【モーツァルト(1756〜1791)】

モーツァルトの一生は、旅行に明け暮れたものでした。
6歳のミュンヘンとウィーンへの小旅行に始まり、
翌年には3年をかけての大旅行。
幼少期に西ヨーロッパの中心的な都市へ赴き、
様々な刺激を受けました。

当時のモーツァルトが演奏のため出入りしたのは、宮廷や上流社会。
そこには最高級の楽器があり、
幼少期のモーツァルトにはこれらの楽器を演奏する機会が、
豊富に与えられていたのでした。

モーツァルトがソナタの作曲を始めたのは1775年のこと。
1789年までの間に18曲のソナタを作曲しています。
これらの楽曲はすべて、
5オクターブ(F1-f3)の音域内で作曲されました。



 ・・・・・実際にピアノを前にしてこの音域を眺めてみると、
     現代のピアノに比べこじんまりした感を持ちます。
     その上、当時の鍵盤は今より1つ1つの鍵盤の幅が狭く、
     奥行きもなく深さも浅い。
     そんなことを想像しながら、
     モーツァルトの楽譜を眺めるのは、
     とても面白く楽しいことですネ。

モーツァルトのソナタは、4つに区分することができます。

 1)ミュンヘン滞在中・・・第1番〜第6番(1775年作曲)
 2)マンハイム・パリ旅行中・・・第7番〜第9番(1777-1778年作曲)
 3)ウィーン時代前半・・・第10番〜第14番(1783-1784年作曲)
 4)ウィーン時代後半・・・第15番〜第18番(1788-1789年作曲)

1777年にシュタインのフォルテピアノに出会う以前、
モーツァルトはチェンバロを愛用していました。
少年時代シュペートのフォルテピアノを父親から与えられていたのですが、
性能が思わしくなかったようです。

シュタインのフォルテピアノに巡り合ってからの作品は、
チェンバロ的なものからピアノ的なものになっています。
1781年、モーツァルトはなけなしの金をはたいて、
ワルター製の中古ピアノを購入します。
このピアノはペダルはありませんでしたが、
鍵盤が浅く、歌うようなメロディをペダルなしで演奏できたそうです。

 ・・・・・興味深いのは、日々モーツァルトが接していたワルター製のピアノは、
     シュタイン製のピアノより幾分暗い音色がする・・・ということです。
     一度聞き比べてみたいものですネ。

ところで、当時のウィーン式ピアノには、
たくさんのペダルを備えた楽器がありました。
フェルトで弦の響きを押さえるリュート・ペダル。
空洞の箱を楽器の共鳴版の下に取り付け、
箱を共鳴させることで音を増幅するフォルテ・ペダル。
低音弦の上に羊皮紙を載せ、
ファゴットのようなビリビリした音を作るファゴット・ペダル。

興味深いのは「トルコ行進曲」に適したペダルがあったということ。
楽器の下に小さなベル(鈴や鐘)や、金属の棒、小太鼓、
小型のバスドラムがいっせいに鳴り出すというトルコ・ペダルです。
 ・・・・・この仕掛けを思い浮かべて「トルコ行進曲」の楽譜を見ると、
     よく耳にする速く駆け回るように弾く曲なのか?という疑問に突き当たります。
     何故トルコ行進曲というのか?

モーツァルトは作曲家というだけでなく、
鍵盤楽器(オルガン・ハープシコード、フォルテピアノ)の名演奏家でした。
モーツァルトが演奏について語っている興味深い一文はコレ。

『ぼくが常に正確に拍子を守っていること、
それについてはみんなが感心しています。
アダージョでテンポ・ルバートするとき、
左手はそれと関係なくテンポを守るのも
彼らには理解できないことです。
彼らだと、左手がつられて遅れます。』

ハイドンはモーツァルトの演奏について、
グリージンガーというハイドンの最初の伝記作家にこのように伝えています。

『モーツァルトの音楽を聴く機会を
彼はけっして逃さなかった。
そして、モーツァルトの音楽を聴いて
なにかを学び取らないことはない、と口癖のように言った。
もっと年老いてからのハイドンは、目に涙を浮かべながら、こう語った。
「モーツァルトのクラヴィーアの演奏を生涯忘れることができない。
それは胸に響くものだった。』