大切なあなた
授業が休みになるのはいつだって嬉しい。それは、いろんな秀才や天才がそろっているベルリバティだって同じだろう。
今日は平日なのに、先生方の研修とかで、授業が午前中で終わりになった。こういうのってスペシャルボーナスみたいで、ものすごく得した気分。それに今日はいい天気だし。
「啓太はこれからどうする?」
浮かれた気分にざわつく廊下で、和希が話しかけてくる。
「和希は部活?」
「ああ。今日の午後はばっちり部活にあてるつもりなんだ。今超大作に取り掛かってるんだ」
「へえー」
「啓太も手芸部に来る?」
手芸部と言われて、俺の頭に、一瞬よみがえる思い出があった。
「遠慮しとく」
またものすごいものを着せられてはたまらない。
「ははは、まあいいさ。今日もテニスコートか?」
「うん」
「ふーん」
「なんだよ」
「ま、お前がいいなら、俺もそれでいいけどね」
和希が言っているのは成瀬さんのことだ。
べつに、勢いに押し切られたとか、そういうんじゃないんだけど、放課後に時間があれば、俺はテニスコートに成瀬さんを見にいく。
あの人が一番輝いて見えるのは、やっぱりテニスをしている時だ。成瀬さんが好きだっていうより、一流のテニスプレーヤーのテニスを見るのが好きなんだって、和希には言っている。
逆に、休み時間に教室に来る成瀬さんと会うのはもうすごく照れくさいから、やめてくださいってお願いしてるんだけどなあ。もちろん、成瀬さんはやめてくれないけど。
あれ?
「そういえば・・・」
「どうした、啓太」
「今日は一度も成瀬さん来なかったと思って」
「なーんだ、嫌だからやめてくれって言ってるわりには、やっぱり毎日会いたいんじゃないか」
「そういうんじゃなくて、なんか、心配じゃないか。風邪でも引いてるのかもしれないし」
そう、俺は心配なんだ。いつも通りじゃないから心配してるだけなんだ。
「とにかく、俺、テニスコートに行ってみる。もしも部活に出てなかったら、寮にいるかも・・・」
「成瀬なら、テニスコートにも寮にもいないぞ」
「えっ」
不意に後ろから声をかけられて、びっくりして振り返ったら、篠宮さんがいた。
「こんにちは」
頭を下げた俺たちに挨拶を返した篠宮さんは、成瀬さんがトレーニングルームにいる、と教えてくれた。
「トレーニングルームですか?」
「ああ、新体育館の二階のサブアリーナの奥だ。行ったことはないのか」
「授業で使わないところは、わかりません」
この学校、やたらに施設がいっぱいある。スポーツ関係でもなんだかたくさんあって、俺は正直覚える気にもならない。
「そうだな。あそこは授業じゃなくて、運動部の連中が交代で使っているからな」
「じゃあ、今日はテニス部はそこなんですか」
俺が聞いたら、篠宮さんは少し驚いたようだった。
「知らないのか。伊藤は知っていると思っていたが」
「何をですか」
「昨日、成瀬が部活中に足を捻ったんだ」
一瞬、俺の頭の中で何かがガーンと鳴った。
昨日は、宿題をためちゃってて、少しだけ練習を見てから、すぐに寮に帰っちゃったんだ。その後に、成瀬さんが怪我をしていたなんて!
「そんな顔をするな。軽く捻っただけだ。ただ、今日は大事をとって、テニスはしないで筋トレだけにするそうだ」
俺はよっぽど情けない顔をしていたらしく、篠宮さんは少し笑って、俺の頭をぽんぽんと叩いた。
「大騒ぎするほどのことじゃない。ただ伊藤なら知っていると思ったものだから。驚かせてすまなかった」
篠宮さんが笑っていられるんだから、大した怪我じゃないんだよね。よかった。
「あの、篠宮さん」
今まで黙っていた和希が口を開いた。
「啓太に伝えろって、成瀬さんに頼まれたんですか」
「いや。なぜそんなことを?」
「寮長だから、成瀬さんの怪我のことは知ってて当然だと思うんですけど、今トレーニングルームにいるって、どうしてご存知なのかと思って。学年も違うのに」
言われてみれば、篠宮さんと成瀬さんて、運動部の部長同士ということを除けば、個人的にはそんなに接点ないような気がする・・・・・・あっ、もしかして、料理が接点?
「トレーニングルームを個人的に使う時には、必ず届けるようにみんなに言ってあるから」
「届けるって、篠宮さんに?」
「遠藤は文化部だから聞いてないのかもしれないが、ローテーションで各部が使う時は別として、個人が勝手に使うと混乱のもとだからな」
「それはいいんですけど、なんで篠宮さんが? それって学生会の仕事だったんじゃあ」
「確かに、以前は学生会がやっていた」
そこで篠宮さんは、難しい顔をしてため息をついた。
「だが、利用の申請をしても返事が滞ることがあって、問題になったんだ。ここは学生の自治を重んじるところだろう。他人任せにしても上手くいかないなら、自分たちで自主的に管理しないと」
「自主的、って篠宮さんが?」
「中嶋に頼まれたということもある。それに、学内でトラブルが起きると、寮の風紀も乱れる。寮長として放っておくわけにはいかない」
寮長ってそこまでしなくちゃいけなかったのか。
俺から見れば、普通はそういうのは教師の仕事なんじゃないかと思う。実際前の学校でも、体育館とかを部活以外で使う時は、体育の先生に申し込んだものだ。学生会がやってるってだけでもすごいのに、篠宮さんが個人でやってるなんて。さすがベルリバティ。
・・・・・・と思ったけど、
「副会長に頼まれたから、篠宮さんがトレーニングルームの管理をしてるんですか」
和希が目を丸くしているってことは、ベルリバティなら当然ってわけでもないのかな。
「トレーニングルームだけじゃないぞ」
そう言って、篠宮さんはいきなり何冊もノートを取り出した。
「これはプール。これはサブアリーナ。これは旧体育館の道場。もちろん部長として、弓道場の貸出しも受付けている」
「・・・・・・」
「文化部には文化部のルールがあるから、口出しはしていないが」
いくらベルリバティでも、ここまでやれる人って、そうはいないだろう。
「・・・・・・篠宮さんの次に寮長になる人は大変ですね」
和希の言葉に俺も同感。こんなに仕切って反感買わないなんて、これが篠宮さんの人徳なんだな。
「そう思うんだったら、遠藤も、無断外泊はくれぐれも慎むようにな」
「あ・・・・・・はい・・・・・・」
とたんに風向きが変わってしまった。
「さあ、啓太、成瀬さんのところに行くんだろ、俺も途中まで一緒に行くよ」
「篠宮さん、ありがとうございました」
そのまま俺は、和希に背中を押されるように、篠宮さんに挨拶をしてその場を離れた。
手芸部に行くという和希にトレーニングルームの場所を教わって、俺は一人でその場所に向かった。
初めて行ったその部屋は、一面が大きな窓になっていて、廊下から中がよく見えた。とても学校の中とは思えない、すごいマシンがいっぱい置いてある。
壁に隠れるようにしてそうっと覗くと、トレーニングウェアの成瀬さんがマットに座ってストレッチをしている。
ゆっくりと伸びる手や脚は、単純な動きに見えるけど、筋肉にしっかりと力がかかっているのが、素人目にもわかる。
コート脇で柔軟とかしてるのは見たことあったけど、こんな基礎的な訓練をしてるところは初めてだ。表情はほとんど見えないけど、なんだかコートで楽しそうにテニスしてる成瀬さんとは別人みたいだ。とても声をかけるような雰囲気じゃない。
よく聞く言葉。白鳥は優雅に泳いでるように見えるけど、水面ではものすごく必死で足で水をかいているって。こんな時にそんなことしか思い付かない俺って、どうしようもなく単純だけど、でも、これがそういうことなんだろうな。
そういえば、前に誰かが言っていた。才能でベルリバティに入ったとしても、ずっと認められ続けるのは鍛練を続けた者だけだって。あれは、中嶋さんが篠宮さんのことを言ったんだったかな。
篠宮さんは、全国大会での記録とか、寮長の肩書きとかがなくても、中身がちゃんとした人だから、だからみんながついていくんだ。
成瀬さんだってそうなんだ。そういえば、自分の練習だけじゃなくて、他の人の面倒も見てる。
俺はいつも何を見てたんだろう。テニスプレーヤーとしての華やかなところだけ見て、成瀬さんを見てたつもりになっていた。
いつのまにか成瀬さんは、マシンの方に移ってる。テレビのCMで見るような重りを上げ下げするマシンだ。
俺はコートの成瀬さんしか知らなかったけど、本当は、きっといつもこんな風に筋トレしてるんだ。スポーツってそういうものだろう。成瀬さんは世界ランキングに入るかもっていうくらいすごいんだから、それが当たり前なんだ。
なぜだか俺は、いつまでもそこにいちゃいけないような気がしてきた。成瀬さん、俺に怪我のこと言いに来なかったってことは、俺に知らせたくないってことだ。きっと、この空間はプロの世界で、俺みたいにミーハーな気分の奴が見てちゃいけないんだ。
来た時と同じように、そうっとそこから出て行くことにする。
体育館の外は、さっきと同じいい天気だったけど、俺の気持ちは少しだけブルー。
いや、ブルーっていうのとは違うかな。
なんていうか、頭にがつんと一発食らったような、そんな感じだ。
よっぽどぼーっとしていたのだろう。本当に背中にがつんと一発食らうまで、後ろに人に来たのがわからなかった。
「いて〜」
「おい、啓太、なに辛気臭い顔しとんのや」
俊介だった。
「そんなつもりじゃなかったんだけど」
「いーや、俺の目はごまかされへんで。腹でも減ってんとちゃうか。啓太なら、特別におやつ分けてやってもええけどな」
そんな風に言われたら、笑うしかなくなる。気を遣ってくれてるのかな。
「高くつきそう」
「ちぇっ、バレとる」
そうだ、俊介に頼んでみよう。本当は成瀬さんに直接言えばいいんだろうけど、今は会わない方がいいみたいだから。
「俊介、お願いしてもいいかな」
「おっと、そう来なくっちゃ。届けものなら俊ちゃんにおまかせや」
「届けものっていうか・・・」
あんまり簡単すぎるんで、もしかして断られるかもしれないと思いながら、俺が頼みたいことを伝えたら、
「はあー? そんなん俺に頼むんか?」
やっぱり俊介は驚いたけど、
「まあええわ。学食チケットくれるなら、そのくらいお安い御用や」
にんまり笑って引き受けてくれた。
「そやけど、なんやなあ、成瀬の片想いやなくなったちゅうことか」
「なんでそうなるんだよ!」
「まあ、この俊ちゃんにすべてまかせときー!」
走って行く俊介に慌てて俺は叫んだ。
「トレーニングの邪魔しちゃ駄目だからね!」
あの調子じゃあ、後でどんな風に言いふらされるか、わかったもんじゃない。でも。
今、この気持ちを伝えたかったんだ。俊介。馬鹿馬鹿しいことなのに、引き受けてくれてありがとう。
体育館から寮までの道を俺はぶらぶらと歩いた。まっすぐ帰るつもりだったのに、気がついたらテニスコートに来ていた。
金網越しに見ると、成瀬さんはいないけど、他の部員の人たちが練習してる。
もしも篠宮さんに会わないで、まっすぐここに来ていたら、俺はどうしてただろう。成瀬さんがいないから、すぐに帰っちゃってたかな。それとも誰かが、教えてくれただろうか。
・・・・・・そういえば俺、他の部員の人と口きいたことってほとんどないかも。だっていつも成瀬さんがいるから、他の人たち寄って来ないし。テニス部全体から見れば、俺なんて、いてもいなくても関係ないもんなあ。
「ハニー!」
そう、いつも俺を見つけた成瀬さんがそう叫んで手を振るか走って来るか、どっちかで。
「ハニー!」
ああ、俺もついに幻聴が聞こえるようになってしまった・・・・・・って、え、ええっ?
「ハニーっ!」
「うわあっ」
突然現れた成瀬さんが、俺のこと、いつもみたいに力いっぱい抱きしめた。
「成瀬さん!」
「俊介から伝言もらったよ、ハニー。テニスコートで待ってるって」
え? 確かに俺は、学食チケット一枚で伝言を頼んだけど、俺が頼んだのは、怪我が治ったらまたテニスコートで練習見せてくださいって内容だったはず・・・。
「トレーニングルームまで来てくれたのなら、どうして声をかけてくれなかったの。それよりどうして僕は、ハニーがいたのに気付かなかったんだろう。大好きなハニーがいるのなら、必ず気付かなくちゃいけないのに」
背中に回された成瀬さんの手に、いつもより力がこもる。思わず、苦しいです、と言ったら、慌てて離してくれた。
「今日は朝一番でハニーのところに行ったのに会えなかったし。遅刻ぎりぎりだったんだね」
・・・・・・そうだったかもしれない。夕べ遅くまで宿題やってたから。
もしかして、今日会えなかったのってただの偶然で、俺がいろいろ考え過ぎてただけなのか?
「あ、でも、成瀬さん、怪我は? リハビリの邪魔しちゃいけないと思って、隠れて見てたんですけど」
「リハビリだなんて、大げさだよ。本当にちょっと捻っただけなんだから。今日も普通に練習してもいいくらいだったんだ。でも、ハニーにそんな風に心配してもらえたなら、保健室の先生に感謝してもいいかもしれないね」
いつもと同じ成瀬さんだ。
わざわざ一年生の教室に来て俺をお昼に誘ってくれる成瀬さんも、テニスコートで輝いてる成瀬さんも、真剣に筋トレしてる成瀬さんも、みんな同じ、一人の人。
まだ、俺の知らない成瀬さんがいっぱいいるんだろう。
「どうしたの、ハニー。何を考えてるの」
成瀬さんが俺の顔を覗き込んでいる。
「ええと・・・・・・」
今の気持ちをうまく伝えられるだろうか。
「俺、成瀬さんのこと、何にも知らないから、もっといろんな成瀬さんを知りたいなと思って・・・・・・」
「うれしいな、啓太にそう言ってもらえるなんて。僕も同じだよ。ハニーのことがもっと知りたいし、僕のことももっと知ってもらいたい」
そう言った成瀬さんの顔がおりてきたから、またキスされちゃうのかと思ったら、意外にも、成瀬さんの唇はおでこに軽く触れただけだった。
「この続きは部活の後でね。部員の指導もしなくちゃいけないから」
ああーっ、またコートのすぐそばで、部員の人たちの前でこんなことになっちゃった。
もういいや。手を振りながらコートへ向かう成瀬さんに、やむをえず俺も手を振り返す。
恥ずかしいから行ってしまおうかと思ったけど、いまさらって感じで誰も俺の方なんか見てないし。
成瀬さんがコートに出ると、雰囲気ががらっと変わった。引き締まったっていうか。盛り上がってるっていうか。
輝いて見える人たちはみんな、才能があって、努力して、自分の力で光ってるんだ。
ようやくわかった。俺はテニスプレーヤー成瀬由紀彦のファンなんかじゃない。
俺も、ここベルリバティで、少しでも自分の光を磨きたい。成瀬さんを少しでも近くで見ていられるように。少しでも長くその隣りにいられるように。
あなたは俺の大切な人だから。
なんと、いきなり成啓ですよ!
成啓を書く、という、ただそれだけで書いた話。
その割には篠宮さんが出張ってますが、そういう本だったので。
カップリング創作のくせに、成瀬さんの出番が実は少なく、甘そうな展開になると終わってしまうという、実にみかるらしい作品です(いつもそうです)。
今読み返してみたらすごく恥ずかしかったけど、もうこのままで(ヤケ)。
タイトルは、テレビから流れてきた松田聖子の歌のタイトル。めぐり逢えたね、待っていた運命の人…(なんと作詞は聖子本人であったのか!)
やっぱり成瀬って好きだわ〜かわいい奴だと思ってます。
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