雨上がり〜 your fault 〜


 学生会副会長中嶋英明が会計機構の部屋の扉を開けると、そこにはこの部屋の主、西園寺郁だけがいた。
 西園寺がもたれかけている窓の向こうは、霧のような雨。
女性と見まがうほどの美しい容姿と、男性らしい鞭のようなしなやかさを持つ西園寺郁。
 そんな西園寺が、ウェッジウッドのカップを片手に雨を見つめる姿は、華やかな中にも、たおやかな詩情を帯びていた。
 中嶋ほどの男が、目を奪われる。
「書類は出来たのか?中嶋」
 窓から目を離さずに、問い掛ける。
 その姿に似合わぬ、無粋な物言い。
 中嶋は苦笑を浮かべた。
「ああ。間に合わせた」
 右手に持った書類を、軽く左手ではたく。
 西園寺は相変わらず窓の外を見たままだ。
「丹羽に言っておけ。もう少し、余裕を持って提出しろと」
 学生会会長丹羽哲也は、懐が深くおおらかで、カリスマ性のある男だ。
 その当たりは、西園寺ももちろん認めている。
 ただ、おおらかな男の常として、細かい事務作業をもっとも不得手としている。
「お前が言え」
 その不得手の一番の被害者が中嶋だ。
 あの男の面倒は見飽きたとばかりに、投げやりな調子で西園寺に返す。
 やっと西園寺が、無表情に中嶋を見た。
 華やかな美貌に浮かぶ無表情は、最上級のビスクドールを思わせる。
 育ちの良さからでる極上の気品も、その印象を手伝っていた。
 誇り高い人形が動く。
 側のテーブルにカップを置くと、西園寺は中嶋に歩み寄り、黙って書類を受け取った。
「今日はいないようだな?」
「……主語が抜けているぞ、中嶋」
 書類に目を通しながら、文法の悪い質問に無愛想に答える。
「主語は口に出したくもない」
 西園寺の形の良い唇に苦笑が浮かぶ。
「臣なら、少し席を外している。まもなく戻るはずだ」
 歪んでもなお美しい唇が、事務的な応えを紡いだ。
「ほう」
 中嶋の唇の端があがり、狡猾そうな笑みが浮かんだ。
「それは」
 中嶋の腕が、西園寺にのびる。
「好都合」
 あっという間に西園寺の腰を捕らえて抱き寄せた。
 身をよじり逃れようとするが、体格に物を言わせた中嶋に、あっさりと抱きすくめられてしまった。
「どういうつもりだ?!」
 ひるむことなく、睨み返す。
「一度女王様を試してみたくてな」
 中嶋の長い指が、西園寺の顎に掛かる。
 それでも西園寺は中嶋を睨み付け、目をそらそうとしない。
「離せ」
 明らかに怒気を含んだ声で、中嶋に向かう。
「ふっ」
 中嶋に西園寺の怒りは、効かなかった。
「いい加減にしろ」
 怒気は含んでいるが、西園寺は声を荒げない。
「怒った顔もいい。さすがに女王様だ」
 全く臆する事もなく中嶋は、西園寺の唇に顔を寄せた。
「郁から離れなさい!」
 けたたましくドアが開く音と、同時の声。
 西園寺を抱いたまま、中嶋が振り返った。
「その汚い手を、郁から離しなさい!」
 七条臣は大股で二人に近づくと、西園寺に触れている中嶋の手を、力一杯つかみあげた。
 西園寺が、緩んだ中嶋の腕から抜け出し、七条の傍らに駆け寄る。
「ふん」
 中嶋が七条の手を振り払った。
「もう、戻ってきたのか?残念だ」
「よくも郁を……」
 いつもは穏やかな作り笑顔を浮かべている七条が、怒りを露わにしている。
 振り上げこそしていないが拳を固め、険しい顔で中嶋に対峙する。
 中嶋の目に、人を食ったような笑みが、冷ややかに浮かぶ。
「ご主人様を置いて何処に行っていた?女王様の下僕」
「……」
「いや、ご主人様を危険にさらすような奴は、下僕以下、できの悪い犬だな」
 腕組みをして、勝ち誇ったように、七条に鋭い侮蔑の眼差しを投げつける。
 七条は思わず奥歯を噛みしめた。
 歯の軋む音が、傍らの西園寺にも聞こえる。
「……ええ、その通りですよ。あなたのような極悪人のいる学園で、郁を一人にした僕の落ち度ですね」
 辛辣に返したようだが、どう見ても中嶋のペースにはまっている。
 七条はいつもの余裕を無くしていた。
「いい加減にしろ、中嶋」
 中嶋と七条の間に立ちはだかると、西園寺は真っ直ぐに中嶋を見つめた。
「私は別に危険な目に遭っていない」
「なに?」
 中嶋がいぶかしげに、西園寺を見る。
「臣を怒らせるために、私に触れたのだろう?」
「……」
 肯定も否定もせず、中嶋は無表情に西園寺を見返す。
「さっき私はお前に言ったはずだ『臣はまもなく戻る』と。なのに私にあんなマネをした。臣に見せつけて、挑発するのが目的だった。違うか?」
「郁?!」
 驚いたように、七条が西園寺の横顔を見た。
「……だとしたらなんだ?」
中嶋には、悪びれた様子もない。
「私をだしにして、臣に喧嘩を売るようなマネはするな。私はそんなやり方は気に入らない」
 言葉を切ると、西園寺は中嶋に向かって、笑みを浮かべた。
 華やかでいながら冷たく、それだけにぞっとするような美しい笑みが、西園寺から中嶋に投げかけられる。
「それにあの誠実で真面目な男は、私以上にこんなやり方を嫌うのではないか?」
 中嶋が僅かに眉を寄せた。
 すぐにその顔が苦笑に変わる。
「……なるほど……な」
 眼鏡のブリッジを人差し指で上げると、中嶋はドアに向かって歩き出した。
「さすがに女王様だ」
 西園寺とすれ違う時、中嶋は呟いた。
 中嶋を見ている七条を完全に無視すると、中嶋はドアを開けて、会計室を後にした。
 

「……郁……。すみません」
「臣が謝る事はない」
 西園寺の手が、優しく七条の頬に触れる。
「久し振りに見せてもらったぞ」
「えっ?」
「あんなに怒った臣を見たのは、この学園に入る前以来だ」
 この学園に入る前……初めてこの学園の理事長に会った時……。
 柔らかく微笑む西園寺につられて、七条の顔から険しさが消えた。
「そう……でしたか?」
「そうだ。最近のお前は、あの作り笑顔ばかりだった」
「そうですか?郁の前では普通でしたよ」
「普通で済ますな」
 触れた指で、七条の頬を軽く弾く。
「私の前でくらい、もっと怒って見ろ、笑って見ろ。泣いた顔でも構わないぞ」
 屈託無く西園寺が笑う。
 西園寺がそんな顔を向けるのは、七条臣の前だけだ。
「それに、お前が私の事で、あんなに怒ってくれたのが見られて、嬉しかったぞ」
「郁……」
 七条はそのまま西園寺を抱きすくめた。
 

 まだ雨は降り続いていた。
 学園の建物から出ようとした中嶋が立ち止まる。
 今朝は晴れていたので、傘を持ってきていない。
 会計室を出てから中嶋は、一度学生会室に向かった。
 予想通り、丹羽は逃げ出していた。一人、仕事をするのも馬鹿らしくなり、帰る事にしたのだ。
 西の空は少し明るくなりかけているが、もう少ししなければ雨は止まないだろう。
 こんな事なら、仕事をやっていた方が良かったかもしれない。
 眼鏡の位置を直し、中嶋はため息をついた。
 西園寺が持ち出した『あの男』の事……。
 『あの男』の事を持ち出され、思わず顔を変えてしまった自分に腹が立つ。
 いつの間にか『あの男』の存在が自分の中で、自分が思う以上に大きくなっている。
 雨が落ちてくる空を見上げる。
「走るか」
 寮までは大した距離ではない。いい憂さ晴らしになるかもしれない。
「やめておけ」
 傘がさしかけられた。
「らしくないぞ」
 中嶋が振り返る。
 すっきりした立ち姿に、中嶋を見つめる凛々しい瞳。雨のせいなのか、黒く癖のない髪は、いつもより艶やかに見える。
「篠宮……帰りか?」
 中嶋にしては、返事をするのが遅れた。
「ああ。お前もだろう?」
 自分に厳しい男が時折浮かべる穏やかな笑みは、優しく人なつっこさを感じる。
 その笑顔に、何故かほっとさせられた。
「……入れてもらおう」
「ああ」
 肩を寄せ合いながら、音もなく降りしきる雨の中、二人は並んで歩き始めた。
 

 西園寺を抱きしめながら、七条は顔を上げた。
 雲が切れて、薄くなった宵闇を見つめる。
「雨が止んだようですね」
「帰るのはもう少ししてからだ」
 七条の身体に腕をまわしたまま、西園寺は言った。
「そうですね。もう少し」
 再び七条は西園寺を抱きしめた。

 篠宮が傘を下ろす。
「止んだようだな」
 近づきすぎていた中嶋から離れ、傘を畳む。
 傍らに感じていた篠宮の温もりと、黒髪の匂いが消える。
 空気に残る雨の香りと冷たさが、代わりに中嶋を覆った。
「……そうだな」
 気の利かない雨と篠宮だ、と中嶋は思った。

 雲の向こうの宵闇に、星が一つ光っていた。

 



 
聖さんのヘヴンサイトで5678番を踏んで、リクエスト権をゲットしました。
「中嶋の卑劣な攻撃の前に無様な敗北を喫するかに見えた七条を敢然と救う女王様」というネタでリクエストしました。
こんなにしっとりしたお話がいただけるとは思ってもいませんでした!
ありがとうございます!
このリクエストをするためにヘヴンをプレイして、そのままここまで来てしまったという、大変記念すべき作品です(笑)

 
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