――許すも何も、それでいいじゃないですか。シオン様。 そう言って微笑んだ、彼の者の瞳の美しさ。 どうして、そんな風にいられる? 奇麗事じゃねえか、所詮・・・・・・。 柔らかな青草が春めいた日差しに暖められて心地よい、王宮の近くにあるシオンとって置きの丘。 両腕を枕に寝転んで上を見上げれば、目の前に広がる薄青のグラデーション。 人間なんて儚くて、小さな存在だ。愛しい存在とも、壊しあって傷つけあっていくんだ。 神様みたいにそんな風に、全部許すなんて言うなよ・・・・・・・・・・。 シオンはごろんと寝返りを打って横向きになると、短い産毛のようにまるで頼りない草を掌で毟った。 彼に引き抜かれた僅かな青草は、掌を広げると微風に揺られてはらはらと零れる。 そんなもんだろ?誰だって最後は自分だろうが・・・・・・・・・・! それともお前のその瞳を通して見たら、この空も草も全部違うように映ってんのか? 同じもん見ても、俺とは全く違うように・・・・・・お前は見てんのか・・・・・・・・・。 王宮筆頭魔道士の珍しい真剣な憂い顔は、本人以外は滅多に人の来ない丘陵のとある場所にあった。 軽い口を叩いて笑い飛ばすか、妙に芝居じみた真顔で踏み込むか、今のシオンにはどちらも選択できない。 数々の女性と限りなく浮名を流し、女という存在を可愛く愛しく思いながら、それが一人の女に向けられることはない。 自分が一番大事で、自分が一番優位に立っていたかった。 そんなシオンは彼の者の、自分より常に他人を気遣い、危険を前にその身を躊躇することなく投げる姿が解せない。 危い場所だと知っても都合良く呼び寄せる自分さえ、憎むどころか心配するのだ。 本当の心の姿を偽っても、そのうちに剥がれるもんさ。 俺が崩してやるよ・・・・・・・・。 多分最初から、そんな風に斜に構えて見ていた。 それが・・・・・・・・・・・・崩せない。 他人のこと等お構いなしの不良魔道士なんだから、どうでも良い筈なんだが、何故だか自分の気持ちがすっきりしないのだ。 「くそっ・・・・・どうなってんだよっ。」 まったく整理のつかない己が心の様子に苛々したシオンは、横たえた体のすぐ脇にあった古木の根を軽く蹴り上げた。 そうしたところでびくともしない古木。広げた緑の腕は、まるで真上からシオンを笑っているように風に任せた葉擦れの音。 ざぁ・・・・・・・と渡ってゆく春の風が、滑らかな丘の産毛たちを撫でてゆく。 「おかしいなあ・・・・・・・・」 姿は見えない彼の者の声がシオンの思考をストップさせた。 な・・・・・・!! 「確かこの辺に落としたんだけどなぁ・・・・・・・」 なんでいるんだよっ・・・・・・・・・・・・・・・。 今日のシオンは自分でもコントロールし兼ねる。 不意に彼の者が現れたといったって、誰も来ない筈の場所は誰も来れない場所ではない。 巡回中に立ち寄って落し物をしたとか、誰かと以前に来たことがあるとかいくらでも考えられる。 ところがいつもの人を食ったような態度も笑顔も出ては来ず、シオンは寝転がったままで押し黙ってしまった。 本当なら先回りでもして彼女の足でも掴んでるのかもしれないが、珍しく知らん振りを決め込むらしい。 シオンが閉じていた目を薄く開けると、太い幹の向こうに金色の髪が揺れていた。 ・・・・・裏にいるじゃねえかよ・・・・・・・・・ 心の中では自分と彼の者のその距離が、遠いような近いような不思議な隔たりを感じる。 大きな古木一本隔てた向こう側は輝く太陽の下、神のごとく清らかに辺りの空気さえ違うような気がするのだ。 眩しい金色の流れる糸に、シオンはゆっくりと背中を向けた。 落し物ならすぐに見つけてここから出て行って欲しい。 それは、彼の本心だった。 何故なら、シオンは認めたくなかったのである。 たかが知れてると見縊っていた子供に、自分が軽く振り回されてしまいそうな事を。 相手自身にそんな自覚はさらさら無いのが余計に腹立たしい。 「シオン様。風邪引きますよ?」 ところがこの美しい女神様は彼の気持ちなど察する術を知らない。 寝ていると思ったのだろうか? 背後から顔を近づけると邪気のない微笑を、かなりの至近距離で投げかける。 「おっ、おいっ!」 さっと身を起こしたシオンが何故か後ずさる。 シオンは自分の心がこうも掻き乱される事に苛立ちながらも、その場を離れられないでいる。 「??????」 そんなスチャラカ魔道士の動作を初めて見る彼女は美しく澄んだ緑の大きな瞳を丸くしてぱちぱちと細かく瞬きをした。 「はい??」 そういうと、彼女はシオンの隣に腰を下ろしてしまった。 シオンが横目で彼女を睨みつける。 いつもの迫力は無く、まるで牙を折られた狼同様に大人しく見えるのだが。 「なんで座るんだよ。」 「は・・・・い、すみません。」 金の髪が風にさらわれてシオンの目の前をさらさら流れる。 心に迷いも疾しい事もない彼女は叱られてもシオンには神々しいくらいの笑顔で応えている。 「こんなところで・・・何してる。」 柔らかい草の大地に片膝を立てたシオンがやはりじろりと迫力の無い横目で問いかけた。 「それが・・・・・・その。」 「落し物か?」 「・・・・・・・・・ええ、まぁ。」 彼女・・・・・シルフィスの笑顔は全てを包み込むような暖かさに満ちている。 シルフィスの笑顔が春の花のように華やかにシオンを包み込んで行く。 それが意外に心地良いのがシオンは気に入らない。 「んで、探しもんは見つかったのかよ。」 「・・・・・・・・・ええ、まぁ。」 「だったらなんで座ってんだ。」 「それがその・・・・・・・・・」 気に入らない。気に入らない・・・・・・! シオンはニヤリといつものようにしたり顔をつくると、シルフィスの方に顔を近づけようと腰を浮かせて呟いた。 「惚れても無駄だ・・・・・・・あ?」 「やっぱり!!」 シルフィスの前に両手を突いて顔を近づけたとき、彼女はシオンの腕の下にさっと潜り込んでしまった。 「わっ・・・・・・な、なんだっ??」 「良かった〜!」 「おいっ。」 四つんばいになったシオンの下で、何故か明るい声を上げる少女。 頭が逆の方にお互い向いているのでなんのことだかさっぱり分らない。 「いいから、そこから出て来い!」 「あぁ・・・・・そうですね。」 にこにこしながら、シオンの体の下から出てきたシルフィスの白い掌にはある物が乗っていた。 どうやら彼女の探していた落し物を、シオンが踏んづけていたらしい。 「良かったです。見つかって・・・・・・」 そう言って嬉しそうにシルフィスが眺めた掌の上は・・・・・・・・・。 以前にシオンが、女性に分化した彼女に贈った髪留め。 女性への贈り物を選ぶのには事欠かないシオンが、それと決めるまでにどれだけ時間がかかったか。 シオンは唖然とシルフィスと髪留めを交互に見比べた。 「前に巡回に来た時に落としたんだと思って・・・・・・・」 シルフィスの手からさっと髪留めを取ったシオンはそれをじっと眺めた。 何よりも金の髪に映えるように、騎士の彼女の妨げにならないように、そして気高く清らかなその佇まいを邪魔しないもの。 自分が崩してやると言っておきながらシオンは彼女にそれを選んだ。 彼女の見せる真直ぐ素直な心が本物で、自分には決して崩せはしないと何処かで認めていたのだろうか。 ――許すも何も、それでいいじゃないですか。シオン様。 そう言って微笑んだ、彼の者の瞳の美しさ。 それは紛れも無く本物で、彼女の本心。 「シオン様に頂いた髪留めですよ。」 疑心のない少女の微笑みはシオンには眩しい。 素直に嬉しい悲しいと顔に書ける少女は憎らしいが愛しい存在。 「後向けよ。シルフィス。」 シオンは彼女の肩に手をかけると後を向かせる。 「えっ・・・・・?何ですか?」 手の中の髪留めの留めをそっと外す。 「付けてやるよ・・・・・・・・・。」 「はい。」 きっと少女は先程と同じように疑いのない笑顔で座っているに違いない。 シルフィスの滑るように流れる金の髪を手で掻き揚げる。 さらさらと落ちる金の糸は光を浴びて輝く。シオンの掌の中で・・・・・・。 「なんだか優しいですね、シオン様。」 僅かにシルフィスの頭が傾いた。 その小さな可愛らしい頭を前に戻しながらシオンは笑って答える。 「じっとしてろ。俺はいつでも優しい。」 「そうですね・・・・・」 一人で居ればまたさっきのように、心が騒ぎ出すのかもしれない。俺は俺だから。 それならいっそ、いつも傍に居れば・・・・・・。 明日になればシオンはまたスチャラカ魔道士に戻っているのだろう。 こんな風に素直な気持ちで居られるようにも思えない。 しかし今は・・・・・・・。 「早く止めて下さいよ、シオン様・・・」 いつまでも髪を留めずに掌で梳いているシオンにシルフィスが声をかける。 「まだだ。」 シオンは優しいシルフィスの感触に直に触れながら遊んでいるように楽しそうに笑う。 「まだですかぁ?」 「もうちょっと、待ってな。」 誰も来るはずのないシオンとって置きの場所。 そこに今日足を向けさせたのは、何と何を紡ぐ糸だろうか。 シオンとシルフィスのお互いの糸はどこに向かっているのだろうか・・・・。 滑らかな丘をかける風が、さわさわと大地に生えた緑の産毛と二人の髪を撫でて行く。 春嵐は、もうすぐそこまで来ている。
共和国サイト閉鎖のため、こちらにてアップすることになりました。 惚れた弱みかシオンのいつものプレイボーイ振りが影を潜めていますが、 もしかしたらシルフィスにも天然の振りしてシオンを翻弄できる素質があるのかも。 |