私の音楽の天使さま    沙月様



「音楽の天使さまって、素敵ですわ」
 夢見るように視線を宙に泳がせて、王女は言った。
 彼女の予想された反応に、私は苦笑する。
 何か物語を聴かせるたびに、王女はうっとりとその世界に浸って、なかなか現実に戻って来ない。
 今回の話は、劇場の地下深く暮らす怪人と歌姫の悲恋。怪人が正体を隠し、歌姫に音楽を教える場面がいたく気に入ったらしい。
 さて、彼女をこのまま夢の中に放っておくのは、私としては少々癪に思うので、現実に呼び戻してみる。
「しかし、気味悪くはありませんか? 仮面で顔を隠した謎の人物。そんな人物を目の前にして怖くありませんか?」
 ゆっくりと視線を私に合わせ、王女はにっこりと笑う。
「あら、音楽の天使さまが、害をなすとは思えませんわ」
 きっぱりと王女は答えた。
「そうですか? 怪人は歌姫を地下に攫って閉じこめようとするのですよ」
「あら、それだけ歌姫を愛していたってことでしょう? 歌姫も怪人を想っていなければ、ただのストーカーですけど。そこまで愛する方に深く愛されるというのは憧れますわ」
 ……歌姫が幼なじみと婚約したということは頭にないらしい。
 どうして女性というのは、謎めいたものに憧れるのだろうか。
 無邪気に憧れを語る王女。
 そんな純粋な心をいつまでも失わない彼女に、私は惹かれている。
 怪人が歌姫に惹かれたように。
「きっと、次は『私の前にも音楽の天使さまが現れてくださらないかしら』と言うんでしょうね」
 まだ見ぬ音楽の天使への嫉妬に、私の声は冷たく響いた。
 王女はきょとんと私を見つめ、フフッと笑う。
「音楽の天使さまなら、もう来てくださっていますわ」
 にこにこと笑いながら、王女は言った。
「え?」
「あなた以外に、私の音楽の天使さまはいらっしゃいませんわ」
 私は瞬きし、少し首を傾げて訊ねる。
「私で……よろしいのですか」
「もちろん。他に誰がいますの?」
 鏡を見なくても、私の顔にゆっくりと笑みが広がるのを、自分でも感じた。
「では、あなたの音楽の天使は、今宵月明かりの下で恋歌を歌いましょう。あなたの部屋の窓の下で」
「まあ……楽しみですわ」
 おっとりと微笑む王女。
 ゆっくりと、私の心を暖かくする微笑み。
 私はこの微笑みが見たいがために、歌っているのだろう。
 私の天使の微笑みを見るために。
 
 


    沙月さんのサイトの6周年記念企画でリクエストして、書いていただいた作品です。
    今回は「オペラ座の怪人」でリクエスト。ちょうど映画もヒットしましたし。
    イーリス、口説いてる、口説いてる!(私がときめいてどうする)
    ディアの純粋さが美しいです。
    沙月さん、ありがとうございました。
 

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