レオニスの執務室を出て、ガゼルの部屋へと向かったシルフィスは、ガゼルとディアーナの恋の行方を心配すると同時に、レオニスに余計な心痛を強いている状況に、素直に腹を立てていた。 それはガゼルに向けられるべきものではなく、騎士見習いと姫との恋を認めない人々に対してのものだ。 そういえば、騎士アマディスも異世界の騎士も、結末は違えども周囲からの激しい反対にあったことは変わりがない。 騎士と姫君。 あの方は王女ではなかったけれど、高貴な血筋の方だった。 もしもあの時、二人が許されていたとしたら。 自分がこの世に生を受ける前の、あの人の命懸けの恋。 (まただ。何を考えているんだ私は。今はガゼルの心配をしなくちゃ) 頭を振ったシルフィスは、ガゼルの部屋の前に立ち、扉をノックした。 だが返事がない。 「ガゼル? いないの? ガゼル?」 大きな声を立てないように気を付けて呼びかけてみるが、部屋の中に人の気配はない。 既に最後の鐘が鳴り、とっくに門限は過ぎている。 夜間外出禁止の規則を破って、一体ガゼルはどこへ行ったのか。 (まさか、無茶なことはしてないとは思うけど) ディアーナ絡みの行動だという確信があった。 いくらガゼルでも、夜の王宮に入り込めるはずがない。 二人が自由に落ち合える場所といったら、それは・・・・・・ シルフィスは、レオニスにも知らせることなく、一人で宿舎を抜け出した。 「うひゃあ〜、シルフィスまで来るとはね〜」 「やっぱりここにいるんですね、メイ」 「しぃ〜。研究院の外れとはいえ、一応気は遣ってんのよ」 メイは扉の隙間から覗かせた顔の前に指を立てる。 「いつも、ここで?」 「ううん、今日はディアーナが泊りに来るだけのはずだったんだよ。なのに、突然あいつが飛び込んで来てさー。 もうあたしの立場は?って感じ」 言いながらメイは扉をそっと開けた。 「まあ、立ち話もなんだから、入ってよ」 「はい、お邪魔します・・・」 メイの部屋の中では、ディアーナが寝台に腰掛け、ガゼルが机の横の壁にもたれて床に座っていた。 シルフィスが挨拶の声をかけると、 「・・・・・・よう」 ガゼルは不機嫌そうに答えたが、照れ隠しなのかもしれない。 むしろ丁寧に頭を下げたディアーナの方が不安そうだ。 シルフィスがガゼルを連れ戻しに来たと思っているのだろう。 「で、ガゼルと一緒に帰るの?」 同様に考えたメイの問いに、シルフィスは答えに詰まった。 とっさにガゼルを追いかけてきたものの、自分が何をしようとしていたのか、よくわからない。 「ちょっと心配になって追いかけてきただけだよ。その・・・・・・」 「やあねえ、この二人が心中とか駆落ちでもすると思ったわけ〜?」 「私はそんな・・・・・・」 既に事情を聞いているメイに軽く突っ込まれて、思わず言いよどんだシルフィスの言葉に、ガゼルの顔つきが険しくなる。 「あのなあ、俺は絶対に逃げたりしないからな。駆落ちしたって、それじゃディアーナを幸せにできないんだよ」 「嬉しいですわ、ガゼル。でもあなたに迷惑かけてるみたいで、わたくし・・・・・・」 「何言ってんだよ! 迷惑とか、関係ないだろ!」 「・・・・・・あー、もー、勝手にやってれば?」 ディアーナとガゼル、二人の世界が出来上がりかけたが、メイが水を差したのを受けて、シルフィスが口を開く。 「えっと・・・・・・ガゼルの気持ちもわかるけど、その、隊長の気持ちも考えてみてね・・・・・・ 二人には幸せになってほしいけど、でも、すごくつらい思いをして、それでもうまくいかないこともあるかもしれない。 二人のそんな姿、私だって見たくない。 隊長は、逃げればいいって言いたかったんじゃなくて、そうせざるを得ない状況もあるかもしれないということで・・・・・・だから・・・・・・」 詳しい事情を語ることができないせいで、どうしてもまどろっこしい言い方になってしまう。 だが、一生懸命言葉を選びながらしゃべるシルフィスの姿には、理屈を越えた説得力があった。 ガゼルとて、レオニスの真情を見誤るほど、逆上している訳ではない。 「わかってるよ・・・・・・ありがとな」 「シルフィスには、レオニスの思ってることがなんでもわかるんですのね」 にっこりしながら言うディアーナとにんまりと肯くメイの視線に、シルフィスの頬が赤くなった。 「いえ、別にそういうわけじゃ・・・・・・」 「照れることないって、このこの?」 「やっぱ、隊長のことはシルフィスにお任せだなー」 「もう、ガゼルまで・・・・・・」 耳まで赤くしたシルフィスは、 「じゃあ、私は帰るからね。ガゼルも隊長に見つからないうちに、適当な時間には戻ってくるんだよ」 さっさと退散することにして扉に向かう。メイがくすくす笑いながら 「しぃ〜っ。静かに帰ってよね!」 扉を開けてやった。が、しかし。 「うきゃっ・・・・・・」 暗がりの中、扉を開けた真正面の廊下の壁際に、ひときわ背の高い男が立っていた。 「隊長! どうしてここに?」 大きな声を立てないよう必死で自分の口を押えているメイの隣りで、シルフィスが目を大きく見開いて尋ねる。 「お前のいるところは、いつでもわかる」 レオニスは、シルフィスにしかわからない程度にかすかに口許をほころばせた。 「帰るぞ。・・・・・・メイ、世話をかけてすまなかったな」 「え、いや、あたしは別に・・・(あせっ)」 「これ以上長居をして他の者に気付かれたくはない。悪いがこのまま失礼する」 「でも隊長、中に・・・・・・」 「せっかく迎えに来たのに、二人で帰るのは嫌か?」 「いえ・・・・・・嬉しいです」 さっきまでの狼狽して照れた赤みから、もっと素直なばら色に頬を染めかえて、シルフィスはメイに会釈をすると、呆然と立ち尽くすメイを残したまま、二人連れ立って暗い廊下に消えていった。 「はあ〜っ、心臓に悪いものを見てしまった?」 我に返って慌てて扉を閉めたメイの叫びに、それまで息をひそめて成り行きを見守っていた室内の二人が大きく息をつく。 「レオニスったら、見逃してくれたんですのね」 「やっぱり隊長は、俺たちのこと信頼してくれてるんだな」 「ガゼル、わたくしたちも、あんなふうになりたいですわね」 再びラブラブモードに突入していく二人の傍らで、メイは髪をかきむしっていた。 さっきからディアーナとガゼルのカップルだけでも持て余していたのに、シルフィスとレオニスにまで見せ付けられるとは。 (もう〜ここはあたしの部屋なのに〜っ!) もっともそういうメイも、明日になれば、どうやってか今晩の騒ぎを嗅ぎ付けた恋人に詰問されて、焼きもちを嫉かれる幸せを味わうことになるのだが。 研究院から騎士団までの道のりは、決して近くはない。 その距離を、こんなに遅い時間にレオニスと二人で歩くのは、シルフィスにとって初めてのことだった。 冬の空は冴え冴えと高く、星が美しい。 「隊長は、私たちのことはお見通しなんですね」 「そんなことはない・・・・・・私にわかるのはほんの少しだけだ」 その証拠に、ガゼルと姫のことを今日まで知らなかったのだから、と言って微笑んだ恋人につられて、シルフィスもまた微笑んだ。 「・・・・・・殿下はまだ、ご存じないそうだ」 レオニスの言い方になんだか楽しそうな響きを感じたのは、気のせいだろうか。 シルフィスは、これからのガゼルの恋の道のりの険しさが想像できて、今更ながらガゼルに同情した。 そう、二人の恋路は険しい。 騎士と姫君との恋は、結ばれても結ばれなくても、つらく厳しいものになる。 それが片想いだったとしたら、どれほどの痛みを伴うのだろう。 シルフィスの思考が何時間か前の迷路に戻っていく。 「本はどこまで読んだ」 「えっ・・・・・・」 心の中を見透かされたようでシルフィスは驚く。 「助けを請う女はもう出てきたか?」 シルフィスが肯くと、レオニスはその後の粗筋を簡単に説明した。 助力を懇願する女を憐れんだアマディスは、彼女を助けるために願いを聞き届ける約束をする。 ところがその女は反逆の魔法使いの妻だった。 正体を現した女は、約束を盾に、囚われの反逆者の釈放を迫る。 釈放すれば彼に復讐するに違いない魔法使いを、約束通り、アマディスは自由にするのだ。 「なぜ私がここを読むよう奨めたか、わかるか」 「・・・・・・いいえ」 「騎士の誓いの言葉は絶対だ。違えることは許されない。相手が誰であってもだ。姫君であろうと、敵であろうと」 「・・・・・・」 「騎士アマディスの物語で最も有名な詩を聞いたことがあるか?」 「あ、はい、今日の昼間、姫から教わりました。えっと・・・・・・」 シルフィスが思い出そうとするよりも早く、レオニスは静かに詩句を暗誦した。 人生の冬来たりて 汝が面(ながおもて)色褪せても 我が心変わることなく 永久(とこしえ)に御身(おんみ)を愛さん シルフィスはレオニスの顔を振り仰いだ。 「これもまた誓いの言葉だ。そして、誓う相手は姫君とは限らない」 レオニスの深い青い瞳が、シルフィスの鮮やかな緑の瞳を捉える。 「今の私の誓いはお前のものだ、シルフィス」 騎士の心は信頼と誠実。そしてそれは人を愛する心と同じ。 レオニスがかつて焦がれた人を忘れることはないだろう。 それは誰にも傷つけることのできない思い出の結晶。 けれど、その思い出に囚われていないからこそ、騎士と姫との恋物語を見せてくれたのだ。 乗り越えて過去になった物語の一つとして。 シルフィスは思う。この人が、愛の誓いをすらすらと言えるような器用な性格だったら、こんなに回りくどくて迷わせるようなことはしなかったのだろう。 この騎士物語が、もしかしたら彼の知っている最もロマンチックな恋愛小説だったのかもしれない。 「レオニス・・・・・・私も誓います。ずっとあなたのお側にいます」 シルフィスはそっとレオニスの腕に、自分の腕をからめた。 「たまに名前で呼ばれると、照れるな」 「たまにだからいいんです」 微笑みを交わしながら、二人は歩いていく。 今、夜空のすべての星が、二人だけを照らしている。
作中で出てくる騎士アマディスの物語は、実在する中世ヨーロッパの騎士物語です。 詩は私が勝手に作りました。 オリジナリティがないのは、語り継がれるうちにわかりやすいありきたりの詩になったせいだと思ってくださいね(言い訳)。 この内容を受けているのがガゼルディア創作「One and Only」です。 一応続きもある予定なのです。 |