華の名前(2)   麻生司様
 
 
「水晶華?なんだそりゃ」 
「精製したら、研究院で使う薬品の素になる植物なんだよ。 
 寒冷地にしか咲かない花だからクラインには自生してないんだ。親父の持ってる流通ルートで何とかならないかな」 

 ガゼルはキールのラボに残りの荷物を届け終わると、一旦騎士団に戻り上司であるリデールに全てを話した。 
 警邏中に賊を見付け、現行犯で取り押さえた事。 
 だがその捕り物の最中、取り戻した荷の一部を破損してしまった事。 
 一応、弁償はしなくてかまわないとは言ってもらったが、気が済まないので出来るだけの事をしたい、という事を。 
 
 リデールは黙ってガゼルの話を聞いていた。 
 最後に通常の任務に差し障りのない程度にしろよとだけ言い、ガゼルがしばらく任務以外で私的に動く事を了承した。 
 実はキールの名で事の詳細を綴った書簡が既にリデールの元に届いており、弁償云々の事もそこに記されていた。 
 ガゼルは高額な商品を破損したという事で気にしているが、他の物は無事だったのだから咎めがないように、と。 
 今は丁度、公の演習や任務も入っていないので、リデールはガゼルの気が済むように取り計らったのだった。 
 
 ガゼルは隊長の許可が出ると、急いで他の引継ぎ事項などを済ませ、大急ぎで実家に走った。 
 父親は店の方に出ていたのだが、息子が血相を変えて飛び込んで来たのでとにかく話を聞いた。 
「だけどなぁ、そんな花、名前も聞いた事ないぞ」 
 アテにしていた父親の無情な言葉に、ガゼルは泣きそうな顔になる。 
「そんなぁ〜〜、頼むよ親父!騎士団の連中もよく世話になってる人の荷を壊しちまったんだ。 
 なかなか手に入らないもんだし、他の荷は無事だったから気にするなって言ってくれたんだけど、それじゃ俺の気が済まない!」 
「判った、判ったから、まあ落着け」 
 息せき切ってまくし立てる息子の肩をぽんぽんと叩き、ガゼルの父はコップの水を差し出した。 
 その水を一気に飲み干すと、はあーーーっと大きな溜息をこぼす。 
「とりあえず、その水晶華を元々仕入れた店には聞いてみたのか?」 
「勿論」 
 
 ガゼルはすぐに店の主人に確認してみた。 
 たった今、キールが買い求めた品を破損してしまったので、同じ物があったら買い取って弁償したいと。 
 店の主人は経緯を聞いて同情してくれたが、首を横に振った。 
 残念ながら水晶華は希少価値が高く、花も乾燥加工した物も非常に品薄なのだと。 
 今回キールが買った物も、随分前から発注をかけていたものがようやく入荷した分だったのだ。 
 だからガゼルは無理を承知で、実家に泣き付いたのである。 
 
「しかし名前を聞いた事もないんじゃ、ウチの流通経路には乗ってないよ。一度でも扱った事があるもんなら絶対覚えてるからな。 
 ウチは布や雑貨が主な商品だから難しいかもしれんが、商売仲間に聞いてみてやろう。もしかしたら、入手可能かもしれんしな」 
「悪い。でも頼むよ」 
 そう言って、ガゼルは実家を後にした。 
 
 それから数日、実家からの連絡はない。 
 ガゼルはそわそわしながらも、自分の力の及ばない事なので、おとなしく連絡を待っているしかなかった。 
 更に数日後、日課にしている城下の警邏に出た時に、ばったりメイに出会った。 
「あ、ガゼルじゃない!街の見回り?ご苦労様〜」 
 にこにこと上機嫌のメイの笑顔が胃に痛い。 
「メイは買い物?」 
「うん。これから夕御飯の材料の買出しさ♪本当は夕方を過ぎてからの方がお買い得なんだけどねぇ」 
 そう言ってメイはからっと笑ったが、ガゼルの目が微妙に宙を泳いでるのに気付いた。 
「何かあった?元気ないね」 
 
 ……キールはガゼルが貴重な品を使い物にならなくした事を、メイに話していなかったのだ。 
 メイは聡い。何でもない振りをしていても、絶対に誤魔化せない。 
 だからガゼルは、先日の経緯を彼女に話した。 
 多分、誰かの口の端に上れば自分が気にするだろうから、メイにも話していなかったのだろうと。 
「はは〜〜ん、あの水晶華をねぇ……」 
 メイも魔道士だから、勿論その価値を正しく知っていた。 
「そりゃ災難だったねぇ。ごめんね、折角ウチの旦那助けてくれたのに、かえって嫌な思いさせちゃってさ」 
「いや、キールは他の品が無事だったんだから気にするなって、言ってくれたんだ。 
 でもそれじゃ俺の気が済まない。だから何とか弁償したいと思って、親父の仲間にいろいろ聞いてもらってる」 
「ありがと、早く見付かるといいね。ガゼルの為にもさ」 
「うん。正直、俺も胃に悪くってさ。どうしても手に入らないって判ったら、改めて頭下げに行くよ」 
「キールも気にするなって言ったんでしょ?もっと気楽に行きなさいって。 
 ……ところでさ、家のは枯れちゃったんだ?少しでも残ってたら、こんな苦労しなくて済んだのにね」 
 唐突なその言葉に、ガゼルは一瞬頭の中が真っ白になった。 
「……は?……」 
「だから、水晶華よ。ガゼルのお母さん、育ててたでしょ? 
 しばらく前に北方の国から来た流しの商人さんから買ったんだけど、 
 寒い所でしか育てられないから冷温オーブを作って欲しいって依頼、あたし受けたんだけど……」 
 メイの言葉を最後まで聞かず、ガゼルは彼女を残してそこから駆け去った――― 
 
 
 
 ガゼルは記録的な速さで城下を駆け抜けた 
 実家の店をダッシュで通過し、何事かと目を瞠る父親や店の客を全て無視し、そのまま台所にいた母親に詰め寄る。 
「母さん!!母さん!!!水晶華、育ててんの!!?まだ枯れずに残ってる!!???」 
 ガゼルの母はびっくりしていたが、手にしていた包丁を置くと、困ったような顔をした。 
「水晶華?この間、あんたがどうしても見付けて欲しいって、父さんに頼んでた花でしょ?知らないわよ、母さん」 
「でもメイに冷温オーブ作って貰ったんだろ!? 
 流しの商人から買ったけど、寒い所でしか育てられないからって。それが水晶華だってメイが!!」 
 ぽん、と母が手を叩く。 
「ああ、メイちゃんに冷温オーブ作って貰ったクリスタル・ティアの事ね!……あの花が水晶華だったの?」 
 母の一言に、ガゼルはがっくりと膝の力が抜けてしまった。 
「何だよ、そのクリスタル・ティアって……」 
 
 母の話を要約すると。 
 まだクラインにも雪が降るような季節の頃、北方の国から流れて来た商人が何株かその花の苗を持っていたのだという。 
 その商人は達者に絵を描いて見せ、育てればこのような花が咲くのだと説明した。 
 花の形が、透き通った涙の雫のように見えたので、彼女は勝手に『クリスタル・ティア(水晶の涙)』と呼んでいたのだ。 
 寒い所でしか育てられないその花を、ちゃんと世話出来るかのかと確認された時に、ふと思い付いたのは冷温オーブだった。
 儚い風情のその花がとても気に入ったガゼルの母は、大丈夫だと太鼓判を押し、その株を全て買い取った。 
 しばらく普通に表で育て、気温が上がってくる春先を前にして、花の苗を囲うように小さな幕屋のようなものを作った。 
 そして城下の街に開業したばかりのセリアン・ラボを訪れ、メイにオーブの作成を依頼したのである。 
 
 メイはガゼルの母が持ってきた一株の苗と、商人が描いた花の絵を見て、すぐにそれが水晶華の苗だと判った。 
 特に何を確認し直すでもなく、水晶華を育てるのに適温の冷温オーブを数日で作り上げると、それを渡して依頼完了となった。 
 そう言えばガゼルの母は、メイの前でその花を『クリスタル・ティア』とは呼ばなかったし、メイもガゼルの前で『水晶華』とは呼ばなかった。 
 だから母はガゼルの探す水晶華が、自分の家の庭で育てている花だとは気付かなかったのだ。 
 せめてキールがメイに水晶華の事を話していれば、少しは状況がましだったのかもしれないが…それは言っても詮無い事である。 
 
 
 
「水晶華が見付かったって?」 
 翌日、ガゼルは母から株分けしてもらった水晶華を手に、セリアン・ラボの扉を叩いた。 
 全然期待していなかったキールは、水晶華を手に訪れたガゼルを見て、素直に驚いた顔をした。 
 メイがキールの後ろからにっこり笑みを浮かべると、客人に茶を入れる為にキッチンに引っ込む。 
 ガゼルはキールの前に、綺麗に花を咲き揃えた水晶華の鉢を置いた。 
 
「それで、何処で手に入れたんだ?粉末に加工してあるのを手に入れるのも大変なのに、加工前の花なんて」 
「実は……」 
 実家の母が、偶然に北方の商人から苗を買い取り、冷温オーブを利用して栽培していた事を話して聞かせた。 
「初めは商売をしている親父に頼んで、何とか入手出来ないか調べてもらっていたんです。 
 まさか実家にあるとは思いもしなかったので、余計な時間をかけてしまいました。 
 これだけの花でどれだけの量が精製出来るか判らないけど、どうか納めてください」 
 ふむ、とキールは鉢を手に首をかしげた。 
「あの……もしかして、全然足りませんか?」 
 キールの様子に、ガゼルの声が少々裏返る。 
 だがキールは、あっさり『いいや』と口にした。 
「これだけあれば十分だ……ガゼル?」 
「はい?」 
「お前の実家は、商売をしてるのか」 
「ええ、まあ。布や雑貨を商ってますよ。だから花や植物は範疇外で、探すのに時間がかかったんです」 
「でもこの花の苗を流しの商人から全て買い取り、 
 冷温オーブを利用してクラインで育てる事を考えついたのは…お前の母親なんだよな?」 
「はあ、そうですけど」 
 キールの口元に笑みが浮かぶ。 
「この花で商売をしてみないかと、お前さんの両親に取り次いでくれないか」 
 
 
 
 ガゼルはその日の内に、キールと両親を引き合わせた。 
 キールはガゼルの両親に水晶華の価値の高さを話し、 
 そしてその苗を年間を通じてクラインで栽培するきっかけを作った母親を賞賛した。 
 
 キールが持ちかけたのは、このままガゼルの実家が水晶華の苗を占有して栽培を続ける事。 
 生育した花を定期的にキールが買い上げ、その花を精製してキールが必用な魔道士仲間に供給する。 
 これで入手そのものが難しかった水晶華の流通ルートが、クライン国内では末永く確立される事となった。 
「何がきっかけで事態が好転するか判んないもんよねぇ」 
 とは、メイの言葉。 
 ガゼルは何とか自分の責任を果たし終えて、約10日ぶりの安眠を貪った。 
 夢の中で大量の水晶華に囲まれてちょっぴりうなされたと言うのは……後日ガゼルの明かした笑い話である。 
 
 


    ガゼルとキールのお話、とリクエストして書いていただいたものです。 
    この二人、ゲーム中ではほとんど接点がなさそうですが、キールの通常会話で
    「ガゼルが部屋に来てちらかして困る」ということを言ってるんですよね。
    どうも二人は仲良し(ガゼルから一方的に?)らしい!
    というネタを振ったら、キルメイベースで書いて下さったのがこちら。
    すばらしく満足した私です。
    ガゼルの両親の設定は麻生さんのオリジナル。  
    麻生司さん、ありがとうございました。  
 
 
 
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