騎士団の三人がいないクラインは、ディアーナにとって花のない庭のように寂しいものだった。
レオニスとシルフィス、ガゼルの三人は、国境付近で不穏な動きを見せている隣国アルテンシュタインの動きを把握するために派遣されていた。シルフィスとガゼルも今は見習を卒業し、立派な騎士として働いていた。すでにいくつか武勲も立てており、父国王や兄セイリオスの信頼も厚かった。それだけに重要な任務はこの三人に任されることが多く、今回の諜報活動も例外ではなかった。
だが、もうあれから二週間も経っている。もうそろそろ戻ってきてもよいころなのに、一向に便りはない。心配することしかできない自分に、ディアーナは苛立ちさえ覚えていた。
(ガゼルまで行かせることなかったのですわ。……騎士になって間もないのに、あんな危険な任務を……。シルフィスはレオニスと一緒に行くと申し出たみたいだから仕方ないですけど、どうしてガゼルまで……)
ガゼルは常に率先して任務を志願し、期待どおりの成果をあげてきた。騎士団の中でもその評価はうなぎのぼりであったが、常につきまとう危険への不安はディアーナの心に影を落としていた。
もちろん自分は彼の恋人でも何でもない、ただの友達に過ぎない。だが、あの明るい笑顔と希望にあふれた言動は、ディアーナにいつも元気をくれた。王宮に閉じ込められて狭かった自分の世界を限りなく広げてくれるのが彼だったのだ。もはやガゼルはディアーナにとってなくてはならない存在になっていた。
(ガゼル……どうか、無事に帰ってきて……)
ディアーナは日夜そればかりを祈っていた。
それからしばらく経った、ある日のことであった。
「ディアーナ!!」
中庭でぼうっとしていたディアーナに、メイが息せき切って駆け寄ってきた。
勢いあまってごほごほと咳き込む少女にディアーナは小さく笑った。
「どうしましたの?メイ。そんなにあわてて……。」
メイは大きな瞳をきっと見開いて言った。
「今、隊長さんたちが帰ってきたんだけど……ガ、ガゼルが、怪我して、て……はぁ、はぁ……そんで、キールが今必死で、ち、治癒魔法かけてる、んだけ、ど……。」
「!」
ディアーナは全身から血の気が引くのを感じた。
ガゼルが怪我をした……?
そう思ったときにはもう身体は走り出していた。
いつもいつも女神に祈っていたのに。
彼が無事で帰ることだけを願って……それだけを願って過ごしていたのに。
「ガゼル!」
騎士団に飛びこむと、シルフィスがあわててディアーナの身体を抱きとめた。
「姫、これ以上はいけません!」
ディアーナは驚いてシルフィスを睨みつけた。
「離して下さいな!どうして止めますの?ガゼルが……ガゼルが怪我をしているんですのよ!?」
いくら暴れても叫んでもシルフィスの腕はびくともしない。同じ女性でありながら、やはり鍛えた力はディアーナの動きを易々と封じるくらいのものにはなっていたのだ。
シルフィスは辛そうに瞳を伏せて言った。
「ガゼルの容態は思ったよりもよくないのです。今キールとアイシュ様が必死で看病してくださっています。隊長もガゼルのそばについておられます。私たちにできることは、ここで静かに彼の無事を祈るだけです。」
「でも……でも!わ、わたくしはもう祈るだけは嫌なのですわ……。いつも祈って待つことしかできないなんて……わたくし、わたくし……。」
そう言うと、ディアーナはその場に泣き崩れた。
シルフィスはそっとディアーナの肩を抱き寄せて、ためらいがちに言った。
「姫……ガゼルが貴方にだけは自分の容態を知らせるなとうわごとのように言っていたのです。それを聞いた隊長が私やメイにきつく口止めをされたのですが、貴方のお気持ちを知っている私もメイも、とてもそんなことはできないと思ってお知らせしたのです……ですが、やはりそうすべきではなかったのかもしれませんね。徒に御心労をあおるだけとなってしまって……申し訳ありません。」
「………ガゼルが、そう言いましたのね……。」
「……はい。」
ディアーナはふらつきながらも立ち上がり、くるりと向きを変えた。
「わたくし、行きますわ。……ガゼルがそう言ったのなら、わたくしは聞かなかったことにしておきます。そのかわり、必ず助けてとキールやアイシュに言っておいてくださいな。」
「姫……。」
そう言って走り去るディアーナの後姿を、シルフィスは黙って見つめていた。
(ガゼルはきっと、怪我をしたことをあまり王宮内に広めたくなかったのですわ。それなのに、わたくしったら取り乱して大騒ぎして……。自分のことしか考えていませんでしたのね)
ぽろぽろと零れ落ちる涙を拭いながら、ディアーナは神殿の扉を開けた。
眩しいほどの光が降り注ぐ女神の像の前に跪くと、ディアーナは目を閉じた。
「女神様……わたくしは信じております。きっとガゼルは無事に助かると……また再びあの笑顔でわたくしを勇気付けてくれると、信じております。……どうかこの想いに光を与えてくださいまし。」
その日、ガゼルのことについてディアーナのもとには何の知らせもなかった。
それから三日間、ディアーナは何事もないように過ごしていた。
騎士団には近づかなかった。だがアイシュを王宮で見かけないことから、まだガゼルの治療にあたっているのかもしれない。セイリオスはちょくちょく騎士団に足を向けているようだったが、ディアーナは何も気づかない振りを通した。
自分が取り乱した様子を見せれば、ガゼルへの想いをセイリオスに気づかれてしまう。自分の勝手な片想いでしかないのに、それはガゼルに迷惑をかけてしまうだろう。だがそれより何より、ガゼルの『知られたくない』という思いを踏みにじることになるのが嫌だった。
人知れず泣くことはあっても、絶対に表に出すことはしなかった。自分にこんなに強い部分があるとはディアーナ自身意外だった。
(ガゼルはきっと大丈夫ですわ……わたくし信じていますもの)
「ディアーナ。」
部屋のノックとともに、父の声がした。
ディアーナはあわててドアを開けた。
「お父様……どうなさいましたの?」
国王はにっこりと微笑んで言った。
「おまえに良い知らせを持ってきたぞ。」
(………)
父が部屋を出て行った後、ディアーナはしばらく放心状態だった。父の持ってきた知らせとは、ディアーナの婚約パーティーを開くという内容のものだった。
もちろん、受け入れられるはずもない。だが、断れば何故かと理由を聞かれる。ガゼルのことを言うわけにはいかなかった。
(王女としての宿命、というわけですの……?)
力なくベッドに座り込んでいると、再びドアをノックする音がした。
「ディアーナ、少しいいかい?」
(お兄様!?)
ドアを開けると、セイリオスが真剣な表情でそこに立っていた。
「お兄様……。」
セイリオスはゆっくりと入ってきて椅子に座ると、ため息をついてじっとディアーナの顔を見つめた。
「今、父上がいらっしゃったんだね?」
「……ええ。」
視線を逸らして頷くと、セイリオスの声が優しくなった。
「……おまえは、今想う人がいるのかい?」
「!」
思いがけない質問に言葉を失っていると、菫色の瞳が微笑んだ。
「隠さなくてもいい。おまえのことはだいたい把握しているつもりだからね。答えるつもりがないなら答えなくてもいい。……だが、身分違いの恋は身の破滅を招きかねないよ。おまえも知っているだろう?レオニスと母上のことを……。」
「………。」
遠い過去の罪として伏せられている、未来の后と騎士の恋。事実だけはディアーナも知っていた。状況は多少違うが、王族と一介の騎士という立場は自分の恋と同じだということもわかっていた。
セイリオスは気づいている。ディアーナはそう直感した。
「私はおまえには幸せになって欲しい。苦労はして欲しくないんだ。わかるね?」
「………。」
「おまえももう16だ。そろそろ未来を決めてもおかしくない。……それも、わかっているね?」
「……わたくし、自分の幸せは何なのかわかっていますわ。」
「……そうか。」
幾分ほっとしたようなその声に、ディアーナはすっと顔を上げて、まっすぐに兄の瞳を見た。
「わたくしは……誰と結婚させられても、好きな人は一人だけですわ。王女としての責任も義務もわかっておりますけど、心だけは縛れません。国のためにこの身を捧げても、心だけはわたくしのものですわ。」
「ディアーナ……。」
紫紺の瞳が少しも揺らがないことに、セイリオスは驚いていた。無邪気で甘えん坊の妹は、そこにはいなかった。真剣にあの若い騎士に恋をしていることがその眼差しに表れている。
(やれやれ……)
少し寂しい気持ちを感じながら、苦笑する。恋はここまで人を強くするものなのだろうか。
「おまえが誰を想っていても、おまえはクラインの王女だ。……そうだろう?」
「……わかっていますわ。パーティーに出席しないなんてことはしません。」
「……そうか。」
セイリオスはぽんとディアーナの頭に手を置くと、「なら何も言うことはないよ。」と言って部屋を出て行った。
ディアーナは唇をかみ締めて扉を閉めた。
「つまらないか?ディアーナ。」
「……そんなことありませんわ。」
ディアーナはぼうっと玉座からフロアを見下ろして上の空で返事をした。
国王はため息をついて黙り込む。
自分のために開かれた婚約パーティーだが、無論嬉しいはずがない。
ガゼルはどうやら大丈夫だということを、メイとシルフィスから聞いた。それだけでディアーナは心が軽くなった気がした。
本当はすぐにでも会いに行きたかったが、それでは自分がガゼルの怪我のことを知っているとばれてしまう。ここ数日間、ディアーナはじっと我慢していた。
だがガゼルはディアーナの前に現れることはなかった。容態が全快したわけではないからかもしれない。それはそれで心配だったが、ディアーナにはどうすることもできなかった。
しかも、自分は今こんなところで……何をしているのだろう。
不意に国王が口を開いた。
「ディアーナ、王女に生まれたことを憂いているか?」
「えっ……。」
驚いて顔を上げると、国王は少し寂しげな表情で続けた。
「私は誰よりもおまえを愛している。王女に生まれたことを憂いても、私の娘であることを悔いて欲しくない。……おまえには誰より幸せになって欲しいと思っているのだよ。」
「お父様……。」
何故突然そんなことを言われるのかわからず戸惑っていると、セイリオスが優しく言った。
「今宵父上がおまえに御目通りを許されているのは一人だけだ。……おまえの幸せのためにね。」
「お兄様?」
セイリオスはそばに控えていた侍従に耳打ちすると、しばらくして一人、前に進み出た者がいた。
白い騎士の上着……ディアーナは目を見開いた。
「ガゼル……。」
銀色の髪がさらりと零れ落ち、対照的な金色の瞳が伏せられる。その涼やかな身のこなしには、もはや普段のやんちゃな面影はなかった。
「ガゼル・ターナでございます。本日はクライン第二王女ディアーナ・アル・サークリッド様にお目通りをお許し頂き、光栄至極に存じます。」
ディアーナは涙で潤んだ瞳を国王に向けた。
「本当はおまえにはどこかの国の王子をと思っていた。だが、セイリオスがおまえの気持ちを訴えてな。レオニスの口添えもあり、考えてみたのだ。……私よりもおまえとうちとけているセイリオスやレオニス……私が厚い信頼を寄せている二人が推す者なら、間違いはない。おまえがそれで幸せになるのなら、私はそれでいい、とな……。」
「お父様……お父様……。」
涙が零れ落ちる白い頬にそっとキスをすると、その手を取り跪く少年騎士に託した。
「泣かせたらただではすまん。心得ておくがいい。」
「御意。」
銀色の少年は金の瞳を逸らすことなく、国王に向けた。
二人はそのままフロアの中央へ行き、音楽が奏でられるとともに一礼した。
軽やかに舞いながら、ガゼルはきまり悪そうに言った。
「随分心配させちまったみたいだな。ごめん、ディアーナ。」
「……知ってましたのね、わたくしが怪我のことを知らされたこと……。」
「メイとシルフィスが謝りに来た。約束破っちまったってさ。」
苦笑するガゼルを、ディアーナは少々恨めしく思ってぷいっと横を向いた。
「心配しましたのよ。すごく……すごく心配しましたわ。」
「悪かったよ。……カッコわりーじゃん、敵にやられて大怪我したなんてさ。おまえに胸を張って
告白するために今まで頑張ってきたのに、そんな情けない姿見せたくなかったんだ。」
すっと笑いを顔から消して、ガゼルは真摯な光を瞳に浮かべた。
「凶刃に倒れたとき、真っ先におまえの顔が浮かんだ。おまえに会うまでは死ねるか、ってそればっかり思ってた。……女神の加護より、俺にはおまえの微笑みが必要なんだ。だから、俺のためだけに笑ってくれよ、ディアーナ。俺の帰りを待っていて欲しい。そうしたら、俺絶対におまえを守って見せる。絶対におまえのもとに帰ってくる。約束するから。」
「ガゼル………。」
答えの代わりに、ディアーナはそっとガゼルの頬にキスをした。
「待っていますわ、ずっと。」
少女の微笑みは、女神の力よりも勝る。
その笑顔を守るため、少年は剣を取る。
―――二人でいれば、それだけで幸せは守られる―――
☆コメント ☆
……なんか単なる甘々になってしまいました(爆)。
カッコイイガゼルとカッコイイディアーナを目指したつもりだったのに、おかしい……(汗)。
ガゼルはやっぱりディアーナとのEDが一番好きです。大人びてかっちょいいー!
ちなみにおわかりかもしれませんが、このお話はディアーナとガゼルのEDの止め絵から妄想したものです。……妄想たくましいわ私(爆)。
それでは、今後もよろしくお願いします。
SIRFISさんが何か創作を下さるというので、思わずガゼルをリクエスト。
レオシルを頼むべきでしたか?>SIRFISさんのファンの皆さん
ガゼルを書いたのは初めてだそうですが、素敵なお話で嬉しいです。
ようやくこのサイトでもガゼルが幸せになれました。
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