空が暗くなったころ、レオニスはまもなく始まる軍会議のため騎士団の会議室にいた。降誕祭を間近に控えたこの時期、王都ならびにクライン全体の治安の乱れ、国境の不穏な動きなどをチェックして警備体制を決定するために開かれる会議のためである。そのため他に数名の騎士たちや大隊長、地方連隊長などの面々が姿を見せていた。昼間はそれぞれ役職の仕事があり、なかなかまとまった時間を取ることができない。レオニスなら見習の指導や王宮警備のチェックなどがそれである。よって、彼らの重要な会議は主に日が暮れてからの時間に行われることが多かった。
レオニスは会議の書類に目を通しながらも、ある人物のことを思い出していた。それは部下でもありつい先頃想いを交わした年若い恋人、シルフィスのことである。その彼女が一週間ほど前にレオニスに向かってこう言った。
「あの・・・・・・・・来週の金曜日、お仕事終わってからお時間ありますか??」
少し落ち着かない様子で尋ねる彼女がとてもいじらしく思い、レオニスはその日の予定を頭の中で逡巡した。
「大丈夫だと思うが・・・・ただ、その日は軍団長閣下召集の会議があるので遅くなると思う・・・・・・・・・・・何かあるのか?」
それを聞いたシルフィスは慌てて手を振った。
「い、いえ・・・・・・・その会議って、金曜日中には終わります、か?・・・」
彼女の意図がよくわからないが、レオニスは質問に答える。
「そうだな、例年行っているものだし、2,3時間ほどで終わるだろう。」
するとシルフィスはほっとした表情を見せて微笑んだ。
「そうですか。ではその日、お部屋で隊長を待っていてもいいですか?」
「それはかまわないが・・・・・・・お前の方は大丈夫なのか?疲れているだろうし、なんなら私がお前の部屋に行くが」
見習の訓練もそんなにやわなものではない。いくら慣れたとはいっても女性に分化したその体では体力的にも大変なはずだ。そんなシルフィスに無理をさせたくはないとレオニスは思っていた。
するとシルフィスはぶんぶんと首を横に振った。
「そ、それはだめです!!・・・・・いえ、私なら大丈夫ですから。では、金曜日お待ちしてますので」
そういうとシルフィスは足早に去っていったのである。
そして今日がその約束の金曜日。
どうやらシルフィスは自分に用があるらしい。なぜ自分の部屋にこだわるのか今ひとつわからないが、普段めったにわがままを言ったりしない彼女のおねだりなのだ。それくらいのことはかなえてやりたいと思う。
(我ながら呆れるな・・・・・・・・・・)
レオニスは自分のシルフィスへの甘さを自覚していた。彼女の笑顔が見られるならどんなことでもしてやりたいとさえ思っている。それほど大切な存在を見つけられたこと、共に過ごすことができることに感謝していた。
やがて軍団長が部屋に入ってくると、皆が起立して敬礼をした。
「それでは、始めようか。まず地方各部の報告をしてくれ。」
「もう会議が始まった頃だよね・・・・・・」
シルフィスはレオニスの部屋の前にいた。ポケットから鍵を取り出すと、そっと鍵穴に差し込んだ。
カチャリ。
おもむろにドアは開き、部屋に入ったシルフィスは電気をつけてドアを閉めた。この合鍵はレオニスと恋人になった後、彼から受け取ったものだ。
「何かあればいつでも訪ねてくるといい。もし私がいないときはこれを使ってくれて構わない。」
そういって渡されたのだが、いくら許可を得ているといっても火急の事態でもない限り主のいない部屋に入るのは基本的にマナー違反だと思っているので、シルフィスは今まで一度もそれを使ったことはなかった。だが、今日は、今日だけは特別なのだ。
「今日だけは、許してくださいね。」
そういってシルフィスは部屋の中に入り、荷物をテーブルの上に置いた。
「あと2時間くらいか・・・・・・・・頑張らなくちゃ。」
そういうと彼女はキッチンに向かった。
騎士団隊長の執務室、有事の際にはここで寝食をすることもあるため簡単な炊事場、仮眠室、など最低限の設備は用意されていた。もっともレオニスはほとんど自分の家に戻ることがないため、実質ここで生活をしているも同然で、必要最低限の道具なども用意されていた。それを知っているシルフィスは今日、ここで料理を作ろうとしていた。
「うまくできるかなぁ・・・・・・・・」
持ってきた材料を適当に切り分けて、鍋に入れていく。スープを取ったり、味を調整したりと彼女の奮闘は続く。そんな彼女の心の中はレオニスのことでいっぱいであった。
アンヘルまで自分を迎えに来てくれた人。当時ガゼルに羨ましがられて不思議に思ったが、今ならその気持ちがとてもよくわかる。もし他の誰かの故郷へレオニスが足を運んだとなると自分は多少なりとも嫉妬を感じてしまうだろうと。とても責任感が強く、騎士としての能力も一流で、ガゼル同様いつしか彼のようになりたいと憧れるようになった。騎士としての羨望、憧れ、でもそれだけではなかった。いつのまにか彼の傍にいたい、自分を見てほしいと思うようになっていた。彼のお見合いの話に心が引き裂かれるような思いをした。行かないでといえる権利が自分にはなかったのだ。でもレオニスはシルフィスを望んでくれた。傍にいてくれと言われたときの気持ちは今でも覚えている。それとほぼ同時にシルフィスは女性に分化した。レオニスが、自分を変えてくれた。自分の望む道を彼が開いてくれたのだ。
今日はそんな彼にささやかながら御礼をするため、そして彼の生誕に感謝するため、自分はこうしてここにいるのだ。
テーブルにクロスを敷いて酒瓶を置く。これは以前レオニスのお気に入りのひとつだと先輩騎士から聞いていたウィスキーだった。今ひょっとしたらこの部屋にあるかもしれないけれど、少しでもレオニスの喜ぶ顔が見たくてつい求めてしまったのだ。
「お酒、と・・・・・・・・・・あとは煮込みだけだな。」
再びキッチンへと戻り、すべての準備が整ったことを確認する。
「後はレオニスを待つだけ・・・・・・・・・」
そう呟いてシルフィスはソファに腰を下ろした。
「・・・・・・・・・ということで降誕祭までの間、多忙だとは思うが任務の徹底をするように。」
軍団長の最後の言葉で会議は閉会となった。レオニスは書類をしまい時計に目をやった
。(ほぼ予定通りか。シルフィスを遅くまで待たせなくてすんでよかった。)
そう思い少し安心するとシルフィスがいるであろう自分の執務室へと向かう。自分の部屋に戻るのに、こんなに気がはやることなどいままでなかったというのに。シルフィスの存在自体がレオニスをここまで動かしているのだ。
部屋の前までくるとドアの隙間からわずかながら光が漏れている。中にシルフィスがいるであろうことは間違いなかった。そこでレオニスはドアの前に立ち軽くノックをした。
コンコン。
・・・・・・・・・・・・・・
だが中からは返事もなければ人の動く気配すらしない。
「私だ。」
声をかけてみたもののやはり音沙汰はない。中で何かあったのかと思い、自分の鍵を使ってドアを開けてみた。
まず目についたのはテーブルの上に敷かれたクロスとウィスキーの瓶。自分が部屋を出たときにはもちろんなかったもので、シルフィスが用意したものであろうことは想像がついた。そして次にレオニスが目にしたのはソファにもたれかかって心地よさそうに眠るシルフィスの姿であった。
「眠っているのか・・・・・・・・・」
やはり疲れていたのだろう。それなのに、自分を待つためだけに無理をさせてしまったなとレオニスは少し申し訳なく思っていた。そしてテーブルの上の酒瓶にカードがついているのを見つけて手にとった。
「・・・・・・・・そうだったのか・・・・・・・・・」
ここでレオニスは初めて悟ったのだ。なぜシルフィスが今日にこだわったのか、今日ここへ来たいと言っていたのか。
「う・・・・・ん・・・・・・・・」
部屋の空気が変わったのに気づいたのだろうか、シルフィスが身じろぎをしたかと思うとゆっくりとまぶたを開いた。レオニスはそっと彼女に近づいて声をかけた。
「大丈夫か??」
彼の低くて甘い声にシルフィスはやっと目を覚ましたようだった。
「あれ、レオニス・・・・・・・・・!!!え、私・・・・・・」
シルフィスは慌てて身を起こした。
「疲れて眠っていたのだろう、寒くはないか??」
レオニスはシルフィスの身を案じて尋ねる。
「い、いえ、大丈夫です。それより、いつ戻られたんですか?」
「たった今だ。・・・・・・ありがとう、私のために用意してくれたのだろう??」
そういってレオニスはテーブルの上の酒瓶を指す。シルフィスはばつが悪いのか少しうつむいて答えた。
「あ、はい・・・・・・・・あの、すみません、ちゃんとお待ちしてるつもりだったんですけど・・・・・・・」
シルフィスとしてはレオニスの驚く顔が見たくて、帰ってくるのを出迎えたかったので、失敗したなぁという思いをしていた。レオニスはそんなシルフィスがたまらなく愛しくなって彼女をそっと抱きしめた。
「いや、お前のその気持ちだけで私は嬉しい。十分過ぎるくらいだ・・・・・・・」
「レオニス・・・・・・」
シルフィスはレオニスの腕の中のぬくもりにひたっていた。自分にはこんなにも大切にしてくれる人がいる。そして自分を求めてくれている。なかなか分化も果たせなかった半人前だった自分をレオニスは望んでくれたのだ。
「お誕生日、おめでとうございます・・・・・・・・あなたがこの世に生まれでた日に感謝します・・・・・・・・」
自分の腕の中でつむがれる言葉に、シルフィスの想いにレオニスは心が暖かくなった。
「ありがとう・・・・・・今まで誕生日というものに特に感慨もなかったのだが、お前と共にいられる、それだけで私には至福の時となる・・・・・・・・」
「レオニス」
レオニスはシルフィスの顎をそっと持ち上げてやさしく口付けた。
「あ!!レオニス、食事はまだですよね???」
しばらくしてシルフィスは思い出したのか、念を押すように確認する。
「ああ、まさかお前もまだなのか?」
自分のために食事も取らずに待っていたというのか、真っ先にシルフィスの体を心配するレオニスは繭をひそめた。
「あの、レオニスが帰ってきたら食べて頂こうと思って作ってたんです。アンヘルの家庭料理なのでお口にあうかどうかわかりませんけど・・・・・・」
レオニスを怒らせてしまったのかと少し不安になったシルフィスだが、これだけはと思って頑張って主張した。そのあまりに必死な様子にレオニスは怒るに怒れなくなってしまう。もともと自分のせいなのだし、それに彼女が自分のために作ってくれたという料理もぜひ味わってみたいと思ったからだった。
「そうか・・・・・・・・・それならぜひ頂こう。ただし、お前も一緒にな。」
そういうとレオニスはシルフィスの頬をなでて優しく微笑んだ。その笑顔が嬉しくてシルフィスも満面の笑みを浮かべた。
「はい!!!すぐに暖めますね!!!」
嬉しそうにぱたぱたとキッチンへ向かうシルフィスをレオニスも嬉しそうに見つめていた。
仲睦まじい二人はこうしてレオニスの誕生日を祝ったのだった。
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