鳥の歌―盗賊の森―
茂みの中で息を殺し、イーリスはかがみこんでいた。 ダリスからの乗合馬車から降りたのが運の尽きだった。 小休憩のはずだったのに、野盗の気配を察した御者が急に馬車を出してしまい、ほんの少し離れたところにいた彼は、置いて行かれてしまった。 恨んでも始まらない、と彼は思っている。もしも逆の立場だったとしても、乗り遅れた者を置き去りにしただろう。見知らぬ一人のために全滅することを選ぶ者はいない。 だからこそ、自分の身は自分で守らねばならない。 相手の人数も手管もわからなかったけれど、ただ見つからないことを祈っていたのだが。 (どうやら天は私に味方しないらしい) 気配に敏いイーリスは、複数の人間が自分に近づいてくるのを察してため息をついた。 無駄な抵抗は命を縮める。その場でじっとしていると、思った通り、小ぶりの剣を持った男が木の陰から現れた。 地味な風情ながら身軽そうなその男は、鋭い目つきでイーリスを見る。 「…商人ではないようだな」 「旅の吟遊詩人です。どうか命はお助け下さい」 精一杯哀れっぽく、下から見上げるように哀願する。 金は諦めるとしても、命と商売道具は何としても見逃してもらわねばならない。 男は値踏みするように見ていたが、 「持ち物はすべて置いて行け」 「せめてこの楽器だけは…」 「駄目だ」 冷たく言うと、剣を見せつけるようにイーリスの方へ一歩踏み出してくる。 これは難儀な、とイーリスが思った時、二人目の声がした。 「やめておけ。芸人をいじめるな」 若いくせに妙に落ち着いたしゃべりで、とっさのことでも、その男が盗賊の頭領なのだろうと知れる。 芸人呼ばわりには多少引っかかるものを感じたが、このまま見逃してもらえるかもしれない、という希望から、イーリスは大人しくしている方を選ぶ。 「しかし…」 「金のあるところからもらう、それくらいの矜持がなくては」 「…は」 これで助かった、とほっと胸をなでおろしたイーリスに、頭領とおぼしき男は、さらに言葉をかけた。 「ダリスから来たのか」 「はい。クラインへ向かうところです」 「そうか…どうだろう、クラインの近くまで送って行くから、できれば我々にダリスの話を聞かせてもらえないだろうか」 イーリスは神妙にうなずいた。 そこは立派な屋敷だった。 盗賊のあじとなのだから粗末な小屋か何かと思ったのだが、貴族か豪商の別荘に勝手に入り込んでいるようだ。 頭領とともに奥の部屋に通されると、意外にもお茶だの菓子などが出てきた。 「もてなすというほどのこともできないが、少しでもくつろいでほしい」 尊大な微笑で言う彼には、どこか品のよさがある。 おろらく、とイーリスは思う。ここの連中は、身分の高い家が落ちぶれて、盗賊に身をやつしているのだろう。イーリスを助けた時の彼の態度や、先ほどからの盗賊たちの立ち居振舞いから考えるに、落ちぶれたと言うより、お家再興を目指して潜伏しているに違いない。 自分が出会ったのが、手荒な強盗でなかったことはありがたいと思うが、同時に、零落したとはいえ身分家柄にこだわる連中に関わることは、正直不愉快だ。 そんなイーリスの心中に気づいているのかどうか、彼はまるで機嫌を取るように丁寧に接してくる。 「よければ、ダリスの様子を聞かせてくれないか」 「何がお知りになりたいのでしょう」 「そうだな、都の人々の様子とか、流行りの噂とか」 「私は通りすがりの外国人です。そんな私に、突っ込んだ話をする人はおりません」 「そうだろうね。だから表面的なもので構わないんだ。情報は自分でそこから拾う」 やはり情報目当てにここまで連れてきたのか、と思ったが、その方がギブアンドテイクの関係がはっきりしていい。一方的に助けられたり、情けをかけられたりするのは、イーリスの性に合わない。 「それでは…何かお家騒動があったようでしたが、あからさまに人の口にのぼることはありませんでしたね」 そうしてイーリスは、見たまま感じたままのダリスの印象を語って聞かせた。どこか地に足が着かない雰囲気で、混乱しているというほどでもないが、息を潜めて今後の成り行きを見守っているような、そんな感じがした、と。 「ありがとう、面白かったよ」 一通り話したところで、相手は微笑んだ。 「君はなかなか鋭い観察眼を持っているようだね」 「さあ、どうでしょうか」 そうかわしたものの、滞在先の空気が読めないようでは、旅の吟遊詩人は勤まらないのも本当だ。 「これからクラインに行くと言っていたが、どうだろう、向こうに着いたらクラインの印象や聞いた噂などを私に教えてもらえないかな」 「…情報屋になれということですか」 「きみは頭もいいね」 彼の微笑は変わらないが、どこか突き刺すような視線だ。下手にでているようで、有無を言わさぬ迫力がある。 「残念ですが、ご期待にそうような力は私にはありません。ただのしがない旅の芸人ですから」 権力者だろうがアウトローだろうが、誰かに使われるなどまっぴらだ。 卑下した台詞の陰に隠されたイーリスの強靭な意志の力を感じ取ったのか、盗賊は、 「それではしかたがないな」 あっさりと引き下がり、むしろ和やかになった。 「安心したまえ、怒って命を取ったりはしない。約束どおりクラインの王都近くまで送って行くよ」 さばさばとしたその様子には大物の風格がある。 「…ダリスのご出身なのですか」 「そうなんだ。いまさら隠してもしょうがないね」 「それでは、お礼にダリスの歌をお聞かせしましょうか」 「いいね…だが、私の前ではなくて、別室にいる仲間の皆のために歌ってくれないか」 「かしこまりました」 盗賊は満足したように席を立った。それを引き留めて、 「いかがでしょう、私の恩人はあなたです、あなたのためだけに一曲歌わせてください」 「ありがとう。じゃあ頼むよ」 「何かご希望はありますか」 「いや、任せよう」 「それでは、東の国の古い歌を」 イーリスはハープを構えて歌い出す。 かごの中の鳥よ わたしのためにうたっておくれ 盗賊はまた椅子にかけて、じっと歌に聞き入っている。彼の濃い黄金色の髪が傾きかけた太陽の色のようだ。 少年は春を探し 老人は眠りを待つ 鳥よ いちばん好きな人をおしえておくれ 歌いながら様子を窺うと、彼は何か物思いに浸っているように見える。 この歌を選んだのはちょっとした遊び心だった。小鳥の歌を愛でる老若男女いろいろな人物の姿に重ねて、人生の心もようをうたっている。 王子は宝箱に鍵をかけ 盗賊は姫君からの恋文を待つ 鳥よ いちばん夢を見ていた人をおしえておくれ 突然、苦しくて声が出なくなった。 荒荒しく近づいてきた盗賊が、イーリスの胸倉をつかんだからだった。 「……うっ……」 「どういうつもりだ」 今までの丁寧さは姿を消し、厳しい目でイーリスを睨みつける。 「……く、くるし……」 今にも息絶えそうな様子のイーリスに、盗賊は眉をひそめて手を放したが、乱暴な勢いだったので、イーリスはどさりと椅子に倒れこんだ。 「お前、何を知っている」 「なに、と言われましても……何かお気に障りましたか」 「………」 盗賊は口をつぐんで、恐ろしい顔つきでイーリスを見つめている。値踏みしているようだ。 どうも選曲に失敗したらしいと思っても、もう手後れだった。盗賊が盗賊の歌で怒るはずもない。逆鱗に触れたとすれば王子のくだりということになる。 ダリスの政変で国を追われた元国王派の没落貴族だと思ったが、さては、行方不明の王子その人だったのか。 秘密を知っていると思われて殺されるかもしれないと、イーリスは心の内で覚悟を決めたのだが。 「いや、すまなかった」 盗賊は自制心を取り戻したらしく、元の落ち着いた表情になった。 「私の秘密を知っているのかと思った」 自分から言い出すのか、とどきりとして顔を見ると、 「私は盗賊なのに、遠くの国の姫君に恋をしているんだ。絶対に他の者に言ってはいけないよ」 冗談めかした中に、どこか凄味があって、イーリスは感嘆した。 王子のことには気づかなかった振りをして、こちらも上等の営業用笑顔で応じる。 「もちろんです。お客様の秘密は守りましょう」 「とてもいい歌だったのに、邪魔してしまった。もう一度歌ってくれないか」 「ありがとうございます」 何事もなかったかのように、イーリスは再び歌い出す。 かごの中の鳥よ わたしのためにうたっておくれ ……… 盗賊アルムレディンが言ったことを、吟遊詩人のイーリスは、その場を取り繕うための嘘だと判断したけれど、それは間違いだった。 互いに、二度と会うこともないと思っていた。 不思議な縁によって、二人の人生は再び交わることになる。 二人をつなぐ運命の少女が、クラインで彼らを待っている。
これでもアルムディアなんです。っていうか、壮大なアルムディア&イーリスディアのプロローグなのです!(大風呂敷なので本気にしないように) 続きは、予告編だけ作ったことがあるんですけど、降誕祭の夜の話になります。(いきなりな展開) イーリスが、クラインに来る前にダリスにいた、というのはゲーム中の設定です。 イーリスが歌っていた歌は井上陽水の「カナリア」。この歌が元ネタで、この話を思いつきました。 |