【ウィーンピアノの衰退】

1815年頃のウィーンには、
なんと100以上のピアノ製作工房があったそうです。
ウィーンは、ヨーロッパでの主要なピアノ生産地だったのですね。
その中でも特に有名なのは、
ナネッテ・シュトライヒャーの工房、
コンラッド・グラーフの工房、
ベーゼンドルファーの工房(ブロトマンから譲り受けた工房)です。

シュトライヒャーのピアノは、これまで何度も登場してきました。
グラーフはベートーヴェン最後のピアノを製作しました。
クララ・ヴィーク(シューマンの妻、ピアニスト)にピアノを贈っています。
ウェーバーが所有していたピアノは、ブロトマンのピアノでした。
このブロトマンの弟子ベーゼンドルファーは、
1830年には王室御用達というタイトルを獲得しています。

19世紀半ばのピアノに求められていたもの。
それは音量の増大でした。
宮廷音楽から庶民の音楽へ。
狭い空間での演奏から広いホールでのコンサートへ。
そして、ピアノ奏法も格段にレヴェルアップし、
名人芸を披露するピアニストが多く輩出された時代だったのです。

音量の増大とともに必要だったのが音域の拡大です。
高音域を拡大するのは大して大変ではなかったようです。
弦が短いので、それほどフレームに負担をかけずに済みました。
しかし、低音弦は長く重たいものでした。
この弦の張力を支えるためには、フレームを強化する必要があったのです。

この弦の張力に耐えつつ音量を増大していかなければならないという、
フレーム構造の発展において、
ウィーンはイギリスやフランスより遅れていました。
シュトライヒャーは鉄片で強化したフレームを試作しました。
ホクサという人は鋳鉄のフレームを作りました。
グラーフは一生木のフレームにこだわり続けました。
軽いタッチと明るい音色を持つウィーンピアノの良さは、
木のフレームと切り離すことのできないものだったからです。

しかし19世紀半ばの需要は、
音量増大による輝かしい響きにありました。

私は技術者ではありませんし、物理も全くわからないのですが・・・。(^_^;)
フレームを強化しようと思うと、倍音を減少させることになるそうです。
しかし音量を増大させるためには、
弦の張力を大きくしてフレームを強化しなければなりません。
その上、この強い張力をもった弦を十分に鳴らすためには、
強い打弦が可能なアクションが必要になってきます。

弦の張力に負けないようハンマーを重くすると、
ピアニストが触れるキーはより深く、重たくなります。
ウィーン式ピアノの良さがなくなってしまう・・・。
また、これでは名人芸を披露するピアニストや、
それを求める聴衆に受け入れてもらえません。
ウィーン式ピアノは、この苦悩の時代を乗り切ることができませんでした。

現代のピアノは、ウィーン式ではなくイギリス式です。
私たちは普段、イギリス式のピアノにしか触れることができません。
しかし、ウィーン式の持つ軽いタッチや明るい音色はとっても魅力的!
私はまだウィーン式のピアノに触れたことがないんですよね。(T_T)
いつか触れてみたい。そしてその軽やかさと響きを指で感じてみたい。
 ・・・・・ベーゼンドルファーは19世紀後半にイギリス式アクションに切り替わりました。
そして、そのピアノでモーツァルトを弾いてみたいと思うのです。


【おまけ】

以前三大メーカーのピアノを聴き比べるという、
とっても魅力的な講座に行ったときのコト。
フレームのお話になったのです。
それぞれメーカーによってフレームの作りが違う・・・と。
でね、面白いのがそれによって倍音の出方が違うということなのデス。
メーカーは、こういうバランスの倍音が欲しい!と思いながら、
フレームを作るんですね〜。
この倍音の出方の違いが、そのままメーカー特有のピアノが持つ音色となります。

それぞれのピアノで、倍音を聞き比べました。
第3倍音が大きめに聴こえるピアノ、
それ以外の倍音も複雑に入り混じって聴こえるピアノ。
ベーゼンドルファーは、イロイロ入り混じっていて聴こえたピアノでした。
すごく個性的な音色だなぁと思ったんですよね〜。
家に帰ってきてカワイのピアノで試してみたら、
第3倍音だけが妙に響いてきて、それ以外の倍音はあまり聞こえてきませんでした。
安いピアノだったから、音色が単色なんだなぁ〜(^_^;)