波乗りハニー
 

  クラインの夏は暑い。アツはナツい、と思わず口走ってしまいそうになるほど暑い。
「なのにみんな、けっこう暑苦しい格好してるよね〜。あたしには信じらんない」
「そうですかしら。これでも夏服なんですのよ」
  王宮の豪華な、しかしクーラーのないディアーナの部屋で、メイは、納得できない、といった様子で首を振る。
「それでも暑そうだよ! そんな長いスカートでよく我慢できるね」
  メイからすれば、王宮や研究院の人々の服装は見ているだけで暑くなる。白い服ならいいというものではない。騎士団の面々の方が、動きやすさを重視しているせいか、かなりましだ。
「そうですわね。とっても暑い日には、わたくしもメイやガゼルが少しうらましくなりますわ」
「やっぱりお姫さまってのも大変なんだね……そういえば、ガゼルは春からあの格好だったっけ」
  メイはクラインの服飾文化の謎をしみじみしとかみしめながら、グラスの冷たいお茶を飲み干した。
「んー、こんな日は泳ぎに行けたらいいのになー」
「泳ぐといえば、メイはご存じですかしら。森の湖にモンスターが出るそうですわ」
「シルフィスが遭ったっていう奴?」
  シルフィスが隊長と見回りに行ってモンスターに遭った、という話ならメイもこの間聞いた。
「あれは森のモンスターが迷い出て来たのでしょう。そうじゃなくて、何かが湖に住み着いたらしいんですの。つい最近のことですわ」
「どんなの?」
「ちゃんと見た人は誰もいないんですけど、胴体は馬よりも大きくて、長い首としっぽがあって、頭は狼なんですって」
「……誰も見たことない割りには、やけに詳しいじゃん」
  正しいツッコミだ。
「それってネッシーみたいなもんなのかな」
「ねっしー?」
  ネッシーとは、スコットランドのネス湖に棲むと言われた怪獣のことだが、後に証拠写真がでっち上げだったことが明らかになっている。
「なんか面白そう。ねえ、見に行こうよ」
「ええっ、恐いですわ」
「やばかったらソッコー逃げればいいよ」
  一度は恐いと言ったディアーナも、好奇心が旺盛なことではメイと変わらない。魔法が使えるメイと一緒なら大丈夫かも、と思い直し、二人で早速湖へ向かうことにした。
  女官や警備の者の目をかすめて、王宮を抜け出した二人にとっては、言うなればいつものお忍びの散歩と同じで、ほんのささやかな遠出のつもりだった。
  メイはもちろん、ディアーナでさえ、時々一人で湖を訪れる。たまにはイーリスに出会ったりすることもある。
  森の湖そのものは、別に恐い場所でもなんでもない。
  この日も、湖の面は静かで、太陽の光を反射してきらきらと輝いて見える。
「特になんてことなさそうだけどね」
  湖のほとりに立って汗を拭いながら、メイはあたりを見回す。
「モンスターが出たら恐いですけど、でも何にもないとつまりませんですわ」
「はは、確かにね」
  ディアーナの言っていることは、矛盾しているが、気持ちとしてはよくわかる。
  メイは笑いながら、水際まで近付いていった。
  少しだけ風があるのか、岸辺に小さく波が寄せているのが見える。
「泳げたらいいのになー」
  水の涼感に誘われて、思わずメイがつぶやいた時。
  異変は突然起こった。
  地響きもかくやというほど、ごうごうと大きな音を立てて、湖が波立ち始めたかと思うと、メイの目の前に、激しい水音と共に、巨大な水柱が立った。
「きゃあああーっ! メイーっ!」
  ディアーナの悲鳴は轟音にかき消され、メイの姿も、二人の間に降り注ぐ水のカーテンによって、まったく見えなくなった。
  照り付ける真夏の太陽の下、まさか、こんなことになるなんて、誰が想像できただろう。
 

「早く来て下さいですの。メイが大変なんですの」
  ディアーナに引きずられるように連れて来られたのは、シルフィスだった。
  大急ぎで街へ戻ろうとしたディアーナが、ちょうどシルフィスと森の中で出くわしたのだ。
「落ち着いて下さい、姫」
「そんなこと無理ですわ。水がバシャーっとなってザザーってなって、もうわけがわからなくなって大変だったんですのよ」
  確かに、これだけでは、何がなんだかわけがわからない。
「ここですわ。メイー! メイー!」
  先程メイが立っていた場所で、ディアーナは必死にメイの名を叫ぶ。
「姫、もう一度ちゃんと説明して下さい」
「だからですわね。噂の湖のモンスターが現れて、メイをさらっていったんですの」
「モンスターを見たんですか?」
「水しぶきがすごくて、よく見えませんでしたけど、きっと噂になってるモンスターですわ」
「……結局見てないんですね」
  冷静なシルフィスは、ツッコミをせざるをえない
「だって、とにかくゴゴーッてものすごい音がして……そう、ちょうどこんな感じ」
「えっ」
  ディアーナの言う通り、ごおっと水の流れる音がしたかと思うと、たちまち水面が波立ち、ついにはゆっくりと渦を巻き始めた。
「きゃー! さっきとおんなじですわー!」
「姫! 危ない!」
  慌ててシルフィスは、庇うようにディアーナの前に立つ。
  いつもは穏やかな湖が泡立ち、大きく波がうねっている。上から見なければわからないが、多分湖全体が大きな渦を巻いているのだろう。
  そんな想像に、身が竦む思いで二人は息を呑んで立ち尽くす。
  その時、波の間から突然青い物体が飛び出して来た。
「きゃあーっ!」
「あっ!」
  その物体は、ミニスカートをひるがえし、板切れの上に立って、波の上を滑っていた。
「いやっほ〜っ♪」
「メイ!」
  それは理解を越えた光景だった。
  あっけにとられて口を開ける二人の前に、ぐるりと湖の上を一周したメイが、ひらりと降りてきた。
  いつの間にか波は収まっている。
「やっほー! シルフィスも来てたんだ」
  板切れを抱えて、あー楽しかった、と笑うメイに、ディアーナとシルフィスは急いで駆け寄る。
「大丈夫ですの」
「怪我はありませんか」
「まあまあ。みんな落ち着いて」
  この状況で落ち着いていられるメイは、大物だ。
「湖に落ちたんじゃなかったのですか」
「落ちたんだけどね」
  しかしどこも濡れていない。
「このコが助けてくれたみたいで」
  見ればメイの右肩に小さな生き物が乗っている。
  小鳥のようにも見えるが太った魚のようにも見える。
「まあ、ぬいぐるみみたいですわ」
  触れようとしてディアーナが指を伸ばすと生き物の口がかぱっと開いた。
「きゃっ」
「大丈夫だよ噛んだりしないから」
「ぷみー」
  口を開けたまま、不思議な生き物が声を出した。
「しゃべりましたわ!」
「鳴いたっていうんですよ」
  この状況でいちいち訂正するシルフィスも、律義すぎる。
「ぷみーって鳴くから、プミーって呼ぶことにしたんだ」
「よく見ると可愛らしいですわね」
「ぷみー」
  再びディアーナが手を伸ばすと、今度は無事になでることができた。
「メイを助けたなんて、えらいですわ」
「ほんと、おかげで助かったよ」
「……和んでいるところ申し訳ないのですが、それはモンスターじゃないんでしょうか」
「そうかも」
「えっ、これがそうなんですの?」
  噂とは随分違う。
「モンスターとはいっても、悪いモンスターではないようですね」
「そうそう。このコの回りだと息ができるし濡れないの。それにこのコにはすごい特殊能力があるのよ」
「特殊能力?」
「湖の水を回せるの。まるで回るプールみたいに!」
「ぷーる?」
  まるでというよりそのものずばりの喩えだが、それでもというかやはりというか、プールがない世界の住人には通じない。
「多分、大きな波を起こせるせいで、巨大なモンスターだと勘違いされたんじゃないのかな」
「なるほど」
  メイの解説ももっともなのだが、それにしても、勘違いもせずあっという間にモンスターと馴染んでしまっているメイの順応性は、さすがとしか言いようがない。
「だから、見たでしょ。このコが一緒だと楽々サーフィンができるのよ」
  海がない地方の住人には、サーフィンという言葉も通じない。それに気付いたメイは改めて言い直した。
「要するに波乗りのこと。れっきとしたスポーツよ。みんなもやってみる?」
「さっきのように、水の中から突然飛び出すスポーツですか?」
「いや、そうじゃなくて……じゃ、あたしがもういっぺんやってみせるね。頼むよプミー」
「ぷみー」
  メイは、右肩に生き物を乗せたまま、湖の縁に立って水面に板を浮かせた。
  その板の上に足を乗せるや否や、再びごおっという音がし始め、見る見るうちに水面が大きく渦を巻いた。
「わーっ!」
  驚いて見守るディアーナとシルフィスを尻目に、メイの乗った板切れはするすると水の上を進み出す。
「すごい。メイったら、波の上に立ってますわ!」
「すばらしいバランス感覚ですね」
  真夏の強い陽射しを浴びながら水の上を滑るメイは、光る水しぶきがに彩られ、生き生きと輝いて見える。
「かっこいいですわね」
「それに、とっても涼しそうです」
  水の上に人が立っているなんて、ディアーナとシルフィスにとっては、生まれて初めて見る不思議な光景だ。
  それでも驚きは長く続かず、メイの姿に引き付けられてしまう。
  モンスターの怪異も忘れ、楽しそうに波に乗るメイを、やはり楽しそうに二人はずっと見つめていた。
 

  後日、王都に新しい噂が流れることになる。
  森の湖には、真夏のある日、少女の姿をした夏の女神が現れる。彼女は天から降りて来て、いっとき水の上を駆けて涼を得ていくのだと。
  それを聞いたメイは首を傾げていたけれど、ディアーナとシルフィスは、一瞬驚いた顔をした後で、否定せずに微笑むだけだった。
 


    サザンをBGMにして、同人誌『高気圧ビーナス』を作っていた時のこと。
    いかにもタイトル通り、すかっと晴天、というお話が書けないかな〜と考えていたら、この「波乗りハニー」という一文が浮かんでしまいました。
    明らかに「波乗りジョニー」の影響…。
    浮かんでしまった以上、しょうがない。これをタイトルチューンと思って書こうじゃないか!
    最初の案では、後半のシーンにキールも出してツッコミ役にしようと思っていたのですが、ラストシーンの前で4人になると台詞の書き分けができなくて、もう訳がわからなくなるのでやめました。
    まだまだ修行が足りないです。
    モンスターもね、はにわのハニーにしたかったんだけどね…
 

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