それをディアーナに尋ねられた時、メイはとっさに何のことかわからなかった。 だが、彼女が言っているのがおまじないのこと、しかも恋の叶うおまじないのことだとわかって、妙な気持ちになった。 この年頃の女の子がそういうことを知らない、というのも妙だったが、よりによって異世界の自分に聞くとは。 それだけディアーナの周りには、年頃の友達が昔も今もいない、ということなのだろう。 シルフィスもこういうのはあんまり得意そうじゃないし、と納得したところで、じゃあ自分は得意そうに見えるのかな、と メイは苦笑いする。 そういうのを信じてるわけではないけれど、友達とそんな話をして盛り上げるのは好きだった。 いろいろ試してみたのは、恋のためというより、女友達とのコミュニケーションのためだった。 夢がないって? でもそんなもんでしょ? だから、自分の世界のおまじないには詳しいつもりのメイだったが、さて、この世界で実行するおまじない、とくれば話は別だ。 まさか、消しゴムとかを使ったおまじないを教えても、意味がないだろう。 こっちの世界でそういうことを聞くとしたら、誰がふさわしいか。 いくら博識とはいえ、セリアン兄弟に聞いても、絶対無駄、という確信がある。 シオンなら詳しいかもしれないが、余計な詮索をされそうで、面倒だ。 こういう時頼りになるのは、やはり、若い女の子相手に商売をしているあいつに違いない。 メイがイーリスのところに来たのはそういういきさつだった。 「恋のおまじない、ですか」 ところが意に反して、イーリスは首をかしげた。 「一般的に願い事をする、というのは聞いたことがありますが、特別に恋のため、というのは、聞いたことがありませんね」 「ええっ、そうなの!? こっちにはないの!?」 これは予想外の展開だった。 だとすると、ディアーナが知らないのも当たり前ということか。 エーベの女神は全能の神様で、他に恋愛の神様はいないらしい。 「しょうがないなあ。じゃあ、とりあえず、その何でも叶うおまじないってのを教えてよ」 「かまいませんが、あなたがおまじないに頼るタイプとは、意外でしたね」 「え? あたしじゃないわよ…っととと、ここから先はきぎょーひみつ♪」 人差し指を立てて内緒のポーズを取るメイに、イーリスは、ふうん、と含み笑いをして答えた。 「まあいいでしょう。その代わり、私もただでお教えするわけにはいきませんね」 「あちゃー。そう来たか。でもあたしお金ないよ。はっ、身体で払えとか? 美しいって罪ねえ〜」 言葉ごとにくるくると表情を変えて百面相をするメイに、 「なんでそうなるんですか。そんなこと、冗談でも言うもんじゃありませんよ」 さすがのイーリスの顔も引きつる。 「おまじないにはおまじないを。それが等価交換というものです」 「へ」 「あなたの世界には『恋のおまじない』というものがあるようですから、それを教えていただきましょう。私も詮索しませんから、あなたも詮索はなしですよ」 「おっけー。そんなことならお安いご用よ」 交渉成立。 まずはイーリスから、と教わったおまじないは、メイにとってはなかなかえぐいものだった。 「一番強力なのはこれでしょうか。満月の晩、ガーゴイルの角をユニコーンのたてがみで糸杉の大木の東の枝に吊るし、南風が吹いたら……」 「ちょっと待ったー」 あまりにもファンタジーなアイテムに、メイはくらくらした。 「そんな、黒魔術じゃないんだから……」 「精霊と契約を交わす方法と伝えられていますよ。私は実行したことありませんけれどね」 「……もうちょっと手軽なやつを頼むわ……」 「難度が高いからこそ威力があるはずなんですが」 それでは、とイーリスがあげたのがこんな例。 夏一番に開いた薔薇の蜜を菩提樹の葉ですくって燕に食べさせる。 雨の最初の一滴にあたる。 「うーん……さっきよりは、まだなんとかなりそうかな……でもなー」 なかなか野性味あふれる小道具である。 「いずれにせよ、そう簡単に願い事がかなうわけありませんからね」 メイの困惑をイーリスはあっさりとかわした。 確かに、誰にでもできる簡単なことでは、ありがた味も薄いだろう。 流れ星が見えている間に願い事を3回言えれば叶う、というのに似ているかもしれない。 やってみてもなかなかうまくいかないものだ。 「まあそんなもんかしらねー」 ちょっとイメージ違うなあ、と思いながらもうなずいたメイに、 「では今度はあなたの番ですよ」 イーリスはにっこりと、ファンから見れば極上の、しかしもしかすると果てしなく危険かもしれない笑顔を見せた。 「いいよ。こっちの世界であんまり役に立つとは思えないけどね」 メイが教えたおまじないは、どれも他愛のないもの。 好きな人の名前を紫のペンで書いた消しゴムを一人で使い切る。 手の甲や手首に青いペンで名前を書き、ばんそうこうを貼っておく。 好きな人の髪の毛を枕に入れて寝る。 もちろん、使う物について簡単とはいえいちいち説明しなくてはならないので、面倒なことこの上なかった。 「ふうむ。その紫とか青とか、色にはどんな意味があるのですか?」 「意味なんてないんじゃない? なんとなく神秘的な色ってだけで」 「なかなか面白い。一人で使い切る、というあたりがポイントなんですね」 イーリスは、彼にしては珍しく、心底感心した様子で何度も首を振る。 「あなたの世界のまじないは、女神や精霊の力を借りるのではなくて、自力で願いを叶えようという趣旨なのですね。気に入りました」 「自力でっていうより、まあ、気合を入れるとゆーか、ただの気休めとゆーか、そんなもんでしょ」 そう言い返したものの、おまじないのことをそんな風に考えたことはなかったので、いかにもイーリスらしい感想だな、となんだか楽しくなってしまった。 本当ならここで、「もしかして恋のおまじないをしたい相手でもいるわけ?」とお約束通りのツッコミを入れるところだが、最初から詮索しない約束だったし、細かいことは気にしないことにする。 イーリスに別れを告げると、ディアーナにはどれを教えたらいいのか、考えながら家路につた。 それから数日間、メイはキールから逃げ出すことができず、補習でみっちりとしごかれる日が続いた。 ようやく解放されて王宮のディアーナの部屋を訪れることができたのは、次の週になってからだった。 「やっほー。元気してた?」 「よく来てくださいましたわね。待っていましたのよ」 お茶を飲みながら和んだところで、先日頼まれたおまじないのことを持ち出すと、意外にもディアーナは、 「あれはもういいんですのよ」 と恥ずかしそうに言った。 聞けば、新しく来た世話係の女官が、王都で大流行のおまじないを教えてくれたのだという。 「へえ〜やっぱりこの世界にも恋のおまじないってあったんだあ」 イーリスから教わったあまりにも本格的なまじないに戸惑っていたメイとしては、肩の荷が降りたような気がしてほっとする。 正直なところ、適当にアレンジして教えようか、と思ったほどだった。 「いま、街の女の子たちはみんなこのおまじないをやっているそうですの」 夕べから早速試している、と嬉しそうに話すディアーナを微笑ましく思いながらも、しかし同時になんとなく心にひっかかるものがある。 「おまじないの相手は聞かなくてもわかるからいいけど、それってどんなおまじない?」 「えーとですわね。紫色のせっけんに好きな人の名前を彫って、それを一人で使い切ると思いが叶うのですわ……って、あら、メイ? どうしたんですの、メイーーー!」 ディアーナの呼ぶ声に振り向きもせず、メイはものすごいスピードで部屋を飛び出していった。 「ったく、どういうつもりよー!」 紫色とか、一人で使い切るとか、どこかで聞いたことがあるネタではないか。 「あいつ〜〜〜っ!」 目指す広場に、そいつはいなかった。 この時間ここにいないなら、と飛び込んだ喫茶店の奥に、女の子たちのかたまりが見える。 その中心から聞こえるたおやかな声。 「みなさんはお得意様ですからね。特別にお教えいたしましょう」 「イーリスッ!」 息を切らして名前を叫ぶと、そこにいたみんなが一斉に振り向いた。 正面にはいつものカードを並べたイーリスが座っている。 「はい、なんでしょう?」 「うっ……」 なにパクってんのよ!と怒るつもりだったが、こっちを見つめる女の子たちのきらきらとした目を見たら、何にも言えなくなってしまった。 言えないよね、そのおまじないはインチキだなんて。 恋占いと恋のおまじないは女の子の夢。 どうせ効き目がないとしても、信じる気持ちが前向きな恋にしてくれるもの。 自分もアレンジしようかと思ったのは本当だし、と考え直したメイは、いや別に、と言ってにんまりと笑った。 「それはどうも」 涼しい顔でイーリスもにっこりとする。 この瞬間、二人は共犯者になった。 考えてみるがいい、イーリスがメイに聞いてから自作したおまじないが広まったスピードを。おそるべし。 クラインのトレンドメーカー、イーリス=アヴニール。 彼にインスピレーションを与える少女、メイ=フジワラ。 こうして文化は進歩し、歴史は変わっていく……のかもしれない。
くじ引きであたったカップリングで必ず書く、という趣向でした。 最初にメイを引いてどきどき。私が書けるカップリングって限られてるんですもの。 次にイーリスを引き当ててほっとしました。 でもイーリス×メイのラブラブカップリング創作ではなくて、メイ&イーリスになってますね。 これは、メイの持ち込んだ異世界の文化が波紋を呼ぶシリーズの一環とも言えます。 シリーズの他の作品がわかるあなたはかなりの秋原みかる通! |