嫉妬−jalousie−
  
  明るい真昼の陽光あふれる王宮の中庭は、うららかで平和そのものに見える。
  こんな風に穏やかな戸外こそが密談にもっともふさわしいと、最初に気付いたのは誰だったのだろう。
  今、中庭のどこからも見通せる場所で、静かながらもどことなく緊迫した雰囲気を漂わせ、語を交わす長身の二人の男がいる。
「はぐらかすつもりか」
  高く結わえた青い髪を軽く揺らして、シオンは向かいに立つ男を見つめる。
「そのようなつもりはございませんが」
  黒い前髪に半分隠されたレオニスの青い目からは、いつも通り、何の感情も読み取れない。
「もう一度聞く。セイルに何をした」
  日ごろのシオンを知る者なら、どこからこんな声が出てくるのか驚くに違いない、低く冷たい響きだった。
「何を、とお聞きになるのですか……ご存知なのに」
  シオンが乾いた唇を小さく舐める。
  あの夜、セイリオスが王宮を抜け出したことは知っている。誰に会いに行ったのかも知っている。どうしてそれに気付かないはずがあろうか。日ごと夜ごとセイリオスを見ていたのは自分だったのに。
「俺が聞いているのはそのことじゃない。セイルは壊れて帰ってきた。何をした」
  この男は、あの後のセイリオスを見ていない。
  最初は、レオニスに拒まれたのかと思った。だが違う。それくらいのことがわからないシオンではない。
  思いが遂げられたはずなのに、セイリオスのあの変わりようは何なのか。
  あれ以来、憔悴し切ったセイリオス。何かの糸が切れてしまったかのように弛緩した精神。どうして放っておけるだろう。すべては、目の前の男のせいなのだ。
「特別なことは、何も」
「騎士ってのは、人の心を踏みにじる方法に長けた奴のことを言うようだな」
「私ではお心に叶わなかったということでしょう」
「よくもぬけぬけと」
  苛立ったシオンは、無意識のうちに拳を握り締めている。そんな風に感情を露わにしたシオンは珍しかった。
  もちろん、シオンとて体裁を整える術は心得ている。
  二人の姿は、遠目には、何か真剣な相談事があるように見えるのだろう。時折中庭を横切る廷臣たちは、二人に遠慮して近くを通ろうとしない。
  だがレオニスには、シオンの周りで揺らめく青白い感情の炎が見えていた。
「お前は、セイルに、何をした」
「……殿下がお望みになったことです」
  最前から繰り返される押し問答。レオニスは具体的なことは何一つ語ろうとしない。シオンにはその態度が、言質を取られるのを恐れて逃げを打っているようにしか思えなかった。
  すべて命令だから、忠誠心の結果だというのだろうか。そんなことは信じられない。根拠などない。ただそう思うだけだ。そんなこと、この男には似合わない。ならば、なぜ。
  得体の知れない不安がシオンの心をかき乱す。その困惑を、ただ攻撃的に相手にぶつけるしかできない。
「そういうこと言ってんじゃないだろう」
「もっと優しくして差し上げればよかったと、そうおっしゃるのですか」
  こんな台詞をいつもと同じ口調で語るこの男はどうかしている。シオンは心からそう思う。
「それが騎士の仕事だとしたら、騎士団は娼館と同じだな」
  いつものシオンならこんなことは言わなかったろう。だが、今の彼には歯止めが利かなかった。昂ぶる精神のままに口から零れ始めた侮辱の言葉を、止めることができない。
「なあ、こんなこと、あんたのかわいい部下達に知られたら困るんじゃないのか? 尊敬する隊長殿が夜伽までしているなんて知ったらな」
  吐き捨てるようなシオンの言葉に、レオニスは初めて表情を変えた。けれどそれは、シオンが期待したような変化ではなくて、むしろ微笑に見えた。
「殿下が、お嘆きになるでしょうね」
  はっと口を噤んで、シオンはレオニスを見る。レオニスの口調は余裕ありげだ。
「今のお言葉が貶めるのは、私ではなく殿下です。シオン様とも思えないお言葉です」
  奥歯を噛み締めて、瞬間目を閉じた後、シオンは言った。
「あんた、いつからそんなに性格悪くなったんだ」
「つい先日から」
  相手の射殺さんばかりの視線にも、レオニスは怯むことなく穏やかに、しかし酷薄に言い放った。
「それほどまで殿下がお大切なら、シオン様が殿下をお慰めすれば、それでよろしいではありませんか。私が望んでいることではありません」
  冷たい沈黙。
  二人の周りだけ、時が止まったかのように、白昼の日が射している。
  シオンは自覚していた。既に自分の方が熱くなっているというのに、この男と冷静にやりあおうなんて分が悪い。
  失うものなど何もないかのように開き直りやがって。こんな男に愛情を求めた可哀相なセイル。
  どんな抱かれ方をしたのかわかった気がした。
  頭を落として、シオンは息を吐く。
「どうしてセイルなんだ」
  これまでと違った、痛切にうめくような呟きが、シオンの口から漏れた。
  レオニスは答えなかった。自分が答える問いではないと知っていたから。
  そう、この問いは間違っている。問うべき名前も、問うべき相手も。
  なぜ、レオニスなのか。
  セイリオスに尋ねることができたなら、こんな不毛な会話を繰り返すこともない。もしもそうできたなら。
「お話は終わりのご様子ですので、私は失礼いたします」
  事務的に戻ったレオニスの声音に、シオンは顔を上げた。
「セイルを苦しめる奴は許さない」
  その瞳には、あの青白い炎が点っていた。
「あんたの大切なものを俺も壊してやる」
「私の大切なもの…それは何でしょうか。ぜひ教えていただきたいものです」
「余裕かましてられるのも今のうちだ」
  先ほどシオンを襲った激情の波は去り、今は黒い情念が彼の中で渦を巻いていた。
「そうだな。自分のせいで、可愛がってる部下が泣いたら、少しはあんたも苦しむのか」
  レオニスの眉が微かに動いた。
「それとも、惚れた女に面差しの似たお姫さんか」
  挑発的なシオンの台詞に、レオニスは覚えず考え込んでいた。
  それは自分にとって大切なものなのか? 責任感や感傷からでなく、何か特別な感情を注ぐ相手だというのか?
  考えてもわかるまい。なるようになるだけだ。
  おもむろに頭を振ると、
「どうぞ、お気の済むように」
  そう言って、シオンに背を向けた。
  シオンの悪意を一身に浴びるのを感じながら、そのまま歩を進める。
  今し方のシオンの態度に腹を立ててはいなかった。あの程度、かつて辛酸を舐めた日々を経た後では、大して気にするほどのものではない。むしろ興味深い時間を過ごしたと思っている。
  シオンがまとっていた青い炎に、かつては自分も身を焦がしたことがある。
  セイリオスを想って燃え立つ嫉妬の炎。シオンほどの者がそれをあからさまに見せたことが、レオニスには不可解でならない。
  恥ずかし気もなく自らの弱みをさらけ出して。あれが愛だというのか。
  だとしたら、もう愛など要らない。自分も他人も傷付けるだけの未熟な感情など、愚かしいだけだ。
  レオニスは、中庭の空に浮かぶ太陽を振り仰ぐ。
  白い太陽が彼を照らす。
  そして彼の背中を見つめるシオンも照らす。
  二人の足元で黒い黒い影法師がうずくまっていた。
 
  
戻る