卒業式で泣かないと

 

 
 
 卒業証書授与の伴奏に鳴っていたクラシック音楽が止んで、教頭先生が式次第を読み上げた。
 送辞。在校生起立。
 代表は誰だろうと一瞬思ったけど、考えるまでもなく、女王様だった。成績順なら当然かもしれない。
 そっと振り返ってみると、講堂は後ろまで卒業生の親でいっぱいだ。一年生の俺の席からは、座っている三年生の頭の後ろしか見えない。
 ベルリバティの卒業式。
 俺は転校生だから、出るのは初めてだ。っていうか、もともと一年生だから初めてしかありえないんだけど、思ったより普通の卒業式だ。
 多分普通の学校、特に大きな学校と違うところは、一学年が少ないから全員に証書を手渡しするところだ。
 これはすごくいい。卒業生が全員見えるから。前の学校では、確か、クラスの代表だけが壇に上がって受取っていたはずだ。
 岩井さんの名前が呼ばれて壇上に歩いていった時、俺は心の底からどきどきしながら見守っていた。
 卒業式だから、ステージ脇の小さな階段を上がる後ろ姿が、いつもにもまして頼りない気がして、心配ではらはらしてた。
 篠宮さんが夕べから家族と一緒で、だから今朝は俺だけで起こしてあげたから、身だしなみは俺の責任なんだ。
 制服のボタンが外れてやしないか、ネクタイがよれってやしないか、心配でたまらなかった。
 俺は篠宮さんほど気遣いできないから、そのせいで岩井さんが恥かいたりしたら、岩井さんはもちろん、篠宮さんにも顔向けできない。切腹ものだ。
 岩井さんは着るものとか見た目とか、無頓着だから、普段はともかく、ここぞというときにちゃんとさせてきた篠宮さんは、すごいエネルギーの持ち主なんだと、改めて思い知らされる。世話焼きの一言では片付けられない何かがある。
 俺も負けられない。篠宮さんと同じにはできないけど、何とかやりとげないと。
 在校生、礼。着席。
 号令に我に帰って、慌てて周りにあわせて腰をおろす。西園寺さんの話、全然聞いてなかった。でもしょうがない。今の俺はそれどころじゃない。
 次は答辞だ。これも誰か考えるまでもない。
 三年生の席の一部から歓声が起こった。今まで厳かな雰囲気だったけど、急に空気が和む感じがする。王様のオーラってやっぱりすごい。
 朗々と響く王様の声を聞きながら、起立した三年生の中に岩井さんの頭を探す。
 さっき校長先生から卒業証書をもらった時も、岩井さんはずっとうつむいていた。三年生は主役なんだから、もっと顔を上げていてほしい。王様ほどとは言わないまでも、胸を張っていてほしい。だって岩井さんの卒業式なんだから。
 派手に指笛が鳴った。答辞が終わったんだ。俺、また聞いてなかった。
 拍手をしている人もいる。さっきは普通の卒業式だと思ったけど、やっぱり普通じゃない。こんなにざわざわしないよ、式の最中に。しかも、俺の隣の席の奴、涙ぐんでる。そんなに感動的な話だったのか。
 きっとそうだったんだろう。王様は演説がうまい、というと誤解があるかもしれない。
 王様の話は人の心を打つ。MVP戦が発表された時の講堂の演説、あれを俺は一生忘れない。自分が関係者だったからじゃない。あの言葉には本物の持つ力があった。
 だからきっと、今の王様の言葉も、人を泣かせたり笑顔にしたりする力があったんだろう。
 聞き逃してしまったけど、でもそれもしょうがない。今の俺は、泣いたりしている場合じゃないんだから。
 校長先生の話も、代読された理事長のお言葉も、全然聞いていなかった。
 今日の俺は、ただの一生徒として卒業式の気分に浸っている暇は無い。
 式に出席しない岩井さんの両親に代わって、無事な卒業を見届ける大役を果たしているんだ。
 校歌斉唱。全員起立。
 中学の卒業式では、校歌の途中でクラスの女の子が泣き出したんだった。そうしたら俺もつられて、最後まで歌えなかった。
 ここは男子校だから、まさか泣きながら歌ったりしないよね、と思ったら。
 さっきの王様の答辞の余韻で、異様に盛り上がってるから、もう涙声が聞こえる。
 いつもの俺だったら、やっぱりつられて泣いてしまったかもしれない。
 でも今はだめだ。
 こんなにも感動的な卒業式で泣かないなんて、冷たい奴だと思われるかもしれない。
 でも今は泣くときじゃない。我慢しろ、俺。
 自分に向かって言い聞かせていたら、いつのまにか校歌が終わっていた。
 卒業生退場。これから教室に戻ってホームルームらしい。
 入場の時みたいに、音楽が鳴って一列になって出て行くのかと思っていたら、全然違った。
 いきなり卒業生が立ち上がって、わらわらと出口に向かう。
 そこに在校生が駆け寄っていく。
 後ろの父母席からカメラのフラッシュがたかれる。
 いきなり解散なのかよ、ベルリバティの卒業式。
 唖然としていたら、後ろから頭をはたかれた。
「啓太、ぼうっとしていていいのか。これじゃ、岩井さん、踏み潰されてるぞ」
 和希だった。
 踏み潰されるとは縁起でもないけど、でも、和希の言う通りだ。
 慌てて俺も、椅子を蹴って通路に出る。
 講堂の反対側で海野先生が、卒業生に証書を入れる筒を渡している。
 そっちの方に行けばいいんじゃないかと見当を付けたけど、移動がままならない。
 そんなに大した人数じゃないはずだけど、みんな興奮して手を振り回したりして、ものすごく場所ふさぎだ。
 向こう側に行きたいのに、どこかの運動部の人たちがにぎやかに揉み合っていて通り抜けられない。
 すいません、通ります、と叫んだら、また後ろから声がした。
「ハニー、僕が通してあげるよ」
 成瀬さんがよく通る声で指図して、道を作ってくれた。
 お礼を言うと、岩井さんのところに行くんでしょ、とウインクをよこした。さすが成瀬さん、助かりました、ありがとうございます。
 在校生の席の前に出たら、三年生のグループが写真を撮っている。この後教室でも撮るんだろう。
 俺もカメラを持ってくればよかった。岩井さんの最後の制服なのに。どうして気が付かなかったんだろう。
 式の最中に鳴ると困るからって、携帯電話は教室に置いてこさせられた。後で取りに戻ろう。
 そう思っていると、向こうから近づいてくる人がいる。
 卒業証書入れの筒を持った岩井さんが、ふわふわと歩いてくる。
 よかった。
 まだ泣いてない。
 しつこいようだが、俺はよくもらい泣きとかする方だ。今日だって、気を抜いていたら、何回ほろりと泣いてしまったか、わからない。
 でも、ずっと泣かないようにしてきた。泣きそうな話のときは、他のことを考えてスルーしてきた。
 それもこれも、みんな岩井さんのためだった。
 岩井さんは、よく泣く人なんだ。
 純粋に心の優しい人で、いつも泣いてしまう人なんだ。
 人目もはばからず泣いちゃう人なんだ。
 だから俺は先に泣いちゃダメだと自分で決めた。
 岩井さんは、今日で卒業してしまうけど、笑顔で送り出してあげなくちゃダメなんだ。
 また会えるから、悲しくないけど、でも、もう毎日会えないのかと思うと、嬉しくないから、うっかり泣いてしまいそうになるからダメなんだ。
 俺が泣いたら岩井さんが困るから、だから泣いちゃダメなんだ。
 そう思って、俺は、力いっぱい笑顔を作る。
「岩井さん、卒業おめでとうございます」
「……啓太」
 それなのに、岩井さんは、俺の努力を一瞬でぶち壊してしまう。
 まっすぐ近づいてきて、そのまま両腕を伸ばすと、俺の肩ごと包み込むように抱きしめてくる。
 直に触れた岩井さんは、やっぱり泣いていた。
「おめでたい日なんだから、泣いちゃだめですよ、岩井さん」
 俺は、用意していた台詞を言ってみる。
「啓太は、どうして泣かないんだ」
 体を離しながら、岩井さんが俺の顔を見る。
 眉根を寄せた岩井さんの泣き顔は、結構色っぽいと思うから、あんまり他人に見せたくない、という気持ちもあるんだけど、それはまだ内緒だ。
 ていうか、俺? 俺のこと?
「だから、卒業式はおめでたいから……」
「中嶋が」
 俺の言葉をさえぎって、岩井さんが続ける。
「啓太がずっと恐い顔してるって。式の間中、むっすりしてあちこち睨んでるって」
 中嶋さんか。目で探したら、講堂の反対側にいた。
 さすがは学生会の実力者、卒業式の最中まで、周囲の観察してるなんて。
 どういうわけかわからないけど、俺のことは構ってくれて、ありがたいんだけど、あの人の場合、目をつけられた、という表現が正しいような気もする。
 最後までよくわからない人だ。地味そうでいて、すごく目立つし。
 って、それはどうでもいいんだ、この際。
「俺、恐い顔してましたか」
「ああ。今も、何か思いつめてるみたいで……」
 そうかあ。自分ではクールにスルーしてたつもりだったけど、全然できてなかったってことかあ。
 中嶋さんどころか、岩井さんにもわかっちゃうってことは、相当いっぱいいっぱいだってことだよね、俺。
「啓太は泣いちゃだめだって言ったけど」
 岩井さんが俺の肩をつかんだまま言った。
「俺は、悲しいから泣いてるんじゃない。嬉しいから。この学校に来られて、啓太に会えて、嬉しかったから。だから、啓太も、泣きたかったら泣けばいい」
 そう言った岩井さんの顔は、半べそだったけど、口元は笑っていた。
 俺は、激しくつられて泣きそうになる。
 口を開こうとして、ものすごく歪んだ顔になったその瞬間、フラッシュが光った。
「啓太の変な顔、いただきや〜」
 俊介がカメラを構えている。
 俺が何か言うより早く、別の声がかぶった。
「滝君、せっかくだからお二人のツーショットを撮影してあげたらいかがですか」
 七条さんだった。西園寺さんも一緒だ。
 なんで、と思ったら、ここは二年生の席の前だったんだ。
 俺は、この時のために朝から準備していたハンカチを取り出して、無口モードになった岩井さんに渡す。
「じゃあ、俊介に撮ってもらいましょう」
 でも泣き顔はだめ。写るなら、笑顔で。
 やっぱり今は泣いちゃだめだ。
 俺が泣くのは、卒業式じゃない。
 この後、ふたりだけになったら、そのときこそ思いっきり泣きましょう。
 あなたの言うとおり、出会えたことに感謝して。
 

 卒業おめでとうございます、卓人さん。


 



 
和希「卒業といえば尾崎豊だよな」
啓太「解散したZONEの曲だろ?懐かしいな」
あたしにとっては斉藤由貴です

2007年3月のヘヴンオンリーのために書いたもの。
テーマはずばり卒業式!
これはあからさまに、斉藤由貴の「卒業」でございます。
と言っても若いお嬢さん方にはわからないかもしれませんが(^^;;。
卒業式で泣かないと、冷たい人と言われそう。でも、もっと悲しい瞬間のために、涙はとっておきたいの。
卒業すると進路が分かれるから、今の彼とも遠距離恋愛になって、きっと別れちゃうんだろうなー、だからその別れの日まで泣かないでおこう。というなんかよく考えると不吉な歌(爆)
啓太と岩井さんが別れる日は来ないはずですが、健気さを演出するためにワンフレーズ使わせてもらいました。
ネタを思いついてから書くまでに三年かかりました。
 

 
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