Pain  みゅう様
 
 
「はぁ〜・・・」 
 大きく息を吐く。そうすれば、心の蟠りが少し、軽くなる気がして。 
「そんな訳、ないかぁ・・・」 
 騎士団の裏手にある小高い丘。 
 夏に向けて一層青さを増した草の上に寝転がるシルフィス。 
 心地よい陽気と適度な風が絶えず頬を撫でゆく。 
 
 
 シルフィスは日頃の活躍と、ダリスとクラインの為に奔走した事も含め見事騎士団の仲間入りを果たしていた。 
 それなのに浮かない胸の内で揺れるものは何だろう? 
 長い両足を投げ出して手枕で空を仰ぐ。 
 騎士団の真っ白な正装に身を包み、流れるような金髪と共にそれは緑の背景にとてもよく映える。 
 少女が夢物語に憧れる、白馬に乗った王子様。 
 まさしくそれはシルフィスのような若者の事だろう。 
 
 
 薄いまどろみに目を閉じて、あれこれ思っていると今日の事も少し後悔し始める。 
 王立騎士団の正式な騎士になった事を祝う祝賀会を、シルフィスは一人抜け出した。 
 しかし自室に帰る気などなく、こうして裏手の丘で風に吹かれて体を預けていたのだった。 
「はぁ〜・・・」 
 何故、溜息ばかりが出てくるんだろう? 
 私は騎士になりたかった。 
 最も望んでいた。 
 そう、あの瞬間も・・・。 
 
 
 夏へと向う草いきれの中で、自身の髪を一房掴み、高く上げると指をそっと離してみた。 
 ふわり、一瞬風にさらわれ透明に輝いたそれは、不規則な動きで顔の上に落ちてくる。 
 ・・・涙が、出そう・・・。 
 
 
 目を閉じてみる。瞼にぎゅっと力を込めて。 
 何も見えない。 
 風と、草いきれの匂い。 
 それに・・・影。 
 ・・・・影ッ!? 
 
 
 ぱっと開けたシルフィスの目に飛び込んで来たもの。 
 それは真上からじっと自分を覗き込む優しい青い眼差しと、正装の白と対になった美しい黒髪。 
「・・・・・・!」 
 一瞬息が止まるかと思った。 
 何か言おうとしたが何も言えない。 
 やがて、ふっと口を開いたのは隊長が先だった。 
 
 
「探したぞ」 
「た、たたたた・・・・っ!!」 
 あたふたと身を起こすシルフィスの慌てた様子を目を細めて見ているレオニス。 
  シルフィスの白い騎士服に付いた短い青草をぽんぽんと払ってやる。 
 祝賀会はもう終ってしまったのだろうか。 
  
  
「た、たた隊長っ!」 
 大きな瞳がさらに見開かれ、まん丸な翡翠の珠がレオニスを見つめる。 
「邪魔・・・したか?」 
 言いながら隣に腰を下ろすレオニスから、目が離せない。 
 離そうと思っても離れない。 
「いいえっ!!」 
 大きな声ではっきりと言ってしまってから、急に恥ずかしさがこみ上げてくる。 
 いつまで経ってもどきどきしてしまう。 
 そんなの可笑しいじゃないか・・・。 
 
 
「あの・・・今日は抜け出してすみません、私・・・」 
「私も、ああいうのは苦手でな」 
「隊長! まさかっ! まだ終ってないんですかっ!」 
 大きな口をぽかん開けているシルフィスに向ってふわり微笑むレオニス。 
 振り返る時、彼の前髪を風がさらって少し覗く綺麗な額。 
 うわ・・・・ぁ・・・。 
 シルフィス自身、鼓動の高鳴りが凄い勢いで全身を駆け巡る。 
 それと同時に真っ赤に熱した自分の頬を想像して余計体に熱さが増してくるのだった。 
「祝賀会はかまわんだろう・・・」 
 いつもと変わりない落着いた眼差し。 
 何もかも、包んでしまうそうに深い。 
「隊長・・・」 
「ガゼルも探してたぞ」 
「あ・・・すみません」 
「まぁ、お前は今やヒーローだからな。皆に追われて逃げ出したくなる気持もわかる」 
 その言葉に、急に胸の奥がキリキリと痛み出す。 
 何故ッ・・・・・! 
「どうした。・・・疲れた・・・か?」 
「いえ・・・そんな、こと・・・は」 
 俯くシルフィスの頭を、くしゃりと撫でる大きな掌。 
 あったかいその掌に、私は何度励まされた事だろう。 
 そう、あの時も・・・・。 
 
 
 
 レオニス隊長と組んで追っていたテロリスト。 
 相手は一人。 
 ある路地まで追い詰めた時、そこに敵の姿はなかった。 
 はっとなった瞬間、真上から降ってきたテロリストに私は羽交い絞めにされた。 
 顔に剣を突きつけられて、人質になってしまったのである。 
「女にしてよくぞここまで。しかしこの顔、傷がついたらさぞ見ものだな・・・レオニス=クレベール?」 
 その言葉で隊長は剣を石畳の上に投げ、相手の言うとおり後ろを向いた。 
 私は壁に叩きつけられ、隊長は背中に酷い傷を負って倒れた。 
 そのまま逃走しようとした相手に、隊長が咄嗟に投げた剣が足を絡め取り、駆けつけた自警団に取り押さえられたのだったが・・・。 
 倒れた隊長に駆け寄ると、背中からおびただしい血が石畳へと流れ出していた。 
 背中の傷に胸を付けるように抱くと傷口が少しでも塞がるような気がして、私の服も見る間に真っ赤に染まる。 
 私は隊長にすがって必死に謝った。 
「シルフィス・・・・」 
 そっと伸びた掌が私の頭を撫でる。 
 震えながら何度も撫でる。 
 それは自分の涙で何もかも霞んで見えなくなるまでゆっくりと続いた。 
 
 
 
 ・・・男に、なりたかった。 
 あの時も、すでに自分が男だったらそんな言葉は相手に吐かせなかった筈。 
 隊長に、嫌な思いもさせずにすんだのに。 
 何よりも自分が情けなかった。 
 望んだ筈じゃないか、心から・・・・・・。 
 一生隊長の傍にいた居たい。 
 それならば男を望もうと。 
 女という性、それが邪魔になる日が、きっとくるから。 
 
 
 
「・・・・ス。・・・シル・・・フィス?」 
 目の前の幻が、低い声に掻き消される。 
 私は顔を上げた。 
「すみません、何でもないんです・・・」 
 まただ。 
 また、私はこの人に・・・甘えてしまう。 
 
 
 ふっとついた隊長の溜息が優しくて、安心できて私は泣きそうになる。 
 でも・・・涙は落としませんよ・・・。 
 
 
 いくつもの危険と経験を乗り越えた厚い掌が、私の頭を包んで引寄せる。 
 私の額は隊長の胸にそっと付けられた。 
「私の手から離れようとするのは・・・淋しいものだな」 
 私は隊長の騎士服のボタンをじっと見つめた。 
 それこそ、霞んで見えなくなるまで。 
 溢れそうな雫を落とさぬように、潤んでゆく瞳に力を込めて、私はそれを黙って見つめた。 
 
 
「すまん、不適切な表現だな。それも・・・お前が一人前になった証だが」 
 こうして私の肩に頭など、いつまで気安く預けてくれるだろうか。 
 レオニスは自分の全てを注いで育った秘蔵っ子2人の旅立ちを、嬉しい事この上ないくせに淋しい等といった事を撤回した。 
 腕の中でじっと黙っているシルフィスの頭の上にぽんと掌を置いて。 
「やっと、ここまで来たんだ。おめでとうと、言わせてくれないか?」 
 あらためて顔を覗き込む。 
「嬉しくないのか?」 
―― おめでとう。 
 そう言われたいものだと、どんなに望んだか。 
 この白い騎士の正装を手に入れ・・・・。 
 そして貴方の前で、微笑みたくて。 
 
 
 私は顔を上げた。 
 今、可笑しな顔かもしれないね。 
 けれど・・・それはきっと許されるだろう。 
 やっと迎えたこの日に、瞳を潤ませているのは不自然じゃないから。 
 涙は・・・落としませんけどね。 
 
 
「嬉しい、です!」 
 大きな口を開けて宣言すれば、胸に有る小さな痛みなど笑い飛ばせるかもしれない。 
 痛み。 
 お願いだから・・・そのままそこに、いてよ。 
 じっと・・・動かずに。 
 
 
 
「いろんな事を思い出す。しかし次から次に出てくるのは楽しい思い出ばかりで、みんな笑っている。不思議なもんだな。あれほどいろんな事があっても今、思い出すのはいつも私の周りを笑って駆けていたお前達なのだ」 
 出会わなければきっと、そのまま失くしてしまったであろう数々のものがある。 
 あまり人と深く関わるのが嫌で、真実を見ない振りをしてきた自分がいる。 
 どちらの性も手に入れられなくて、ある時は悲しみ、ある時は焦り、ある時は歯がゆさに唇をかみ締めて、お前は自らの力へと変えていった。 
 自分なりに必死に生きているお前は、私の中に風を吹き込む。 
 何者にも汚される事のない神聖な風を呼び込む。 
 それはお前の性とは関係のないもの。 
 人はそんな些細な事に拘るべきではない。 
 大事なものが通り過ぎてしまう前に、手を伸ばす事を躊躇ってしまう。 
 後悔は消えないだろう。 
 言葉の上で理解していただけの自分を、お前は私に実証させた。 
 
 
 
 レオニスはすっと腰を上げシルフィスを振りかえった。 
「よく頑張ったな」 
 上体を屈めると額にキスを落とした。 
 シルフィスは目を閉じる事も忘れてその仕草に見入っていた。 
 嘘っ・・・私、私は・・・。 
 性を分け始めている事は誰も知らない。 
 しかしシルフィスが男の性を強く望んでいる言う事を誰もが信じて疑わなかった。 
 女性扱いされる事をあまり好まなかったし、服も男性のものを着るようになっていた。 
「どちらになっても、こう出来ると・・・いいのだがな」 
 今まで見せたことない華やいだ笑みがレオニスを包む。 
 渡る風に帽子のつばを片手で持ち、そのまま背中を向けた。 
 
 
 真っ白な正装が青草の上を行き、小さくなって行く。 
 彼は、振り向かない。 
 
 
 あぁそうか・・・・。 
 今日は別れの日なんだ・・・。 
 シルフィスは視界から遠ざかるその広い背中が自分に告げるさようならを胸に抱き締めるように両手を抱えた。 
 中途半端だった自分に。 
 甘えていた見習時代に。 
 心の中に潜む、微かな期待にも。 
 
 
 まだ、私は半人前らしい。 
 捨てきれない思いが、あるらしい。 
 それは、いつか無くなるのかな。 
 この白い腕もまだ細い腰も変わる頃、その痛みも形を変えるのかな。 
 
 
 
 レオニスはシルフィスが見えなくなる位置まで来ると、足を止めた。 
 被っていた帽子を手にとり振りかえる。 
 何も無い。 
 そこにはだだっ広い野が広がり、風に吹かれているだけだ。 
 新しい夏へと向う匂いを、風に運ばせているだけだ。 
 上体を前に戻すと、大きく深呼吸して再び歩き始める。 
 別れは、スタートに過ぎない。 
 お前は今、走り出したんだ。 
 迷いが消えたら、また私の元へ笑って駆けて来い。 
 
 
 まだ若い青草の上をレオニスは晴れやかな気持で歩く。 
 シルフィスが同じ晴れやかな気持になって、新しい風を運んでくる事を思いながら、レオニスは野を下りた。 
 その頃、私の迷いも消えているだろう。 
 
    清々しい。この一語に尽きます。
    みゅうさんがご自分のファンタページを閉めるにあたって書かれた作品です。
    サイト改装の時にいただいてきました。ありがとうございました。 
    だから私も知っています。別れはスタートに過ぎない。またいつかファンタに戻って来てくれる。
    その日をお待ちしていますよ、みゅうさん。
 
 
レオニスの部屋に戻る  創作の部屋に戻る