あの弁当を追え
ベルリバティ学園。
特別の才能を認められた者だけが入学を許される場所。
天才となんとかは紙一重、と言いますが、あたりさわりのない言い方をすれば、非常に個性的な学生が集まっています。
学生達はその個性を発揮して、日々充実した学園生活を送っているのです。
今日は日曜日。
朝と呼ぶには遅い時間で、ほとんどの学生が朝食を済ませ、ある者は自室に戻り、ある者は羽根を伸ばしに外出してしまった、そんな時間です。
寮の厨房で、せっせと立ち働いている学生が一人。
誰かと思えば成瀬君です。「世界に愛をふりまく男」のはずですが、最近は転校生の伊藤啓太君だけに愛をふりそそぐことに忙しい成瀬君。
おいしそうな匂いのする鍋やフライパンを前に、料理の腕を振るっていたようです。
そこへ、
「成瀬か。珍しい時間にいるな」
と声をかけて入ってきたのは、篠宮君でした。
タイプの違う美丈夫が二人、エプロン姿のツーショットは壮観です。
「珍しいですか?」
「いつもはもっと早い時間に作っているんじゃないのか」
「ああ、そうでしたね。今日はもう走りこみしてきたんですよ。いつもよりたくさん作ろうと思ったもんですから。ハニーとその友達のために」
「ハニー・・・ああ、伊藤のことか」
成瀬君が伊藤君にご執心なことは、学園内で知らない人はいません。
「そういう篠宮さんは? ご自分のお弁当ですか?」
「いや、岩井の分だ」
「岩井さん、また具合を悪くされたんですか?」
成瀬君の顔が曇ります。岩井君が病気の時に篠宮君がおかゆを作っていることも、学園内で知らない人はいません。
「そうじゃないんだが、放っておくと何も食べないから、今日は昼を持っていってやろうと思ったんだ」
「まめですね」
「心配だからな」
「岩井さんのこと、本当に大切に思っているんですね」
「大切というか・・・」
「俺はハニーのためにお弁当を作る。篠宮さんは岩井さんのためにお弁当を作る。美しいですよね。篠宮さん、よかったら、俺が炊いたご飯、使ってください」
「それはありがたいが」
「成瀬、お前は根本的に間違っている」
二人の会話に突然割りこんできたのは、中嶋君でした。いつの間に現れたのか、厨房の入り口で腕を組んで立っています。
「中嶋さん?」
「いいか。伊藤はお前のハニーかもしれないが、岩井は篠宮のハニーじゃない。一緒にするな」
成瀬君はそういうつもりで言ったのではなかったので、何と返事をしたものか、一瞬考えます。その間に、
「中嶋」
篠宮君は菜箸を持ったまま眉をひそめると、
「いきなり話しかけるとびっくりするだろう。それに、厨房に入る時はちゃんとエプロンをしろ」
服装チェックから入ります。
「俺は料理などするつもりはない」
「だったら何しに来たんだ」
「見に来ただけだ」
中嶋君が用があるのは篠宮君だけ、と判断した成瀬君は、さっさと自分の作業に戻っていました。余計なことに首を突っ込むような野暮な趣味はありません。
「それは岩井の分だけなのか」
「ああ。多分、卓人は朝も食べてないと思うから」
「今日も俺は学生会室で仕事だ」
「そうなのか」
「きっと腹が減る」
「朝、食べなかったのか」
「いや、食べた」
「なら問題ないんじゃないか」
「今日は缶詰かもしれない」
「夜食の心配をしてるのか、だったら・・・」
「そうじゃない」
中嶋君の言いたいことが篠宮君にはなかなか伝わらないようです。中嶋君も、この際だから、はっきり言えばいいのに。
「一つだけ作るなんて面倒だとは思わないのか」
「別に面倒じゃない」
「もういい」
いつもずけずけとものを言う中嶋君には珍しく、歯切れが悪いまま出て行ってしまいました。
「何なんだ、あいつは」
篠宮君は本当にわからないようで、首を傾げています。
「いけませんよ、篠宮さん」
見れば成瀬君は既に弁当を作り終えたようです。
「中嶋さんの気持ちも察してあげないと」
「中嶋の気持ち?」
「あの人も言葉が足りなくて誤解されやすいですから」
中嶋君の言葉が足りないなんて言えるのは、学園広しといえどもそうたくさんはいないでしょう。むしろ、きっつ?い言葉にやり込められている人が多いのですから。
「後になって、あの時ああすればよかったって後悔するなんて、悲しいでしょう。愛が壊れてしまってから、もっと優しくすればよかった、と思っても遅いんです」
蛇の道はヘビ、と言いますが、方向性は違っても、色恋沙汰に関しては中嶋君に引けをとらない成瀬君です。
「中嶋さんは篠宮さんの手作りのお昼ごはんがほしかったんでしょう」
「そうだったのか?」
「あの人の愛情表現は複雑ですが、篠宮さんはストレートな愛で応えてあげたほうがいいと思いますよ」
「いや、それは……」
愛を連発する成瀬君に、ちょっと腰が引けそうになる篠宮君ですが、場数を踏んでいる成瀬君にはいろいろとお見通しのようです。
「そりゃあ、愛の形は人それそれです。先輩方のやり方に口を挟むつもりはありませんけどね。俺の言ったことが原因でお二人の仲がこじれるのは、本意じゃありませんから」
「・・・・・・」
「俺が思うに、愛というのは惜しみなく与えるものです。出し惜しみしてはダメです」
愛を語る成瀬君の背中にはあたかもきらきらと後光が差すようで、篠宮君はつい真剣に聞き入ってしまいます。もっとも、篠宮君はいつでも真剣なのですが。
「そういうものなのかな」
「そうですとも。じゃあ俺はもう行くので。あ、使うならこのタッパーどうぞ」
「ああ・・・、すまない」
なんとなく押し切られるように、もうひとつ弁当を作ることになってしまいました。
「成瀬はずいぶん作ったんだな」
成瀬君はトートバッグにタッパーを入れているところです。その数、十個はありそうで、大きなバッグもぱんぱんです。
「おかずの量が愛情の量だと思ってるわけじゃないですが、啓太の友達の分まで作っていくのは、ちょっとした男の意地ってやつかもしれません」
心の狭い男と思われたくないんでね、と言って笑うと、成瀬君は朗らかに挨拶をして厨房を出て行きました。
一人残された篠宮君も、当初の目的通り弁当を作り始めます。岩井君のためにごちそうを作るつもりはなかったので、質実剛健なおかずです。
最初は一つ作るつもりでしたが、中嶋君の分もということで二つ。ついでに自分の分も作ろうとは、やっぱり思いつかないようです。
手際良く調理をして、卵焼きだの、ほうれん草とベーコンの炒め物だの、プチトマトだのを詰めたタッパーを配膳台に並べたところで、タッパーより一回り小さい、プラスチックの弁当箱が置いてあるのに気付きました。
自分に覚えがないということは、成瀬君が忘れて行ったのでしょう。
一瞬、届けに行こうかとも思いましたが、ハニー第一の成瀬君のこと、気付けば必ず取りに来るでしょうから、行き違いになるかもしれません。
朝ご飯を食べていない可能性がとても高い岩井君のことを考えると、先に美術室に届けに行った方がよいと考えた篠宮君は、ひとまず、自分が用意してきた岩井君の分の弁当箱を持って、その場を離れて行くのでした。
さて今の状況はというと、厨房と食堂の間の配膳台に、弁当箱とタッパーが一つずつ乗っています。
成瀬君がハニーに作ったお弁当と、篠宮君が中嶋君に作ったお弁当です。
それから二、三十分も経った頃でしょうか。食堂の方でばたばたと近づいてくる足音がします。
「弁当〜 成瀬の弁当はどこかいな〜」
滝君です。篠宮君が予想した通り、弁当箱が足りないことに気付いた成瀬君が、滝君にデリバリーを頼んだのです。
食堂から配膳台に近づいた滝君は、弁当箱とタッパーが並んでいるのを見て首をかしげます。
「えーっと、寮長の弁当があるかもしれんゆうてたのはこれやな。よっしゃ、成瀬のタッパーはこっちや」
時々デリバリーを頼まれている滝君には、タッパーに見覚えがありました。迷わずタッパーを手に取ると、中身も確かめずに走り去ってしまいました。
残されたのは、弁当箱が一つ。
その少し後です。静まり返った食堂にまた誰か入って来ました。
今度は中嶋君です。弁当のことが気がかりで、戻ってきたのです。
配膳台の上に弁当箱があるのに目をとめると、まっすぐ歩いて行きます。
さっきはなんとなく、ストレートに弁当を作れと言えませんでしたが、だからといって、篠宮君の自分への気持ちを疑うことはありません。
ですが、それとは別に、岩井君のためにどんな弁当を作ったのかは気になります。というより、自分が知らないということが許せません。
配膳台の弁当箱を取り上げると、さっさと蓋を開けました。
目にとびこんできたのは、鶏そぼろを敷き詰めた真ん中にでかでかと桜でんぶで描かれたピンクのハート。
「これが岩井のための弁当なのか・・・?」
「違いますよ」
ハート模様に動揺して思わず声をあげてしまったこと自体、我ながら驚きだというのに、それに返事がかえってきたことも、中嶋君にとっては驚きでした。しかもその声の主は、普段であれば真っ先に気配を感じて対応するはずの相手だったからです。
そんな内心を打ち隠して、直ちに態勢を立て直すと、中嶋君はゆっくりと振り返りました。
「ほう、違うのか」
「ええ、違いますよ」
いつからそこにいたのか、食堂の机に座った七条君がノートパソコンを前にいつもの微妙な笑顔を浮かべています。
「なぜわかる」
「見ていましたから」
なんと、今までここには書いてありませんでしたが、篠宮君が弁当を作っていた時から、七条君は食堂に座っていたのです。
「滝君が間違えて持っていったのですよ。それは成瀬君の作ったお弁当です」
「成瀬か」
そこまで言われれば、頭脳明晰な中嶋君、事情はだいたいわかります。
そんな中嶋君にむかって事情をかいつまんで説明する七条君の笑顔は、いつもより楽しそうに見えます。
「それを黙って見ていたのか」
「ええ。滝君が質問してくれさえしたら、お教えしたのですが。先ほどの中嶋さんのように」
「俺が?」
「先ほど質問なさったでしょう。これが岩井さんのためのお弁当なのかって」
そこまで言って、七條君は言葉を切りました。こころなしか、唇の端がいつもより上がっているようです。
「もしかして、あれは私に質問したのではなかったのですか? まさか、中嶋さんともあろう方が、驚きのあまりに独り言をおっしゃったとか」
中嶋君にとっては不愉快な状況ですが、こうして面と向かっているからには、これ以上動揺することはありえません。
「ふん、そりゃご親切に。その調子で岩井の弁当の面倒も見てやればよかったのに」
七条君が、滝君の間違いをそのままにしておいたことに、邪心を感じる中島君です。
「それは違いますよ」
「違うのか」
「やはり中嶋さんは何か勘違いをなさっているようですね」
ほう、と七条君は意味ありげにため息をついてみせました。
「岩井さんのお弁当は篠宮さんがご自分で持っていかれました。もう一つ作っていらしたようですが、それはどなたのお弁当だったのか」
実は今まで書いてありませんでしたが、七条君は、愛の伝道師成瀬君が厨房で愛について語っているのも聞いていたのです。
「ご自分の分だったかもしれませんし、ご友人の分だったかもしれません。成瀬君に何か言われていたようですが」
中嶋君の眉間にしわが寄りました。中嶋君にはその弁当が誰のものか、確実に心当たりがあったからです。
微妙な笑顔がエスカレートしていく七条君を迎撃したいのはやまやまですが、もうひとつの弁当の話を聞いた以上、こんなところでぼやぼやしているわけにはいきません。
「懇切丁寧な説明をご苦労だったな。さすが女王様のしつけが行き届いていて結構だ」
それだけ言うと、成瀬君のハニー弁当をつかんで、あとは振りかえりもせず食堂を出て行ってしまいました。
「・・・・・・親切をすると気持ちがいいですね」
にっこりと頬を崩した七条君の背中には、もしかしたら黒い羽根が生えていたかもしれません。
その頃、テニスコート裏のベンチは、まるでピクニック会場のようになっていました。
「成瀬さん、こんなにたくさん作るの大変じゃなかったですか」
ずらりと並んだおかずを前にして、伊藤君が恐縮しています。
定番の唐揚げやたこさんウインナはもちろん、アスパラベーコン、シューマイ、ミートボールといったお肉類から、かぼちゃのそぼろ煮や野菜のたらこ和えといった野菜物まで幅広く、さらにはいろんな色のおむすびもタッパーからあふれています。
「ハニーのためなら少しも大変じゃないから、気にしないで。前においしいって言ってくれた卵焼き、また作ってきたからね」
成瀬君が伊藤君にお弁当を作ってくるのはいつものことですが、練習を見に来る約束の日には、とびきりご馳走を振舞うのも恒例です。
「いつもありがとうございます。俺ってご馳走になってばかりで・・・」
「その笑顔だけで充分だよ、ハニー。ああそれなのに、僕ときたら、肝心のご飯を忘れてきてしまうなんて!」
成瀬君は目を伏せて大きく肩を震わせます。
「こんなにたくさんあれば、しょうがないですよ。俺なんてしょっちゅう忘れ物してるし」
「啓太は本当に優しいね。そんなハニーが僕は大好きだよ」
ぎゅっと伊藤君を抱きしめようとする成瀬君の横で、
「あー。こほん」
咳払いするのは遠藤君です。
「俺もいるんですけど」
「ああ、もちろん君の分もあるからね。安心して食べてくれていいよ」
「あのですね。なんで俺達一緒に昼飯食べなきゃならないんですか」
この状況が非常に不満のようです。
「僕だって、できることならハニーと二人だけで食べたいと思ってる。だけど友達思いの啓太は、友達の誘いを断るのはつらいんだよね。僕はハニーにそんなつらい思いをさせたくない。だからみんなで食べようっていうんだよ」
成瀬君、遠藤君に答えているように見えて、実はしっかり伊藤君にアピールしています。
「それでも・・・」
「いいじゃない、和希、大勢で食べるのも楽しいし」
無邪気なのか、鈍感なのか、はたまたすべて戦略なのか、伊藤君が二人をとりなすように間に入りました。
「だからって・・・」
「うん、そうだよね、成瀬君、僕も誘ってもらって嬉しいよ!」
「だからって、なんで海野先生までいるんですかあっ!」
遠藤君が叫ぶのも、もっともです。
そこにいるのは成瀬君と伊藤君と遠藤君だけではなく、海野先生も一緒です。
「さっきお会いしたからお誘いしたんだよ。大勢のほうが楽しいって、ハニーも言ってるからね、親友君」
どうせ二人きりになれないのならと、人数を増やすのが成瀬君の作戦のようです。
「さっきまでトノサマもいたんだけどねえ」
既にしっかりとお箸を握った海野先生が、残念そうにあたりを見渡しました。
「どこいっちゃたのかなあ、トノサマ」
「お腹が空けばきっとすぐに戻って来ますよ、先生」
「そうだね、伊藤君の言う通りだね」
「うー、なんだかやりにくいなあ」
「君もあんまりぷりぷりしないで。お互い啓太のために度量の広いところを見せようじゃないか」
先に成瀬君にそう言われてしまっては、遠藤君もこれ以上異議を唱えるつもりはありません。
「わかりました。俺も成瀬さんの料理、堪能させていただきます」
「ありがとう。さあ、先生も、召し上がってください。ハニーもね」
「よかった、和希、これおいしいんだよ」
こうして表面上は和気藹々と、ランチタイムに突入したところ。
「お待たせーっ、みんなの俊ちゃんでーす」
きききーっとブレーキを軋ませて、滝君の自転車が止まりました。
「ほれ、成瀬、依頼の品や」
素早く地面に降りた滝君が、さっき食堂から持ってきたタッパーを成瀬君に差し出します。
「いつも助かるよ、俊介。・・・・・・でも、これは」
タッパーを見ただけで、成瀬君にはわかりました。
「俺のじゃない。こっちが篠宮さんのだ」
「ええーっ、なんでや、ちゃんとお前のタッパー選んできたのに」
「篠宮さんにひとつ貸したんだよ」
「そんなんありかー!」
「確かに、ちゃんと説明しなかった俺が悪かったかもしれない」
成瀬君はすまなそうに言いました。
「とりあえず、ここまで配達してくれた分は払うから」
「あかん。依頼をまだ果たしてへんちゅうのに、お代をもらうわけにはいかんのや」
もう一度行ってくる、と自転車に飛び乗った滝君を引き止めたのは、伊藤君でした。
「おむすびもあるし、お昼の時間には限りがあるし、そんなにこだわらなくてもいいですよ、ね、成瀬さん」
「・・・・・・ハニーはほんとうに思いやりのある子だね。ちゅ」
「わわわっ!」
「ちょっとっ! 成瀬さん!」
「わあ、やっぱり仲良しなんだねえ」
「あほらし」
毎度毎度の展開なので、説明する気にもなりません。
「とにかくなあ、成瀬、このままでは俺の気がすまんのや」
「わかったよ、俊介、じゃあこうしよう。この学食チケットで、そのお弁当を篠宮さんに届けてくれ。多分あの人の方が困っているはずだから」
「寮長はんか、どこにおるやろ」
「厨房にいなかったのなら、岩井さんにお弁当を持っていくと言っていたから美術室か、あるいは弓道場か学生会室か、そのへんだろう」
「よっしゃ、汚名挽回や、任したれ」
そう言って、今度こそ滝君は自転車で走り去って行きました。
「気をつけてね、俊介」
手を振る啓太の横で、
「滝くーん、汚名は挽回するんじゃなくて、返上しないとダメだよ。汚名返上、名誉挽回だよーっ」
と大きな声を出した海野先生でしたが、滝君に聞こえたかどうかはわかりません。
「じゃあ、お昼を食べないとね。ハニーの言った通り、昼休みは短いんだから」
「俺達は午後ひまですから。成瀬さんだけ、どうぞ部活に戻ってください」
笑顔の遠藤君に、成瀬君も笑顔で答えます。
「そうだね、ハニーとお別れするのは残念だけど、こんなに親切な友達が一緒なら啓太も退屈しないだろうし」
「へえ、俺と啓太が午後もずっと一緒にいるってわかってるってわけですね」
「もちろんさ。君は啓太の大切な友達だからね、何にも心配してないよ」
さりげなく、じゃなくて、あからさまに牽制し合う二人です。
その脇で、伊藤君と海野先生はおかずに箸を伸ばしながらのほほんと語り合っています。
「みんな仲が良くて僕も嬉しいな」
「うーん、どうなんでしょうね」
「うん、これも、伊藤君がみんなに好かれてるからだね」
「たはは、そういうのとは違うと思いますけど」
なんだかんだいって四人の会話は弾んでいるようです。
それなりに楽しいランチタイムが演出され、ほどよく和んだ時間が流れた頃、唐突にまた割りこんできた人物がありました。
「成瀬」
「あれ、中嶋さん?」
丹羽会長ならいませんよ、と言いかけた成瀬君の目の前に、
「これはお前のだな」
中嶋君が突き出したのは、
「それは、ハニーのお弁当!」
滝君が頼まれたのに間違えた、成瀬君のハニー弁当そのものでした。
「中嶋さんが持ってきてくださったんですか」
「うわあ、中嶋さんが?」
「しーっ、啓太ったら」
「細かい話はいい。篠宮の弁当があっただろう」
中嶋君は眉一つ動かさず、弁当を成瀬君の顔の前に掲げたまま言いました。
あわててその弁当箱を受け取った成瀬君は、
「ありがとうございます。ですが・・・」
困った顔になりました。
「さっき俊介に持っていかせてしまったんです。篠宮さんに届けてくれって」
「そうか」
その程度のこと、中嶋君にとっては予測された誤差の範囲内です。
「申し訳ありません。無駄足を踏ませてしまって」
「気にするな。手ぶらだとみっともないから持ってきただけだ。じゃあな」
そのまま踵を返す中嶋君。この珍妙な取り合わせの四人組にも、大して関心は持たなかったようです。
「あれ、もう行っちゃったの、中嶋くん。せっかちだね」
「大事な用なんです、引き止めないでおいてください、先生」
かなり事情を理解している成瀬君が海野先生にとりなす一方で、
「あの中嶋さんが、物を届けてくれるなんて、びっくりしたなあ」
「さっきのは中嶋さんの弁当だったんだ」
中嶋君が執着する篠宮君の手作り弁当の中身を、もっとよく見ておけばよかった、と思う伊藤君と遠藤君でした。
さて、こちらは美術室です。
篠宮君が予想した通り、岩井君は朝ご飯を食べていなかったので、持参した弁当の他にもお茶をいれたりなんだりかんだり、甲斐甲斐しく世話を焼いていました。
今まさに、岩井君に指導付きで弁当を食べさせているところです。
「卓人、ちゃんと噛んで食べろ。噛むことによって唾液が分泌され、消化がよくなるんだ。顎の力もつくし、脳も活性化される」
「・・・・・・」
「何か食べづらいものでも入っていたか」
「いや、篠宮は食べないのか」
「俺は後で食堂で食べるから」
「そうなのか・・・さっきの弁当、お前が食べればよかったのに」
岩井君が言っているのは、滝君が持ってきた弁当のことです。商売柄つちかわれた勘なのか、滝君は正確に篠宮君のいる場所を察知して、まっすぐ美術室にやって来ました。それを篠宮君は、さらに学生会室に届けるように頼んだのでした。
「だってあれは中嶋の分だから」
「そうだったな」
「さっきその場にいただろう」
「そうだったかもしれない」
相変わらず、あまり周囲の状況を気にしていないらしい岩井君です。
「じゃあ、篠宮の弁当はないんだな。これを食べるといい」
「それは卓人の分だから、お前が食べなきゃだめだ」
「わかった・・・いつもすまない」
「いいから早く食べろ。よく噛んで食べるんだぞ」
お互いに悪気がないせいか、会話がループしているような気がします。
その時、美術室のドアが勢いよく開きました。
「篠宮はいるか」
「中嶋、どうしてここに」
「俺の弁当があるそうだな」
滝君の自転車移動にも負けないスピードでやって来たのに、汗ひとつかいていない中嶋君はさすがです。
「成瀬に聞いた。弁当の礼はする。後でな」
他の人が聞いたら背筋が冷たくなるような口振りですが、篠宮君は特に動じる様子もありません。むしろ、やはり作ってよかったなと思いつつも、少し申し訳なさそうに言いました。
「せっかくだが、ここにはないんだ。滝に持って行ってもらった後なんだ」
「そうか・・・・・・ところで、篠宮、岩井がネコを餌付けしているぞ」
「えっ」
慌てて篠宮君が振り返ると、いつのまにか岩井君の足下にはトノサマがいます。
篠宮君が目を離した隙に、岩井君はトノサマにお肉をあげている真っ最中でした。
「卓人!」
「・・・・・・ダメかな」
「うにゃ〜ん」
岩井君とトノサマ、二組の、けがれのないというか何も考えていないというか、とにかく純な瞳に見つめられ、一瞬篠宮君も挫けそうになりました。しかし、そんなことで負けてしまう我らが寮長ではありません。
「一切れくらいならいいが、お前は全部あげてしまいそうだから」
「岩井、せっかくの篠宮の手料理だ、あまりもったいないことはするなよ」
そう言ったのは中嶋君です。
特別やきもちを妬いたりしているわけではありません。篠宮君が岩井君に弁当を作るのも、岩井君がネコにおかずをあげるのも、同じようなもので、要するに、かまいたいだけなんだろうと思っています。
「じゃあ、中嶋が食べるか?」
「そうじゃなくて、卓人が食べろ」
「わかった」
さっきから微妙にかみ合っていない会話のように見えるかもしれませんが、そうではないのです。岩井君は篠宮君の弁当が嫌なのではなくて、単に量が多くて困っているだけだし、それを見越した篠宮君が「お残しは許しません」と言っているだけなのです。
その時、トノサマを見た中嶋君の胸に、ふと気になることが思い浮かびました。
「篠宮、俺の弁当はどこに届けさせた?」
「学生会室だ。そこで仕事だと言っていたから」
それを聞いて、中嶋君は思い切りいや?な予感がしました。
今日は何が何でも仕事を進めるつもりで、学生会長を呼びつけていたのです。かなり脅かしておいたので、さすがの丹羽君も今日は出てくるでしょう。
いつも小腹を空かせている丹羽君のこと、もしも自分がいない間に弁当を見つけられたら、どんなことになるか、容易に想像できます。
「学生会室か・・・」
中嶋君の顔が険しくなりました。
学生会室のドアをノックした滝君は、返事がないのにドアが開いたので、勝手に入り込みました。
「なんや、誰もおらんのか。無用心やな」
いろいろ紙が広げてあるので、さっきまで誰かいたのに、ちょうど今は席を外しているようです。
「しゃあない、ここ置いとくで」
篠宮君の弁当を置くと、足早にそこを離れて行きました。
それと入れ違いに戻ってきたのが丹羽君です。
「ちぇーっ、ヒデの奴、まだ来ないのか」
不満げに頬をふくらませた丹羽君がふと机の上を見ると、目に飛び込んできたのは、燦然と輝く中身の詰まったタッパーでした。
「これは弁当じゃねえか。ヒデの弁当かな、もしかして俺のために準備してくれたのかも」
何事も前向きでポジティブ・シンキング、ひたすら楽天的な丹羽君です。
「わかんねえけど、ちょっとくらいなら食べてもいいよな。ちょうど腹も減ってきたし」
そうやって、ちょっとだけ、ちょっとだけ、と食べているうちに、いつのまにかほとんどなくなってしまうのはお約束。
「まいったな、なくなっちまった。ヒデがすぐ来ないのが悪いんだからな」
「誰が悪いって」
「うおっ」
ようやく学生会室に辿り着いた中嶋君は、つかつかと丹羽君に歩み寄り、空のタッパーを見下ろします。
「食べたのか」
「お、おう、うまかったぜ」
「食べたんだな」
「ええーっと」
「これは篠宮が俺に作った弁当だったのに」
丹羽君には、放電しながら巨大化していく中嶋君が見えたような気がしました。
目に見えるものが真実ではないとしたら、と伊藤君に語ったのは岩井君でしたが、今の丹羽君にとっては、自分の目に見えるものだけが真実でした。
「こんなこともあろうかと、美術室から土産を持ってきてやったぞ、てっちゃん」
「ぶにゃあ〜〜ん」
「うがああああああ」
「臣、今何か聞こえなかったか」
会計室で、資料から顔を上げながら、西園寺君が言いました。
「気のせいでしょう。ここは防音もしっかりしていますから」
七条君がいつもの微笑を浮かべて答えます。
「今日は随分と機嫌がいいようだが」
前言撤回。西園寺君にはいつもと違って見えるようです。
「そう見えますか」
「ああ、何かいいことでもあったのか」
「今日は食堂で親切をしたので、そのせいかもしれません」
「親切?」
「親切をすると気持ちがいいですね。それ以上は、郁にもひみつです」
にこにこしながらキーボード上に指を滑らせていく七條君を、西園寺君はいぶかしそうに見つめるのでした。
こうしてベルリバティ学園の日曜日は過ぎて行きました。
明日もまた違う一日。
ヘヴン初創作です。
聖さんの「もの食う人々」シリーズから中篠に入ったので、食べ物にこだわってます。
最初は聖さんへの中篠リクエストネタのはずでした。
篠宮の弁当と成瀬の弁当が入れ替わって、中嶋がびっくりする、というただそれだけの話のはずだったのに、いつのまにかこんなことに。
EDのあるキャラを全員出す、という目的が果たせて満足です。トノサマもEDのあるキャラだと思います。
女王様が端役なのは心残りなんですが、彼は主役が似合う人なので、脇で使うのは難しかった…。
中嶋が別人でごめんなさい。
どうして「ですます」で書こうと思ったのか、考えてみたら、多分「どこでもいっしょ〜私な絵本」の影響でしょう。あれの中身が「ですます」なので。
馬鹿っぽい雰囲気が出てればよかったのですが。
PS版をやったら、滝が成瀬のことを「由紀彦」と呼んでいた。うーん、でも直さないでおこう。
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