神官エルディーアの憂愁
あるいは幽囚の恋人たち
 

 
 わたしはエルディーア。ここではそう呼ばれている。
 名前は他にもたくさんある。名前なんて、そんなものは、他人がどう呼ぶか、というだけのこと。
 ここでのわたしはエルディーア。それだけで充分。
 とはいえ、このままいつまでもエルディーアでいるつもりはない。仕事が終わったら、こんな場所とはさっさとおさらばして、エルディーアも永遠に消える。
 そうなるのも、そう遠いことではない。・・・・・・はずなんだけれど。
 

 神官エルディーアはため息をついた。
 神殿は、いつでも市民に開かれている。もちろん、一般市民が入ることの許されないところも多い。建物の中なら祭壇から先へは行かれないし、中庭に入ることもできない。
 奥の墓地には、やんごとない身分の方々の墓碑があるので、あまり気軽に訪れる者は少ないが、特に立ち入り禁止というわけでもないし、警備を置くほどのこともない。
 だから裏庭に人がいるのは、けっして不自然なことではない。貴族であろうと市民であろうと、文官であろうと騎士見習いであろうと。
「シルフィス、あのですね〜、今日はドーナツを揚げてみたんですよ〜」
「すごいです、アイシュ様。これも神殿の皆さんと?」
「はいー。親のない子供さんにあげるのに、いつも同じパンというのも、つまらないですからね?」
 草むらに腰を下ろしたアイシュの横で、
「おいしそうですね」
 やはり座ったままのシルフィスが、にこにこと紙包みを覗き込んでいる。
 そこに歩み寄るエルディーアに気付いて、
「あー、エルディーア様〜、こんにちは〜」
「こんにちは、エルディーア様。よくお会いしますね」
 二人は頭を下げた。
 訂正。裏庭に人がいるのは、けっして不自然なことではない。元・文官であろうと、騎士であろうと。
 アイシュは、先の総務部の火事騒ぎと機密漏洩事件とに絡んで、辞表を提出した直後である。だから今の肩書きは、元・文官である。
 それに対してシルフィスの方は、ダリス侵入作戦を前に、皇太子の手によって直々に騎士に叙任されたばかりである。このことを知るのは、ごく限られた者にすぎない。
「こんにちは。お二人とも、またここにいらしているのですね。仲がおよろしいこと」
 エルディーアは、神官らしい楚々とした物腰で、二人に微笑みかける。
 だがその内心は、落ち着いた笑顔とは裏腹であった。
(冗談じゃない、なんであんたら、毎日毎日ここでひなたぼっこしてるのさーっ!)
 神官といえども、生まれた時は人の子。心の中ではつい、俗世にいた頃のボキャブラリーで語ってしまうことがあっても、不思議ではない。それどころか、このエルディーアと呼ばれる女、本当の神官ではなく、ただ神官の振りをしているだけなのだから、心の中のボキャブラリーがどんなであっても、まったくもって不思議ではない。
(用済みのボケメガネは、とっとと田舎に引っ込めってーの!)
 それに加えて、この女、アイシュが文官を辞めたことはもちろん、シルフィスがダリス潜入の密命を受けていることも知っている。何もかもお見通して、腹の中で怒り狂っているのである。
「いえいえ〜。神殿のお手伝いをさせていただいてるので、それをシルフィスが心配して見に来てくれてるだけなんです。仲がいいだなんて、そんな〜」
「まあ、それを仲がいいと申し上げているのですわ、おほほ」
 空々しく笑いながら、エルディーアは心を決めた。今日こそ、なんとしてでも話を進めねばならない。
「アイシュ様。こうして神殿の慈善事業を手伝って下さるのは大変ありがたいのですが、王宮のお仕事の方は差し支えございませんの?」
 笑顔のまま、数日間言わずに黙っていた問いを、正面からアイシュにぶつけた。
「あー、そのことですかー。実はですね〜」
 ぶつけられた方のアイシュは、頭をかきながら、悪びれることなく答えた。
「総務部からは、お暇をいただいたのです」
「アイシュ様!」
 大事なことをさらりと言ってのけたので、傍らにいたシルフィスの方が、驚いたように声を上げた。
「隠してもしかたありませんから〜。神殿の皆さんのお耳に入っているかどうかわかりませんが、総務部でとある失態がありまして〜。自分もその責任の一端を負っていると考えて、職を辞することにしたのです〜」
「まあ、そうだったのですか」
 まるで初めて聞く話だとでも言うように、エルディーアは顔を曇らせる。このへんの演技は完璧だ。
 本来なら自分からは触れたくない話題だろうに、むしろアイシュは晴れ晴れとした表情で続ける。
「大勢の方に迷惑をかけてしまいましたが〜。でも自分ではこれでよかったと思っているのです」
「いろいろとご事情がおありなのは、よくわかりましたわ。・・・・・・それで、どうして毎日神殿にいらっしゃるんですの」
 はっきり言って、エルディーアにとって重要なのは、こちらの方であった。なんで王宮の文官を辞めた奴が、毎日毎日神殿にやってきて、シルフィスといちゃついているのか。
「それがですね〜」
 それまでにこにこと説明していたアイシュが、困ったような顔になる。
「最後にシルフィスに挨拶していこうと思ったんですけど〜」
 その口ぶりからして、アイシュは困っているのではなく、照れているらしかった。
「本当は夜になってから、騎士団に暇乞いに行くつもりだったんですけど、夕方のうちシルフィスに会ってしまって〜」
「エルディーア様、私からもお話しいたします」
 黙ってアイシュを見守っていたシルフィスが、今度は口を開いた。
「詳しいことはご説明できませんが、私は数日後に特別の任務で出立しなくてはなりません」
(それ、知ってるから)
 エルディーアは、表面上は慈愛に満ちた微笑のまま、心の中でつぶやく。
(この時期にアンヘルをダリスに行かせるなんて、あの皇太子、おきれいなだけじゃなくて、シビアにやるときゃやるってことね。侮れない。見直した)
 そんなエルディーアの心中も知らず、シルフィスは続ける。
「私にとっては、お役目も大事ですが、アイシュ様のこともとても気がかりなんです。一人でクラインから行ってしまわれるなんて、私にはとても・・・・・・」
 耐えられない、という素振りで、シルフィスは首を振った。
「僕としては、ぜひシルフィスにはダリスへ行って勲功をあげてほしい気持ちもあるのですが〜、でもいっしょに田舎へ来てほしい気もしますし?〜。正直、迷ってしまって〜」
 シルフィスに寄り添って、同じように首を振るアイシュ。二人の姿はまるで一対の置き物ようにお似合いであった。
(お似合いとかいう問題じゃなくて!)
 エルディーアは、できることなら、思いっきり額に青筋を浮かべてやりたいところだったが、神官としてはそうもできないし、妙齢の女性(多分)としても好ましくない。やむをえず心の中にぴしぴしと青筋を寄せるにとどめる。
「・・・・・・それで、神殿へ?」
「はい〜。シルフィスに選択を強いることのないよう、ここにご厄介になって時間をつぶしていたのです〜」
 確かに神殿はいつも、無一文で旅する巡礼や盗賊に遭った旅人を無料で泊めてやっている。うまいところを思いついたと言えば言えるのだが。
「そうだったのですか。ですが、一体いつまでそうやっていらっしゃるおつもりなのです」
 理由が分かれば、次は期限である。
「それが、不思議なんです、エルディーア様」
 シルフィスが、真剣な面持ちで言った。
「アイシュ様がここにいらしてから、おんなじ日がぐるぐる繰り返しているような気がするんです。もうすぐ作戦の日のはずなんですが、何日経ってもその日にならないんです」
「そうなんです〜。どうしてなんでしょうね〜。まるで時間に囚われてしまったかのような〜」
(だからっ! どう考えたってあんたたちのせいじゃないのっ!)
 エルディーアは、切れそうになる自分を懸命に抑えた。
「お二人の、お互いを思いやるお気持ちは尊いと存じますが、結論を先延ばしにしていてもよいことはございません」
 別によいのである。天才とうたわれた文官とアンヘルの騎士見習いとが恋に落ちても。問題は、二人が規定外の行動を取っているせいで、物語が止まっているところにある。
(あんたの告白は強制イベントなんだから、それが済まないと、話が先に進まないんだよ)
「わたくしごときが口を挟むようなことではございませんが、お二人で相談なさって、進むべき道をお決めになるのがよろしいですわ」
(とっとと告白して、玉砕するなり駆落ちするなりしなさいよ)
「そうでしょうか〜」
「ええ、今、すぐにでも」
 最後の言葉は、できることなら太字ゴシック体で表現してやりたいくらいの力をこめて、エルディーアは言い切った。
 アイシュとシルフィスは、顔を見合わせる。
「邪魔者は退散いたしますわ。お二人でよく話し合ってくださいませね」
 ごきげんよう、と優雅に会釈して、エルディーアは二人に背を向けた。
 

 まったくもう、天然の朴念仁どもが。これじゃいつまでたっても、あたしの出番にならないじゃないの。
 こっちにも段取りってもんがあんのよ。
 この分岐に入ってるってことは、シルフィスに本名を名乗るルートはなくなったけど、まだあたしの最大の見せ場が残ってるっていうのに。
 今回あたり、そろそろとどめをさされて男騎士エンディングかと思ったのに。
 セリアン文官には玉砕してほしいところだけど、この際どっちでもいいわ。戦争の鍵になる子はまだ二人残ってるし。
 最悪なのは、このままずっと神官エルディーアでいるはめになること。そうなったらどうしてくれよう。
 ・・・・・・あの時、なにがなんでも殺っておけばよかった。
 

「えーと、僕、別なところでエルディーア様にお会いしたことあるような気がするんですよね〜」
「そうなんですか?」
「あんなふうに、なんだか強いオーラを振りまいてる後ろ姿、どこかでお見かけしたような〜〜。神殿じゃない場所で」
 考え込むアイシュの隣で、シルフィスは先ほどエルディーアに言われたことを繰り返してみた。
「アイシュ様、やはり私たち、イベントを起こしてエンディングを選ばなきゃいけないんでしょうか」
「そうですね〜。僕が黙って一人で田舎に帰るっていう設定、最初からないんですよね〜」
「嫌です、アイシュ様。そんな寂しいこと、おっしゃらないでください」
「僕はね、シルフィス、あなたには立派な騎士になってほしいんです」
「私は、アイシュ様と一緒に行きます」
「いえ〜、シルフィス〜、それはダメですよ〜」
 最終イベントにならなくても、充分ラブラブな二人であった。
 こうしてあっという間に時間は過ぎていき、一日が終わってしまう。そしてまた同じ一日が始まるのである。
 え? なぜ話が進まないのか?
 それは、シルフィスの進路に迷ったプレイヤーが、ゲームを起動させないからでしょう。
 さあ、そこのあなたが、ゲームをロードして、アイシュとシルフィスを幸せにしてあげてください。
 


    シルフィス本のために書いたお話。
    全カップリング揃えようと、初めてのアイシュの挑戦しました。
    神殿で二人がいちゃいちゃしてるだけの話だったはずなのに、なぜかこんな展開に。
    でも意外とこの二人、書きやすくて楽しかったです。
    そしてこのエルディーア様も、ものすごく書きやすかった(笑)。
 

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