「蝶となれ」  すうりん様

だいぶ寒さが和らいでくる3月になった頃、一人の男が王宮からの帰り道を歩いていた。 彼の名はレオニス・クレベール。近衛騎士団第3部隊長であり、クライン一の剣の 使い手とも言われている。長身でたくましく、漆黒の髪と切れ長の蒼い瞳を持つ男。 だがきわめて無口なことと眼光の鋭さに近づける人間はそう多くはない。

騎士団宿舎前まで来ると、見習達の声が聞こえる。レオニスはそれらの声をきき ながら自分の執務室の前まで来たとき、
「おかえりなさいませ、隊長」
にっこり笑って自分を出迎えてくれたのは見習いの一人である、シルフィス・カストリーズという若者だ。彼女は(といっていいか疑問ではあるが)輝くばかりの蜜色の髪と翡翠の瞳を持つアンヘル族である。
そして彼女はまだ男でも女でもない。アンヘル族は生まれながらに性を持たず思春期頃に男女どちらかの性への変化する。(これを分化というのだそうだ)そしてシルフィスはまだ分化を終えていない。だがそんなことは問題ではないほど彼女の心は実直で素直でしかも努力家だ。自分の稽古は厳しく、まして男の体を持たない彼女にはつらいはずなのだが、 よくついてきている。
「みんなの課題を集めてきました。」
「そうか、ご苦労だったな。中に入れ」
「失礼します」

「課題はそこの机の上に置いてくれ」
シルフィスは言われるままに持っていた紙束を机の上に置く。
「王宮に行かれていたのですか?」
シルフィスはそう尋ねた。私の服装からそう判断したのだろう。私はマントを取り、ソファに腰掛けて、ああ、と短く返事をした。
「・・・・・・・・・」
「どうかしたか?」
するとシルフィスははっと顔を上げ、ためらう表情をしていた。
「言いたくないなら無理に言わなくてもいい・・・・・・・・・茶でも入れよう」
私は茶の準備を始めることにした。
この若者がなぜ私の部屋に来たのか気がついていた。しかし、こちらからそれを言うのはさらに追い詰めることになる。彼女のために私がしてやれることはささいなことしかない。
茶を入れてシルフィスに差し出す。シルフィスは一口茶を飲み、心を決めたかのように私を見てこういった。
「もうすぐ・・・・・・・騎士試験、ですね」
やはりそのことか、私は思った。
「ああ、今月末に行われる予定だ。」
「私は・・・・・騎士試験を受けられるのでしょうか?」
彼女は悲痛な面持ちで私を見てそういった。私はその表情を見て心がずきんと痛んだ。
「当たり前だ。お前は剣技の腕も教養も及第点をとっているし、お前の意志さえあれば何も問題はない」
騎士試験。毎年3月末に行われる見習の騎士へ昇格試験。だがこの試験は見習期間一年の最後の一回きりしか受けられないため、事実上一生に一度、のものだ。シルフィスはアンヘル族の代表としてこの王都にやってきた。だからこの試験がどれほど重要なものなのかは想像に難くない。
「しかし・・・・・・私はまだ未分化で・・・・・男でも女でもありません」
シルフィスはさらにつらそうな顔をしてそう言う。おそらく王宮での話を誰かから聞いたのだろう。今日騎士試験に関する会議が行われ、軍団長を始め騎士団上層部が集まるものだった。その中で、未分化のシルフィスを騎士に昇格させるのをよしとしない人が数名いたのだ。アンヘル族ならとっくに分化しているはずなのにまだとは、人として半人前なのではない かと、いう言い分だった。
もちろんそんなくだらぬ意見に同意はしなかったが、最終的にはどうなるのか今の段階ではわからない。
「王都にきて・・・・・・・もう一年近くになろうとしているのに・・・・・私はいったい何をしていたのでしょうか・・・・・・・」
私はもどかしかった。彼女の本当の悩み、苦しみをわかってやることができない。生まれながらに性を持たない者の気持ちを私などがわかることなどできないのではないか。何をどういっても彼女には気休めにしかならないのだろう。それに少し驚いたのも事実だ。彼女は分化しないことを憂いているようだが、まるでどちらかになりたいのになれないという焦りがみえる。
しばらくしてシルフィスは少し赤くなって
「あ、すみません。隊長にこんなことを言ってしまって。」
と深く頭を下げた。
「いや、気にしなくていい。」
「私そろそろ失礼しますね。」
そういって彼女が立ち上がったとき、
「シルフィス」
私は彼女に尋ねた。
「お前は今、男と女、どちらになりたいのだ?」

シルフィスは一瞬ためらった後、恥ずかしそうに
「誰にも・・・・・・・言わないでいただけますか?」
「ああ、約束しよう」
私は彼女の真意が汲み取れなかったが、あまり人に話して欲しくないのだろうと思いそう答えた。
シルフィスは私の方をじっと見ていた。
「私は・・・・・・・・女性になりたいです・・・・・・」
そしてシルフィスは私の前まで近づいてきた。
「隊長と巡回に行って、性のない私を励ましてくださったときから、隊長のために女性になりたいと・・・・・思っていました」
彼女の告白に私は正直これは現実なのかと思った。彼女が男女どちらになりたいと言っても、協力するつもりだし、念願の騎士にもしてやりたいと思っていた。自分にできることはそれくらいしかなかったからだ。彼女に幸せになって欲しいと、それだけを願っていた。
「すみません、やはりご迷惑、ですよね。女でもない者にこんなこと言われるなんて・・・・・・・」
黙っていた私にシルフィスはそう言った。
私は思わずシルフィスを抱きしめてこう言った。
「お前はお前だろう?シルフィス。私にとってお前は暖かな日の光だ。側にいて安らげる唯一の存在だ。気が付けばお前の存在は私の中で大きくなっていた。今お前が私の腕の中にいるのが信じられないくらいだ」
シルフィスに上を向かせると彼女の瞳は涙で潤んでいた。
「隊長・・・・・・こんな私で、よいのですか?」
「お前以外は何もいらない。私の側に・・・・いてくれ」
私はより強くシルフィスを抱きしめる。
「騎士試験も必ずおまえの実力で合格させてやる。お前がお前らしく自由にのびやかに生きられるように」
するとシルフィスは微笑んで
「隊長が・・・・・・私のことをそれほど案じてくださっていたなんて・・・・嬉しい・・・・・です」
私は彼女のその笑顔に釘付けになった。なんて美しいのだろう。悩みながらも一生懸命生きている、伸びようとしている。
私は一瞬我を忘れた。

彼女の腰を引き寄せ、顎を上に向かせ、お互いの瞳をみつめる。それからゆっくり口付けた。甘い香りのする彼女の唇。
「!」
眩しい光が閉じた目に差し込んできた。私は慌てて目を開けるとそこには信じられない光景が広がっていた。
シルフィスの髪、いや体中から光が放たれていた。そして彼女の表情が甘くなる、手足が適度な肉付きになる、そしてなにより、
「隊長?何か・・・・・」
声が今までより高く甘くなっている、おそらくウエストはくびれ女性らしい体型になっているのだろう。シルフィス自身も気がついたらしく、
「え、私の声・・・・・・・・・・・それと胸も・・・・・」
「さなぎが蝶にかえったな」
それが何を意味するのかシルフィスにもわかったらしい。彼女は涙ぐんで私に抱きついてきた。
「嬉しい・・・・・です・・・・」
「シルフィス」
「ずっと・・・・・・・ずっとお側にいさせてください」
「もちろんだ」

月末の騎士試験。
女性となり、試験を優秀な成績で合格したシルフィスはクライン初の女性騎士となる。レオニスにとって宝物の蝶は高く美しく羽ばたいていた。
 

レオニスの部屋に戻る  すうりんさんの部屋に戻る  創作の部屋に戻る