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「ちょっと、イーリス、聞いた?出るんだってよ、湖に」 真夏の日差しを避けながら広場にやって来たイーリスを迎えたのは、日光より強烈な元気オーラをまとったメイだった。 「湖にモンスターが出るのは、普通のことではないですか」 クールにかわそうとするイーリスに、メイは激しく首を横に振る。 「違―う!モンスターじゃなくって、幽霊だよ、幽霊!」 大声を出してから、あわてて声をひそめる。 「ここ数日、森に出かけたみんなが目撃してるらしいよ。真夜中にロングドレスの女が水面を歩いてるんだってー。恐いよねー」 恐いよねーと言いながら、メイの目は好奇心で輝いている。全然恐がっていない。 もちろんイーリスはその噂を知っていた。情報戦には長けている。この話を聞いたメイがどんな反応をするかも想像がついていた。だから、幽霊話そのものではなく、別の方に話を振る。 「みんなって、真夜中に湖に行く人が、そんなにいるんですか」 メイのペースに巻き込まれないように注意したツッコミだったのだが。 「さあ?デートか肝試しじゃないの?とにかく、最初の人は偶然だったらしいけど。ね、ね、今晩一緒に見に行こうよ」 空振りだった。他の人なんてどうでもいいのである。自分が見たいだけなのである。だからイーリスを誘っているのである。 「……きめだめしって何なんですか、と聞いても答えてはくれないのでしょうね」 イーリスのため息交じりのつぶやきには、「いやだ、と言っても聞いてはくれないのでしょうね」という諦めの境地がこめられていた。 その夜。森の湖のほとりに、メイとイーリス、二人の姿があった。 メイの口ぶりでは、いかにも大勢が幽霊を見に湖に押しかけているようだったが、現実には周囲に人の気配はない。遠くの対岸にいるのだとしたら、もちろんわからないが、わざわざ街から遠く離れて見るのも不自然だ。 王都クラインの人々は、毎日朝早くから働いているので、そうそう夜中に湖まで出かけてくる人は少ないのだろう。 「あなたの先生の魔導士は、誘わなかったんですか」 「先生って、キールのこと?あいつ、幽霊の話振っただけで、バカにしてくれちゃって。そんな奴、誘うもんですか」 「彼は幽霊を信じないと?」 「水の精霊とか妖精とかなら、そんなの普通すぎてわざわざ夜中に見る意味ないって。キールって『見える人』らしいから。で、死んだ人の霊には興味ないんだって」 「ふうん、そんなもんですか」 剣と魔法の世界ワーランドには、モンスターもいれば精霊もいる。幽霊がいるのかどうかは、まだわからない。 「そういえば、どうして湖の精霊ではなくて、湖の幽霊ということになっているんでしょう」 「えーとね。聞いた話では、今まで全然いなかったのに、突然真夜中に現れるようになったから。あと、出てくる時に気温が下がって人魂が飛ぶんだって。それで、顔はよく見えないけどめちゃめちゃ美人らしいよ。これはもう幽霊に間違いないってことよ」 幽霊だと決め付けているのは、もしかしたらメイなのかもしれない。 「どうして、顔が見えないのに美人だとわかるのか・・・・・・」 イーリスは苦笑しながら続けた。 「美女の幽霊というなら、別の国の話を知っています。聞きたいですか?」 「もちろん聞きたい!」 「その国の王は、跡継ぎを生まない王妃が嫌になって、次の結婚をしようと思いました。そこで濡れ衣を着せて王妃を処刑してしまいました。その後、処刑場となった王家の塔には、亡き王妃の幽霊が出るようになったのです。その幽霊は、首を切られた王妃の姿そのままに、銀の盆に自分の首を乗せて歩き回っているのだそうです」 「うっわー、首なし女ね!しかもお盆に首!それは恐い!」 「・・・・・・あまり恐がっているようには見えないのですが」 「恐いって。幽霊を待つ間に怪談話。さすがイーリス、よくわかってる」 恐い恐いも楽しいのうち、ということであろうか。もっとも、そうでなければこんなところに真夜中わざわざやって来るはずもない。 「あなたには脱帽です」 「しっ。なんか、気配が変わった感じがする」 気が付けば、さっきまでそよ風程度に動いていた空気の流れがぴたりと止まり、それでいて、真夏だというのにすーっと温度が下がっていくようだった。 真っ暗だった湖の上に小さな明かりがひとつ、ふたつ、みっつ、よっつ、水面を動いていく。 目を凝らすと、その光に囲まれて立っている女が一人。髪をアップにし、腰を細く絞った上品なドレス姿は、クラインで見かけるよりもずっとクラシックなスタイルだ。 いくらロングスカートとはいえ、まったく足を動かす気配も見せず、水の上を右から左へと移動していく。 「ほんとに出た・・・・・・」 メイがつぶやくのとほぼ同時に、不意に、水面の女が二人に向かって向きを変えた。あたかも岸に向かって突進する勢いである。 「うきゃーーーっ!」 思わず後ろを向いて走り出したメイに、イーリスもついて走る。 ひとしきり走ったところで、メイはぜいぜい言いながら立ち止まった。 「あー、びっくりした」 「急に逃げ出さなくてもよかったのに」 「いやあ、こっちに向かってきたから、なんかつい逃げちゃった」 「ふふふ、やっぱり恐かったんですね」 さまざまな怪異に慣れているイーリスも、さすがに水上の女が自分たちの方に向かってきた時には、ぞっとした。それは本当だ。メイもこれで懲りただろう。そう思ったのだが。 「そりゃあもう、恐かった〜。ね、明日も見に行こうよ」 「それは、『湖の貴婦人』ではないでしょうか」 シルフィスが真面目な顔で言う。 「村で聞いたことがあります。由緒ある湖には守り神である女の精霊がすんでいると。迷い人を助けたり、魔法を教えてくれたりするそうです」 「ふうーん」 広場で出会ったシルフィスに、メイが昨夜の出来事を詳しく語ったところだった。 「てことは、死んだ人の幽霊じゃないのかも、ってことだね」 「でも、それならどうして急に姿を見せるようになったのか、それはわかりません。後学のために、私も見に行きたいのですが、いいでしょうか」 「いいんじゃない。大勢の方が楽しいし。いいよね、イーリス」 「私は別に。どうせあなたが言い出したことですから」 反対しても無駄だ、という意味を込めたイーリスの言葉を笑顔で受け流し、メイは朗らかに言った。 「じゃ、今晩も湖の貴婦人に会いに行こう。ゆうべは顔をよく確認できなかったしね。美人かどうか確かめなきゃ」 そして、その夜。 森の湖の岸辺には、四人の姿があった。 「ごめん、メイ。ガゼルが自分も行くって聞かなくて」 「こんな面白そうなことに俺を呼んでくれないなんて、水臭いじゃねーか」 「あたしはいいけど。イーリスもいいよね」 「私は別にどうでも」 「あ、隊長には内緒だぞ。無断外出で怒られるからな」 隊長に怒られるかもしれない危険をおかしてまで、なぜこんなことをするのか、イーリスにはまったく理解できない。とはいえ、そういう自分がまたここまで付き合っていることも、不本意極まりないのだが。 「しっ。そろそろ来たような気がする」 気が付けば、さっきまでそよ風程度に動いていた空気の流れがぴたりと止まり、それでいて、すーっと温度が下がっていくようだった。 真っ暗だった湖の上に小さな明かりがひとつ、ふたつ、みっつ、よっつ、水面を動いていく。 目を凝らすと、その光に囲まれて立っている女が一人。 ロングスカートとはいえ、まったく足を動かす気配も見せず、水の上を右から左へと移動していく。 前夜の様子とまったく同じだ。 「また出た・・・・・・」 今度こっちへ向かってきたら、じっくり顔を見てやろう。そう思ってメイが身構えた時。 かき消すように、水上の女の姿も、小さなよっつの明かりも、見えなくなった。 「消えた?」 「水の上で?」 そのままそこでしばらく待ったが、結局女が再び姿を見せることはなかった。 「うーん、これじゃあ不完全燃焼だわ」 「まあ、精霊なら急に消えるのもありかもしれません」 「湖の上がぽーっと光った時はわくわくしたな」 黙ってこめかみを押さえるイーリスの横で三人は固く頷き合う。 「また明日も来よう」 「ずるいですわー!四人だけで行ったなんてー!」 ディアーナが、両手をぐーに握って叫んだ。 寝ぼけまなこのガゼルを問い詰めて、昨夜のことを聞き出したのだという。 「今晩は、絶対にわたくしも一緒に行きますわ」 「それはいいけど。でも大丈夫?」 曲がりなりにも王女である。夜中に騎士見習いが宿舎を抜け出すのとはわけが違う。 「むー。確かに、お兄さまがそう簡単に許してくれそうにはありませんわね」 ちょっと考えてから、ディアーナはにっこりと微笑んだ。 「大丈夫。なんとかしますわ」 「だったらいいよね、イーリス」 「別にどうでも」 ディアーナが何をするつもりなのか、なんとなくイーリスには予想がついていた。妨害したい気持ちもあったが、今さらどうでもいい、という気持ちの方が勝った。だから、その夜、湖に着いた時もまったく驚かなかった。 真夜中の湖に集まったのは、六人。 「よっ、嬢ちゃんにイーリス。俺も来たぜ」 「はあ?なんでシオンまで?」 「お兄さまが一人で行くのは絶対ダメだっておっしゃったから」 セイリオスが自ら付き添うと主張したのを、皇太子の身にもしものことがあったら困るから、と説得したのがシオンだった。 「俺様に任せておけば安心ってことだ」 「どうでしょう。本当はご自分が見たかっただけなんじゃないんですか」 「イーリスにはお見通しか。美女がいるというなら挨拶しないとな」 「美女かどうかは、今のところ不明です」 律儀にシルフィスが口を挟む。 「そーだよなー。昨日はあんまり近くまで来てくれなかったし。今日はどうなるかなー」 ガゼルが湖を眺めながら付け加える。見逃さないように、張り切っているのだ。 「あのねー。近くまで来たら、意外と恐いのよ、これが」 「だから、それを体験しに来たんだろ」 「私も、ちょっとだけ楽しみです」 「わたくしもですわ。これだけ大勢いれば、きっと恐くても大丈夫ですわ」 「このシオン様がいれば、どんな女でも悪さしたりはしないって」 「無駄に自信があるようですね」 シオンにツッコミながら、イーリスは内心でため息をつく。まったくもって、この人数で騒々しく怪異を待つなど、無駄そのものではないか。 「しっ。来た、来た」 気が付けば、さっきまでそよ風程度に動いていた空気の流れがぴたりと止まり、それでいて、すーっと温度が下がっていくようだった。 真っ暗だった湖の上に小さな明かりがひとつ、ふたつ、みっつ、よっつ、水面を動いていく。 目を凝らすと、その光に囲まれて立っている女が一人。 ロングスカートとはいえ、まったく足を動かす気配も見せず、水の上を右から左へと移動していく。 初日、二日目の様子とまったく同じだ。 「今度はどうなる」 固唾を呑んで見守る一同の前で、水上の女は、不意に動きを止めると、今度は百八十度反転して、逆方向に滑り出した。 淡い四つの光に囲まれて水上を音もなく動いていく様は、充分に幻想的だ。 「恐いっていうより」 「きれいですわ」 「うんうん」 思わずうっとりとつぶやいた時、かき消すように、水上の女の姿も、小さなよっつの明かりも、見えなくなった。 「消えた?」 と誰かが口にしたと同時に、不意に背後に人が立つ気配がした。 「今日は特別サービス」 慌てて一同が振り返ると、そこには、髪をアップにし、腰を細く絞った上品なドレス姿の女が、小さな四つの光を従えて立っていた。 「ヴァカンスはこれでおしまい」 「きゃああああああ!」 「ひょええええええ!」 自分たちの大声に我に返った六人が目を凝らした時には、あたりは暗闇に戻り、不思議な女の姿は影も形もなかった。 「精霊にも夏休みがあるんだねえ」 メイはしみじみと言った。 あの女は何者であったのか。六人で話し合った結果、どこかの「湖の貴婦人」がクライン郊外の湖に避暑にでもやってきたのだろう、という結論に至った。正しいかどうかは、誰も知らない。 「いくら守り神でも、ずっと同じ場所にいると飽きるのかもしれませんね」 「驚かされたけど、怪談ってほどじゃなかったね」 「そもそも、幽霊だとか言って騒いでいたのは、あなた一人なんじゃないですか」 「えー、そんなことないってー」 頬をふくらせた後で、メイは空を見上げる。 「精霊の夏休みが終わりってことは、夏も終わりってことかな」 「そうですね。ほんの数日で、随分日差しがやさしくなりました。私の苦手な時期は通り過ぎたようです」 「夏の終わりって、なんか寂しいね。来年また会えるといいな」 「さあ。あんな騒がしい人々は向こうからお断りなのでは」 言いながら、イーリスも顔を上げ、メイが見つめる空に、祭の後の寂しさを感じ取っていた。
元ネタは落語の「皿屋敷」です。この一ヶ月前に聞いたばかりのネタで、新刊の内容に苦しんでいる時、突然閃いてこの筋書きにしました。 最後ぐだぐだですが、それはいつものことなので…。 あとは、イギリスの伝承を適当に粉飾しました。 首なし女の幽霊は、ロンドン塔に出るというアン・ブーリンの幽霊が元ですが、こちらは両手で自分の首を持ってるだけです。 あんまりそのまま過ぎるのもよくないかと思い、銀のお盆にしました。これも何かで見たことあるような。もしかしてゲーム? 湖の貴婦人はアーサー王伝説とかにも出てくるらしいです(らしいって)。 |
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