「う……ん」 シルフィスはいつもと違う光の差し方に僅かに顔を顰めた。 光の入ってくる方角が慣れたものと違っているし、何よりも大分明るい。 その明るさからすると日はかなり高く上っているようだ。 どうやら寝過ごしてしまったらしいが、身体はなかなか起きようとしない。 瞼が妙に重く、なかなか開かない。 寝過ぎたせいなのか、いつになく目覚めが悪いと思いながら両腕を伸ばし、なんとか目を開ける。 「ここ…は…」 まだ頭がはっきりとせずしばらくぼんやりとしていたが、目に入る景色がどうも初めて見るものであることに気付き、呆然とする。 そこは自分の部屋ではなかった。 横になったまま頭をゆっくり動かし、改めて周囲を覗う。 天井、カーテン、壁、家具、何もかもが見たことがない物であった。 見慣れない風景に戸惑う。 そして何よりも戸惑うのは自分が横になっている寝台。 今、自分は広い寝室にある広い寝台に横たわっている。 だが、知らない場所にいるのに不思議と不安は感じない。 なぜだろうと疑問に思うより、むしろどこか馴染んだような感覚に安心感を覚える。 安らぎを感じながらも、自分はいったいどこにいるのかと考える。 少しずつ記憶を辿り、シルフィスはようやく自分がいる場所を思い出した。 ここは恋人の家であった。 昨日、初めて恋人の家へと来て、そのまま一緒に夜を過ごした。 恋人と夜を過ごす事は初めてではなかったが、その恋人の家で過ごすのは初めてであった。 誰にも気兼ねなく、時間を気にすることもなく、レオニスと寛いだ時を過ごしたのである。 二人でお茶を飲みながら、心行くまで会話を楽しんだ。 それは二人だけの満ち足りた時間。 シルフィスはその時のゆったりとした気分を思い出すとほんわかとした暖かい気持ちになる。 自然に顔がほころんでくる。 このままずっとこの暖かさに浸っていたいのにと思いながら、仕方なさそうにもう一度伸びをする。 身体を起こそうとしたその時になって何も身に付けていないことに気付いた。 何気なく身体に目をやると、素肌に残る鮮やかな痕が目に入る。 明るい日差しの中ではその赤い色がやけに目立つような気がする。 昨夜の事がありありと思い出され、誰が見ているわけでもないのに慌ててシーツに潜り込む。 そういえば、レオニスと話し込んでいるうち、自分はいつのまにか眠り込んでいた。 眠ってしまった自分をレオニスがこの部屋まで運んでくれた。 暖かい腕で運ばれているときの心地よさが微かに記憶に残っている。 寝台に下ろされたとき、うっすらと目を開けてみたことも思い出す。 レオニスと目が合い、なんとはなしに微笑んで……。 「どうしよう、こんなになってるなんて…」 すぐにでも起き出さなくてはと思うのだが、痕に目がいってしまい、恥ずかしさが込み上げてくる。 今更恥ずかしがる事ではないかもしれないが、まだ慣れないものは仕方がない。 レオニスと過ごしたという確かな証を目の前に突き出されれば、うれしさと恥ずかしさが入り混じり、どうにも落ち着かない。 それでも、一人、シーツの中でモジモジしながら新たに湧き上がる幸福感を噛み締める。 今の自分はかなりとろけた表情かもしれない。 「レオニスと顔を会わせるのがなんだか恥ずかしい…」 シルフィスがシーツを首まで下げて呟いていると、ドアが静かに開いた。 タイミングがいいのか悪いのか、レオニスが顔を覗かせる。 シルフィスは思わずそちらに顔を向けてしまい、レオニスと目を合わせてから慌てて横を向く。 レオニスは自分からすぐに顔を逸らしたシルフィスに不思議そうな目を向けてから、その仕草の愛らしさに口許を緩めると、扉を閉めて寝台に近づく。 どうやら恥ずかしがっているらしい。 無理もないかもしれないと思いながら寝台の側に立つ。 朝、起きた時に自分の横で眠るシルフィスに大きな安堵感を覚えた。 そのシルフィスがまだこうしてここにいる。それだけなのに心が暖かくなる。 レオニスは、しばらく背中を向けたままのシルフィスを眺めていた。 シルフィスは、立ったままじっとしているレオニスが気になり、身体の向きを変える。 顔を全部見せるのはなんとなく照れを感じるので口許をシーツで覆う。 「あ、あの、おはよう…ございます」 くぐもった小さめの声で挨拶をする。 「ああ、おはよう。……おはよう、というには遅めの時間のようだがな」 レオニスは穏やかな笑顔を向ける。 その包み込むような笑顔に、シルフィスはシーツを顎まで下ろすと微笑みを返す。 寝台に広がる金糸も眩しいが、シルフィスの笑顔はそれ以上に眩しい。 レオニスはやや目を細めながら寝台に浅く腰掛けると、シルフィスの頭に手を伸ばす。 軽く撫でてから髪を手に取る。 「よく眠れたか?」 少し弄った髪を手からこぼす。 「は、はい。あ、すみません、こんな時間まで寝てしまって…」 自分だけいつまでも横になっているわけにはいかない。 シルフィスは慌てて起きあがろうとしたが、レオニスに肩を抑えられる。 「まだ、ゆっくりしていていい」 「え、でも…」 「その姿のまま起きるのか?」 「あ…」 シルフィスは今の自分の格好を思い出し、たちまち恥ずかしくなる。 パッとシーツで顔を隠す。 そろそろとシーツを下げながらまた顔を覗かせる。 自分を伺うその表情、恥ずかしげなその態度にレオニスは擽られるような気分になる。 何でもない仕草に心が踊る。 「疲れてはいないか?」 「はい、ぐっすり眠れましたから大丈夫です」 優しく問いかけるレオニスに、シルフィスはまだ恥ずかしさが消えなかったがそれでもうれしそうに答える。 「そうか。却ってよく眠れたようだな」 レオニスの言葉にシルフィスは、えっという表情をしてから一段と真っ赤になった。 また顔を隠そうとしてシーツを握ったシルフィスの手をレオニスは掴んだ。 その手を軽く寝台に軽く抑えるように置き、もう片方の自分の手を置いた手の反対側につきながらシルフィスの方へ身を乗り出す。 真上からシルフィスを見下ろす。 レオニスに片手を掴まれてシルフィスはドキッとする。 自分をじっと見つめる視線が熱い。 「昨夜は…」 レオニスは言いかけてやめた。 シルフィスの顔を見たら続けられなくなってしまった。 頬を染め、少し潤んだ瞳で見つめ返してくる表情に魅入られてしまう。 そのまま黙ってシルフィスを見つめる。 シルフィスは言葉の続きが気になるが、有無を言わせないような眼差しに訊き返したくても訊き返せない。 熱い視線から逃れるように顔を横に向ける。 レオニスはそんなシルフィスの反応が楽しい。 掴んでいた手を離し、シルフィスが顔を向けた方に身体を横たえる。 片手で頭を支えながら身体をシルフィスの方へと向ける。 シルフィスはまたしてもレオニスと向かい合うことになるが、今度は素直に顔を見せていた。 レオニスは安心したように微笑むと再びシルフィスの髪を弄る。 「やっとゆっくり顔を向けてくれたな。私の顔を見るのはそんなに恥ずかしいのか?」 「あの、いえ…」 そう答えながらも少しモジモジしていたが、まだ顎の下で片手で掴んでいたシーツをそろそろと下げる。 シルフィスは力が入っていた手を緩めるとなんとか余裕ができたのかにっこりとする。 レオニスは髪から頬へと手を滑らせる。 「このまま横になっているのもいいかもしれないな」 「え、このままって…」 「このままだ」 そう言うとレオニスは身体を仰向けにし、両手を頭の下で組む。 「たまにはこうしてのんびりするのも悪くはないだろう」 静かに目を瞑る。 「……そうですね」 シルフィスはくすっと笑うと、気持ちよさそうに目を閉じているレオニスを見つめる。 すぐに静かで穏やかな息に変わったので、もう寝入ってしまったのかとつまらないような気持ちになるが、あまりにも安心し た表情に半ば呆れながらも笑みを浮かべる。 上体を起こし、今度はシルフィスが真上からレオニスを見下ろす。 そっと手を伸ばし、額にかかっている髪を優しく払うと軽く唇で触れる。 屈めた身体を起こそうとして急に腕が回された。 「きゃっ、、レオニス」 シルフィスが顔を覗うとレオニスは一応目を閉じているが、口許に薄っすらと笑いが浮かんでいる。 「ん、もう、寝ているんじゃないのですか」 だがレオニスは返事をしない。 その代わりにますますシルフィスを抱き締める。 敵うはずがないのでシルフィスが仕方なくじっとしていると、レオニスはそのまま身体を横に向け、足を絡める。 シルフィスはいくらなんでもこの状態はと、もがこうとするがレオニスにしっかりと押さえ込まれているのでびくともしない。 「レ、レオニス、これじゃぁ、私は抱き枕です」 シルフィスの必死な声にようやくレオニスが返事をする。 「ああ、そうだ。今日はこのままでいてくれたっていいだろう?」 「そ、そんな」 シルフィスはまだもがいていたがレオニスは腕を解こうとはしない。 抵抗を諦め、シルフィスはようやくおとなしくなる。 「……わかりましたから少し力を抜いてください」 シルフィスの言葉にレオニスは腕の力を緩める。 シルフィスもホッとしたように身体の力を抜くと瞼を閉じる。 レオニスの腕はまるで自分を逃さないかのように抱き締めている。 逃げることなどありえないのに。 安心できるのはこの腕の中だけなのだから。 抱き寄せられる心地よさに酔っていると、また静かな息が聞こえてくるが、今度は本当に眠ったようだ。 レオニスのゆったりとした息にシルフィスも次第に眠くなるのを感じた。 |