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1990.1.11 ミュージック・シティ

萩原: こんばんは、萩原健太です。ミュージック・シティ木曜日は、ヒット・ポップス・アンコール、1950年代から現在まで、さまざまな時代のヒット・チャートを賑わしてきた素敵なポップ・チューンをたっぷり詰め込んでお届けする45分間です。さて、新年第1回目のミュージック・シティ木曜日です。お約束のとおり、大滝詠一さん、山下達郎さんをお迎えしての新春放談、その第1週目をお送りしますが、その前に、まずとりあえず1曲聴いてください。1975年にイギリスで13位まで上昇したナンバーであります。ロイ・ウッド「オー・ワット・ア・シェイム」。

 曲:

ROY WOOD/OH,WHAT A SHAME

萩原: さて、お迎えしました、大滝詠一さん。どうも、

大滝: どうも、あけましておめでとうございます。

萩原: おめでとうございます。と、山下達郎さんです。

山下: おめでとうございます。

萩原: よろしくお願いします。またまた、今年も集ってしまいました。ということでですね、1990年新春放談、また3週にわたってね、いろいろとお送りするんですけれども、

山下: 7回目かな。

萩原: 7回目?7年目っていうことですか?

山下: えぇ。

大滝: うん。

萩原: 僕が代わって3年目になりますからね、もう。

山下: 私のときで4回やったでしょ。

大滝: あー、そう?

萩原: じゃあ8回目か、もう。

山下: いや、僕のとき3回か。

萩原: あぁ、3回。

山下: 7回目ですよ。すごいですねー。

萩原: もうね、年中行事となりましたけど。

大滝: 長寿番組ですね。

山下・萩原:フフフ。

萩原: あのー、今回はですね、えーまあ、かねて予告のとおりという感じなんですが、2週間分はね、

山下: 予告してたんですか?

萩原: してたんです。

山下: あー、そうですか。

大滝: えっ!知らなかった。

萩原: もうしてたんですよ。

大滝: あ、そう。

萩原: 番組聴いてくださいよ。

大滝: 変えない、予定?

萩原: えーっと、2週間はですね、ちょっとフィル・スペクターで攻めようと。

山下: (咳払い)

萩原: いきますからね。

大滝: 誰、その人?

山下: (咳払い)

萩原: ちょっと、あのー、ここに責任とらなきゃならない人もいるんで、

大滝: いたねー。

萩原: やっぱりね、それであのー、

山下: すいませんね。

萩原: もう、ほんと凄かったですよ、ハガキが。

山下: あっ、ほんとう?

萩原: 「どうしてくれるんだ」って。「一生懸命お金貯めてたのに」とかね、

山下: すいませんね。

萩原: いましたけどね。

大滝: その代わりに「JOY」を買っていただいて。

山下: なにを。

大滝: そういう人は結構多かったんじゃないの。

萩原: その戦略だったの?

山下: ふたつ買える。

大滝・萩原:フフフフ。

萩原: ということでですね、あの、まあ、大滝さんの去年の予言として、

大滝: ふん。

萩原: 「フィル・スペクター元年になる」というのがありましたよね。

大滝: フィル・スペクター元年になったんですよ。やっぱりね、去年のキー・ワードは「壁」です。

萩原: ハハハ。

山下: うちで考えてきたんだ、それ!

大滝: なにを?

山下・萩原:ハハハハ。

大滝: いいから、いわして。

萩原: 壁?

大滝: 壁。

萩原: ははぁー。

大滝: ね。去年ぐらい、だから壁が話題になったことはないでしょう。

萩原: そりゃそうだ。

山下: しょうがねー。

大滝: だから、フィル・スペクター元年。どうだ。

萩原: そうか、壁が壊れたってのは、

大滝: そうそう。だいたい、壁が壊れるような音なんだよね、スペクターの音って。

萩原: そうかな?

大滝: うーん。

萩原: まあ、そういうこともありましてですね、

山下: はい。

萩原: ここら辺で、ちょっとまとめて、いってみようかと、

山下: はい。

萩原: いうことなんでですね。今日は主に大ヒット曲をかけながらですね、

山下: なるほど。

萩原: 彼がやっていました、フィレス・レコードっていうね、全盛期といっちゃっていいんでしょうね?

大滝: そうでしょうね。

萩原: フィル・スペクター、プロデューサーとしての。

大滝: でも、大ヒット曲って、この人ほとんどないんですよ、実は。

萩原: あー。

大滝: 有名な曲っていうか、残った曲は多いんだけど、あまりヒットしてないんですよ、当時。

萩原: 思ったほどのヒットにはなってないというね。

大滝: 1位が、

山下: 「ユーブ・ロスト」と、

大滝: 3曲ぐらいしかない人という、まあ、自分自身で。珍しい。

山下: 3曲あれば、たくさんだっていう。

大滝: 私、なんにもない。

萩原: 1枚あるじゃないですか。

大滝: あれはちょっと…。

萩原: あっ、黙っちゃった。というわけでですね、ちょっととりあえず、御祝儀がわりに1曲。「こんなのをまたかけるのか」っていわれてしまうかもしれません。

大滝: ぐっとね。「ロックン・ロールお年玉」ですか?

萩原: いえいえ、いやいや。

山下: CDですから。

萩原: あっ、そう、これが例の幻のCDからの音源ですからね。

大滝: なるほど。

萩原: みなさん、心して聴いてください。えー、ロネッツ、「ビー・マイ・ベイビー」。

 曲:

THE RONETTES/BE MY BABY

山下: あっという間に終わってしまう。

萩原: 僕はですね、これがやっぱり最初ですよね、聴いたのは、フィル・スペクターものっていうと。

大滝: へぇー。

萩原: 同時代じゃなくて、あとで、1回再発になって、日本でちょっとヒットしたことがありましたよね。

大滝: ありましたね。

萩原: 70年ぐらいかな?69年か70年ぐらい。

山下: もうちょい前にも、1回出たんですよ。

萩原: あー、そうなの。

大滝・山下:67,8年。

萩原: そのなんか、変なリバイバル・シングルで聴いたのが最初なんですよね。

山下: B面が「ウォーキン・イン・ザ・レイン」のやつでしょ。

萩原: そう、そうそうそう。なんかあのー、ジャケットが変なあのー、だから、

山下: ソウル、

萩原: グレイテスト・ヒッツみたいな感じで出たやつなんですけど。

山下: R&Bスタンダード・シリーズとか、なんかそんなやつだ。

萩原: そうそうそうそう、レイ・チャールズとか、

山下: あー、そうだそうだ。

萩原: あと、インプレッションズとかも一緒に出てたシリーズだったです。

山下: あれは、67,8年のシングルだと思ったけどな。

萩原: そうでしたっけ?

大滝: そう。

萩原: それで聴いたのが、初めてだったんですけどね。えー、大滝さんは、最初のフィル・スペクター体験は?

大滝: 私?

萩原: えぇ。

大滝: えーっと、1962年にクリスタルズのレコードで、「ダ・ドゥー・ロン・ロン」っていうのが、日本語のタイトルで、「ハイ・ロン・ロン」つってたんですよ。

萩原: はい。

大滝: で、それが最初ですね。未だにだから、私の場合は「ダ・ドゥー・ロン・ロン」なんですよ、私の場合は、「ビー・マイ・ベイビー」じゃなくて。

萩原: なーるほどね。

大滝: うん。

萩原: あのー、ずいぶんこだわってましたもんね、あの曲には。はっぴいえんどというグループ時代に。

大滝: だからあれ、全然ウォールでもなんでもなくて、単純にガール・サウンドなんだよね。

山下: うーん。

大滝: うーん、なんだけど、あっちの方が、スペクターの方としては、個人的な体験として。

萩原: まあ、いわゆるフィル・スペクターっていうと、そのエコーで壁をつくっちゃうといわれてるような、ウォール・オブ・サウンドっていうのが、まあ、今の「ビー・マイ・ベイビー」なんかが、割とそっちの途中経過的作品というか、

大滝: 最初っていうかね、2番目なんだけども。初期の頃のエコーがちょっと入りはじめた。

萩原: それよりも以前のものが、

大滝: ですよね。

萩原: 大滝さんにとっては、フィル・スペクター、

大滝: 最初の体験でね。で、日本の人でね、そのシングル盤を持ってたのは、細野晴臣だけだった、私以外では。

萩原: 知り合いの中で?

大滝: うん、知り合いの中で。「ハイ・ロン・ロン」のジャケット付きのシングル持ってたのはね。っていうくらい、非常にこうー、あまりなじみのない、というか、ほとんど受けなかったですよね。

萩原: その頃ってのは、クリスタルズつって出てたんで、別にフィル・スペクターがどうこうっていう取り上げられ方は、

大滝: 解説には書いてあった。

萩原: あっ、そうなんですか!

大滝: うん。

山下: 亀渕さんとか、木崎さんとかその手でしょう。

大滝: そうそうそうそう。解説はね、最初からフィル・スペクターがどうのこうのって書いてあった。

萩原: あー、そう?

大滝: うん。

山下: 朝妻さんだろ、きっと。

大滝: まあ、みんなあの辺ですよね。

萩原: なるほどね。

大滝: うーん。

萩原: じゃあ割と、子供心にも、

大滝: 中2ですからね。子供でしょうかね?

萩原: じゃあ、フィル・スペクターって名前は割と最初から?

大滝: そうですね。翌年、中3のときに「ビー・マイ・ベイビー」が出て、そういうのが私のあれですけど。

萩原: 達郎さんは?

山下: 私はFENで聴いた「ビー・マイ・ベイビー」、中2かな。中2だから、66年か5年か、そのぐらい。

萩原: はー。

山下: だけど、それがフィル・スペクターとか、そういうのは、全然わかんなくて、僕が直接フィル・スペクターって生まれて初めて名前を知ったのが、ウォーカー・ブラザーズのね、日本で1枚目に出たLPが、これ、アメリカの1枚目と2枚目くっつけて、1枚にしちゃったやつなんだけど。それを朝妻一郎さんが書いててね、その「ユー・ドント・ハフ・トゥ・テル・ミー」って曲があって、「フィル・スペクターを彷彿とさせるノイジーなエコー・サウンド」って書いてあったの。あっ、なるほど、だから、ウォーカー・ブラザーズっていうのは、ご承知のようにフィレスのイミテーションなわけで、あの「ドン・チッ・チッチ・ツッツ・ボン」っていくのが、「これが要するにそのエコーの多い、これがいわゆるフィル・スペクターっていうもんなんだ」って、それも中学のね2年とか、そのぐらい。

萩原: ノイジーなエコー・サウンド。

山下: そうそうそう。そこがフィル・スペクターって名前を知った最初です。

萩原: だから、で、ただ僕はその辺に出遅れてしまった私としてはですね、あのー、その「ビー・マイ・ベイビー」流行ったのは、流行ったというか、リバイバルしたときは、ロネッツって名前でね、とりあえず見てて、フィル・スペクターってのは、当時のミュージックなんとかとかな、ああいう雑誌を見てると、後ろに亀渕さんがね、やっぱりこうー、プロデューサーなんとかとか書いてて、そこにフィル・スペクターの巻ってのがありましてね、

大滝: 巻!

萩原: 巻。

山下: 大滝さん、書いてたでしょ、あれ?

大滝: さるとびさすけだね。ん?

山下: 大滝さん書いてたでしょ、あん時?

大滝: いやいやいや。

萩原: あっ、あっちじゃなくてですね、

大滝: まだまだ、時代的には私はまだ高校生です、当時。

萩原: マガジンじゃなくてですね、

山下: じゃない方ね。

萩原: ライフって方なんですけどね。

山下: はいはいはい。

萩原: あのー、でね、それを読んで名前は知ってたんだけど、結局だから、それでなんか「音の壁だ、壁だ」といわれてた割にはよくわからないで、結局ほんと、目の当たりにしたのは、「マイ・スイート・ロード」ですからね、

大滝: でしょうね。

萩原: ジョージ・ハリスンの。だから、かなり後になっちゃうんですよね。

山下: そう考えるとですよ、例えば朝妻一郎さんとか、亀渕さんとか、木崎義二さんとかいうのは、外盤で聴いてたってことなんですかね?

大滝: いや、日本で出てたもん。

山下: あぁ。

大滝: で、レコード会社から、解説頼まれるから、買ったとは思えないな、どうも、あの人達は。

山下: でも、ある程度知識があったんでしょ。朝妻さんの一番好きな音は、スペクターなわけでしょう?

大滝: ですかね。

山下: えぇ、って昔からいってましたからね。だから、オール・シングス・マスト・パスが、要するに年間ベスト・アルバムだったわけでしょう、彼にとっての。あの人は、だからフリークだっつって、僕らが大学入るか、そのぐらいの時には、そういう認知でね、してたから。

大滝: いろんな本を読んでましたよ、当時の。向こうに、ああいうあのー、アイドルの本がいっぱい出てるでしょう。

萩原: はいはいはい。

大滝: そういうのでいってたんじゃないですか?

山下: なるほどね。

萩原: なるほどね。あのー、フィル・スペクターってのはどういう人だっていうような奴は、あんまりこの番組聴いてないと思いますんで、そんな細かくいわなくていいと思うんですけど、スペクターが実際、このフィレス・レコードってのを、レスター・シルっていう奴といっしょにつくったのって、62年、61年?

大滝: 60年から61年にかけてだといわれてますね。

萩原: いくつぐらいだったんでしたっけ?

大滝: いくつでしたか、22,3、

山下: 23、2,3ってとこじゃないですか。

大滝: ぐらいじゃないですか。すごいよね。

萩原: ね。それで、レスター・シル辞めさせちゃって、自分で社長になっちゃったんでしょう?一人だけで。

大滝: なかなかにね。「マイ・スウィート・ロード」以降っていうと、なんなんですか?

萩原: 「マイ・スウィート・ロード」で、

大滝: スペクター体験できるっていう人は。

山下: なんにもないですよ、インターナショナルだから、スペクター・インターナショナルでしょ。だから、ディオンとか、ああいうシェールのレコードとか、ああいうのばっかりだから、

大滝: それ以降、じゃあなんにもないんだ。

萩原: あと、チェック・

山下: ジョン・レノン。

大滝: ジョン・レノンも?クリスマス、

萩原: ロックンロールとか、

大滝: ロックン・ロール・アルバム、なるほどね。

山下: イマジン、1枚目、イマジン、一連の。

萩原: あとそうですね、ファーストの方ですね。あとまあ、その前に実際にレット・イット・ビーってのがあったんですけどね。ただ、あんまりよくいわれてなかったですからね、その辺はね。だから、あのー、正式な形でドッと聴けたのは、その後犬のマークのレコード会社が、ドーっと再発でね、アルバムをいっぱい出したときに、いろいろ聴けたっていうのは、

山下: あれまで、全くわかんなかった。

大滝: うーん。

萩原: っていう人は、多分日本の場合は多いんじゃないですか?

山下: いや、ほとんど全部そうですよ。僕なんか、とある雑誌にこの間書きましたけど、大滝さんがシングル持ってて、かなりね。横浜の有名なレコード屋さんに、輸入盤が入って、大滝さんがかなり持ってたから、それで聴かしてもらって、知ってるわけだから、あれがなきゃ、全然わかんないわけだったんですよね。76年ぐらいに、犬のマークのとこからね、イギリスのスペクター・インターナショナルから、6枚組でしたっけ?6枚物のアンソロジーが出たでしょう。あれまでは、全然わかんなかったですよね。ディスコグラフィーはあるけど、音が実際なんなのかっていうのかな、

萩原: そうですね。

山下: そういうのが、わかんないし。いまでも、B面のインストなんてのは、ほとんどだから、

萩原: あー、そうですね。聴けないですね。

山下: 聴けないですよね。

萩原: リクエスト・ハガキが来てましたよ。「大滝さんがラジオのテーマ・ソングにしてたのをかけろ」ってのが、来てましたけどね。

大滝: まあ、この特集で、後半の方にかけてみましょうかね、持ってきましたんで。

萩原: じゃあ、えーっと、ここでですね、また曲いきますが、そのー、エコー行く前の、そのーだから「ダ・ドゥ・ロン・ロン」かなんかね、

大滝: いいですね。

萩原: やってみたいな、クリスタルズをね。用意ができたらかけますんで、それまでですね、でもなんで、そうなったんでしょうね?エコーをつけようとかね、その前のサウンドじゃ物足りなくなったんでしょうかね?

大滝: いや、あれでしょう、もともとああいうふうな、エコーのようなサウンドも好きだったんだけれども、ああいう単純なガール・ソングも好きだったという、幅のある人ですからね。

萩原: なるほどね。では、その初期のやつをひとついってみたいと思います。クリスタルスで、「ダ・ドゥ・ロン・ロン」。

 曲:

THE CRYSTALS/DA DOO RON RON

萩原: 1963年の3位の曲だそうですね。

大滝: あー、そう?そんなに流行ったの?へぇー。

萩原: 3位までいってますけどね。えーっとね、こういうサウンドだったんですね、最初はね。

大滝: うーん。当時だから、女の子のグループがいっぱい出てきてて、で、なかでもスペクターのサウンドだけ、ちょっと変だったんですよ。ものすごくよかったって意味合いのね。で、他のよりなんか、違って聞こえて。

萩原: あのー、ほら、エコーかけて、壮大にするっていうのが、スペクター・サウンドの特徴だっていわれるけど、それでも、例えばこういうふうに、あんまりエコーがかかってない今みたいな曲でも、どこがどう当時のあれと違ってたというか?

大滝: 人数が多いんですよね、ミュージシャンの。

萩原: ハハハ。

山下: コンボじゃないんですよね。

大滝・萩原:うーん。

山下: ブラスがものすごく多いとかね。

大滝: 音数が多いんですよ、よーく聴くと。

萩原: リズム細かいですしね、ひとつづつやってるものが。

大滝: それが、とにかくだから、日本のものも好きだったけど、洋楽に憧れた理由ってのは、とにかく音数が多いのと、まあ音が非常によいのと、ということなんですよね。

萩原: なるほどね。

山下: 今風にいえば、ピンポンしてるでしょ。今はだから24とか48とかじゃん。その頃はアンペックスの3トラックスっつって、トラックが3つしかなかったから、大体オケひとつ入れて、歌ひとつ入れて、ブラスとかね、ひとつ入れて、それでモノラルで、トラックダウンするんだけど、このスペクターの場合、それをだから、歌を入れながらラテン入れるとかさ、そういう極端な話じゃないけど、そういうようなね、オーケストラをね、例えばリズム隊入れながらブラス入れるとか、そういうことで、どんどんトラック稼いでいって、やってるような気がするんですよ。

萩原: これ、さっきの話で日本ではほとんど誰も知らなかったっていうことが、判明しましたけども。

大滝: うーん、あんまり。あと、「ビー・マイ・ベイビー」が、弘田三枝子が「あたしのベイビー」ってので、カバーして、

萩原: あのー、せこいドラムがいいんですよね。

大滝: 「トンストトン、コン」という、「コン」ていう音で、当時その程度でほんとにフィル・スペクターっていう名前が出てくるのに、ほんとにずいぶん時間がかかったんだけども、ただ、その後ビートルズが出てきたりとかね、いろんなグループが出てくるんだけどもね、そういう連中に、とにかく多大な影響を与えてるっていうことだけはあるんですよね。

萩原: 向こうでの影響っていう方が、大きいと思いますけど、

大滝: 圧倒的に。

山下: ミュージシャン受けしてるんですよね、特に。プロデューサー受けっていうか。アンドリュー・オールダムとかね、

萩原: やってみたいと思うのかな。

山下: でしょうね、誰でも、一度は。

萩原: おふたかたとも。

大滝: だから、ね、日本の場合だと、だから、僕らの前だったりすると、歌謡曲のディレクターの人で例えば、坂井さんとか有名な方いらっしゃるけど、その以前にもたくさんいらっしゃるわけですよ。馬渕さんだとか。そういう日本の人達には、目指すプロデューサーみたいな人ってのは、たくさん以前にいたわけなんだけど、僕らの世代から、急にそれが、そのー、目指すプロデューサーがリーバー・ストーラーとかフィル・スペクターとか、外人になっちゃったのね。

萩原: なるほどね。

大滝: うーん。前の、ちょっと前の世代までは日本人のプロデューサー目指して、みんな日本人はやってたんだけど、僕らの世代からなぜか、

山下: いきなり。

大滝: 急に。

萩原: 急にね。

大滝: 最近はまた、そうなった山下君とか松任谷由実さんとか、そういう人を目指して、若い人はやってるって感じなんじゃないですか?

萩原: うんうん、なかなかね、複雑な歩みをしている日本のポップ・シーンですけどね。

大滝: そういう意味合いでいくとね。

萩原: あのー、えっと、プロデューサーってのは、すごい乱暴に分けちゃうと、ジョージ・マーティンのような、割とアーティストにあわせて、その人の特質を引き出すという、

大滝: 基本的にあの人はハウスっていうか、そこの会社に、会社とかなにかに属して、いろんな人達をやるっていうタイプですからね。

萩原: っていう人と、まあそのフィル・スペクターのようなね、割と自分の世界を持っちゃって、そういうものを構築していくっていうか、

山下: あのー、プロデューサーっていうののアイデンティティーをレコードに入れた最初の、かなり草分けの人ですよね。

大滝: 2番目の、

山下: 2番目ね。

萩原: 1番目がリーバー・ストーラー。

大滝: リーバー・ストーラーが1番だと思う。

萩原: っていう意味では、すごく主張が強いわけですよね、サウンドに対して。

大滝: この人はまた特別ですよ、ちょっと。

山下: 異常ですね。

萩原: それでなんか結局、例えばシンガーとかに関しては、すごく限られてきてたでしょ?

大滝: はっきりと、なんか好みが、

萩原: ありましたよね。

大滝: あるようですね。

山下: そうですね。だから、だいたいプロデューサーっていうのは、新しい言葉でしょ。その前までは、アーティスト&レパートリーっていってね、A&Rっていう名前だったでしょ。

萩原: うん、A&R。

山下: そうすると、やっぱり今の日本のレコード会社のディレクターに近いような仕事でね、やっぱり、かなりミュージシャンとスタッフとのね、人間関係って微妙なもんなんですよ。あんまり口出すと、「結局、俺がつくってる、俺が歌ってる」っていわれてね。ビートルズみたいにすごく才能がある人だったら、例えばポールのアイディアをジョージ・マーティンのそのクラシックのね、素養でもって実現するとか、そういう働き口っていったら悪いけど、そういうのが出てくるんだけど。ほとんどの人は、そういうあれで、かなりの意味での欲求不満を抱えてるんですよ。で、A&Rってのは、やっぱりある程度楽器心あったりする人がほとんどだったから、そういうところで、フィル・スペクターみたいに、要するに縦横無尽に、自分の主体性だけでレコードつくってみたいって思うのは、多分ね、当たり前だと思うんですよね。特にね、やっぱり60年代の、ああいう日進月歩で音楽が突き進んでいる時代は、スタッフとても、やっぱりクリエーターになりたいっていうかな、そういう欲望すごく出てくるから、

萩原: なるほどね。

山下: そういう意味で、やっぱりフィル・スペクターって、ものすごい憧れの対象になったんじゃないかと思うんだよね。

萩原: でも、要するにミュージシャンも、ソング・ライターをはじめとするスタッフもシンガーも、

大滝: 時期ですね。

山下: うん。

大滝: よく日本の場合でも、何年組とか「花の28」とか、そういうあのー、あるんだけどね。ありましたね。

山下: うん、そうですね。僕なんかが考えると、ストーンズなんかは、ストーンズの人達がね、フィル・スペクターの例えばエコーとか、それほど興味持ってたとは思えないんですよ。

萩原: あぁ。

山下: そういう事、あの人達多分関係なかったと思うわけ。ノー・エコーでやっても、「テル・ミー」みたいなすごくエコーが多くやるってのは、別に自分達の音楽で、それは聴いて、「まあ、こんなもんか」って、そういうとこ神経払ってないというか、それはアンドリュー・ウォルターとね、ああいう人達はつくってるって、そこがなんかセミ・ウェイトかな。

萩原: なるほどね。

山下: そういう感じがしてしょうがないんですよね。時代でしょうね、だからね。

萩原: で、あのー、そのスペクターがお気に入りだったシンガーというとこでですね、

大滝: うん。

萩原: むりやり話をダーレン・ラブに持って行こうかなって思って。次ダーレン・ラブかけようかなと思っているわけなんですけどね。

大滝: なるほど。

萩原: どういうのを、だからあのー、要するにロニー・スペクターというか、当時のベロニカちゃんですね、ロネッツの。

大滝: うん。

萩原: とかダーレン・ラブとかっていうのは、異常に好きですよね、スペクターはね。

大滝: うん。

萩原: 何が好きだったんでしょうね?

大滝: 歌がうまいんですよ。うまいっていうと、ダーレン・ラブっていう人はすごくなんかこう、ゴスペルっていうか、ソウルも感じさしてくれるんだけど、ポップ・シンガー。

萩原: うーん。

大滝: で、だから、基本的にポップ・シンガーが好きだったようで、それでなおかつうまくて、魅力があるっていうか。ということだから、ボーカルとか全部に関して、あの人は非常に強欲な人でね、いろんなものを満たしてないと、満足できないタイプの人だったようですね。

萩原: 今残ってるビデオで、歌唱指導してるのがありますね、フィル・スペクターが。

大滝: 歌唱指導!ダーレン・ラブに歌唱指導するというね。

萩原: なかなか強力なあれがありますけどね。なんかちょっと1曲ダーレン・ラブが聴きたいですが、なにが?

大滝: ダーレン・ラブはなにが・・・、一番最初にやっぱりダーレン・ラブの声と出会ったのは、「ヒーズ・ア・レベル」だというやつですね。

萩原: はー、クリスタルズね。

大滝: だからそれが、いいんじゃないかと思いますけどね。

萩原: じゃあ、クリスタルズの「ヒーズ・ア・レベル」をね、次はいきますよと声をかけてですね、

山下: クリスタルズでありながら、クリスタルズが歌ってないという。

萩原: そうそうそう。だから、これがかなり、フィル・スペクターのプロデュース方針というのを現してますよね。

大滝: そう。いいミュージシャンにあったのと、非常に。それとナンバー1になったことと、非常にラッキーだったようですね。この曲に出会ったということが。ジーン・ピットニーっていう人がつくってるんですけども。まあそのー、そういう作家も大切にしなければいけない、楽曲もよくて、オケもよくて、シンガーもよいと、これがヒットの条件なのだというふうに。ほんと、でもそれが王道なんですけどね。その王道をずっと求めた人なんじゃないでしょうか。

萩原: クリスタルズっていうね、グループのくせに、

大滝: 名前はね。

萩原: 歌わせるのは違う人というね、この辺にもなかなか、そのスペクターの性格が現れてるという感じがしますけど、

大滝: そうですね。

萩原: 1962年のナンバー1ヒットです。クリスタルズ、「ヒーズ・ア・レベル」

 曲:

CRYSTALS/HE'S A REBEL

萩原: かっこいいですね。

大滝: これ、なんか色あせませんね、スペクター・サウンドは。どうしてでしょうね?もう、はや何年も。

萩原: 飽きないんですよね、それで。

大滝: もうすぐ30年に、

山下: 代えがないからでしょ、やっぱり。

大滝: ん?

山下: 代えがないからでしょ。

萩原: これ以上のものは出てこない?

山下: これを再現、誰もしてないからじゃない?

大滝: あー。

萩原: なんで再現できないんですかね?やっぱり、その時代のあれとかもあるのかな。

山下: ものすごいムリが、過酷な作業でしょ。だから、本読めば、今度本出ますけど、わかるけど、ミュージシャンは死ぬ思いしてるしね。指がつっちゃうぐらいギター弾かされてるわけでしょ、10テイク、20テイクって。いろんなやり方があるんですよね、1テイクでパッとやって、3テイク、5テイク録ると、よくなるけど、それに10、20やらせると、また、

萩原: よくなってきたりする。

山下: よくなってくるときがあるんですよね、そういう。

大滝: 三平さんのギャグだね。

萩原: ハハハ、なにそれ?

大滝: 5,6回目つまんなくなるけど、20回やられると、もう死ぬほどおかしいという。

萩原: ちょっと違うような気がする。ハハハ、なるほどね。

大滝: フッフッフ。

萩原: でもなんか、よくみんなやってましたね、ミュージシャンとかもね。

山下: うーん、これはおもしろいね。やっぱり、ウエスト・コーストはのんびりした感じっていうかな、

大滝: それもあるしね。

山下: それで、ニュー・ヨークのミュージシャンって、みんなほとんどジャズ出身者なんですよね。

萩原: うん。

山下: ジャズ・ミュージシャンがやってるけど、ご存知のように、カリフォルニアはほら、サーフィン・ホット・ロッドのガレージ・パンクの人達がね、うまくなってきて、そのままスタジオ・ミュージシャンで入ったパターンがほとんどだから、元々はジャズ志向してんだけど、結局サーフィン・ホット・ロッドとか、8ビートの世界をさんざんやって、ロックン・ロールで育ったきた人達だから、そういうとこでは、割と寛容だったんじゃないかな。

萩原: なるほどね。

山下: どう考えてもね。だからウエスト・コーストの、例えばハル・ブレインなんかもフィル・スペクターの音、全然悪くいわないでしょ。

萩原: うん。

山下: ねぇ。

大滝: うん。

萩原: ハル・ブレインというのは、ドラムの人ですけど、

大滝: えぇ。

萩原: おなじみの。スペクター・サウンドには欠かせないといわれる人ですけど。

大滝: 60年代ポップスを、ハル・ブレイン一人で支えたといっても過言ではないですね。

山下: 全くそのとおりですね。

大滝: という影の、例えばよく、江戸城造ったのは太田道灌じゃなくて、ほんとは大工さんが造ったんだって、例のやつがあるけども。そういう意味合いでいくと、ほんとにつくったのはハル・ブレインですよね。

萩原: ふーん。

山下: ほんとにそうですね。

萩原: あのー、さっきもいってた、そのピンポンとかやって、音質が劣化していくのがあるんで、ドラム最後にやったってほんとなんですか、あれ?

大滝: いや、同時にやってますよ。

萩原: そうですか。

大滝: ただ、ダビングを最後にやったりとかいうようなことは、やったようですけど、タムとか、そういうものを。

萩原: フィル・インだけは、

大滝: フィル・インだけだっていうことはあるけど、ずっとやってたようですよ。

萩原: ふーん。なるほどね。

山下: 俗説ですからね、ほんとのところはわからない、絶対。

萩原: なんででも、こんな生きてる人なのに、こんな俗説ばっかりなんでしょうね。

大滝: 俗っぽい人だったんじゃないですか。

萩原: 自分でいろんなこといってるのかな?自分で伝説創ってるんじゃないだろうな。

大滝: 変わりもんですよね、でもね。

萩原: 大滝さんって、フィレスに限って、フィレス時代に限っていうと、

大滝: えぇ。

萩原: まあ、そんなに長い期間じゃないですけど、どの辺がやっぱり?やっぱり初期の方が好きなんですか?

大滝: そうですね。で、どっちかというと、だから60年代ポップスの中におけるところの、スペクター・サウンドって意味合いでは、ほんとに、あのね、今回だから、そのー、山下さんに依頼を受けましてね、

萩原: 幻の、幻の解説ですね。

大滝: 解説を、今年6ヵ月かかって、書いたんですけどね、

山下: すいません。

大滝: そんときに初めて気がついたのが、ほとんどスペクターのレコードって自分で聴いたことがなかったの、今まで。

萩原: あっ、そうなんですか?

大滝: そういう意味合いで。

萩原: はあ。

大滝: 解説を書こうと思ったら、そういう細かく聴いてなかったことに気づいてね、初めて聴きましたよ、今年。

萩原: 今年?

大滝: うーん。

萩原: 去年。去年ですね。

大滝: あー、失礼しました。去年。

山下: なるほど。

大滝: だからね、まあね、あのー、なんだ、「論語読みの論語知らず」じゃなくてなんだっけ?なんかあって、ほんとにね知らないですよ、実は。

萩原: 知らなかった?

大滝: 知らなかった。

山下: フフフ。

萩原: そんな言葉を聴くとは思わなかった。

大滝: 今回初めて気づいたことは、ずいぶん多かったんですけど。

萩原: はぁーん。

山下: でも、萩原さんは全部聴きました、あのアンソロジー?76年に出た6枚の。

萩原: 聴きましたよ、あの時はやっぱり。暇でしたから、あの頃は。大学生ですからね、あれ出た時。

大滝: ボックス物って、なんか出ると、全部聴きませんよね、普通。

萩原: 聴かないですね、普通。

山下: 聴かないね。

萩原: でも、あれはね、やっぱり飢えてるときに出たものですからね、スペクター・サウンド、スペクター・サウンドって話だけは聞くけど、

大滝: なるほど。

萩原: どれがほんとの、で、結構聴いたときには、「あらーっ、結構セコイな」ってのが最初の印象なんですけどね。

大滝: やはり。

山下: そうそう。

萩原: だからそれは、多分スペクター・サウンドの本質っていうのと違うとこでの、そのエコー・サウンドなんとかっていうところばっかり強調されてたんで、「すごいエコーが出てくるんだろう」とか、

大滝: あぁ、エコーがそうだっていう意味?

萩原: うん。

大滝: へぇー。

山下: 僕なんかは、すっごく感動した。あのー、それは大滝さんのうちでね、さっきいったみたいに、さっきの「ヒーズ・ア・レベル」ってあったでしょ。

大滝: うん。

山下: あれが、生まれて初めてオリジナル・シングルで聴いた、フィル・スペクターの音だったんですよ。で、当時の、要するに大滝さんちのステレオのスピーカーからあれが出てきたときの、このショックは未だに覚えてる。まだ洋楽、要するに外盤シングルっていい方おかしいけど、「アメリカのオリジナル・シングルはなんて音がいいんだろう」っていうね。

萩原: うーん。

山下: それでこの音でしょ。だから、CDでね、これが100%再現できてるとはいえないんですよ、オリジナル・シングルのその音圧が。

大滝: あー。

山下: だから、そういうの間引いて聴くからね、あの76年のアンソロジーも、すごい感動した。

大滝: なるほどね。

山下: 特にロネッツとかね、そのアンサンブルっていうかな、アンサンブルのつくり方っていうか。

萩原: でもね、変なステレオになってましたからね。

山下: うん。

萩原: なんか、楽器全部右とか。

大滝: いや、ああいうもんですよ。

山下: 昔はああだった。

大滝: 昔のステレオはみんなああですよ。

萩原: なるほどね。

大滝: 今回、だからそのー、出しそこなったところのボックス物の、

萩原: ハハハ。

大滝: ロネッツはオリジナル・モノ・ミックスでしたからね。

萩原: えぇ。

大滝: だから、もったいないことしましたね。

山下: もったいないですよね。

萩原: また聴いてる。

大滝: ねぇ、希少価値だったのに。

山下: 結局、音質的にオリジナル・モノ・ミックス綺麗な音で聴けること、今ないわけですからね。

大滝: ありませんよ。

山下: そうなのよね。

大滝: うーん、みんなあるのは、だから、76年のあれはステレオなんですよね、ロネッツは特にね。

山下: ステレオか、じゃなきゃあ、オリジナルLPしかないわけだから。

大滝: そうそう。

萩原: あと、コレクタブルっていうね、あのー、再発のところがシングルのボックス・セットをね、出したことがありまして、あれはモノ、

大滝: ほー、音が悪いんだよね。

山下: なんかアナログが出たみたいですね、向こうで、ロネッツの。

大滝: ふーん。

萩原: モノ?

山下: でしょうね、これからでしょうから、おそらく。去年の暮れに出たみたいです。

大滝: ステレオ・バージョンは、歌違ってたりするんですよ。

山下: あと、イントロが違ってたりするんですよね、オリジナルと。ドラムのフィルが、なんか長かったりするの、イントロの。何なんでしょうね、あれ?

大滝: 何なんでしょう。

萩原: いろんなことやってたっつうことですね、これはね。

大滝: やってたようですね。

萩原: あーだ、こーだとね。

大滝: うーん。

萩原: さて、話はどこへ向かいましょうか、次は何の曲いこうかなと、

大滝: 3人かけましたからね。

萩原: いいところきてますけど。

大滝: どうですか、ぐっと、山下さんから?

山下: そうですね、フィレスの時だったらなんでもいいわけですか?

萩原: そうです。

山下: じゃあやっぱり、ライチャスでしょうね、大ヒットだというところで。

大滝: あぁ、なるほどね。

萩原: ライチャスね。

大滝: 忘れてたな。

萩原: これはもう・・・、

山下: フフフ、みなさんの嫌いな、

萩原: ハハハ。

大滝: 嫌いじゃない。誰が嫌いなんだ。

萩原: 嫌いじゃないって。これはあのー、でも、これがかなり、その深いエコーっていう意味では、セコイですか、まだ?

山下: これはね、アレンジが違うんですよ。ジン・ページが弦やってるでしょ。

萩原: うん。

山下: 響き方が違うの。だからエコーが大きく聴こえる。

萩原: ベースとか、なくなっちゃってるじゃないですか、これ。これって、ダビングした、そのピンポンしすぎた、

大滝: これベース4人いますよ、4人。

萩原: 4人?

大滝: うーん。私が聴いた範囲では。

山下: どんどん編成が大きくなってるでしょ、だから。

萩原: はー。

山下: だから、エコーが多く聴こえるっていうのかな。

萩原: なんか低音域の音圧はあるんだけど、あんまりフレーズがよくわからないっていうなんか、

大滝: うん、ドラムがちょっとオフだね。いろんなこといってる。

萩原: ハハハ。

大滝: 文句ばっかりいってる。

萩原: えー、ライチャス・ブラザーズの「ユーブ・ロスト・ザット・ラビン・フィーリン」っていうのをお願いしたいんですけどね。えー、スタジオの向こうに伺いをたてながら。

山下: すごい番組。

萩原: ねぇ。でもあのー、やっぱりほら、さっきも話しましたけど、スペクターには、割とその時期、その時期で、お気に入りのシンガーってのが、

大滝: 作家とね、作家とシンガーがいて。

萩原: ずーっと、作家とシンガーがいて。で、これは何代目ぐらいのお気に入りでしょうね?4代目ぐらいかな、5代目?

大滝: まあ、4代目ぐらいでしょうかね。

萩原: 4代目ぐらいの、そのフィレス時代においてはね、お気に入りのシンガーっつうことになるんですけど。すごいですよね。それまでのライチャス・ブラザーズといえば、もっとこう、なんていうんだろ、ブルー・アイド・ソウルというか、普通のソリッドな音で、二人でソウル・デュオを聴かしてたってグループが、

山下: 黒人っぽい白人と、白人っぽい黒人を、ずーっとね、歴史的になんかこう、その歌をのっけたオケをつくってきたわけだったから、

萩原: が、オケががらっと代わって、ここまでいってしまうという。ちょっととりあえず聴いてみたいと思います。1964年から65年にかけての全米ナンバー1ヒットです。ライチャス・ブラザーズで「ユーブ・ロスト・ザット・ラビン・フィーリン」

 曲:

THE RIGHTEOUS BROTHERS/YOU'VE LOST THAT LOVIN' FEELIN'

萩原: というわけで、ライチャス・ブラザーズ、「フラレた気持ち」でしたけどもね、時間がそろそろですね、

大滝: あらっ。

萩原: 時間が、

山下: あっという間ですね。

萩原: なんかうだうだ喋ってると、あっという間に終わってしまいますけど、

大滝: 失礼しました。

山下: 4曲しかかからなかった。

萩原: 4曲しかかかってないなぁ。まずいなー、来週だいじょうぶでしょうか。

大滝: 長いのかな、スペクターの曲って?

萩原: ハハハ、いやいや、違う違う違う。

大滝: 違うの?

萩原: というわけでですね、まああのー、フィレス関係のね、ビッグ・ヒットを今日は4曲連ねたんで、

大滝: なるほど。

萩原: 来週はもうちょっとこまいところを、

山下: 新春放談始まって以来のメジャーな曲がかかったんじゃないですか?

萩原: そうかもしれない。

大滝: あー、なるほどね。

萩原: 来週は調子取り戻すんじゃないかと思いますけど。

大滝: でも、モノ・バージョンは珍しいんですよ、いっとくけど。

萩原: あっ、そうか!

大滝: みょーなフォローだな。フォローが得意な審査委員長ってぐらいなもんだから。

萩原: これが出なかったCDですからね。

山下: すいませんね。

萩原: というわけで、また来週、ひとつよろしくお願いします。

山下: よろしく。

 1989年の新春放談で告知していたフィル・スペクターのボックス・セットは残念ながら中止になってしまいました。私は持っていませんが90年6月に出版された「PHIL SPECTOR[甦る伝説]」というのは、このCDの解説版としてに企画されたものだったのでしょうか?そして、大滝さんが6ヵ月かけて書いたといっていた解説は日の目を見たのでしょうか?これも気になります。達郎さん、このCD、サンデー・ソング・ブックで特集してくれないかな(もうやってますか?)。そして、番組プレゼントしてくれないかな(これはムリか)。

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