クラインのつぼ
 

 王宮の一室で、二人の男が額を寄せている。
 その姿は、密談、というほどではないが、隠し事めいた雰囲気がある。
 皇太子が筆頭魔導士に尋ねる。
「それで? キールはなんと?」
「古文書に書いてある以上のことは、わからないとさ」
「ふうむ」
 右手を顎に添えて皇太子が考え込んでいる間に、ノックの音が響いた。
「入れ」
 現れたのは長身の近衛騎士である。
「お前を呼んだのは他でもない。騎士の仕事としては不本意だろうが、ぜひ引き受けてもらいたいことがある」
「……仰せのままに」
「古より伝わる秘宝なるものがあるらしい。探してくれ」
「かしこまりました」
「詳しくはこれを見てくれ」
 皇太子から紙片を受取った筆頭魔導士が、近衛騎士にそれを手渡す。
「お前さんが一番適任だと思ってな。俺が推薦した」
「探してもらうのは、クラインの壷だ」
「クラインの壷?」
 勢いよく顔をあげた近衛騎士は、その瞬間、言葉を呑んで動きを止めた。驚愕に歪んだ表情のまま固まると、ゆっくりと膝から崩れ落ちていく。
「レオニス?」
「おい、レオニス!」
 二人が駆け寄る。筆頭魔導士は、つとめて冷静な口ぶりで言った。
「こいつは魔女の一撃だな」
 

「大変、大変、大変ですわーっ!」
 ディアーナが飛び込んできたのはメイの部屋だった。
「メイ、聞きました?レオニスが大変なんですわ」
「あ、ディア。それって王宮で倒れたって話だよね」
 シルフィスに聞いた、とメイが応じる。
「お兄さまとシオンといっしょにいる時だったんですって」
「それって殿下の呪い、じゃないよね」
 メイとしては、以前神殿で見た光景が脳裏をよぎったので、つい言ってしまっただけだった。だが、ディアーナは目を大きく見開いた。
「まあ、メイ、そうなんですのよ、呪いなんですわ」
「ええっ? 殿下の呪いなの?」
 それはまさしく天下の一大事だ、と口にする前に、ディアーナが首を振る。
「お兄さまじゃなくて、壷の呪いですわ」
「壷?」
 ディアーナは真剣そのもののまなざしで続ける。
「シオンが言ったんですの、あれは魔女の一撃だって。きっと魔女が壷にかけた呪いの魔法なんですわ」
「で?」
「きっと壷の謎を解けば、魔法も解けて、レオニスも助かるんですわ」
「ごめん、だから、壷ってなんなのよ!」
「キールから聞いてないんですの?」
「聞いてないよ!」
「キールが読んだ昔の書類に、宝物の壷のことが書いてあったんですって」
「あー、そういう壷」
「お兄さまもシオンも、あんまりくわしく教えてくれなかったんですけれど、その壷をレオニスに探してもらおうと思ったら、倒れてしまったんですって」
「ふーん」
「ね、だからこれは、壷の呪いなんですわ」
「いや、それはちょっと飛躍しすぎ」
 ディアーナの話から、だいたいメイにも様子がつかめてきた。正直、シルフィスから聞いた話は、王宮に絡んだ大事のようには思えなかったのだ。もっとも、シルフィスも詳細は知らなかったのだろうが。
「とにかくさ、ディア、キールのとこに行ってくわしい話聞こうよ」
「いいですわね」
 こうして二人は連れ立って、研究院のキールの部屋を訪ねた。
 

「くわしいことは話せないな」
 キールはにべもない。
「えーっ、けちーっ!」
「どうしてですの、キール」
「国家機密だ」
「うそ。どーせくわしいことがわからないんでしょ」
 メイの突っ込みに、キールは嫌そうな顔をする。
「もうお兄さまとシオンから、だいたいの話は聞きましたのよ。壷の話を教えて欲しいんですの」
「まったく、あの方たちは、俺には他言無用と言っときながら……」
 キールは不満そうにぶつぶつと口の中でつぶやいたが、結局は教えてくれた。要するにこういうことである。
 キールが解読していた古文書に、繰り返し「クラインの壷」という単語が出てきた。詳細は不明だが、どうも非常に価値の高いもので、長い間捜し求められているものだ、というところまではわかった。
「結局それしかわからない、と言えばその通りなんだが」
「その壷って、どんな壷なんですの? 呪いの壷じゃないんですの?」
「それがわからないから苦労してるんじゃないですか。だいたい、なんですか、呪いって」
 キールとディアーナの会話の横で、メイが首をひねった。
「クラインのつぼ?」
「なんだよ、俺の翻訳に文句あんのか」
「文句じゃなくて。なんかそれ、聞いたことあるなあ」
「本当か」
 キールが色めき立つ。
「でもあれは、実在しないってことじゃなかったかなあ」
「もったいつけないで、くわしく話せ」
 いつものキールなら、どうせお前のことだから当てにならない、などと軽いジャブで攻撃するところだが、今回は先を急かす。それだけ興味があるということだ。
 ディアーナもおとなしく、メイの言葉を待つ。
「うーん、ここはクラインだから、本当にそういう壷があるのかもしれないから、あたしがこれから言うのは違うことのような気もするんだけど」
 メイはためらいながらも続けた。
「メビウスの輪って知ってる? 表も裏もない輪っかのこと」
「表も裏もない? そんなものがあるんですの?」
「輪より壷だろうが」
「まあまあ。ものには順序というものが」
 そう言ったメイは、机の上にあった紙切れを、これいい?と確かめると、器用に細長く短冊形に破った。その一片を手に取ると、短冊の短い辺同士を、まっすぐにつなげる。
「今、紙をひねったりよじったりしないでつないだよね。こうすると、表と裏って言うか、外側と内側ができるでしょう」
 そうして、そこにあったペンで、紙の輪の外側の片面をなぞってみせた。ペンで描いた線は外側を一周し、出発点に戻る。内側は白いままだ。
「それがどうした」
「でね、今度はこう」
 さっき作った短冊の別の一枚をとりあげると、今度は一回ひねってから、同様に短い辺同士をつなげた。ねじれた紙の帯ができる
「同じようにやってみるね」
 メイはまた、ペンで帯の表面をなぞり始めた。さっきと同じように、ペンで描いた線は出発点に戻ってくる。だがさっきと決定的に異なる部分があった。
「どう?」
 帯には、白いままの内側の部分がなかった。一本の線が、一枚の紙の裏表であるはずの部分すべてに描かれていた。
「これは……」
「まあ、すごい! 魔法なんですの?」
 キールもディアーナも目をみはる。
「これがメビウスの輪。輪っかって普通は裏表があるはずなのに、これにはない。面白いな、フシギだなー、というわけで、これの立体版が、あたしの世界では『クラインの壷』って言われてる」
「立体版?」
「えーっと、こっから先は実演できないからつらいんだけどさ。壷にも普通、裏表っていうか、内側と外側があるよね。これを、さっきみたいに一回ひねった壷を作ると、内側と外側のない、一面つながった壷ができるという」
「???」
「ごめん、わかんないよね。あたしの世界でも、頭の中では考えられるけど実際には作れないってことになってるんだ。えと、多分」
「頭の中でもわかりませんわ」
 目を白黒させるディアーナの隣で、キールは黙って考え込んでいる。
「あくまでも、あたしの世界の話だから。ここはクラインなんだから、クラインの壷っていう名産品かなんかがあってもおかしくないと思うし」
 数学の時間に聞いたのか、それとも小説で読んだのか、出所は定かではないから、これ以上のことはメイにも言えない。
「キールはどう思うんですの?」
 ディアーナが尋ねる。
「今の話は、思考実験として、なかなか面白い。古文書の解読に直接役立つかどうかは、今のところ何とも言えないが」
「キールらしい答えね」
「壷が実在しない可能性や、たとえ話である可能性も検討しなければならない、と気付かされた点では有意義だった。礼を言う」
 学者らしい真面目さを発揮するキールをこれ以上邪魔する理由はない。
 壷問題は未解決のままだが、ディアーナとメイは、キールの部屋を後にした。
「メイのお話、壷のところはよくわからなかったんですけど、メビウスの輪でしたっけ、あれはとっても面白かったですわ」
「初めて見るとびっくりするよねー」
 言いながらメイは、さらに未解決の問題があることに気付く。
「ねえ、隊長さんはどうなってんの?」
 こうして二人は、見舞いとも情報収集ともつかないまま、騎士団を訪ねることになった。
 

 騎士団で二人を迎えたのはシルフィスだった。
「隊長のお見舞いですか。ありがとうございます」
「いやー、お見舞いっていうか、そもそも隊長さん、病気なの?なんなの?」
 呪いですわ、とディアーナが言い出す前に、メイが急いで尋ねる。
「病気ではないです。全体的にはお元気です」
「全体的にって?」
「立ったり座ったりできないだけで、意識もはっきりしてらっしゃいます」
 そう言ってからシルフィスはディアーナに向き直った。
「王家にまつわる壷のことで任務を賜ったとか、とても気にしておられましたが、任務の方は大丈夫なんでしょうか。殿下は何か言っておられましたか」
 ディアーナは、先ほど兄に会った時のことを思い出してみる。
「壷のことはレオニスに任せるから、早く治すようにって」
 要約するとそう言っていたはず、とディアーナは結論付けた。
「それを聞いて安心しました」
 シルフィスが、心底ほっとしたように微笑む。レオニスの心配事にすっかり感情移入していたのだ。
「ねえ、シルフィス、隊長さんは壷のこと何て言ってた?」
「先ほどまでお側にいたのですが、壷の説明をたくさんしていただきました。さすが隊長です。王都で一番壷に詳しいのは隊長ですね。きっと殿下もそれを見込まれて、隊長に壷の任務をお与えになったのですね」
 レオニスの壷うんちくにすっかり影響を受けたらしいシルフィスを前に、これ以上聞いてもクラインの壷については何もわからないだろう、とメイは確信した。
「さっきまでってことは、今は隊長さん一人なの?」
「いえ、イーリスさんがいらしています」
「イーリス〜ぅ?」
 思いっ切り不審そうな声を出したメイとは別に、
「まあ、イーリス?」
 ディアーナも驚いて声をあげた。
「イーリスに魔女の呪いが治せるんですの?」
「いや、ディア、呪いかどうかはまだ」
 わからないから、と止めようとしたメイをシルフィスが制した。
「呪いではないそうです。魔女の一撃だそうです」
「は?」
 呪いなどと言ったらシルフィスが心配するだろう、というメイの心配は杞憂だった。それどころか、事態は魔女の一撃ということで確定しているらしい。
「そうそう、魔女の一撃ですわ」
「はい。シオン様から聞いたと言って、イーリスさんが」
「なんか、もーれつに心配になってきた。インチキじゃないの、大丈夫?」
「人払いをと言われて、出てきたんですが、気になりますか?」
「なる! 人払いなんてますます怪しい!」
 メイの勢いにつられて、シルフィスもディアーナも連れ立って、三人で隊長の部屋の前まで様子を見に行くことにした。
「しー。静かに」
 一応、人払いされた手前、気付かれないようにドアの前に立ち、耳を澄ます。中からイーリスの声が聞こえた。
「大丈夫ですか、隊長殿。無理に我慢なさらなくてもよいのですよ」
「……」
「声を出した方が楽になりますよ」
 答えるレオニスの声は低くくぐもっていて聞こえない。
「……なんか、めちゃめちゃいかがわしくない?」
「いかがわしいってなんでしょうか」
「そうですわね、あやしいとか、やらしいとか?」
 そんな三人の会話の間にも、イーリスの声は続く。
「それでは、今度は強めにいきますよ。少し激しいかもしれませんが…」
 ばーーーん!
「イーリスーッ!」
 我慢できなくなったメイが、突然扉を開けて部屋の中に飛び込んだ。止める間もなかったシルフィスとディアーナが後ろに立ち尽くす。
「何やってんのーっ!」
イーリスは、ベッドの横に立っていた。うつ伏せに寝たレオニスの腰の上に手を置いている。
「おや、これはこれは、お嬢さん方、おそろいで」
 大して動揺した様子もなく、いつもの営業用スマイルを見せる。
「隊長、すみません、お邪魔をしてしまって」
 シルフィスが先に頭を下げた。
「そうじゃくてっ! 何やってるのよ、あんたはっ!」
 気色ばむメイに、イーリスは涼しい顔で言った。
「治療です」
「うそ! 医者でもないくせに!」
「いえいえ。これは、東方の国に伝わる技で、ツボ押しというものです」
「……は?」
「人の身体には、押すと痛みが引く『ツボ』という場所があるのです。隊長殿が魔女の一撃を受けたと聞きましたので、私でもお役に立てるかと思い、お邪魔した次第です」
「さては金儲け」
「人聞きの悪いことを。正当な報酬です」
 ここでメイはようやく、あることに思い至った。
「ねえ、さっきから言ってる魔女の一撃って、もしかして……」
「不意の腰痛のことを、ここではそう呼ぶのですよ。異世界から来たあなたはご存知ないかもしれませんが」
 そのとき初めて、この部屋の主であるレオニスが声を発した。
「……シルフィス」
「はい、隊長」
 それから視線と右手で、廊下を指す。
「はい、わかりました」
 シルフィスははきはきと答えると、
「失礼しました」
 言いながら、メイとディアーナを無理やり外へ連れ出し、さっさとドアを閉めてしまった。
「すみませんが、治療の途中だったので。お見舞いは、また後にして下さいね」
 含むところなど何もなくにこやかなシルフィスに、メイは言い返す言葉もなかった。
 ただし、どうしても確認しなければならないことがある。
「魔女の一撃って、もしかして、ぎっくり腰のこと?」
「わたくしは、そんな言葉聞いたことありませんわ」
 ディアーナは首を傾げる。深窓の令嬢である姫君のボキャブラリーには、入っていなかったらしい。
「ぎっくり腰というのは、なんでしょうか」
 シルフィスが真面目に聞いてきたが、考えてみると、メイにも正確には説明できない。
「いや、もういい。忘れて」
 がっくりとうなだれるメイの傍らで、ディアーナが口を開いた。
「ねえ、さっきイーリスが言ってましたよね、ツボを押すって。クラインのツボってそのことですの?」
「そんなオチ!?」
 メイは、脱力を通り越して、笑うしかなかった
「あたしは笑いのツボを押されたよ……」
 シルフィスが驚いたように言った。
「笑いの壷もあるんですか。壷って奥が深いんですね」
「ほんとだね。奥が深いね、言葉って……」
 メイは遠くを見ながら、長いため息をついた。
 

 すべてはこのオチのために。


    2007年8月に夏コミ用に書いたもの。
    そう、ただ最後のオチが書きたかっただけ(爆)。
    「魔女の一撃」がなにか知ってる人には、最後の展開まで見え見えなんですが、まあ、笑って許して。
    この時、あやしいあおり文句を書いた粗筋を作って表紙に貼ったら(隊長に忍び寄る魔の手!メイはこの謎を解けるのか!その時シルフィスは!…みたいな)、いつもより売れた(ような気がした)のでびっくり。ポップって重要なのね。
 

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