「Unaware Love」すーりんさん

 クライン王国の季節は薫風香る初夏へと移りつつあった。年度の変わり目というのは国の組織も変更になったり何かと慌しいことが多いものだが、それもようやく落ち着き各々新しい職務に励む毎日を過ごしていた。
 淡い色のすっきりとした軍服を纏い、腰には細剣をたずさえて王都の広場を一人の騎士が歩いていた。長い髪は襟足のあたりでまとめられ彼女の美貌を一層映えさせている。もう日が沈む時刻だからだろうか、広場にはほとんど人気がなくいつもなら彼女の美貌にみとれる者が後を絶たないというのに今日はそんな気配もない。だがそんなことにはまったく頓着しない彼女は真面目に辺りの様子を確認しながら広場を横切っていく。
「よし、この辺りも異常はないみたい。」
 そう呟く彼女の名はシルフィス・カストリーズ。クラインの辺境アンヘル村出身で見事な黄金の髪と誰もが振り返る美貌を持つ彼女は今年の春からクライン初の女騎士として務めだしていた。もっとも騎士見習の頃はまだ彼女は女性ではなかった。アンヘル村の代表として、また王都で刺激を得て分化を果たすため彼女はクラインへやってきた。そしてその両方を見事になしえた彼女は今の己の幸福に感謝していた。
 

 コンコン。
 控えめなノックの音が響く。
「開いている、入れ。」
 入室の許可を受けてシルフィスは息を吸い込んだ。
「失礼します。」
 そしていつものようにドアを開けて中に入る。毎日のことなのにこのときばかりはシルフィスの胸は踊る。そこには自分の見習のときからの上司である、レオニス・クレベールがいた。クラインきっての剣の達人であり、優秀な騎士でもある彼はシルフィスの見習時代からの憧れであり目標でもある人物だ。彼は書類から目をあげてシルフィスの姿を認めると蒼い瞳でかすかに微笑んだ。傍からみるとほとんどわからないくらいなのだが、そんな彼の表情をみるだけでシルフィスは嬉しくなってしまう。シルフィスは彼の机の前まで進んで一礼をする。
「本日の任務の報告に参りました。」
 シルフィスの言葉を受けてレオニスも頷いて続きを促す。
「第4区は特に異常ありませんでした。先日捕らえた夜盗以来特に大きな事件は起きていないようです。ただ農家の方がこのところ雨が降らないので作物の育ちを心配しておりました。」
 シルフィスの報告を聞き、レオニスは思案顔をした。
「そうか。確かに雨が少ないのは民にとって気がかりだろうな。」
 シルフィスも真顔で頷きそれに答える。
「はい、アンヘルは自給自足でしたので農作物のできはその年の生活そのものを左右します。物資の豊富な王都といえども少なからず影響は受けるでしょうね。」
「我々は自然には逆らえない。女神様のご加護を願うしかなさそうだな。」
「はい、そうですね・・・・・・・」
 シルフィスが民の話をじかに聞いてきて心を痛めていることはレオニスにもわかった。彼女は騎士として物腰、戦闘技術なども優れているが、こういう優しい気持ちも持ち合わせている。そんな部下をレオニスは誇りに思っていた。
「最悪の場合、シオン殿を始め魔導士の方々の力を借りることになるだろうな。我々は王家のため、民のためにできることをする。そのための騎士なのだからな。」
「はい。」
 シルフィスは己の気を奮い立たせて答えた。
(私はまだまだだな・・・・・・・)
 任務の報告に来た筈なのに己の心のうちを上司に話してしかも慰めてもらうなど、いかに自分が未熟なのかということを思い知らされる。そんな彼女の心中がわかるのであろう、レオニスは少し苦笑して言った。
「そんなに思い詰めるな。今の自分にできることを精一杯やればいい。お前は一人ではないのだから。」
「は、はい。」
 シルフィスは慌てて答えると同時に、また鼓動が早くなるのを感じる。
(お前は一人ではない)
 その言葉がシルフィスの頭の中で反芻する。隊長は上司として力になると言ってくださっているだけなのに、こんなに嬉しいのは勘違いというものだろう。
「明日は王宮の姫のところへ参ります。」
 シルフィスはクライン初の女騎士ということもあって、週に一度はクライン第二王女の護衛、という名のお相手をすることになっているのだった。
「そうか。失礼のないよう御仕えするように。」
 シルフィスには無用な言葉だなと思いつつも上司として言ってしまうレオニス。
「はい」
 そう言ってシルフィスはにっこり微笑む。こんな微力な私でも王家のお役に立てる、ひいては隊長に認めていただける、それだけでシルフィスは救われる気がしていた。
(隊長に認めてもらうために、あの方に少しでも私のことを気にかけてもらえたらそれだけで・・・・・・・・・・)
 シルフィスは心の中にわずかな想いを胸に抱いて、レオニスの部屋を後にした。
 

 次の日、ディアーナの部屋を後にしたシルフィスに侍女が近づいてきた。
「殿下が御呼びでございます。執務室の方へ来るようにとの仰せでございます。」
「わかりました。」
 その言葉にシルフィスは気を引き締めた。このように急な御呼びとは何か火急の事態が起こったのかもしれない。そう思ってシルフィスはまっすぐと執務室へ向った。
「わざわざすまないね。ディアーナと一緒だろうからと思ったからこんな時間になってしまった。」
 執務室に出向くといつもの怜悧な姿で殿下はおっしゃった。
「いえ、殿下の御用とあれば当然のことですから。」
 シルフィスは一礼をして答えた。相変わらず忠義が篤く、礼儀正しいシルフィスを見て皇太子セイリオスは表情を和らげた。
「とりあえずそこにかけてくれないか。話はそれからにしよう。」
「はい、失礼致します。」
 殿下に促されるままにソファにつくシルフィス。セイリオスはその向かいにゆっくりと腰掛けておもむろに話し出した。
「既に聞いているかもしれないが・・・・・・・・・・7月にディアーナのダリスへの輿入れが正式に決まったのだ。」
 今日一日ディアーナと一緒にいたので、その話は本人から聞いていた。そのときの姫はとても嬉しそうで幸せ一杯という笑顔をみせていた。
「はい、誠におめでとうございます。」
 シルフィスの言葉に気持ちがこめられているのを感じたセイリオスは少し微笑んだ。
「ありがとう。あれもとても喜んでいるようで、私としても嬉しい限りだよ。」
 セイリオスが兄としてディアーナを大切にしているのはシルフィスも知っていたので、二人の仲睦まじい兄弟愛に暖かいものを感じていた。が、執政者としての殿下がまさか妹の話をするために自分を呼び出したわけではないだろうということをシルフィスは確信していた。
「それで、私に御用とはいったいなんでしょうか??」
 セイリオスは一呼吸つくと、真顔になって話し出した。
「これは君の意向次第なのだが・・・・・・・ディアーナの侍女として共にダリスへ行ってはくれないだろうか?」
 一瞬なんのことだかシルフィスにはわからなかったが、ようやく意味を理解したシルフィスはやっとで答えた。
「・・・・・・・私が、ダリスへ、ですか???」
「そう・・・・・あれもアルムレディン殿と共にいられるのは嬉しいのだろうが、なんせ他に知り合いのいない異国の地だ。気心のしれているものが側にいれば気が楽になるのではないかと思ってね。それに君なら武道の腕もあるし精神的にも身体的ににもディアーナを守ることができるだろうし。」
 確かにそうかもしれない。まして姫は王妃という身分になられるのだ。そのお立場で仲のよい友人を見つけることは非常に難しいといえる。そういう意味で自分が選ばれ共にダリスへ向うという案は決して理不尽なものではない。自分はクラインの騎士であり、王家の方を御守りするのが使命。だが・・・・・・・・・・
「ですが・・・・・・私は今第三部隊に所属していますが、そちらの方はどうなるのでしょうか?」
 ダリスへ行く、ということはレオニスの元を離れることになる。そう思っただけで胸が苦しくなった。
「一度部隊を離れ、王家直属の騎士として配属されるだろうね。君の上司であるレオニスにも今日話をしたばかりだけれど。」
「隊長は、なんとおっしゃっていたのでしょうか?」
 声が震えるのを必死で抑え、務めて事務的にシルフィスは尋ねた。隊長にとって自分はあくまで部下の一人であり、自分一人がいなくなったとて彼にとっては・・・・・・・・・・・
「レオニスは君の意志で決めさせたいと言っていたよ。君自身の人生なのだから自分で選択させるべきだと。」
 セイリオスは姿勢を正してさらに続けた。
「もちろん私もそう思う。だからこれは決して命令ではないんだ。ダリスに行けばいつ帰ってこられるか、正直期間はまだはっきりとは決められない。向こうの事情もあるだろうからね。だから君にどうしたいか考えてもらいたいんだ。」
 シルフィスもそれを真剣な表情で聞く。
「急な話ですまないけれど・・・・・・・・・手続きがいろいろあるんでね。一週間後に返事が欲しい。それまでに結論を出してもらいたいんだ。」
 一週間・・・・・・・・その間に心を決めなくてはならない。ダリスへ行くかどうかを・・・・・・・・・・・
「わかりました。」
 そう答えるとシルフィスは執務室を後にした。
 

 あれから三日が過ぎた。いつもの任務をこなしていたが、シルフィスの心の中は揺れていた。もっとも任務中はそれに全労力を注いでいるので忘れていられるのだが、夜一人になったときにはどうしても考えずにはいられなかった。
 ダリスへ行くべきか否か。
 もちろん、行ったほうがいいのは頭ではわかっている。そのほうが姫のためにもなるし、自分の見聞を広めることもできる。殿下にとっても安心できるだろうし、きっと隊長も王家のお役に立てるのならそうするべきだとおっしゃるに違いない。
(でも・・・・・・・・・・)
 シルフィスの中でどうしてもひっかかることがあった。そう、自分は隊長の元を離れたくないのだ。ほんの少しでも隊長のお元気な姿が見られて、声をかけてもらえる現状に幸せを感じている。彼にとっては部下の面倒をみているだけなのだろうが、それでもシルフィスにとっては嬉しいのである。
 それがダリスへ行くことでできなくなってしまう。そう思うととても悲しい気持ちになるのだ。
(隊長の側に、いたい・・・・・・・・・・)
 レオニスはダリスの件は知っているのだろうが、何も言ってはくれない。おそらく殿下におっしゃったように自分で決めなくてはいけないことだと思ってらっしゃるのだろう。確かにその通りなのだ。
 ダリスへ行くのをやめたとしても、隊長は私を見限ったりはなさらないかもしれない。でも、ひょっとしたら王家への忠心の低い者、騎士としての自覚が足らないと思われるかもしれない。
 隊長の側にいたいのはやまやまなのだが、隊長に見限られたくもない。私はまだ未熟だとはいえクラインの騎士だ。騎士の命は王家のもの、なのにその王家のために御仕えすることに躊躇するなんて自分は本当に騎士としての資格があるのだろうか・・・・・・・・・・・・・・・そんな思いが渦巻いていてシルフィスは結論を出せない状態にいた。
 気が付くとシルフィスは、レオニスの執務室の前にいた。自分でもどうやってここに来たのか全く記憶がない。
(どうしよう・・・・・・・・・・・・)
 レオニスに会ったところで何を言おうというのか。また弱音をみせて隊長に助けてもらうのか。
(私は、いつになったら一人前になれるのだろう・・・・・)
 自分の身の振り方すら決めかねているこんな状態をレオニスに知られるのも耐えがたいことであった。
すると目の前でドアがガチャリと開いた。
「どうした?入らないのか?」
 どうやらドアの前の気配にレオニスが気付いたらしい。今の今まで考えていたその人が、自分を見て尋ねる。シルフィスは我慢できなくなって、レオニスの胸に飛び込んだ。
「!!!」
 レオニスは一瞬驚きをみせたが、そのままシルフィスを支えて、ドアをゆっくりと閉めた。
 

 しばらくシルフィスは動かなかった。レオニスはシルフィスの腕を支え、顔をみようとしたが完全に俯いていて彼女がどんな表情をしているのかはわからない。どうみてもいつものシルフィスではない。レオニスは心配になって尋ねた。
「・・・・何があった???」
 シルフィスはただただ首を振るばかり。そして自分の側を離れようとはしない。
(私がお前にしてやれることはないのか。)
 言葉にできない思いをレオニスは心の中で呟く。彼女は紛れもなく優秀な自分の部下だ。初めての女性騎士ということで訓練なども大変なことが多い中、実に一生懸命励んでいる。そんな彼女を見守って、育てていきたいと思っていた。
 レオニスは片手をシルフィスの背中に、もう片方を彼女の頭にやりそっと抱きしめた。その熱い腕に、力強さにシルフィスは酔ってしまう。
(隊長・・・・・・・・)
 なんて暖かいんだろう。そしてどうしてこんなに嬉しいんだろう。このまま時間が止まればいい。そうすれば明日のことも、ダリスのことも、考えなくてすむのに・・・・・・・このまま隊長の腕の中にいられたら・・・・・・・・・
 知らず知らずのうちに涙が頬をつたい、その涙が流れレオニスの胸に伝わる。
「シルフィス!?」
 レオニスはその涙に驚き、声を上げる。自分が彼女を抱きしめたのが原因なのだろうか。己の感情のままに動いてしまったことで、彼女を傷つけたのだろうか。そう思って体を離そうとしたが、シルフィスは離れようとはしない。
「このままで・・・・・・・・いてください・・・・・・・・」
 シルフィスの腕にぎゅっと力が入る。今のこの状態が嫌なわけではないとわかったレオニスは彼女の思うがままにしてやりたいと思った。
「お前が望むなら・・・・・・・・・」
 そして再び彼女を抱きしめる。柔らかで華奢な体、普段剣を持っている剣士とはとても思えない。そして今更ながらに気付かされていた。自分はこれほどまでに彼女を求めていたとは・・・・・・・・・・
 誰かを求めるなどもう二度と赦されないと思っていた。過去の過ちは二度と繰り返すわけにはいかないと思っていた。シルフィスと関わることによって心の抑制ははずれていたのだ。ただ自分自身気付かない振りをしていただけだ。彼女を傷つけたくはなかったから・・・・・・・
「隊長・・・・・・・・・」
 レオニスの暖かさがシルフィスの心に深くしみる。今までも確かに感じていた。彼の側にいたいと思っていた。でもそれは遠くからでもいい、そっと彼を見ているだけでいいという想いだと思っていた。
 でも今では違う、もっともっと切なくて強くて表現できないものだ。自分はこんなにもこんなにもレオニスを求めている。
今ここから彼のもとから離れることすらも恐ろしい。離れること、顔も見られないことがこんなにも淋しく不安で苦しいものだとは思いもしなかった。例え彼が自分を部下としか思っていなくても、離れることはもうできない、とシルフィスは思った。
「私・・・・・・・・・ダリスの件でずっと考えていたんです。」
 レオニスの表情が引き締まり、シルフィスの次の言葉を待つ。
「騎士として、王家のために行くのが一番いいということはわかってるんです。でも」
 シルフィスは言葉を切った。そして震える手でレオニスの腕をつかみ、ゆっくりと顔を上げた。
「私は・・・・・隊長が好きです・・・・・・・あなたの側を離れたくありません・・・・・・・・・・」
 レオニスの瞳が大きく見開かれる。明らかに驚愕の色を示しているその表情にシルフィスは崩れそうになるが、それでも続けた。
「騎士としての使命よりも、己の感情を優先してしまう私は、騎士失格ですよね。役に立たない部下だとお思いでしょうね・・・・・・・」
 レオニスは自分のふがいなさをこのときつくづく呪った。彼女をここまで苦しめていたのは全て自分のせいだということを。騎士として彼女は精一杯頑張ってきた、その忠心は誰よりも自分がよく知っている。その忠心ゆえに悩み、しかも自分のせいであることに気付かなかったのは、彼女への想いを打ち消すことに必死だったせいに他ならない。
 レオニスはシルフィスの顎に手を添えて深く口付けた。
「!!!!」
 突然の口付けにシルフィスの目は見開かれる。そしてそこから注ぎ込まれる熱い熱で体中に電気が走る。
「私の、気持ちも聞いてくれるか・・・・・・・?」
 シルフィスは呆然としたまま頷いた。
「いつのまにか・・・・・・・・お前に心惹かれていた。そしてそれは赦されないことだと自分を封印した。まだ若くこれからの輝かしい未来のあるお前を傷つけたくはなかったからだ。ダリスへも・・・・・・お前が望むのなら行かせてやりたい、騎士としてもお前が望むなら私は最大限お前を鍛え、守り、育ててやりたいと思っていた。だが、すまない・・・・・・・・それが、お前をこれほど苦しめることになるとは思わなかった。」
 レオニスはシルフィスの涙をそっと拭った。
「お前を・・・・・・愛している・・・・・・・・離したくないのは、私のほうだ・・・・・・」
「隊長・・・・・・・」
「ずっと私と共にいてくれるか?それならお前をダリスになどやるつもりはない・・・・・・・」
ずっとずっと側にいたいと思っていた人、その本人に望まれるなんてシルフィスは夢でも見ているのではないかと思った。
「本当に・・・・・・いいのですか・・・・・?」
「それは私の台詞だ。」
 シルフィスは嬉しさでいっぱいの笑顔をして答えた。
「はい・・・・・・お側に、いさせてください。」
 

「そうか・・・・・・・・君がそう決めたのなら私は何も言わないよ。新人の騎士としても優秀だと聞いているし、これからも頑張ってくれ。」
「はい、殿下のお言葉、謹んで肝に銘じます。」
「ディアーナの式には是非とも出席してやっておくれ。あれも喜ぶだろうから。」
「はい、喜んで出席させていただきます。」
そういって殿下の執務室を出て颯爽と歩くシルフィスの表情は非常に清清しくかつ、幸せを感じさせるものであった。
 

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