【ベートーヴェン(1770〜1827)第2期】

1802年10月6日・10日、
ベートーヴェンはハイリゲンシュタットで遺書を書きます。
死を覚悟してなお、芸術への強い思いに奮い立ち、
演奏家から創作家としての復活を果たしたのです。

『牧人が歌うのを人が聴いて、
私には聞こえなかったときには、
あわや自殺しようとしたこともある。
しかし私の芸術だけがそうした思いを引き戻した。』

『自殺により生涯を終わらせないできたのも、
徳と自分の芸術のお陰だ。』

『不幸な人は、自分と同じ不幸な者が、
自然のあらゆる障害にもかかわらず、
価値ある芸術家と人間の列に加えられようと、
全力をつくしたことを知って、
そこに慰めを見いだすがよい。』

1803年『英雄交響曲』の筆を進めていたベートーヴェンに、
エラールからグランドピアノが贈られました。
5オクターブ以上の鍵盤を持つピアノで、
現存しているベートーヴェンのピアノ3台のうちの1台です。

エラールから贈られたピアノは、
これまでの5オクターブより5度高音域が広がったもので(F1-c4)、
弦は2本から3本弦に強化され、ペダルも充実。
アクションはイギリス式で、
これまでベートーヴェンが使用してきたウィーン式に比べてキーの沈みが深く、
和音が豊かに響きました。
また、弦の張力が強く低音も大きな音量が出たのです。

この今までにない画期的な性能を持ったピアノで、
ベートーヴェンは7曲作曲します。

【1803-1809頃・・・使用楽器エラール製F1-c4】
 〜イギリス式5オクターブと5度〜
ピアノソナタOp.53、Op.54、Op.57、Op.78、Op.79
三重協奏曲、協奏曲No.4

ヴァルトシュタイン・ソナタ(Op.53)の冒頭部では、
エラールの充実した低音域の響きが生かされました。
高音部と低音部の極端な対比や、
ダイナミックスの急的な変化です。
c4まで拡大された音域も存分に活用され、
高音のメロディがフォルテシモで表されたり、
パッセージでこのピアノの最高音を使ったりしています。

しかし、ベートーヴェンがエラールのピアノを使ったのは、
1809年秋までのこと。
1810年、ベートーヴェンはシュトライヒャーに宛てて手紙を書いています。

『君の店の入口のドアのそばに置いてあるピアノフォルテが、
私の耳のなかで鳴りつづけているのを、どうにもとめられない。
この楽器を選んだことで感謝されるだろうということは確かだ。
だから、それを送ってくれ。
その楽器が君の考えているよりタッチが思いとしても、
たぶん我々はその難しさを克服できるだろう。』

すでにこの頃のベートーヴェンにとって、
エラールのピアノは物足りないものとなっていたのですね。