宵の幻想」 静夜さん
 
 
「レオニス、邪魔するよ」 
  一度きりのノックの後で、返事も待たずに扉が開かれる。 
  簡潔な一言と共に室内へと入ってきた人物の姿に、執務室の主は驚いたように目を見開いた。 
  セイリオス=アル=サークリット―――このクラインの皇太子その人である。 
「殿下!? お一人で騎士団までいらしたのですか?」 
「いや、先程までシオンが一緒だった。そう案じることはないよ」 
  心配そうに…咎め立てる響きを含んだ声をかけられ、セイリオスは苦笑を洩らす。 
  勧められたソファに腰を下ろしながら、お茶をいれようとしているレオニスの方へと視線を向け
た。 
「こんなものしかありませんが」 
「ああ、すまない」 
  差し出された温かい紅茶を一口口に含み、満足そうに頷く。 
「それで…わざわざこちらにいらしてまで、私に何か?」 
「ああ。君に話があってね」 
  そう言って、セイリオスは意味ありげに微笑んだ。 
 
 
  王宮の奥ではいつものように王女と友人二人でのお茶会が開かれていた。 
  テーブルに並べられた甘い匂いのお菓子や温かい紅茶を手に楽しそうに談笑している三人。 
  ふと、緋色の髪の王女が立ち上がった。 
「…姫?」 
「ディアーナ?」 
  二人の不思議そうな声を背に、楽しそうに笑みを浮かべて人を呼びにやる。 
「今日は二人にお見せしたい物があったのを思い出しましたの」 
「見せたい物?」 
「ええ。そうですわ」 
  暫くして、侍女が運んできた物に二人の視線が集中する。 
「ドレス…ですか」 
「綺麗なのばっかり?、見せたいのってコレ?」 
  色とりどりの、それでいてデザインに凝った一級品ばかりである。 
  一度も袖を通してないのは見ただけでわかる。 
「こんなにどしうたんです、急に」 
「勿論。二人にも好きなものを選んでもらう為ですわ!」 
  不思議そうに尋ねたシルフィスはディアーナに当り前のように言われ、一瞬納得しかける。 
  だがふと我に返り、そのドレスとディアーナの顔を見比べてしまった。 
  つまり…自分にもこれを着ろ……と言うことらしい。 
「あ、あの…姫…? 私はまだ…」 
「今度の夜会はレオニスも来ますし、『当然』シルフィスにも着てもらいますわ」 
  私は結構です――そう言おうとしたシルフィスを遮り、ニッコリと微笑みながら言葉を続ける。 
  その一言で真っ赤になったシルフィスは、言葉を返すことができなくなってしまった。 
「さっ、選んでくださいましな」 
 
    *   *   *   *   *   *   *   *   * 
 
  段々と人のざわめきが大きくなっていく。 
「いよいよかね」 
  すぐ隣に立つ蒼い髪の青年の言葉に、神経を研ぎ澄ませる。 
  宴の主賓である王族――皇太子と第二王女が姿を見せるらしい。 
「シオン様がこんな端に控えてるなんて珍しいですね」 
「まぁ、事情が事情だしな」 
「今の所…不穏な気配は感じませんが……」 
  油断なくロイヤルスマイルを浮かべて挨拶を述べるセイリオスの周囲に気を配りつつ、
レオニスは答えを返した。 
  セイリオスの話では不穏分子が今回の宴に潜り込んでいるらしいとの事だったが。 
  その様子を伺い、シオンは意味ありげに笑みを浮かべた。 
「シオン様?」 
「おっと、綺麗な華達のお出ましだ」 
  セイリオスに導かれるようにして姿を見せた三人の人物。 
  そして特に一番端の方で遠慮がちに控えている者の姿に、レオニスは思わず目を奪われる。 
「……シオン様」 
  冷静とも冷ややかとも言える言葉が呟かれた。 
「なかなかの華だろ。お前さんも幸せモンだよな」 
「…殿下もグルですか、これは」 
「そーいうこと」 
  何でもないことのようにシオンに言われ、レオニスは怒りを通り越して苦笑してしまった。 
  ここまで計画的だと本当に何も言いようがない。 
  やがてセイリオスの挨拶が終わったのか人の波が動き出した。 
  ダンスの為の音楽も耳につくようになる。 
「――レオニス」 
  してやられたとしか言いようがない。 
  気がつくと、自分の前には着飾った二人の少女が立っていた。 
  いや、二人共を少女…言うには正確には語弊があるのだが。 
  そんなことを忘れさせるほど、二人は可愛らしい装いであるのだ。 
「ど。完璧なコーディネートでしょ♪」 
  シンプルなイブニングドレスに身を包んだシルフィスを前面に押し出し、同じように飾り立てた
メイが自慢げに話し掛けてくる。 
「へぇ…流石だなぁ。元が良いだけはある」 
「とーぜんでしょ! あたしとディアーナの力作なんだもん、大事に扱ってね♪」 
  シオンの軽口を受け流し、メイはレオニスへとニッコリと微笑んだ。 
「じゃ、あたしはセイル達の方へ行くから」 
  そのままシルフィスを押しつけ、楽しそうにセイリオス達の方へと戻って行く。 
「んじゃ、俺も姫さんの所にでも行くかね…。 
  ああ、レオニス。お前もシルフィスも今日の護衛の任は下ってないからな」 
「シオン様〜」 
  取り残されて不安そうに自分の服を掴む手を取り上げ、意味ありげに笑みを浮かべる。 
  シオンのすぐ隣に立つ男の腕へと少女のその白い指先を絡ませると、片手を振って宴の中心へと
歩いて行ってしまった。 
  暫く…沈黙が二人の周囲を支配する。 
  ぎこちなくだがその沈黙を破ったのはシルフィスの方だった。 
「あ…あの、姫に……命じられて…。 
  こんなもの着馴れないから、どうも動きにくくて」 
  護衛には向かないですよね。 
  戸惑いと不安の入り混じった声で、窺うようにレオニスを見上げる。 
  何も言わない恋人の秀麗な顔色に変化がないのを確認して、やや落胆したように俯く。 
「や、やっぱり着替えて来ます。暫く姫達のことお願いしま……!」 
  突然のことに身を翻そうとしていたシルフィスは言葉を途切らせた。 
  しっかりとその肩を掴まれ、次の瞬間は抱きすくめられていたのだ。 
「そのままでいい」 
「で、でも」 
  シルフィスのすぐ耳元に驚きに掠れた声が囁かれる。 
「折角の姫達の心遣いだろう。それに……」 
  やや早口に綴られたその最後を、聞き取ることができなかった。 
  しかし言いたいことはわかった気がして、シルフィスは頬を染めて俯いた。 
「…レオニス?」 
「どうせ警護には向かないのだし、一曲くらいは良いだろう」 
  優しい手に導かれてホールの中央へと歩いて行く。 
「実は凄く不安だったんです。 
  まだ分化した訳じゃないし…その…似合わないって言われたらって」 
  シルフィスは危なっかしげにレオニスのリードへと合わせながら、小さく呟く。 
「確かに驚かされたがな。私がそんなことを言うと思っているのか?」 
「いえ。でも…不安だったんです」 
  幸せそうに微笑みを浮かべるシルフィスに、つられたようにレオニスも僅かに口元を綻ばせた。 
 
 
「…ったく、お節介なんだから」 
  嬉しそうに二人の様子とそれを見守る親友を見て、メイは苦笑する。 
  今回の作戦は全部この目の前に立つ桜色の髪の姫君が立てたもの。 
  いつまでも遠慮がちな二人の事を心配していたのではあろうが……。 
「まぁ、あの子なりに心配していたんだろう」 
「セイルはディアーナに甘いよぉ」 
  二人はチラチラと二人の様子を伺っている妹姫を見つめて語り合う。 
  と…ダンスの曲が変わり、ホールの隅に寄って楽しそうに談笑している二人が見える。 
「あ…!」 
  そちらをふと垣間見たメイは驚きの声をあげる。 
「うっわぁ〜…隊長さんってば中々…」 
「シルフィスの前ではレオニスも変わるものだな」 
  セイリオスも驚きに満ちた呟きを洩らす。 
  ふと、メイの視界が遮られた。 
「セイ…!?」 
「向こうを見てて、つい…ね」 
  悪戯っぽく言うセイリオス。 
  メイは一呼吸置き、ホールを挟んだ向こうでシルフィスがしているのと全く同じ表情をしてい
た。 
 
 
  夜会はまだ終わらない。 
  外の空に輝く美しく銀の女神の恩恵が街へと降り注いでいた―――。 
 
 
  fin  
 
 
 
 
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