初めて見たんだけど、ものすごいショッキングだった。

佐野: うん。

山下: ほんとの意味でのロックン・ロールっていうか、ロッカーなの。それが、ほんとの、1年、2年経ずして、ラスベガスのステージに立って、あの形になるんですよ。で、今は、僕があれ見ると、ラスベガスのあれもすごくよくわかるんだけど。だけど、ロックン・ロールという、若い人がね、要するに、ロック感覚というかね、今の日本に流布しているロック感覚っていう意味で見れば、まさにロックン・ロールの姿がそこにあって。

佐野: うん。

山下: それがすごくね、すばらしかったんだけどね。

大滝: 真似する人って、「エルビス・オン・ステージ」のかたち真似するでしょ?

佐野: そうですね。

大滝: あれじゃないんだよ。

佐野: きらびやかな白いジャケット、フリンジが付いてるやつをね。

大滝: そういう意味でいくとね、ひばりさんを「悲しい酒」とか、「柔」とか、ああいう演歌の女王として捉えてるのでは、これは実は、

山下: 違うんですよね。

大滝: 大きなまちがいなんですよ。エルビスとほんとによく似てるんだ。佐野君のエルビス体験?

佐野: 僕のエルビス体験っていうのは、これはもう、同時代では聴いてない。まず、おふくろがエルビス・プレスリーの大ファンだった。

大滝: おふくろさんが同時代だった?

佐野: はい。

山下: すごい。

佐野: で、うちにやっぱりエルビスのレコード、

大滝: 当時、おふくろさんがエルビス聴いてるって、すごいよ。

山下: 変わってるよ。

大滝・山下:(笑)。

佐野: これひとつね、エピソードがあって、ぜひふたりに聞いてもらいたんだけど。もう、エルビス・フリークなわけですよ、僕のおふくろっていうのはね。で、当時、ジャズ喫茶みたいなのを経営していて。で、まぁ、僕が生まれるってんで、病院にいるわけですけども、病院で僕が生まれたわけですよ。そして、僕を抱えて、お店の方に戻っていった。そして、ドアを「ぱっ」と開けました。そうすると、お客さんが場に座っていて、みんな拍手をする。で、「この子のお祝いのために、エルビスの曲を1曲かけよう」って、

山下: へーっ。

佐野: ジューク・ボックスにお金入れて、「監獄ロック」をかけた。

大滝: おぉ!すごいっ!

佐野: 僕が生まれて初めて聴いたのが、エルビスの「監獄ロック」

山下: なるほど。

佐野: 僕、1956年生まれですから、ちょうどエルビス・プレスリーの、

大滝: ちょうど56年、そうだよねー。

佐野: 時期とおんなじですね。

大滝: ほんとに。リアル・タイムじゃない、それこそ。

山下: すごいじゃない、それ。

大滝: 一番最初に聴いてるんじゃないか(笑)。

山下・佐野:(笑)。

大滝: ほんとは61年か、62年なんだから、もうそれよりも前に、佐野君はエルビスを同時代で聴いてた人なんだ。なんだ。

山下: すごい。

大滝: あまりいえなくなっちゃったな、エルビスとかいうの。

山下: (笑)。

佐野: ここで、エルビス・プレスリーの曲、1曲いきたいと思います。

大滝: 聴いてみましょうか。

佐野: はい。では、大滝さんのリクエスト。

大滝: 私?私のリクエストね。異論があるようなんだけど。

山下: どうぞ。

大滝: いちおう、その前に、各々の人が、「一番何が好きか」っていうのだけを、ちょっと。山下君は一番ベストは?

山下: やっぱり、「ハウンド・ドッグ」でしょうね。

大滝: 「ハウンド・ドッグ」だよねー。いいよね、大友君もね。関係ないか(笑)。

山下: なんだよ、それ(笑)。

大滝: 佐野君は、やっぱり、そうすると、「監獄ロック」っていうことになるんでしょうね?

佐野: 「監獄ロック」だね。

大滝: ほんとはそれでいいんだけどね、「ぐっ」と外して、

山下: はい。

大滝: 意外に、エルビスの中では地味な、「オール・シュック・アップ」というね、「恋にしびれて」という邦題が付いてましたけど、それ聴いてみましょう。

佐野: はい。

 曲:

ELVIS PRESLY/ALL SHOOK UP

佐野: キッズ・アライブ、「新春大放談」。今日は、山下達郎さん、そして大滝詠一さん、そして僕、佐野元春、3人でおしゃべりをしています。プレスリー、「オール・シュック・アップ」、聴いてもらいましたけれども。僕がね、プレスリーの体験ということで続けていえば、あのー、70年代、パンク・ロックのムーブメントがあったでしょ?

山下: うん。

佐野: そのなかで傑出したグループに、ザ・クラッシュっていうバンドがいるんですね、イギリスのバンド。で、クラッシュが何枚目のアルバムだ?2枚目か3枚目のアルバムのときに、エルビス・プレスリーのジャケットを、そのままね、あのー、なんていうか、パロディしたジャケットを出したんですよね。だから恐らく、70年代、イギリスからアメリカの方で起こったパンク・ムーブメントのなかにいたミュージシャンたちは、エルビスの初期のね、ワイルドさというか、ロックン・ロール性みたいなものをもう一度、新しい世代なりに「再解釈してみよう」みたいな運動が多分あったと思うんだよね。

山下: うん。

佐野: 日本ではなかったけれども。

山下: 常にだから、そういう運動として捉えた方がいいんですよね。、ほんとはね。無から生まれたものじゃなくて。

佐野: うん。

山下: そういうこというと、すぐなんかいう人がいるんだけど(笑)。だから、こう、なんか、こう、古めかしいね、ことを、ものを引っ張り出して、なんか、「あのころはよかった」って言ってるんじゃないんですよね。

佐野: そうじゃないですね。

山下: ロックン・ロールということを話しする場合に、やっぱり、「どこから来て、どこへ行くか」とかね、そういうようなことをなんか、

佐野: それはね、僕の場合、外国に行って、イギリスで、例えば、オープン・マーケット、市場があるんですね。土曜日、日曜日になると、いろんな花屋さんが出たり、果物屋さんが出たりして。で、僕がたまたま、バディ・ホリーのバッチをね、胸に付けて、オープン・マーケットに果物を買いに行ったわけですよ。そしたら、そこのおばさんがね、「おっ、君はバディ・ホリー好きなの?」っていうわけですよ。

大滝・山下:(笑)。

佐野: で、「えぇ、バディ・ホリー好きなんです。バッチ付けてるくらいですから」とかなんとか言って。で、40、50歳くらいのおばさんかな?もう、普通の、一般のおばさんですよね。「私もバディ・ホリー大好きなんだ」と。で、バディ・ホリーの音楽っていうのが、いかにね、その当時の、結局、ティーン・エイジャーたちだったのかな?に浸透してたのか、そういうところからもね、わかる。

山下: だから、やっぱり、ちょっと話し違っちゃうかもしれないけどね。僕、まりやの「バラエティ」ってLPがありましてね。それのコーラスはね、ロサンゼルスでね、やったんですけど、コーラスやってる人たちに、ロックン・ロールの1曲があって、それのコーラスをやってもらったの。で、合いの手ね、「『オールモースト・グロウン』みたいにやってくれ」って言ったんですよ。「おぅよ!」って。「ツーでカー」って、これがねやっぱり、日本で考えるとそれができない辛さっていうかな。やっぱり、借り物の音楽っていうか、そういうのね、すごくそのとき思ったのね。「『RIDE A DAY』(?)っていうコーラスをやってくれ」って言って、「WHAT?」、「LIKE “ALMOST GROWN」っていうと、「I SEE」って。そういうようなことかな、だからね。

佐野: うん。

山下: だから、そういうのを「うらやましい」って言ったらいけないんだろうけど。やっぱりだから、そういうの、考え方古いのかもしれないけど。そういうことを体験すれば体験するほど、そういうものから離れてね、借り物じゃない、なんかひとつの、要するに、日本的な信条というのかな、そういうようなものになっていくしか、「努力しないとだめだな」っていうようなことをいつも思ったりするんですけどね。

佐野: 達郎さん、僕なんかは、自分のレコーディング、あるいは人のレコーディングなどで、自分がインスパイアされたミュージシャンなり、またはプロデューサーなりと、直接会ってね、その人といっしょに仕事をすることによって、またなにか再発見したりっていうようなことをやってるんだけど、大滝さんの場合は、はっぴいえんどの時代に、やはり、一度外国録音して、

大滝: うん。

佐野: それ以来はもう、外国の文化は断ち切ってますよね(笑)。

大滝: 断ち切りましたかね(笑)。うーん、あれはたまたまあれだったんですね。要するに求めて行ったわけではなくて、たまたま向こう行ったら、そういう人がいたということだけだったんですけれども。そうですね、私の場合、行動的にみると、断ち切ってるかのごとくに見えますけど、断ち切ってるんでしょうか?

山下: (笑)。

佐野: 今、こう、例えば、大滝さんが、「じゃぁ、また新しいレコードをつくる」として、違う文化の、外国の文化の「あの人とやるんだ」、あるいは「やりたいな」っていう考えはないんですか?

大滝: あー、なるほどねー。それは、もう、なくなりましたね。

佐野: あー。

大滝: いいんでしょうか、悪いんでしょうか?

山下: 僕もないです。全くおんなじです。佐野君は誰かいるの?

佐野: 僕はね、全然考え方、視点は違うんだけれども、レコーディングできるチャンスっていうのは、人生のなかでそんなに多くないと思うんですよね。

大滝: そうだよね。それは当たってるよ。

佐野: そしたら、外国行ってね、違う文化の人たちに触れて、オリジナルに、例えば、バディ・ホリーなどを体験したね、エンジニアだとか、そういう人たちと、こう、楽しみながらね、レコーディングしたいなって。

山下: U2が、サンにいく発想だね、それはね。

大滝: なるほどね。

佐野: そうなんですよ。そうすると、なにか、日本でレコーディングしてると、どうしても、こう、ポップ、ロックン・ロールの歴史の「点」で作業してるように思えちゃうんだけども、

山下: 思えちゃうね。

佐野: 外国行ってレコーディングするとね、やっぱり、「線上」の上で、僕はレコーディングしてるんだなって、実感があってうれしくなっちゃうんですね。

山下: レールがあるんですよね。

佐野: うん。そのうれしさを求める気持ちの方が先に立っちゃうのかな。だから、どんどん外国にいっちゃう。

山下: すごいよくわかるけど、それ。

大滝: 僕もわかるね。だから、エルビスに匹敵する人はひばりさんだと思うんだけども、今のロックン・ロール・キッズが、例えば、そのー、エルビスを我々が、「エルビスから影響を受けた」っていうふうにいえるように、「ひばりさんから影響を受けた」っていうふうに、こう、プライドを持って言い切れないところに、寂しさがあるんですよ。

山下: うん。

大滝: で、日本の文化ってのは、来たたんびにそれを解釈して、ある一時期、それを定着させて、次にまた新しいのが来ると、また一時期それを定着させるという形の文化で来たんで。ただし、どうでしょう?冒頭に申しあげたように、シュガー・ベイブから15年、スタンダード初の1曲目ができたわけですから、

佐野: はい。

大滝: これが、だんだんそういう種類のものがね、できていくんじゃないんですか?

佐野: うん。

大滝: そうすると、20年、30年経って、その次の、次の世代の人が「山下達郎がよかった」、「佐野元春がよかった」っていう、そこからまた、曲をつくり始めていくっていうことが、将来的に、断ち切らなければ、あるんじゃないんですか?そのためには、ふたりとも「ずっと活動を続けていかなければいけない」という、そういう宿命があるんだと思いますけれど。

佐野: (笑)。

山下: 人にばっかり言ってんの。

大滝: わっはっはっはっはっはっ。

山下: しょうがない。

大滝: いかがでしょうか?エルビスも続けたから、やっぱりよかったんだし。ひばりさんも最後まで続けたしね。やっぱり、えらいと思いますからね。がんばっていただきたいと思いますけどもね。

山下: まぁ、へそのごまでも煎じて。

大滝: (笑)。だから、これからでしょ。そういう意味では。

佐野: そうかもしれないですね。

山下: だから、ひとついえるのは、やっぱり、この戦後のね、日本の文化のなかで、ロックン・ロールが一番、長らえてるんですよ。そのー、例え解釈としてもね。そういう、ロックン・ロールをベースとした、ロックン・ロールという、まぁ、概念規定、いろいろあると思いますけど。

佐野: えぇ。

山下: それをベースとした音楽のスタイルっていうのが、日本の流行音楽のなかでね、一番、息長らくね、続いてるんですよね。それは、だからほんとに、大滝さんと、大滝さんの息子とね、そういう意味での共通項が、話題が持てるような音楽って、今までなかったんです。

佐野: うん。

山下: だから、その、歳取るっていうことは、すごく恐怖があって、だからこそ、やっぱり、僕らの高校時代にロックン・ロールというのが、いきなりね、湧いて出るように、噴出してきたときに、それまでの、やっぱり、ジャズ・ボーカルとか、スタンダードとか、40年代のね、要するに、柔らかい音楽を聴いて育った人とかは、あれはほんとに暴力的に見えたし、それに恐怖したんですよね。だから、「ベンチャーズは不良だ」と。暴力的なものは、イコール、不良だというようなことであったんだけど、今はそういうことないわけでしょ。だから、これはね、それだけでもすごくね、いいことだと思うんですよね。

佐野: うん。

山下: そんなかで、だから、それが別に、そのー、世代のね、週刊誌とか、新聞的にいう、要するに「世代のギャップを埋める」とか、そういう陳腐な表現ではなくて。

佐野: うん。

山下: それが、そういう要するに、「どっかから来て、これからもどっかへ行く」っていう、そのレールが文化なんですよね。

佐野: うん。

山下: これが一旦断ち切れたから、これから何10年かかるかわからないけど、これまたつくり直さないといけないわけ。でも、ほんとは僕からいわせると、例えば、その、なんていうんでしょうかね、サーフィン・ホット・ロッドとかね、例えばバディ・ホリーとか、ああいうような時代っていうのは、日本でいえば御三家の時代なんですよね。例えば、橋幸夫、西郷輝彦、舟木一夫っていう。そういう人たちの遺産って、何にも残ってないんです。それはだから、誰が悪かったのかわからないんだけど、ほんとは、そういうものを継承していく方が、真っ当といえば真っ当だとは思うんだけど。だから、結局それも、さっき大滝さんが言ったみたいに、何かの借り物だったんで、ある時点で、その、借り物としての姿っていうのは、もう、要するに、流行にそぐわなくなってきたというのかな?流行の、どっかの、やっぱり、そのー、貿易商が入れてくる、輸入してくる音楽の質が違っちゃったために、取って代わられたというのかな、新たなる流行にね、取って代わられたっていう。そういうの、僕なんか動物的に、こう、あれするんで、「あんまり流行に乗りたくない」っていう具合に、常に。流行に乗ったが最後、結局、新しい流行って出てきたときに、それは結局、価値がなくなるものだっていうね。そういう無価値な、無価値なものっておかしいけど、「そういうものにはなりたくない」っていうようなってあるでしょ、大滝さんもね。

大滝: 明治以降ね、やっぱり、ロックン・ロールが一番長く続いてるのは、やっぱり、戦後、いわゆる外面的に安定していたからですよ。

山下: うーん。

大滝: 戦争がなかったからじゃないでしょうかね。常に、ずっと、戦争がありましたからね。だから、江戸の文化が、これからもしね、まぁ、でも、ありえないと思うけども、まっ、そうしていかなければいけないんだけど、できるだけ安定した社会を、ずっとキープし続けると、江戸の100年、200年の、まぁ、あれは、結果的に形としては鎖国だったんだけども。

山下: まぁ、そうだね。

大滝: ほんとの鎖国じゃないんだけどね。で、そういうような、長く続いていけば、このロックン・ロールが、だから、以前のように、日本のように、断ち切れることはないんじゃないかな。

山下・佐野:うん。

大滝: もし、そうなると、100年、200年経ったときに、やっぱり、繰り返すようだけど、「はじめに山下達郎がいた」、「佐野元春がいた」っていうふうになると思うんだけど。ただ、社会的な状況によるからね。

山下: 「歌は世につれる」からね。

佐野: そうだね。

山下: 僕の母親なんかは、戦前の音楽でしょ。だから、ドイツなんですよね。戦前のドイツ映画と、それから、例えば、マルタ・エゲルトとかね、ああいう、要するに、ドイツ歌曲、そういうようなもんで。結局、やっぱり、藤山一郎さんとか、ああいう人たちはみんな東京音楽学校でね、今の芸大ですから、あれは伝統的にドイツ音楽の学校ですからね。そういう、要するに、伝統から則ってきたのが、俗に我々がいう歌謡曲というね、戦後の。そういうものの原形なわけですよね。それのカウンター・カルチャーに、ジャズっていうのがあってね(笑)。

佐野: うん。

山下: それは前後にも、服部良一さんみたいな形で受け継がれていくけど。ジャズが結局、ロックン・ロールになった。っていうか、ジャズが要するに、そのー、モダン・ジャズにね、なったところと、それから、ロックン・ロールに分解していったところで、またひとつ違ってきちゃったっていうね。

佐野: うん。日本のロックやポップスがセールス的にも、このようにいい成果をあげているなか、「いや、やはり、日本のポップ、ロックというのは、これからが夜明けだ」という、そういう見解に達しながら、バディ・ホリーの曲、1曲聴いてみたいと思うんですが(笑)。

山下: おぉ、いきなり。

大滝: いいんじゃないでしょうか。

佐野: はい。では、僕からのリクエストで、バディ・ホリー、曲は「オー・ボーイ」

 曲:

BUDDY HOLLY/OH,BOY !

佐野: バディ・ホリー、曲は「オー・ボーイ」でした。話しは全然違いますけれども、

山下: うん。

佐野: 達郎さん、やっぱり、今でもレコード店とか行くこと多いでしょ?

山下: 多いですけどね、なかなか忙しくて、「忙しくて」って、なんか偉そうにあれなんだけど。一番レコード買ってたころほどじゃないですね。

佐野: うーん。新しいレコード聴くとき、僕はひとつの楽しみとしてね、昔の自分の好きだった曲が、つまり、カバーですよね、カバーを、自分の好きなアーティストがどういうふうに解釈して、歌うのか。それが、新しいレコード聴くときの楽しみのひとつなんですけどね。

山下: 佐野君って、ほんとに僕と趣味が違うね(笑)。カバーだめなの。

佐野: 大嫌い?やっぱり、オリジナルで聴いた。うーん。

山下: オリジナルじゃないとだめなの。よくあるけど、最近、特にブラック関係はカバー、すごい多いんですよね。

佐野: えぇ。

山下: 昔のデビット・ラフィーのね、カバーとか、チャイラズのカバーとかね、あるんだけど、どうもね(笑)。

佐野: ただね、すごくこう、商業的なね、発想からカバーしてるものと、

山下: うん。

佐野: それから、もう、そのアーティスト、本来、「どうしても、ここんところ抑えておかなくちゃいけないんだ」っていうところでのカバーとね、

山下: なるほど。

佐野: やっぱり、これは分かれますよね。

山下: うん。

佐野: そういった意味では、やっぱり、後者の方のカバーを聴くと、「あっ、この人もやはりね」っていう気持ちに。

山下: いや、全然、「いい、悪い」って言ってるんじゃないですよ。

佐野: そうか。大滝さんどうですか、カバーについては?

大滝: その割には、カバーやってるじゃないですか。

山下: すみません。

大滝: (笑)。僕はカバー好きですよ、はっぴいえんどのあれですから。ただ、だから、日本でも、最近妙にね。仕方が下手なんですよね、日本の人は。

佐野: あー。

山下: 言葉が足りなかった。最近のカバー、だめなんですよ。

大滝: で、とにかく、日本の人はカバー下手なんですよ。で、前に、だから、独占的なものが多かった。作曲家の独占とかね、歌手の独占とかって、そういうのってのはね、ほんとによくないんですよね。

山下: だから、はっぴいえんどの功罪もあると思うんですよ。

大滝: カバー?そんなことはないでしょ。前に歌謡曲だって、いっぱいカバーあるわけだから。

山下: いや、そうじゃなくて、だから、はっぴいえんどってのは自作だったでしょ?

大滝: うん。

山下: だから、あれからほら、日本のロックって始まってるから。

大滝: いや、フォークはみんな自作ですよ。岡林信康のカバーって、聴いたことないもの。

山下: まぁね。あっ、そうか、フォークからか。

大滝: 松山千春だってカバーしてないでしょ。吉田拓郎、なんかカバーしましたか?フォークの人って、絶対カバーしないんだよ。

山下: なるほどね。

大滝: だから、なにもんだかわかんないんだよね(笑)。別に批判してるわけじゃないよ、いっとくけどもね。で、ロックはみんな、それぞれ、みんなカバーやってますよ、はっぴいえんど終わったら。

山下: やっぱり、ビートルズ・エイジはあれですね、自作自演が最高というね。「歌手」よりも、「曲を書ける歌手」、「アレンジができる歌手」という方が、「偉い」という。

大滝: だからこれは、日本的なことなんだよ。別段、ほんとに日本的なことで、それで「偉い」って思われてることってないんだよね、ほんとは。

山下: ほんとはね。

大滝: 特にね、だから、前に大ヒットしたものとかをカバーしたりするでしょ。それはルール違反だと思うんだなー。

山下: (笑)。

大滝: あまり、以前に、あまり脚光を浴びなかったけれど、「この曲はこういう良さがあるんだ」っていうところが、ほんとはカバーの醍醐味なんだよね。

佐野: えぇ。

山下: うん、そうだね。

大滝: で、「みんながカバーし始めたから、僕もやる」とかっていうようなものでは、さらさらないわけ。だから、そこを、だから、まだね、またこれ、若いバンドの連中なんかでも、いいオリジナル作ってる人が、変なカバーやるときもあるわけですよ。沢田研二の「TOKIO」をね、「OEDO」ってしたり(笑)。そういうバンドもいたりするしね、まっ、それは昔、「渚のシンドバッド」を「河原の石川五右衛門」っていうのにしたこともあったり。そういうようなパターンとかいうのを、若い人たちは別に、以前のことなんか関係なしに、自然にやってたりするっていう、ああいうようなね。ただ、まぁ、「TOKIO」はずいぶん売れたもんだったけど。そうじゃなくて、ほんとに知らなかった曲かなんかをやってね、実は結果的に「カバーだった」というようなことがあったりすると、

山下: いいんですけどね。

大滝: うーん、またこれから10年ですかね。

佐野: 今、ここに1枚、カバーがあるんですけど、曲が「WHEN YOU WALK IN THE ROOM」なんですよね。

大滝・山下:あらっ。

佐野: だからもう、幾人ものロック・アーティストたちが、

大滝: うん。

佐野: それぞれにね、いいカバーを出してるんですけれども、今日持ってきたのは、ポール・キャラックという、これは、ブルー・アイド・ソウルの、まぁ、ロッカーと言っていいかな?イギリス出身、元スクイーズなどで、キーボード弾きながら歌ってた人なんですけど。このポール・キャラックの「WHEN YOU WALK IN THE ROOM」、聴いてもらいたいと思います。

 曲:

PAUL CARRACK/WHEN YOU WALK IN THE ROOM

佐野: 「WHEN YOU WALK IN THE ROOM」、ポール・キャラックでした。

山下: いい音してるな、これ。

佐野: この曲は、大滝さん、聴きながら言ってましたけど、「誰がカバーしても、曲がいいんだ」と。

大滝: 曲がいいんですよ。で、ヒットしてない。オリジナル、ジャッキー・デシャノンがね、ヒットしなくて、98位かなんかで、1、2週で消えてしまったんですよ。それで、これと同時に「NEEDLES AND PINS」っていう、「ピンと針」という歌も、両方ともフォーク・ロックが隆盛になる前の年だったんです。

山下: フォーク・ロックの元祖といわれている。

大滝: 元祖なんですよ、この曲が。で、それが、両方とも90何位っていうので終わってるんで、これだけの名曲はないわけでしょ?

佐野: はい。

大滝: だから、「なんとか認めてほしい」っていうふうに、オリジナルの曲が言ってると思うんだよね。

佐野: みんなが言ってる。

大滝: だから、カバーする人が、なんかそういうオーラ受けちゃって、「いい曲にしなければいけない」って。

山下: ベンチャーズのCDにも入ってますから(笑)。

大滝: 「WALK IN THE ROOM」ね。ベンチャーズもなかなかいいカバーしてるんだ。

山下: いいんですよ、これが。

佐野: しかし、それにしても、この曲の、やっぱり、命はリフ、

大滝: うん。

佐野: まっ、詞もいいですけれどもね、曲もメロディももちろんいいんですけど、リフ聴いたときに、やっぱ、「ぐっ」ときますね。

大滝: リフで必ず始まるバンドって、バーズでしたけどね。

山下・佐野:あぁ。

山下: なるほどね。

大滝: フォーク・ロックは、たいてい、まぁ、リフで始まったんだけどね。バーズはそれを、セールス・ポイントにしてました。

佐野: 特に12弦ギターのあまーい音が出る。

大滝: そうそう。「NEEDLES AND PINS」とか、やっぱり、この「WALK IN THE ROOM」を非常に意識して。

山下: もう、「ヘイ・ミスター・タンブリングマン」って、「WALK IN THE ROOM」以外のなにものでもないね。

大滝: おなじなのね。「ヘイ・ミスター・タンブリングマン」のイントロってのは、「WALK IN THE ROOM」のイントロなんですよ。

佐野: うん。

大滝: 弾いてる人がいっしょだからね。

山下: あぁ、そうだな。

大滝: グレン・キャンベルなんですよ。

佐野: なるほど。

大滝: だから、そういうようなことがあったりして。まぁ、どっちみち、でも、カバーっていうのは、できるだけ「以前に埋もれたいい曲を」っていうのが、やっぱりね、スジだね、これが。

佐野: では、カバーの話しが出ましたけれども、ここで、ジェームス・ブラウンの曲、1曲聴いてみたいんですけど。

山下: 僕はもうね、ウルトラ・フリークだったんですよ、ほんとに。

佐野: はーっ。

大滝: これがあわないんだけどね。

佐野: (笑)。

山下: 全然。矛盾してるんですけどね。

大滝: 全然あわない。

山下: 男はジェームス・ブラウン、女はアレサっていうね、今でもそうですから。固く信じてますから。

大滝: これがあわないんだよね、全然。

山下: 例えば、その、世にいう「ツッパリ」といわれる人たちがいるわけですよね。で、私たちの世代ではリーゼントの人たちがね。そういう人たちが、僕が20歳ぐらいのときに聴いてた音楽がリズム&ブルースだったんですよね。

佐野: うん。

山下: そういう人たちにとっての最大のアイドルは、ジェームス・ブラウンだったの。

佐野: あーっ。

山下: 今でも、僕のね、大阪でコンサートやってるところで、僕の現場に付いてくれる人がいるんですけど、それ、僕より、佐野君とおんなじ年なの。3つ下でね。彼は、とにかくその、大阪のディスコでね、踊り狂ってたときの一番好きな曲が「ジェームス・ブラウンの曲だ」つってね。今でもあれしますけど、それはだから、その、ダンスとしての、肉体感覚というのかな?僕らは常に聴くことを、すごく重視してやってるけど、彼なんかは、要するにその、ビートのなかのね、メロディじゃなくて、ビートのリズムっていうかな?それが一種のテイストなんじゃないの。特に、やっぱ、ブラック・ミュージックなんか聴いてるとね、全くその、様式的じゃないですね。

佐野: うん。

山下: 例えば、特に、コンピュータ使って音楽つくってるね、要するに、ダンス・ミュージックつくってる人とかは、変ですよ。

佐野: うん。

山下: ほんっとに。いかなる意味でも類型的じゃないです。

佐野: うん。

山下: ブラック・ミュージックって、本来、要するに、伝統に則った類型ってのが、必ずあったはずなんだけど、そういうもの、全く関係なしにね、つくってる、具体的にいうと、デディ・ライリーとか、まぁ、プリーズ代表として、デディ・ライリーとか、チャッキー・ブッカーとかね、そういうような人たちがすごく増えてきてるっていうね。

佐野: うん。

山下: それがまた、それはそれなりに成立していくっていうのかな?

佐野: なるほど。ジェームス・ブラウン、大滝さん、ジェームス・ブラウンとなにか?

大滝: 嫌いでしたね、昔。

山下・佐野:(笑)。

大滝: (笑)。いやー、すごい原酒を飲むみたいで、やっぱり最初、少し水割りにしないと聴けなかったんですけど。途中からものすごく、飲みやすくなって。

山下: なるほど。

大滝: えぇ。みんな、だから、ベンチャーズも、みんな嫌いでした、昔。

山下: (笑)。流行ったものは嫌いなんでしょ?

大滝: ポップスもみんな嫌いでしたけど。

山下: ベンチャーズはともかく、ジェームス・ブラウン流行りませんでしたからね、日本ではね。

佐野: そうですね。

大滝: 全然流行らなかった。

山下: ブラック・ミュージックって最近、こう、トレンドとかおしゃれだとか言ってますけど、特に70年ごろはリズム&ブルース聴いてる人はださかったんですよ(笑)。

佐野: あー、うーん。ジェームス・ブラウン、僕なんかも、はっきり言って高校時代に聴いたときには、全部、曲がおんなじに聴こえちゃうんだよね。

大滝: おなじですよ、だから(笑)。

山下: それがいいんですよ。

佐野: うまく踊れなかった。

山下: 僕はそういわれました。

大滝: 難しいんだよ、あれにあわせて踊るって。

佐野: だけども、ビデオでね、「THAT WAS ROCK」っていうビデオがあって、そこで、やっぱり若いときのね、ジェームス・ブラウンが踊りながら歌ってる、それを見て、やっぱりしびれました。やっぱりしびれました。じゃぁ、達郎さんから、ジェームス・ブラウンを。

山下: これは70年代の曲なんですが、「アイム・ア・グリディー・マン」という。

佐野: ジェームス・ブラウン、「アイム・ア・グリディー・マン」

 曲:

JAMES BROWN/I'M A GREEDY MAN

佐野: ジェームス・ブラウン、曲は「アイム・ア・グリディー・マン」でした。

大滝: いやー、恐怖のワン・コードだからね。

山下: (笑)。

大滝: だから、最後、だから、コード変えないと、終われないという(笑)。ほんとに。

山下: どこで終わるか、覚えてなきゃ、ちゃんと。

佐野: ジェームス・ブラウンみたいなタイプの、こう、歌い手だと、一発でレコーディングするわけでしょ?

山下: これ、一発です、完全に。だから、例えば、「CAN YOU SCREAM ONE MORE TIME」って、うしろで、「GO AHEAD」っていうんですよ。「CAN YOU ONE MORE」、「GO AHEAD」

佐野: レコーディングしながらバンドに指示してる。

山下: そう、全部やってる。「GO TO THE BRIDGE」、「I'M READY FOR GO TO THE BRIDGE」。全部そうですよ。うしろで「YES」って。

大滝: しょうがねー(笑)。

山下: これがいいんですよ。

大滝: そんなもんを作品にして。

山下: これ、僕、LP買えなかったでしょ、このころ。あんまりお金なかったから。「アイム・ア・グリディー・マン」ってシングルだったんですよ。

佐野: 今日かけたのは、今、CDですけどね。

山下: えぇ、CDですけどね。これ、曲長いんで、シングルだとパート1、2にわかれちゃうんですよ。

佐野: あー。

山下: で、1でフェード・アウトしてて、裏返して聴くと、ちょっと前から始まるという(笑)。これはね、とにかく、裏表、裏表、もう、一日中聴いてたの、この曲。

佐野: へーっ。

山下: もう、死ぬほど好きなの、この曲。

大滝: ワン・コードだから、どこでサビいっていいかわかんないから、そりゃ、指示受けないと、いきようがないよ、それは。

山下: 指示するしかないですよね。いうことそれぞれ違うしね。

大滝: (笑)。

山下: すごいんです。あれが、「あ゛ーっ」って、言ってんのは、マイクが割れるね、あれになると、もう、しびれてくるの、こうやって。なんででしょうね?

大滝: 浪曲にあい通じるものがあるんじゃないですか?

山下: ありますね。浪曲好きだから。

大滝: (笑)。

山下: なんなんだ、それ(笑)。いえる。うん。

大滝: ねっ、そういう、

山下: 義太夫とかね。

大滝: そういう解釈なんじゃないの。

山下: おんなじですよ。

佐野: 大滝さんのはっぴいえんどのなかでは、細野さんがジェームス・ブラウンが大好きなんですよね。

大滝: ジェームス・ブラウンが好きでね。だから、ジェームス・ブラウンって、意外な人が好きなんですよ。

佐野: うーん。

大滝: 意外な人っていうか、だからね、一般的に、なんか、そうと思えない人が(笑)。

山下: でも、重要なことは、これが「好きだから」つって、これ、できない。絶対に。

大滝: 「やる」か「やらない」というのとは、また別の話しで。

佐野: また、別の話しだよね。

大滝: ジェームス・ブラウンは、「やろう」とすると、失敗しますよ、絶対に。逆襲受けちゃう。

山下: うん。血にないからね。これはだから、ソウル・ショーっていうの?古い言い方だけど(笑)。

佐野: えぇ。

山下: それを見て、「これは絶対にできない」って。だから好きなんでしょうね。

佐野: 僕の友達で、バブルガム・ブラザースっているんですよ。

山下: ふんふん。

佐野: KONちゃんってね、片方の、彼らの小学校からの同級生なんですよ。

山下: へーっ。

大滝: KONちゃんが?

佐野: KONちゃんが。で、彼はやっぱり、

山下: 意外な交友。

大滝: 曲書いてたんだ、そういえば(笑)。

山下: そうなんだ。

佐野: 「ソウル・スピリット・パート2」って曲をね。

山下: それでなんだ。

佐野: 彼らもやっぱり、ジェームス・ブラウンのフリーク。「すごい好きだ」って言ってたなー。

大滝: とにかくね、ジェームス・ブラウンになるには、ジェームス・ブラウンから離れないと。ほんとになりたいんだったら。

山下: そう。

大滝: 絶対に。ものすごく遠くの方にいかないと、ジェームス・ブラウンに、もしなるんだったら、なれないんだよな、これが。怖いんだよ、これが。

山下: 全くそうですな。袋小路ですからね、この音楽は。

大滝: (笑)。

佐野: で、まぁ、曲、このへんでね、僕たち、ちょっとしゃべり過ぎてるかもしれないんで、どんどん曲いきたいと思うんですけども。

山下: どうぞ。

大滝: 「YOU TALK TOO MUCH」をかけるといいんじゃないですかね(笑)。

佐野: 「YOU TALK TOO MUCH」

大滝: 冗談ですけど。

佐野: ビーチ・ボーイズいきたいと思う。

大滝: ビーチ・ボーイズといえば、やっぱりね、なんと言っても山下さんに。

山下: ビーチ・ボーイズかけるんですね?

佐野: ビーチ・ボーイズ、ここでかけたいと思います。

山下: ビーチ・ボーイズのね、「一番好きな曲は何か?」といわれますとね、

大滝: いわれれば、ベンベン。

山下: えー、ベンベン。あれです、あのー、最低(笑)、

大滝: (笑)。

山下: 「チェリー・チェリー・クーペ」という、ホット・ロッドの曲があって、これが死ぬほど好きなんですが、

佐野: はい。

山下: 死ぬほどかけちゃってるんですよ、これ。

佐野: えぇ。

山下: NHKで2回、3回かけたかな?なんで、「カー・クレイジー・キューティー」っていうね、やっぱり、ホット・ロッドの曲なんですけど、

大滝: 同じアナログの、近いところに入ってるところの曲ですな。

山下: そうです。1曲前に入ってる曲で、イージーだな(笑)。これはね、ディオンっていうか、ディオンとベルモンズっていう、

佐野: はい。

山下: ニュー・ヨークのね、やっぱり、60年代のボーカル・グループがあるんですけど、それをかなり意識して、ディオンが好きなんですって、ブライアンって、すごく。で、その、まぁ、要するに、イミテーションなんですけど、もちろんビーチ・ボーイズ風になってるんですけどね。

佐野: なるほど。

山下: そういう曲で、のちに、「パメラ・ジーン」って、歌詞を変えて、サバイバーズっていう変名で、シングル1枚出てるんですけど。これ、全然売れなかったんですけど。ものすごくだから、したがって、入手困難っていうかね、その元歌の「カー・クレイジー・キューティー」

佐野: ビーチ・ボーイズ、曲は「カー・クレイジー・キューティー」

 曲:

BEACH BOYS/CAR CRAZY CUTIE

佐野: ザ・ビーチ・ボーイズ、「カー・クレイジー・キューティー」。さて、番組もだんだん時間がおしてきて、ディレクターの方から、「僕らの未来について語ってくれ」っていう要望が、今、ありましたけれども。

山下: 未来ね。大滝さん、どうぞ。

大滝: いや、なんなの?どうぞ、若者から。未来が一番長い人から。

佐野: 未来という話しじゃないけど、今、僕、コンピュータ好きですね。

山下: コンピュータ。

佐野: コンピュータ好き。

山下: いきなり。

佐野: コンピュータは未来に向かっていると思います、僕。率直に言って。

大滝: 未来に向かってる?コンピュータが(笑)?

佐野: まぁ、コンピュータが未来に向かってると、僕が言った理由のひとつに、ネットワーキング、これから、「どのようにして、誰が、どういう性質のネットワークをつくっていくのか」、これはとても重要な課題になってくると思うんですよね。特に、90年代、こっからハードウェアとしてのコンピュータもどんどん技術的に発達してくるだろうし、それにともなって、斬新なソフトウェアも開発されていくだろうし。大滝さんなんか、そのネットワークについて、何か?

大滝: すばらしいと思いますね。やっぱり、未来に向かっているんじゃないですか(笑)?すみません、なんか。どうですか、山下さんは?

山下: そうですねぇ。音楽ということに限っていうと、なかなか情報量が多いので、まぁ、ビジュアルほどあれなんだけど。例えば、昔よくいわれたけどね、ほら、スタジオいかなくてね、

佐野: うん。

山下: 録音ができるとかね、そういうことがまだまだ先のことだから、それほど具体的には思い浮かばないけど。やっぱりね、コンピュータをね、僕の個人的な意見なんですけど、

佐野: はい。

山下: コンピュータで、「できること」と「できないこと」があって、あんまりうまいいい方ができないんだけど。特に、こと、音楽に限っていえば、まだまだ時間はかかると思うんですよね。

佐野: うん。

山下: で、やっぱり、その、一見、コンピュータってのは、日進月歩のように見えていて、実はそれほどね、まだ、究極の形にいってるとは、とても思えないんです。

佐野: うん。

山下: 要するに、その、何が一番いいやり方か、コンピュータにとって何がいいやり方かってのが、あとからあとから出てきてね、結局、「これもだめだ」、「これもだめだ」って、そういう、なんか挫折の歴史っていうのかな、これからの10年間は。

佐野: うん。

山下: で、僕自身は、コンピュータ82年ぐらいから、もうちょっと前か、80年代のはじめからいじり始めて、今までなってますけど。今やってる状態ではね、80年代のはじめに始めたときの、その、ノウハウってのが、100%と言っていいほど通用しなくなっちゃってて(笑)。全く、また、いちから出直しっていうかね、ことになってるんですよね。

佐野: うん。

山下: いい加減、頭にきててね。そういうのが2度も3度もあるんですよ。だから、そうなってくると、だんだん消極的になってきてね、

佐野: なるほど。

山下: 究極のものが出るまで、もうね、「待ってよう」とか、そういうようなことにもなってくるんだけど。でも、究極が出るまで待ってると、例えば、その、コンピュータを使うという、そのノウハウに関しての知識が得られないし、

佐野: うん。

山下: すごくジレンマがあるんです。で、佐野君がどういうコンピュータ使ってるかわからないんだけど、僕なんかが始めたときのコンピュータっていうのは、自分でなんかいろんな物をつくるっていうね、ホビーとしての楽しさっていうのがあって始めたんで。今でもある程度のそういうことはやりたいっていうね、ことになってるんですけど、だんだんコンピュータが複雑化してきてね、昔みたいな、10年前みたいに簡単にプログラムを組めなくなっちゃってるわけ。

佐野: あー。

山下: で、より高度な、高度なっていうか、なんていうのかな?情報理論的に高度な知識を要求されるから。そういう意味では、なんかこう、例えば音楽にしても、コンピュータ・ミュージックってすごくあるでしょ?

佐野: うん。

山下: で、昔は「テクノ・ポップ」っていう、ほんとに単純なね、ことですんだんだけど、今はもう「なんでもあり」なわけですよ。

佐野: うん。

山下: 「なんでもあり」だと、例えば「サンプリング」っていって、いろんなね、実際にある、自然にあるアコースティックな音を、要するにデジタルで取り込んで、その音を使って、音楽をつくるっていうね、ようなこともあるんだけど。昔は、ドラムとベースとピアノしかなかったから、ドラマーはドラムしか叩けないし。今、ドラム使わなくていいわけですよね。

佐野: うん。

山下: ドラム・マシーンでもいいし、そうすると、「ドラム・マシーンで、ベースはどうするんだ?」と。「ベースは本物か、普通のベーシストがるか、シンセでやるか」。キーボードに至っては、何十種類、何百種類ってあるんですよね。

佐野: うん。

山下: それの一体、どの音をどういう具合に使って、例えば、コードだったら、コードってのを提示するかっていうね。そういうことがコンフューズし過ぎたあまりに、だから、今のバンド・ブームみたいな形で、要するに「シンプルに音楽をやる」スタンスっていうの?に戻っていくのが、僕は必然性と思う。だから、あんまり答になってないかもしれないんだけど、コンピュータって、すばらしいメディアだし、確かに。すごく期待もしてるんだけど、やっぱり「商品だ」っていうね、ことがすごく前提にあって、すごくそういうことに振り回されている。

佐野: なるほど。

山下: 例えば、「新製品競争」っていうようなものかな?で、どこの会社も、「これが一番」、「これが究極」っていいつつ、1年後には、舌の根も乾かぬうちに、また新たな「究極」が登場するという。これ、まるっきり、ヒット・ソングの構造とおんなじでね。そういうのに、なるべく振り回されないと思うんだけど。大滝さん、どうですか?

大滝: じゃないですかね、まったく。

山下: (笑)。

大滝: で、ネットワークっていうのがね、コンピュータって、自分で自分のなかに、こう、閉じこもってやってた時期ってありますよね。

山下: ありますね。

大滝: それが外の回線につなぐことによって、世界中が、そういうひとつのネットワーキングされるっていうのは、これは間違いなく、そういう方向に向かっていくんじゃないですか。だから、今の電話機のような形に、コンピュータは、まず、なっていって。それで、ものすごく多機能な電話機のように、電話機だって、入ってきたときはみんな、こういう、今のコンピュータのようなもんだったんじゃないですかね?だから、そういうふうに、将来的には間違いなくなっていくんではないでしょうか?

山下・佐野:うん。

大滝: えぇ。なんだい?文明批評になるの?

山下: よくわかんないけど。

大滝: (笑)。

佐野: でも、僕らがある種、技術革新、まぁ、コンピュータという新しい道具が、こう、一般ユーズで使えるようになってきたことを考えればね、こう、新しい社会の再構成への入り口に立っているような気は、僕はします。

大滝: そうそう。

山下: だと思います。

佐野: 「将来の展望」という話しで、コンピュータの話しになっちゃったけど、もう一度、僕ら個人個人の問題に戻して、今年、来年、達郎さんがやってみたいこと、予定していることとかありますか?

山下: そうですね、私ワン・パターンなんで(笑)、あんまり活動形態が90年代に入って、がらっと変わるとは考えられないんですけど、非常に個人的なことで、こういう番組で、あまり自分の活動に関して、言うのも心許ない感じもするんですけど。いくつか、自分にとっても、色々問題があってね。

佐野: えぇ。

山下: おかげさまで、例えばコンサートなんかやっても、昔よりも動員がいいんですよね。そうすると、僕の場合、割と2000ホールぐらいの、ちっちゃなホールでね、やることをずーっと前提でやってきたんで、それはそれで、自分としては正しかったと思ってるんですけど。お客さんがオーバー・フローしちゃってて、見たいお客さんが見れないっていう不満が、ものすごくいただいてるんでね、そういういことを「どうしようかな」ってのがね、僕の一番の悩みなんです。

佐野: あーっ。

山下: で、僕は「武道館やらない」っつって、10年やってきてね。で、今はでも、言う人に言わせれば、東京ドームなんかでコンサートやると、武道館は逆に「狭く見える」っていうのがね。そういう価値観すら出てきてるなかでね、「僕いったいどうすればいいかな?」ってね、いうようなことが、今の自分にとって最大の悩みなんです。まぁ、うれしい悩みっていえば、そうなんですけど。それを、まぁ、だから、今年はどうやって解決するかなっていうようなことと。あと、さっきも言ったように、レコードをつくる、あっ、言ってねーか(笑)、レコードをつくるノウハウってのが、ものすごく変わってきちゃったんで、デジタルの、一番最初に言いましたけど、16から24になり、デジタルになり、それでもう、デジタルの48なわけですよね。

佐野: うん。

山下: そういうような変化のなかで、音楽のつくりかたに、ものすごく、そういうものが影響を与えて。これも言い尽くしてきちゃったんですけど、80年代の後半ってのは、そういうことにものすごく悩んだ時期で。レコードがね、思うように出せなかったんです。だから、やり残したことがものすごくあって。ほんとは、だから、カバーとかね、そういうのも、カバーって余裕がないとできないんですよね、そういう意味ではね。だから、そういうようなやり残してきたことで、すごくまだ、たくさん、引き出し残ってるんでね、それを90年代の前半で、なるべく消化しようっていうか。で、いくつまでいくかわかんないし、そういうのもあるんで、なるべく精力的にレコード出し続けたいと思ってるんですけど。そうすると、また、コンサートをどうするのかとかね、そういう問題があって、なかなかこう、思うようにはいかないんですけど、80年代の終わりにグズグズしていた分を、とにかく90年代はじめで取り戻したいなと思ってるんです、僕の場合。まぁ、近未来的な展望ってのは、そんなとこですね。だいたい長期的な展望なんて、わかりませんからね。15年前、長期的な展望なかったように、今もないです。

佐野: うん。ドゥ・ワップのカバー、「ストリート・コーナー」ってのは、あれはシリーズ化して?

山下: 「ストリート・コーナー」、できるだけシリーズ化して出したいと思ってます。あれはルーツですからね。

佐野: はい。僕の今年は、やっぱり、レコード1枚、新しいのつくりたいなと思ってる。で、その前に、いろんなとこ旅行したいなと思ってるんです。僕、レコードつくる前に、いつも、やっぱり、言葉の部分とかね、すごくこう、考え込んじゃうタイプでね。

山下: 取材旅行?

佐野: ある種、取材なのかもしれない、僕にとっては。

大滝: 小説家だね。

山下: うん、そうね。作家的だね。

佐野: 例えば、外国に行って、そこで何が起こってるのかっていうルポルタージュのような取材ではないんですけれども。とにかく、違う文化に触れたときの、新鮮さとか、驚きといったものが、確かに僕の音楽をつくるときの原動力になってるような気がするんですよね。だから、また、新しいレコードつくる前に、世界のあちこちを旅行したいなと思ってます。

山下: 佐野君って、世界中行ってるんですか?

佐野: いや、そんなにね、まだ行ってないけどもね。人生のなかで、あちこちの街に行けるチャンスってのも限られてるから、今のうちに行きたいなと思ってる。

大滝: さて、

佐野: さて。

大滝: どこにも行かない私(笑)。何もありませんよ。私はだから、あと10年、ラスト・ディケイドの10年が始まるんです。で、2001年にはもう、現役を辞めますから。でも、この10年、どういうふうに生きるか、ほんとに最後の10年なので、心して考えようっていうふうに、この年頭にあたり、思っております。

山下: 「1991」、ほんとにLP出すんでしょうね?

大滝: わかりません。

山下: 「出す」って言ったでしょ(笑)!

大滝: 私はどこにも行かないし、出すかもどうかも分かりません。

山下: しょうがねーやつだな。

大滝: ほんとに。

山下: 今年はとりあえず、どうするんですか?

大滝: 今年は、だから、もしつくるんだったら、つくり始めます。出ません。

山下: 今年からつくらないと、あれですよね。

大滝: 今年つくって、来年、もし出るんだったら。もし、だから、来年が出なければ、2001年もありませんね。

山下: (笑)。

大滝: 正念場になってまいりました。ひとつ、みなさま、ご助力のほどを、よろしくお願いします。

山下: みんな待ってるんですからね。

佐野: そうです、みんな待ってます。2年前の「新春大放談」、もし、テープ持ってる人がいたら、聴き返してみてください。

大滝: 捨ててください。

山下: (笑)。

大滝: 90年代に向かっての私を。これからは、山下君。山下君はとにかく、今、36ですから、一番、

佐野: 男盛りです。

大滝: これがね、充実してる年です。佐野君は、あと、

佐野: あと3年。

大滝: 3年。3年後の佐野君もまた楽しみですね。

山下: 人のことだと思って(笑)。

大滝: いいじゃん。

佐野: なんかいつも最後、結論がつかないままね、

山下: そうなんですよ。

佐野: 大滝さんの言葉で終わってしまいますけど。僕、個人的な意見を言わせてもらうと、集まれてよかったなと思ってます。

山下: 去年、私、来れなかったの。

佐野: そうそう。

山下: ツアーで。

佐野: ピンチ・ヒッターが来てくれました。

大滝: (笑)。

佐野: 達郎さんの話題もいっぱい出てましたけれども。

山下: どうせ、人のいないところで。

佐野: では、今日、番組を聴いたリスナーのみなさんに、お願いしたいんですけど、「楽しかった」とか、それから、何かご意見、ご感想ありましたら、NHKの方まで、はがきに書いて、ぜひ送ってください。

大滝: できるだけ、3人とも気が弱いんで、「楽しかった」って書いてください(笑)。

佐野: 「楽しかった」って書いてください、よろしく。

山下: 郵便番号150、渋谷区神南、NHK、

佐野: すばらしい(笑)。

山下: 「キッズ・アライブ」

佐野: 「キッズ・アライブ」係まで。「新春大放談係」でいいですか?はい。

山下: 元レギュラー。そんなことないか(笑)。

佐野: じゃぁ、ここで、時間も終わりに近づいてきて、ちょっと寂しいんですけれども、最後の曲を聴いてもらいたいと思います。僕の曲、

山下: はい、どんと。

佐野: 「ナポレオンフィッシュと泳ぐ日」から、曲は「新しい航海」。この曲を聴きながらお別れです。今日はどうもありがとうございました。

山下: どうも、失礼しました。

佐野: さよなら。

 曲:

佐野元春/新しい航海

 1年2ヵ月ぶりのこのコーナーの更新です。「新春放談」の件でメールをいただくなかでも、最も問い合わせの多い、90年の「新春大放談」でしたが、NHKの2時間番組という、予想どおりの文字数で、昼休みを利用しての作業が、2ヵ月くらいかかりました。読んでいただいたみなさん、おつかれさまでした。
 起こしながら一番びっくりしたのは、今から11年も前に、コンピュータで「世界中がネットワーキングされる」とおっしゃっている点です。このころのコンピュータを取り巻く状況というのは、全く知りませんが、今の時代を見事に言い当てていますね。
 それから、もう1点。番組終わりの方で、「『1991』が出なければ、2001年もない」と断言してましたが、これも見事に言い当ててたんですね(笑)。
 さて、永年の懸案だったこの番組の活字起こしも終わったので、次(時期未定)は、これも作業が中断したまんまの「リアル・リゾート」に取り掛かります。年内に1番組ぐらいは起こしたいと思いますので、気長にお待ちください。


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