あなたにあえる
 

 
「俺、決めた! 騎士になる!」
 肌寒い冬の日、ガゼルは走ってくるなりそう叫んだ。
「騎士団に入って騎士になるんだ!」
「落ち着いて、ガゼル。もう少しわかるように、ゆっくりお話ししてちょうだい」
 息をするのももどかしいほどにしゃべり続けようとするガゼルを、女の人はいつものおっとりした態度で制した。
 少し息を整えて、それでも我慢し切れなくて、すぐに話し始める。
「すっげえ人に会ったんだ。母ちゃんのこと、助けてくれた。知らないおっさんだったんだけど、街の人に聞いたら、騎士団の隊長さんなんだって。背が高くて、力持ちで、渋くて、髪が黒くて、かっこよかったー!」
 往来で母親の具合が悪くなり、困っていたガゼルたちを助けてくれたこと。人を助けるということや剣の道というものを教えてくれたこと。
 興奮していたので、あまり要領よくは話せなかったが、自分が出会った男への心酔と憧憬をほとばしらせて、ガゼルはまくし立てた。
 女の人は、いつものような相槌や質問もあまり挟まず、とにかくガゼルのしゃべりたいようにしゃべらせてくれた。
「だからさ、俺、絶対に騎士になろうって思ったんだ」
 何度目かに繰り返される固い決意で、ようやくガゼルが話をしめくくると、女の人はすうっと目を細めて、にっこりとした。それは、滅多に見せない極上の笑顔だった。
「すばらしいわ、ガゼル」
「へへへ、おばさんならそう言ってくれると思った。まだ家族にも言ってなくて、おばさんが最初なんだ」
 ガゼルも得意気に笑ってみせる。
「騎士になって、あのおっさんみたいに、背が高くて力持ちで人助けするかっこいい男になるんだ」
「その方なら、わたくしも知っています。頼りになるとてもいい方ですわ」
「おばさんも知ってるんだ。やっぱり有名人なんだー!」
 ガゼルの乗り気にブレーキをかけるものは、何もない。
「帰ったら母ちゃんに言うよ。騎士団の試験受けるって。騎士団の見習いには、貴族でないとなれないんだ。貴族でよかったって、今初めて思ったよ」
「初めて、なの?」
「ああ、初めてだ」
「初めてというのは、あんまりですわね」
「だって初めてなんだもん」
 そこまで言ってから、二人で顔を見合わせ、声をあげて笑った。
 それからガゼルは、ふと真顔になった。
「どうしてだかわかんないけど、俺、おばさんには何でも正直に言えるんだ。不思議だな、おばさんは俺にとって特別な人なんだな」
「いいえ」
 と女の人は首を横に振る。
「わたくしにとってはその反対です。あなたが、わたくしにとって特別なんです」
「俺が?」
「五年前に、あなたがわたくしに気づいてくれた時から、あなたは特別な人です。あなたとお話しできて、とても楽しかったわ。ありがとう、ガゼル」
「やだなあ、なんだかお別れみたいこと言わないでくれよ」
 どきっとして、あわてて付け加えた。
「騎士団に入れたら、また来るからさ、そしたら、今度はおばさんの話もしてくれよな」
「そうね。今度はわたくしのお話もしましょうね。そのためには、ちゃんと試験に合格しなくてはだめよ」
「もちろんさ! ぜってー合格してやるー!!」
 神殿の中の女神像にまで聞こえるかという勢いで、ガゼルは叫んでいた。
 

 神殿の鐘が鳴っている。
 年の始めの数日間は、いつもよりも多く打ち鳴らされるので、どことなく華やかな響きがある。
 騎士団で見習いとなってから初めての新年を迎え、ガゼルはまた、神殿奥のこの場所に来ていた。
「今日は、新年のお祈りに来たついでなんだ」
「ついででも、思い出してくれて嬉しいわ。久しぶりね」
「うん、ごめんね、おばさん。騎士団が楽しくって、つい」
 普通だったら、騎士団が忙しくて、というところだが、この人の前ではどうしても正直になってしまう。
「いいのよ。見習いは二年間ですものね。忙しいはずですわ」
「いつも思うんだけど、おばさんて、騎士団のこととか王宮のこととか、詳しいよね。俺が合格した時も、いろいろ教えてくれたし。ほんとは何してる人なの?」
「それはひみつ」
「えーっ、ずるいよ、今度会ったら教えてくれるって言ったじゃないか」
「あなたが忙しいと言って帰ってしまうからよ。・・・・・・でも今日は少し、わたくしからお話をしましょうか」
 考えてみれば、会って話すといっても、たいていは立ち話のようなもので、たいして長い時間会っているわけではなかった。
 ガゼルが騎士団に入ってからは、ほとんど来ることもなくなってしまい、会うのは春以来かもしれない。
「この間お会いした時も言ったけれど、あなたなら、きっと立派な騎士になれるでしょう。わたくし、そう信じています」
「あ、ありがと」
「そんなあなたに。わたくしから、お願いがひとつだけあるの」
「いいよ。俺に任せてくれって」
 向こうから話題を振ってきたのが嬉しくて、ついつい大風呂敷を広げてしまう。
「どうか、頼りになる騎士になって、わたくしのこどもたちを守ってくださいましね」
「こども? おばさん、こどもがいるの?」
「ええ。そのうちの誰かには、どこかでもう会っているかもしれませんね」
「えっ、どこの誰? 騎士団の人?」
「内緒」
「ええーっ、なんでだよ?」
 口をとがらせるガゼルに少しも動ぜず、その人は続ける。
 この人が動揺しているところなど、見たことがない。
「今度、娘がこのまちにやってくるの。もしも出会ったら、やさしくしてあげてね」
「今度来るってことは、今まではいなかったのか?」
「ええ、しばらく離れて住んでいたのよ」
「そうだったんだ・・・・・・」
「あなたと同じくらいの年の娘です。仲良くなってくれたら、わたくし本当に嬉しいわ」
 そんなに大きな子供がいるとは、考えたこともなかったので、少し面食らう。
 だが、細かいことにこだわって、相手に嫌な思いをさせるのは、ガゼルにとっても嫌なことだった。
 だから、追究しないことにする。
「いいよ。その子、名前なんていうの?」
「内緒」
「はあ?」
 一瞬、からかわれているのかと思ったが、女の人は真剣な顔をしていた。
「あなたが見つけてあげて。あなたなら、きっと私の娘を見つけられる。あなたがわたくしを見つけたように」
「そんなこと言われても・・・・・・。それに、俺、おばさんの名前も聞いてないや」
「わたくしはずっと、ただのおばさんでいいのよ」
「でも、こどもの名前わかんないと困るよ」
「じゃあ、こうしましょう。これから会う人、みんなにやさしくしてあげて。あなたの大好きな隊長さんのように、誰からも頼られ、誰からも愛される、立派な騎士になって。そうすれば、いつ、わたくしの娘に会っても大丈夫でしょう」
「うーん、そうかな? そっか、そうだな!」
 みんなを守ってあげれば、特定の一人を守ってあげることになる、というのはその通りだったので、妙に納得した気分になった。
「約束してくださる?」
「もちろん! 約束するぜ!」
 二人で指切りをした。
 女の人からは、どこか懐かしいような、ふんわりと甘い、花の香りがした。
 

  ◆ ◇ ◆
 

「ガゼル、こっちですわ。早く早く。何してるんですの」
「待てよ、ディアーナ。俺は、王宮のこんなとこまで入っちゃいけないんだってば」
「わたくしがいいって言ってるんだから、いいんですのよ」
 ずんずん先を歩いていくディアーナを、ガゼルは困惑しながら追いかけている。
 この春、正騎士になったのはいいけれど、これはまだようやくスタートラインについただけなのだと、ガゼルはそう思っている。
 いい気になってはいけない、うぬぼれてはいけない、と自分に言い聞かせているのだが、目の前のこのお姫様が出てくるともうだめだ。
 ディアーナには逆らえない。
 ディアーナに喜んでもらいたい。
 主君だから、ではない。
 ディアーナだから。
 ディアーナが好きだから。
 彼女も、自分を特別扱いしてくれているのはわかる。今日もこうして無理やり王宮の奥まで連れ込もうとしているくらいだ。
 だがしかし、こういうのは恋人同士というんだろうか、かなり違うんじゃないのか、とガゼルは心中、自問自答を繰り返す日々である。
「ガゼルも騎士になったんですから、王宮の通路のこと、ちゃーんと覚えていただかないと」
 さっきから、やたらだだっぴろい部屋を抜けたり、家具のつまった部屋を抜けたり、分厚いカーテンの部屋を抜けたり、妙な場所ばかり通っている。これを覚えろと言われても。
「あのさあ、ディアーナ、これって、お前のお忍び用の抜け道なんじゃねえのか」
「さすがですわ。よくわかりましたわね。わたくしが出かける時には、ここからちゃんと護衛をしてくださいましね」
「護衛って、おい!」
 俺はどうやってここまで来るんだ、と突っ込みを入れようとした時、ガゼルの足が止まった。
「なあ、この絵」
「どうしたんですの」
 長い廊下を行き過ぎたディアーナが戻ってくる。
 ガゼルが見上げているのは、壁にかけられた大きな肖像画だった。
「この絵の人、誰?」
 清楚な白いドレス。
 ゆるやかに波打つ薔薇色の髪。
 慈愛あふれたまなざしを投げかけるすみれ色の瞳。
 見る者の心を落ち着かせる優美な微笑み。
「俺、この人知ってる」
「まあ、いつ会ったんですの。わたくしだってお顔をはっきり覚えてないくらいですのに!」
「いつって・・・・・・」
「これはわたくしのお母様ですわ。ガゼルはずっと王都にいたから、それでお会いしたことあるんですの?」
「最後に会ったのは、えーっと・・・」
 あれは去年の始めだったはずだ。
「お母様のこと、ご存知なのでしたら、教えてほしいですわ」
「俺が覚えてることなら、全部話せるけど・・・」
 嘘だろ、とガゼルは思った。
 目の前の肖像画の女の人と、神殿の裏で会ったおばさんと、隣にいるディアーナと、それぞれの顔を、頭の中で並べてみる。
 まじかよ、とガゼルは思った。
 今までまったく気が付かなかった。神殿の女の人は、確かにディアーナと似た部分がある、ような気がする。
 どういうことだ、とガゼルは思った。
 こうなったからには、またあの神殿裏に行かなくては。最近行っていなかったが、今度は、ディアーナと一緒に、二人で。
 もう一度、肖像画をじっと見てみる。
 絵の中の故マリーレイン王妃は、見覚えのある穏やかな優しい笑顔で、ガゼルを見下ろしていた。


    書きたかったこと。
    1、少年ガゼル。個人的には満足。
    2、女の人。おばさんと呼ばれても怒らない心の広い大人の女性。
    3、レオニス隊長はかっこいいという事実。以上です。
    これだけでは短すぎるので、ネタ誕生秘話。
    これは以前、ネットでチャットをしていた時に、某Nさんがガゼル全カップリング本を出すという話になり、そこで私がつい口をすべらせ「ガゼル×マリーレイン」とか言ったせいで生まれたネタです。
    ガゼルにだけ見えるマリーレイン。なぜか。それはガゼルがマリーレインにとって特別な存在だから。
    つまり、ガゼルが娘の運命の人だから!
    レオニスにさえ見えないのに、さすが、母の愛は偉大だ。
    (私、例の過去話って、レオニスの片思いで、王妃様とは別に何にもなかったんじゃないかと思ってるんですが、どうでしょ?)
    もともとガゼルディア好きのNさんのチャットだったので、自動的にガゼルディアベースで考えてしまいましたが、自分ではけっこう気に入ってて、ひそかに温めていました。
    一度やってみたかったんです。「ジェニーの肖像」とか「いつかどこかで」とか「マリーン」みたいな、時間を越えて出会う話。
    恋人同士じゃないのが問題ですか。
    マリーレインって、デフォルトで存在するキャラだけど、まったく謎の人なので、ほとんどオリジナルと同じです。
    気に入らない方がいらしたら、すみません。
    ちなみに、全編ガゼル視点なので、特に女性の描写の点で語彙が乏しいのは、ガゼルの語彙が乏しいからです。
    ガゼルは「儚げな」なんて単語、知らないんですよ!(勝手に力説)
    あと、神殿に行っても、もう会えません。
    王妃様は前年の降誕祭に成仏してしまわれましたから〜。(ここだけの話、ディアーナがガゼルとくっついて安心したから←強引)

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