岩郁本・予告編
岩郁本が出るはずであった、と思っていただきたい。
出るはずであった、ということは、出ていない、ということである。
この岩郁本には、二人の出会いというか馴れ初めというか、恋のはじまりを描く小説が二本、載っているのである。
実物がないので証明しようがないが、とにかく載っているのである。
ちなみにこの文体は、京極夏彦『どすこい』の真似である。書き出しはあからさまにパクリである。京極堂シリーズは漢字が多すぎるので、『どすこい』にしてみたのだが、それでも鬱陶しい文体であることには違いがない。(なんで京極なのかは、作者にもよくわからない。)
とにかく、岩郁本は出なかった。
出なかったくせに、というべきか、あるいは、出なかったからこそ、というべきか、岩郁プッシュのためのコピー本が、ここにある。
今あなたが手にとっている、この本である。
本というのもおこがましい紙の束であるが、なにはともあれ、これもまた、岩郁本なのである。
岩郁本をせっかく作ったのに、イベントに間に合わなかった哀れな女が一人、その悲しみを乗り越えて作ったのである。
悲しさと悔しさとやけっぱちゆえに、テーマは、「おかわりっ!」を岩郁でやってみる、という強引なものとなった。
多少の無理には目をつぶって、少しの間お付き合いいただきたい。
「おかわりっ!」を岩郁でやってみる以上、例の指輪が外れなくなってしまうのは、西園寺郁ということになる。
西園寺が散歩がてらに構内を歩いていると、トノサマに出くわした。
「トノサマか。どうした」
やけに人懐こく擦り寄ってくるトノサマを構っていたら、あら不思議。いつのまにか西園寺の左手の薬指には、渋い指輪がはまっていた。
なにぶん突発コピー本なので、展開が早いのには目をつぶっていただきたい。
外してみようとするが上手くいかない。
「なんだ、これは」
不審そうに指輪を見つめる西園寺の背後から、彼の名を呼ぶ声がする。
「西園寺…?」
もちろんゲームの展開通り、岩井卓人の登場である。
「ああ、岩井か」
岩郁本なので、既に恋人同士である、という設定で甘い展開に持っていきたいところだが、この二人の場合、恋人同士でも、あんまりべたべたしないというか、日常的には淡々と接しているような気がするのだが、どうであろうか。
作者の好みによるだろうが、なんとなく、付き合い始めてもしばらくの間は、岩井、西園寺、と苗字で呼び合っていそうな気配がする。
そんなことより、指輪である。
二人でいろいろやってみても外れないのである。
「おかしいな、やはり外れない」
自分の左手の薬指にすっぽりと収まった指輪に、さすがの西園寺も困惑を隠せない。
「石鹸を使ったら、外れるかもしれない」
穏当な意見を示す岩井に、
「そうだな。どうしても外れなければ、切ってしまえばいいし」
何ごとも直截な西園寺である。
付け加える必要もないだろうが、切ってしまうのは、指輪であって、指ではない。
「いや、凝った細工の指輪だから、切ってしまうのはもったいない。それに、西園寺の指に傷がついたら、危ないから」
「わかった。ではお前の言う通り、石鹸を試してみよう」
どうも色気のある展開にならないのは、作者の力が足りないせいと思われる。
そういうわけで、二人は石鹸を求めて食堂へと赴く。
このへんも、ゲームの展開通りである。
ここまではいいとしても、ゲームの展開通りに行かなくなるのはここからであろう。
西園寺の左手の薬指の指輪に反応するのが、遠藤と成瀬であるはずがない。
「おや、郁、その指輪はどうしたのですか」
「ああーっ、郁ちゃん! なんだよ、その指輪!」
七条は静かに、丹羽は熱く、二人で同じ内容の質問をする。
西園寺が口を開く暇もなく、丹羽は指輪のはまった指をつかもうとする。
「何をする、丹羽!」
「丹羽会長、それはちょっと強引すぎますね」
「だって気になるだろーが! よく見せてくれよ!」
騒々しくなったところに、
「食堂で騒ぐな!」
篠宮である。揉め事あれば即参上、の寮長である。
かくかくしかじか、と西園寺が説明し、それなら、ということで、一同、まずは石鹸やサラダ油を使って指輪を外してみることになったが、外れない。
そこで七条が、これは学園七不思議のひとつ、不幸の指輪なのではないか、と言い出すわけである。
「学園七不思議だと? くだらんな」
丹羽のいるところに中嶋あり。そして七条を挑発する中嶋なり。
「相変わらず狭量で、頭の固い方ですね」
七条が応戦する。多分こんな感じ。すみません、ゲームやり直さないで書いてるんです、突っ込まないで下さい。
ゲーム通りの筋書きなら、ここで西園寺も参戦し、三つ巴の舌戦になるところだ。
だがしかし、これは岩郁本。忘れそうになるが岩郁本。
岩井に話を振るのが正しい天の配剤というものである。
「違うと思う」
「え?」
「それは、不幸の指輪なんかじゃないと思う」
ある意味マイペースな岩井である。
普通の神経の学生なら逃げ出してしまうような険悪な空気の中でも、しれっと思ったことを言えてしまう、強心臓の持ち主なのである。実は基礎体力もあるんじゃないかと疑っている。
今まで岩井の存在をまったく無視して進行してきた一同、ここは黙って岩井の言葉を待った。
「不幸の指輪が、西園寺の指にはまるはずはない。もしもそれが本当に不幸をもたらす指輪なら、俺のところに来るはずだ」
岩井がどれくらい不幸だったか、を知っているのは、ここにいるうちのほんの一握りにすぎない。
だがたとえ何も知らなくても、西園寺より岩井の方が幸薄い感じがする、というのは説得力がある。
「西園寺が不幸になるなんて、そんなこと考えられない」
そう言って岩井は、右手で西園寺の左手を取った。
丹羽には抵抗した西園寺も、岩井には素直にされるがままになっている。
「指輪が外れても外れなくても、西園寺の不幸は、俺が全部引き受けるから」
「ふっ」
真剣な面持ちの岩井に、西園寺の頬が緩む。
「では、そうしてもらおうか」
「ああ」
ほっとしたように、岩井も微笑んだ。
これがマンガなら、キラキラのトーンがとびかう場面だと思う。
「なんだよ〜、郁ちゃん、そこは、余計なお世話だって言うとこじゃないのかよ〜」
「往生際が悪いぞ、哲也」
「珍しくあなたと意見が合いますね」
「むう、これ以上卓人が不幸になるのは、どうかと思うんだが…」
四者四様の反応に、西園寺が振り向いた。
「うるさいぞ。これが不幸の指輪どうか、まったく証明されていない。憶測に基づく将来予測など無意味だ。私が不幸になるかどうかは、指輪とは関係ない」
西園寺の言い分はもっともだ。
だが、さっきの岩井の発言とかみ合っていない、と思ったのは、当人たちを除いた全員であろう。
「私が不幸になるかどうかは、岩井次第だということだ。そうだろう?」
「そうだな。不幸になんかしない。きっと幸せにする」
主役二人は、満足そうに手を取り合って微笑んでいる。
やかましい食堂の中で、そこだけ四角く切り取ってきたかのような、違う空気が流れている。
これがドラマなら、ぐっと盛り上がる主題歌がかぶってくる場面だと思う。
周囲は、微妙な顔つきで立ち尽くしていた。
丹羽が小さく呻き声を上げる。
「郁ちゃんが岩井を幸せにするってのなら、まだわかるんだが……」
なんで俺じゃなくて岩井なんだ、とは口が裂けても言えない。
篠宮が嘆息する。
「なんにせよ、卓人が前向きなのはいいことだ」
恋の力は偉大だ、としみじみ感じ入っている。
中嶋が眼鏡に手をやる。
「女王様の犬には、出番がないようだな」
他人の恋路には興味がないが、皮肉や嫌味を言うのは得意である。
「郁が幸せでなくてはならない、という命題に関しては一致していますから。ご心配なく」
七条にとっては、西園寺が幸せならよいのであって、岩井が不幸せでもいっこうに構わない。
岩井が西園寺を幸せにできるかどうかについては、常にシミュレートしているので、今さらここで狼狽するような展開ではない。
「岩井さんが不幸を引き受ける、というのは面白いアイデアですね」
不幸の指輪説を最初に言い出したのは、七条である。
恋の力が呪いを打ち消すのかどうか、オカルトマニアには、それだけで興味津々の状況となった。
こうして食堂の場面は終了する。
この後のエピソードが、西園寺ルートになるのか、岩井ルートになるのか、正直、決めがたい。
迷ったときはどうするか。
ここで終わってしまうのである。
なにせ突発コピー本である。
この続きは、ありえないとは思うが、反響があった場合に限って、企画されることになろう。
ここまで読んで、こんな岩郁本ありか、とあなたが思ったとすれば、まったくもってそれは正しい。そもそも、ありえない二人がなんで恋人同士になったのか、わからないままでは、岩郁だから岩郁なんだ、と作者に言われても、納得いかないことであろう。
ゲーム中でほとんど接点のないように見えるこの二人の間に、いかにして恋が生まれたのか、については、ぜひとも、六月発行の岩郁本・本編を読んでいただきたい。
二人の出会いというか馴れ初めというか、恋のはじまりを描く小説が、二本も載っているのである、……って、最初にも言いましたね。
表紙(カラーイラスト)と小説に素晴らしいゲスト様をお迎えしておりますので、この文章のへっぽこぶりに呆れたあなたも、安心です。
西園寺さんと岩井さんの将来が幸せあふれるものであることを信じて、本日はここまでにいたしとうございます。
2005年のゴールデンウィークのイベントで岩郁本を出すはずだったのに、落としてしまったので、急遽作ったコピー誌の内容です。
一晩くらいで書き上げたので、「不運の指輪」が不幸の指輪になってますが、気にしないで下さい。岩井さんが引き受けるなら、不運じゃなくて不幸でしょってことで!(強引な)
小説の地の文で新刊の宣伝なんて初めて見た、と言われました。そうでしょうとも。狙って書いたのです。文体だけでなく、この地の文のあり方そのものが、京極夏彦からのパクリです。
実際の岩郁本がどうなったについては、こちらをどうぞ!絶賛頒布中でございます♪
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