もの食う人々〜拉致〜

 
 ベルリバティスクールの休日。学生達は思い思いに一日を満喫する。
 部屋で勉強や読書、ゲームなどをする者。掃除やたまった洗濯を片付ける者。友人同士連れ立って出かける者。
 中には学園に行き、部活動や、その他の活動に勤しむ者もいる。
 そしてとある一室には、一種の結界が張り巡らされていた。
 その結界を『二人の世界』と人は呼ぶ。
 朝の十時過ぎ、その結界に一番に引っかかったのは、生徒会長丹羽哲也だった。
 いつも通りノックもせずに、そのとある一室のドアを開けた。
 四階の廊下の蛍光灯が、昨日の夜切れていたのを見つけたので、それを報告するためだ。
「篠宮ー。四階の廊下のでっ?!」
 寮長篠宮紘司の部屋の中を見た丹羽哲也は、そのまま凍り付いた。
「で……がどうした?哲也」
 部屋の主に篠宮の変わりに応えたのは、生徒会副会長の中嶋英明だった。
 中嶋は篠宮のベッドに寝転がっていた。
 それもベッドの端に腰掛けている篠宮の膝を枕に。
 しかも膝を枕にされている篠宮は、竹の耳かきを使って、甲斐甲斐しく中嶋の耳掃除をしている。
「ヒ、ヒデ。なにしてやがる」
「見てわからんか。久しぶりに休みの日に生徒会に行かなくてもいいから、くつろいでいる」
「……なんてぇ、くつろぎかただ。だいたい篠宮!お前なんとも思わないのか?!」
 中嶋の耳を掃除する手を止め、顔を上げた。
「何を思うんだ?」
「な、なにって、膝枕なんかしてよぉ」
「耳掃除をするのには、これが普通だろう」
 再び中嶋の耳をかきはじめる。
「弟にも、こうしてやっていた」
 広島にいる身体の弱い弟のことを思い出したのか、篠宮の顔が優しくなる。
 慈悲深いと言ってもいいほどの優しさだ。
 それに引き替え篠宮の膝枕でお大尽状態の中嶋は、意味ありげな中にも、得意そうで腹黒そうな笑みを丹羽に向けている。
(わざとだ……)
 さすがに丹羽。中嶋、篠宮カップルの被害者ナンバーワンと言われるだけに、察しがいい。
(ぜってー、篠宮に耳掃除が苦手だから耳掃除をしてくれって、大嘘を言ったに決まっている)
「弟も自分で耳掃除をするのが苦手だった。中嶋もそうだとは思わなかったぞ」
 丹羽哲也、大当たり。
 なんでも小器用にこなす中嶋が、耳掃除ごときが苦手なはずはない。
「すまんな、篠宮」
 殊勝に言う中嶋に、優しく笑って頷く篠宮が、『ちょっと』気の毒に思えた。
 『ものすごく』気の毒に思えないのは、篠宮が惚れた弱みでやっている所があるのを、丹羽は知っているからだ。さすがに被害者ナンバーワン。
「それで哲ちゃんは、なんの用なんだ?」
「おまえにじゃねえ。篠宮にだ」
「なんだ?」
 また手を止めると、丹羽に向き直る。
「四階の……」
 言いかけた時、突然ドアの向こうでけたたましい足音がした。
「誰だ、騒がしい」
 お大尽中嶋が、鬱陶しそうに呟く。
「俺じゃねぇぞ」
 当たり前のことを、丹羽が言う。
「篠宮さん!」
 ドアが開くと共に、篠宮の名を大きな声で呼んだのは、テニス部主将成瀬由紀彦だった。
「どうした?成瀬」
 お大尽中嶋に驚きもせず、篠宮の問いかけにも応えず、丹羽の巨体を押しのけて、成瀬が息を切らせて篠宮に近づいてくる。
 いつもの伊達男ぶりは何処へやら、長い髪を振り乱して、必死の形相だ。
「篠宮さん、俺と来てください!」
「「「は?」」」
 三人がほぼ同時に、少々間の抜けた声を上げた。
「何事だ。成瀬」
 渋々といった風情で中嶋が起きあがる。
「いいから」
 言うなり篠宮の腕を掴んだ立ち上がらせる。
「成瀬!」
 いきなりの事に、篠宮は反射的に手をふりほどこうとした。
「時間がないんです!」
 それだけ言うと、篠宮を肩に担ぎ上げた。
「な、何をするんだ!」
「篠宮さんをお借りします!」
 中嶋に言うなり、開けっ放しのドアから、外に向かって駆けだした。
 さすがにトップレベルのアスリート。百七十八センチの男を軽々と持ち上げた上、その重量を感じさせない素晴らしいスピード。
「……なんだありゃ」
 呆気にとられて見送る丹羽の背中を、中嶋が力一杯蹴り倒した。
「惚けていないで、何故止めん!役立たずが!」
 お前だって止めなそこねただろうとか、何で俺が止めんといかんだとか、突っ込みたいことはいくらでもあるが、中嶋はあっという間に後を追って行ってしまった。その上丹羽自身は床に撃沈。
 やっぱりどこまでも被害者な丹羽であった。
 

 時間は少々遡り、数分ほど前のこと……。
 

「やぁ、ハニー」
 寮の廊下を歩いていた成瀬の顔が明るくなった。
 もともと華やかな男が明るい顔をすると、周囲は一段と華やぐ。
「あっ、成瀬さん。こんにちは」
「今日は一人?」
「はい。和希は朝早くから出て行っちゃって」
 そう言って照れたように笑う啓太の中に、少し寂しげな影を見て、成瀬の胸が痛んだ。
「じゃあ、今日は僕と一緒にお昼ご飯を食べない?ハニーのために美味しいお弁当を作ってあげるよ。今日は天気がいいから外で、ピクニック気分のランチなんてどう?」
「えっ、いいんですか?」
「もちろん。折角の休みなんだから、ハニーも楽しまなくっちゃ。今日ハニーが一人だって知ってたら、もっと遠くに連れて行ってあげれたんだけどね」
 そう言って自然にウィンク。成瀬という男は、こういう事を実に自然にやってのける。
「成瀬さん……」
 少し照れたように笑ってから、啓太は頷いた。
「じゃあ、お昼は成瀬さんとご一緒します」
 屈託のない、啓太の笑顔。まさに成瀬の生き甲斐だ。
 啓太は一応遠藤和希とつきあってはいるが、そんなことは成瀬にとってはたいした問題ではない(成瀬以外にはたいした問題です)。
「そうこなくっちゃ。それじゃあ僕は今から……」
「ちょーっとまったーー」
 成瀬の幸せを引き裂く、不穏な声(あくまで成瀬視点)。
「あっ、和希。お帰り」
「ただいま啓太。成瀬さん、啓太をどうするつもりです」
 啓太に声を掛けるのもそこそこに、早速成瀬にくってかかる。
「どうって、一緒にお昼ご飯を食べるんだよ。言っておくけど、ハニーは僕と約束済みだからね。あっ、お友達君も一緒に食べてもいいよ。僕は優しいから、君の分も作ってあげるけど」
「成瀬さん、いいんですか?」
「もちろん。啓太が喜ぶなら、一人分くらい余分に作るなんてどうってことないよ」
「でも俺たち時間ないんです。十二時十五分のバスに乗って外に出ることになってるんです」
「えっ、そうだったっけ?」
「そうだよ。忘れてたのか?駄目だぞ啓太」
 大嘘つきの大人にはなりたくないものである。
「と言うわけで、今から作っていたら時間ないでしょ。だからその約束は、キャンセルにしてください」
 成瀬がこめかみをひくつかせながら、腕時計を見た。
 現在十一時三十分。
「大丈夫。今からすぐに作って食べれば、ちゃんと間に合うよ」
「そ、そんなに早く作れるんですか?冷凍食品やレトルトを使ったようなおかずじゃないでしょうね」
「そんなもの僕が可愛い啓太に食べさせる分けないだろう。栄養たっぷりで身体にもいい、美味しいお弁当を、あっと言う間に作ってあげるよ。僕の愛の力でね」
 

 「と言うわけなんですよ」
 寮のキッチンで鶏の唐揚げを揚げながら話をする成瀬の隣には、おにぎりを握って重箱に詰めている篠宮の姿があった。
「なら、愛の力を使え。篠宮の力を使うな」
 厨房の片隅にある椅子に座り、不機嫌そうに中嶋が言い返す。
「もちろんそのつもりですが、愛で時間は止められませんから。悲しいことに」
 あの中嶋が、思わずこめかみを押さえた。
 愛に生きている真っ最中の成瀬には、何を言っても無駄だ。
「それにしても成瀬。いきなり俺を担いで……乱暴すぎるぞ。手伝って欲しいなら、そう言えばいいものを」
 紫入りのご飯を手にのせながら、篠宮が溜息をついた。
「すみません。時間がなかったので、厨房で話をしようと思って」
 揚がった唐揚げを、おかずの重箱に詰めていく。重箱にはもう、牛蒡のサラダとブロッコリーとイカの炒め物(篠宮作)、洋風だし巻き卵とフライドポテト(成瀬作)が入っており、別のタッパにカットしたフルーツ(二人合作)が用意されていた。
「よし、完成。篠宮さん、そっちは」
「もう少しだ」
 最後のおにぎりを作って詰める。少しだけ空いている場所に鶏の皮で作った佃煮を入れた。
「終わったぞ」
「ありがとうございます!」
 そう言って重箱を重ね、タッパと割り箸を上に置くと、成瀬はまちの厚い紙袋にそれを入れた。
「このご恩は忘れません。ちゃんと後でお返ししますから」
「篠宮のレンタル料は高いぞ」
 と戦力外中嶋が言う。
「わかってますって。じゃあ行ってきます?」
 そう言って成瀬は厨房を飛び出していった。
「あいつ……」
 呆れたように中嶋が呟いた。
「片付けを全部篠宮にさせるつもりか?」
「だろうな」
 篠宮が別の入れ物を取り出し、残ったおかずを詰め始めた。
「何をしているんだ?」
「もう昼だ。俺たちも食べよう。成瀬ではないが、今日は天気がいい。外で食べないか?」
 振り向く篠宮に、中嶋は思わず微笑んだ。
 立ち上がって篠宮の隣りに立つ。
「手伝おう」
「出来るのか?」
「おにぎりに海苔を巻くくらいならな」
 二人は顔を見合わせて笑った。



 
再び、聖さんのヘヴンサイトで39999番を踏んで、リクエスト権をゲットしました。
リクエストは「頭にチューリップが生えてる由紀彦さん」。
あくまでも比喩ですよ、比喩!
たとえ和啓でも、ポジティブに啓太一筋な由紀彦さんってことで。
中篠なのは、聖さんのデフォルトです。
栄えある「もの食う人々」シリーズの一編をいただけて、ハッピーです♪
ありがとうございました!
やっぱり成瀬といえばお弁当だよね!
本編中、成瀬に抱え上げられた篠宮は、鴨居に頭をぶつけなかったのか、大変心配だったのですが、成瀬の超人的な運動神経によって事故は回避された模様です。
お姫様抱っこでもよかったのにねえ?(中嶋まるで無視の発言)
なおこの壁紙は、主人公は成瀬である、という私の独断と偏見の下に選ばれたものであり、別に中篠のイメージがピンクのハートというわけでは、断じて…!

 
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