これは、シルフィスがまだ未分化で、ガゼルと共に騎士見習いだったある夏の日の出来事。
ひと夏の、友人との大切な思い出のエピソード。
その日もクラインの夏はとても暑かった。
シルフィスは、午前中の鍛錬を終わりガゼルとともに街へ繰り出すところだった。
外に出たとたん暑い太陽に照りつけられ、むっとする熱気が二人に襲いかかってきた。
「あっちー。」
ガゼルは少しでも涼しくなるように、ランニングの胸元をつかみ、服の中に風を入れようとばたばたと仰いでいる。
「でも、それ以上は脱ぎようがないものね、ガゼルの場合。」
そんな友人の姿に微笑みながら、シルフィスは言った。
何しろ、ガゼルの服装は赤いランニングシャツ1枚に、いさぎよい半ズボン。見ているだけでも涼しげだ。それでも、やはり暑いものは暑いらしい。
「そういうお前は暑くないのかよ?わりと平気そうな顔してるな。」
シルフィスは薄緑の半袖、スパッツという姿だ。
夏になって涼しげなものに衣替えし、ずいぶんと涼しげな格好になった。
だが、それでもガゼルほどの薄着ではない。それでもガゼルと違い、シルフィスはそれほど顔色を変えてはいなかった。
「暑いことは暑いよ、当然。」
しかし、シルフィスはガゼルのようにばたばたと胸元を仰ぐ気にはなれない。その気持ちは、自分の性が未定であることから来ているのだろう、とシルフィスは思う。
「これからどうする? 今日は何食べようか?」
今日は午後の鍛錬はない。騎士見習いのふたりにとっては、珍しくのんびりと出来る午後だった。普段は急いで何かを買ってきて、騎士団で食べるのが常だったが、今日は食べに行こうという話になったのだ。
「んーーそうだな…。」
ガゼルが考え込んだその時、15の少年にしては小さなガゼルの腰よりもさらに下から、小さな少年の声がした。
「お兄ちゃんたち、騎士様、でしょう?」
ガゼルとシルフィスをじいっと見つめる瞳。期待にきらきらと輝くそれは、5、6才の少年のものだった。
「ええっと…正確には、オレ達はまだ騎士じゃないんだけどさー。」
ガゼルはそう言いながら少年の前にかがみ込んで、視線を少年とあわせた。
「騎士になにか用か?」
騎士じゃない、といった途端に曇った少年に、安心させるようにガゼルは微笑みながら言った。
「うん…騎士様に、お願いしたいことがあったんだけど…。」
半ば泣きそうな顔で、少年は言う。
「オレで手伝えることなら、手伝ってやるよ。オレは、半人前だけど…。それで、オレじゃ力になれないことなら、ちゃんと騎士の誰かに伝えてやるから。言ってみろって!」
励ますように、ガゼルが言うのをシルフィスは見ていた。
ガゼルは騎士団の中で一番体格が小さく、年も下、ということで、いつもはまわりの騎士達に可愛がられる方だ。それを見慣れているシルフィスにとって、少年とのやりとりは新鮮に映った。
(なんだか…ガゼルが「お兄ちゃん」に見える…。)
なかなか微笑ましい光景だ。
(それに…なんか、頼りになりそう。意外、って言ったら怒られるかな。)
そんなことを思いつつやりとりを眺めている間にも、ガゼルと少年の話は進む。
「あのね…ミルがいなくなっちゃったんだ。」
「ミル? いなくなったって、いつからだ?」
「昨日の…朝…。ぐすん…」
「おい、泣くなよ、男だろ!」
どうやら「ミル」失踪事件、らしい。
思ったより大変な事件の予感に、不安になったシルフィスとガゼルは顔を見合わせた。
「どうする?」
「こういう場合、まずは状況を把握して。その上で上官に報告、だよね?」
「だな。」
意見が一致したところで、ふたりはまず少年に詳しい話を聞くことにした。
「まず、君の名前から教えてくれる?」
シルフィスも少年の前にかがみ込んで、聞く。
「カイル。」
「なんだ、オレに似た名前だな。」
「ほんと、響きが似てますね。兄弟みたいです。」
「…お兄ちゃんの名前、ボクと似てるの?」
少し泣きやんで、カイルはガゼルをじいっと見上げた。
「おお、オレの名前はガゼル。な、似てるだろ?」
「うん。ガゼルお兄ちゃん、だね?」
にこっと、カイルが笑う。
「なんだー。お前、笑うといい顔するじゃん!」
ガゼルはくしゃっとカイルの髪をなぜた。
(ガゼルってば、泣く子をあやすの上手いな。隠された一面を発見したかも。)
シルフィスは、いつも年上の人といるときには見られないガゼルの新たな一面を次々と発見出来る楽しさに、密かに心を躍らせながら、カイルと向き直った。
ガゼルは、カイルと話し合ってカイルの問題を聞きだしていた。
なんでも、カイル少年は商店街を少し裏道に入った路地に面した家の少年だそうだ。
「あのね、それでね、ミルがいないの。」
ミルは昨日の朝からずっと帰ってこない、と泣くカイル。
失踪事件か?!と驚いてガゼルとシルフィスは顔を見合わせた。
だが、詳しく聞こうにもカイルはぐすぐすと泣いている。「もーー、そんな泣くなって!!」とガゼルが励ましつつ、さらに詳しく聞いて見れば…
「はあ? ミルって…ネコ、なのか!?」
そう。失踪したミルとは、ネコ、なのだった。
ガゼルの声に、カイルは大きな目にさらにじわっと涙を浮かべて、しゃくり上げながら言う。
「…やっぱり…ダメなんだね? 自警団のお兄さん達に言ったけど、ダメだったの。騎士様なら探してくれるかな、と思ったんだけど、家の人に、騎士様は忙しいからミルは探してもらえないって、言われたんだ。あきらめなさいって…。でも、ボク、ミル大好きなんだもん!
あきらめられないんだもん!」
ひっく、ひっく、と目の前で子どもに泣かれるのは、落ち着かないものだ。
「ねえ、泣かないで。」
シルフィスは優しく声をかけた。
(どうしたらいいんだろう…。)
内心、心底困り果てながら。
「あーー。わかった! わかったから、泣くなーー。」
ガゼルが大きな声で、言う。
そして。
「オレが、探してやる!」
威勢良く、ガゼルは言い切ってしまうのだ。
(ガゼルってば…。確か、「今日は久々に遊ぶぞー!」って言ってたくせに…。)
それでも、友達が優しい心を持っていることに、シルフィスは嬉しくなる。
「私も、手伝うよ。」
そう言ったシルフィスの言葉に、カイル少年の顔が輝き、ガゼルの顔も輝いたのだった。
「おばちゃん、ネコ見なかった? 三毛ネコなんだけどさ。」
そんな風に、ミル探しはガゼルのホームグラウンドである商店街から始まった。
顔の広いガゼルは、知り合いすべてに声をかけていく。
「見かけたら知らせてくれよな!」
そう言い置いて、次の場所へ。その繰り返し。
カイル少年もガゼルとシルフィスと一緒に、ミルの名を呼びながらついて歩く。
だが、そこはまだ小さな子のこと、次第に足が重くなる。
「…カイル、疲れたでしょう?」
シルフィスの気遣いに、小さいながらも自分が面倒をかけていることを気にしてか、カイルは首を横に振る。
「大丈夫だよ、シルフィスお姉ちゃん。」
カイルはシルフィスのことを「お姉ちゃん」と認識したらしい。
はっきり「違う」と言い切れぬまま、シルフィスはそう呼ばせていた。
「よし。カイル。オレの背中に乗っていいぞ。」
「え? でも、ガゼルお兄ちゃん大変だよ。」
「なに言ってるんだ、背中にのっかれば、少しは高くなるだろ?
そうしたら、ミルのこと見つけやすくなるかもしれないじゃん。な?」
ガゼルは笑って言う。
その笑顔につられて、カイルも笑って、頷く。
「わかった! じゃ、お兄ちゃん、お願い!」
「おっしゃ、まかせろって。」
カイルに気を遣わせないように。
そして、カイルに気遣っていることを悟らせないように。
(ガゼルってば…こういうとこ、さすが大家族で育っただけあるよね…。すごいや。)
そっと感心して、シルフィスは微笑んだ。
やがて、ガゼル行きつけの喫茶店で、ミルは見つかった。
どうやら、ガゼルの呼びかけによって、ミルを見つけてくれた誰かが、マスターに預けていったらしい。
「よかったな、カイル!」
「ほんと、見つかってよかった。」
カイルは、ミルを抱いて笑っている。
「ありがとう、ガゼルお兄ちゃん、シルフィスお姉ちゃん!」
カイルの満面の笑顔に、ガゼルとシルフィスも嬉しくなる。
「ほれ、お前さん達、お腹がすいたんじゃないかい?」
マスターが、大皿にサンドイッチやフルーツをたっぷりと乗せて持ってきた。
「うわ、サンキュー、マスター!」
「よく考えたら、お昼ご飯食べてませんでしたね。お腹もすくはずです。」
「だよなー。ほら、カイルも食べろよ。」
「うん!!」
ガゼルとカイルは、先を争うように食べ始めた。
そうして並んでいるところは、本当に兄弟のようで、微笑ましい。
「おいしいね、ガゼルお兄ちゃん!」
「おう! うまいなー。シルフィス、お前も食べないとなくなるぞ?」
「あ、うん。食べるよ。」
(ふふ、やっぱり…ガゼルはいい騎士になれるよ…。)
シルフィスも、サンドイッチに手を伸ばした。
「今日は本当にありがとう、ガゼルお兄ちゃん。シルフィスお姉ちゃん。」
ガゼルとシルフィスは、カイル少年を家まで送っていった。
そうして、別れ際。
「またな、カイル。」
そういったガゼルの服のすそをぎゅっとつかんで、カイルはガゼルを見上げて言った。「…本当に、また会える?」
不安そうな、瞳。
そのカイルを見て、ガゼルはいつもより優しく微笑んだ。いつもの顔いっぱいで笑う全開の笑顔ではない笑顔。瞳がとても優しくて、口元が少しゆるんだだけのそれは、とても優しかった。
その笑顔のまま、ぽん、とカイル少年の頭に手を乗せた。
そして、いつもの全開の笑顔をすると、カイルの前にしゃがみ込んで、視線を同じ高さにして。
「あったりまえだ! 今日からカイルはオレの弟になったんだろ?
兄貴が弟に会いに来なくてどうするんだって! また、来る。お前も会いに来いよな?」
カイルの瞳の不安の色が、一気に消える。
そして、ガゼルが誉めた、カイルの笑顔が、また見られた。
「うん、ガゼルお兄ちゃん!! また遊んでね!!」
そして、シルフィスとガゼルとカイルとは、その日の所は別れた。
(ガゼルの言葉には、いつも、力がこもっている気がする。)
シルフィスは、横を歩くガゼルを見ながら、そっと思った。
(強くなれる力。元気になれる力。引きずられるような、パワーのある言葉なんだよね…。)
それに勇気づけられることがある。
(大切な、友達…。きっと、いつまでも。)
「あっ。やばー。シルフィス、門限!!」
ガゼルの声に、シルフィスも慌てる。
「ほんとだ! 急ごう!!」
「おう!」
そうしてシルフィスとガゼルは走り出した。
空はすでに夕方の朱に染まり始めていた。
ついに片加 凪さんの登場です。待ってました!
しかも生き生きとした騎士見習いの二人を書いていただいて、感謝感激であります。
一夏のメモリー、というと甘酸っぱい響きがありますね。
このまま友達同士でいてほしいような、もっと親密度があがってほしいような、複雑な心境です。
ありがとうございました。
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