「優しさ灯して」  片加 凪様

近頃シルフィスはどんなに友達が遊びに誘おうが、騎士団仲間が仕事を交代してくれと頼もうが、けっして夜の予定には頷かない。
そんな噂が流れていた。
 
 

「…ということらしいな、嬢ちゃん?」
「そーなのよー。あたしが泊まりにおいでよ〜って誘ってもね、絶対うんって言ってくれないの。」
「そりゃあ、嬢ちゃんに襲われるのが怖いからだろ。」
「…あたしは女の子を襲う趣味はないわよ、あんたと違って!」
「おいおいおい。」
「否定できないくせに。女泣かせの宮廷筆頭魔道士さん?」
「…あいかわらず、誤解されてるよなあ、俺も。」
シオンの執務室で、外庭に綺麗に咲き誇っている花を眺めながら、メイはのんびりお茶を楽しんでいた。
当然のように、お茶はシオン特製ブレンドティー。
彩りを添えるのは宮廷料理人ご自慢、他国からの大使も大絶賛の数々のお菓子。
会話も弾むというものだ。
「…だけど、まあ、シルフィスがそうしてる理由なんてのは簡単だ、嬢ちゃんだってわかるだろ?」
「そりゃーねー。…シルフィス、可愛い女の子になっちゃったね、すっかり。」
「おやおや、口調が残念そうだな。」
 にやにやと笑いながら、シオンはメイの瞳をまっすぐ見つめた。
「うるっさい。だって、カッコイイ男の子になって欲しいな…ってちょっと期待してたんだもん。」
 口をとがらせて言ったメイの前で、シオンはそれまでの意地悪さが嘘のように、ふんわりと優しい笑顔になった。
「ま、そう気を落とすなって。…な?」
「…ありがと。」
メイも、ふわっと笑顔になる。…けれど、その途端、シオンの表情が変わる。
「ここにもいい男がいるってこと、忘れるなよ?」
「……ったく、あんたはーー!人がちょーっと弱みを見せれば、すぐつけ込むんだからー!」
いつものように、怒ったメイと。いつものように笑うシオンと。
それは、ここのところの王宮の名物詩になっていた。
 
 

さて。そんな噂をされている当のシルフィスはといえば…
「部屋の片付け、よし。お料理、よし。玄関の灯り、よし。あとは…帰ってくるのを待つだけ。」
ひとつひとつ、指さし確認。
シルフィスが待っているのは、大好きな人。
隊長、とずっと呼んで尊敬してきて、そうして今はふたりの時は「レオニス」と名前で呼ぶ。
大好きな夫だった。
 
 

シルフィスとレオニスは、結婚するとき、ひとつだけ約束をした。
それは、レオニスよりも先にシルフィスが帰っていること。
帰ったとき、玄関の灯りを灯しておくことだった。
仕事柄、家に帰ってくるのが遅いレオニスよりも先に帰っていることはそう難しいことではなかったし、なにより、シルフィスもそうしたいと思っていたから、守れない約束ではなかった。
家をけっして空けるな、という意味の拘束ではないのだから。シルフィスがメイの家に泊まりたいと言えば、快くレオニスは許しただろう。
(メイには悪いことをしたかな…)
泊まりにおいでよ、という誘いを断ったのは、ただ、シルフィスがレオニスの側を離れたくないと思ったからだ。夜の勤務の交代を断ったのも、同じ理由。
(うーん…我が侭だよね。)
ちなみに、頼まれた仕事の交代は、一緒にいたガゼルが快く引き受けていた。
(ガゼルにもお礼言わないとね…)
考え込んでいるうちに、玄関から声がする。
「ただいま。」
シルフィスは慌てて飛び出していって、そうして笑顔で夫を迎えた。
「お帰りなさい。…レオニス?」
なにかあったのか、レオニスの顔が心なしか重苦しいように見えて、シルフィスはそっと問いかけた。
心配そうなシルフィスの頬にそっと手を添えると、レオニスは微笑んでいった。
「…やっぱり、お前の笑顔はいいな。ほっとする。」
(…何か、あったのだ。仕事のことで。でも、私は仕事の上では部下だし、レオニスは殿下のお側近く仕えていることで口外できないこともきっといっぱい抱えてる。聞いちゃいけないこともある。だから、私に出来るのは、ただ、声を掛けることだけ。居心地の良い場所を作ることだけ。)
何があったの、とは聞かない。
ただ、一言。
「お疲れさま。」
すべての想いを込めて。
 

…後日、シルフィスが「最近自分が我が侭な気がする」とディアーナにこっそりと相談したところ、目下恋愛中の姫君はきっぱりはっきり断言した。
「恋愛は人を我が侭にするんですわよ。もっと知りたい。もっと私のことを知って欲しい。もっと一緒にいたい。好きだって言って欲しい。抱きしめて欲しい。キリがありませんわよ。」
あまりにはっきり言う姫に、シルフィスはたじたじ。
「そ、そうでしょうか…。」
「そうですとも!…心配しなくても、シルフィスだけじゃありませんわよ?わたくしも時々、我が侭な自分が嫌になりますの。…相手が好きだっていってくれた、その時にはそれだけで十分だと思ってましたのに、ね?」
「…確かに。」
「ね、そうでしょう?」
女同士の、秘密ですわよ?
そう囁いたディアーナに、シルフィスははい、と頷いた。
「それで?シルフィス、今日は泊まっていってくださいますの?夜通しおしゃべりしましょう?」
「…す、すみません…帰ります…」
真っ赤になっていうシルフィス。
「…やっぱり、噂はほんとですのね。ま、いいですわ。新婚さんですもの。帰して差し上げますわ。」
くすくすと笑いながら、ディアーナはシルフィスを追い出した。
 
 

今夜もクレベール家の玄関には灯りが優しく灯っている。
 

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