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「アリオス! いやよ、どこへ行くの!? …アリオス!」 けれどアンジェリークの声は、虚空に響いただけだった。 気が付けば、見慣れぬ回廊に立ち尽くしている。 「アリオス…」 今見たのは皇帝レヴィアスの過去。そして最後に言葉を交わしたのは、あれはアリオス。 忘れろと言われた。本気で闘えと言われた。 闘うしかないというのか。 頭の中が真っ白だったが、不意に自分を呼ぶ声が聞こえた。 「無事であったか、アンジェリーク」 「クラヴィス様!」 振り返るとクラヴィスが近づいてくる。彼にしては珍しく、気遣わしげな様子を露わにしていた。 アンジェリークはほっとして彼のもとに駆け寄り再会を喜んだが、表情は冴えない。 「アリオスと会いました」 「……そうか」 「どうしても闘わないといけないのでしょうか。私、まだ…」 ここまで来て、まだ彼を、アリオスを、皇帝と認めたくない気持ちがある。 別の宇宙で辛酸を舐めたレヴィアスが皇帝と名乗って決起するまでの道のりは、不幸の一言で片づけるのには辛すぎるものだった。 地獄の底まで見てしまったから、だから暗黒に手を染めたということなのだろうか。 でもアリオスだった時の彼は、どこかしら陰があるとはいえ、前向きな人だったのに。 逡巡するアンジェリークの心を見透かすかのように、クラヴィスは低く言った。 「……終わらせてやれ……」 アンジェリークははっとしてクラヴィスを見た。 「クラヴィス様、それは…!」 死なせてやれ、ということなのか。思わず言葉を飲み込む。 「お前はあの者の心の闇を見たはずだ。あの者の心は孤独と絶望で埋め尽くされている。そして同時に、心の奥底で永遠の安らぎを渇望している」 クラヴィスの深い紫水晶の瞳が静かにアンジェリークを見つめる。 自分の心の闇を見つめ、他人の心の闇をも引受けてきた、闇の守護聖。 「それらはすべて私の領分だ。……だが、私一人であの者を救うことはできぬ。救うことができるのは、女王のサクリアを持つお前だけだ」 アリオスの心の闇が見えるから、アリオスとアンジェリークを待つ運命もまた見える。 そんなクラヴィスだからこそ、アリオスに、ただ消えるだけの死をもたらしたくはなかった。 ―――真なる安らぎを、女王の力で、彼のために 「忘れるな。死は逃げ場ではない。……よく生きた者だけに、よき死が訪れる」 これではまるでジュリアスの台詞のようだな、と言ってクラヴィスは微かに笑った。 「私にできるでしょうか」 「お前ならできる……天使の翼を持つ女王よ。私もささやかながら力を尽くそう」 アンジェリークはうつむいて小さく首を振った。それは否定の態度ではなく、涙を振り払うしぐさのように見えた。 「私、アリオスを信じてます」 頭を上げてまっすぐにクラヴィスを見る彼女の目には、先ほどまではなかった強い意志の力が宿っている。 「救うなんて偉そうなことは言えません。でも、私たちの気持ちはきっと通じると信じてます」 たとえ一度はアリオスと闘わざるをえないとしても、すべてを諦めて安易な選択をすることはできない。 そう、アリオスがそれを望んだとしても、彼に簡単に死という終焉を与えるわけにはいかないのだ。 「だって、仲間だったんですもの、私たち」 「それでこそアンジェリークだ」 クラヴィスの声はどこまでも優しい。 この先に彼女を待っているはずの試練を思うと、胸が痛む。 だが、その試練を避けることができないのなら、せめて彼女の支えになっていたいと、そう願う。 自分にとって何よりも大切なのは、アリオスでも宇宙でもなく、目の前の少女なのだから。 「では他の者を探しに行こう、アンジェリーク。きっと待っていよう」 「はい!」 そうして最後のパーティーは城の奥を目指す。 Requiem aeternam dona eis ―彼らに永遠の安らぎを与え給へ―(死者のためのミサ入祭文冒頭)
鎮魂歌、というのはレクイエムを翻訳した日本語です。requiem というのは、「安らぎを」という意味のラテン語です。 キリスト教ローマ・カトリックで、死者ミサ(葬式)の時の入祭文と呼ばれる祈祷の最初の言葉が、「Requiem aeternam dona eis」です。 ここから死者ミサそのもの、またはこの時の祈祷に曲をつけたものを、レクイエムと呼ぶようになりました。 このラテン語を日本語に訳すと、「彼らに永遠の安らぎを与え給え」 レクイエムという言葉を聞く時、私は、安らぎをつかさどる闇の守護聖を思い出さずにはいられません。 塩沢兼人さんを失った後では、なおさらです。私にとって「天空の鎮魂歌」は皇帝の物語ではなく、クラヴィスの物語でした。 |