【近代ピアニズムの原点】

1709年クリストフォリがピアノを発明してから61年、
1770年にベートーヴェンは生まれます。
ベートーヴェンが活躍し始めた頃、ピアノは一大ブームを起こし、
公開演奏が行われたり、楽譜出版が商売として成り立ち始めます。
演奏料やレッスン料、出版の印税などで生活が成り立つようになったのです。
ピアノの普及に伴いピアノメソッドも確立していきました。

クレメンティはピアノ奏法入門を書いていますし、
チェルニーは教本を書いています。
エチュードが出現し、指を鍛えるための機械も発明されました。

モーツァルトにピアノを学んだフンメルは、
当時名声を博したピアニストの1人でした。

『モシュレスと並んでフンメルは、
モーツァルトに始まったピアノ演奏史上、
ウィーン楽派のほんとうの代表者となった。
彼らは、イギリスの楽器と対照的だった
ウィーンのピアノのメカニズムにもとづく奏法を確立したのである。
〜中略〜
その装飾演奏法は、モーツァルトからショパンへと
直接橋渡しする意味を持っていた。』

フンメルはウィーン奏法について、
「ピアノフォルテ奏法の理論的・実践的な指針」を
出版しています。

これまでお話してきたように、
ウィーンのピアノは、イギリスのピアノに比べ軽やかさが特徴でした。
モーツァルトが演奏していた楽器は、
この軽やかなウィーンの楽器でした。
そしてその意思を継いで奏法として確立したのがフンメルだったのですね。

フンメルは教育者としても傑出しており、
その中にタールベルクという有名な弟子がいます。
タールベルクは10代の頃ウィーンの奏法で学びますが、
その後ヨーロッパを演奏旅行するなかで、
イギリス奏法の流れを引くカルクブレンナーにも学びました。
タールベルクは1837年にリストと競演し、
生涯を通じてリストのライバルになった人です。

カルクブレンナーは指を鍛えるための機械を作った人で、
ショパンは一時期彼を崇拝した時期がありました。

『これからはカルクブレンナーのように弾いてみたい。
パガニーニが完成のきわみだとすると、
カルクブレンナーも彼に匹敵する存在だ。
あの人の落ち着き、うっとりするようなタッチ、
他とは比べようもないあの均質な演奏、
卓越した技法によるしっかりした音の響き、
こういったものを言葉で言い表すのは不可能だ。』

しかし、もっぱらメカニズムの練習に重きを置き、
ほとんど指先のみを動かして手導器をもちいるという
カルクブレンナーのメトードはショパンには合わず、
カルクブレンナーとの関係はどこかよそよそしいものになっていったのでした。

フンメルからウィーン奏法を学び、
カルクブレンナーからイギリス奏法を学んだタールベルクの演奏は、

『クレメンティに由来するイギリス奏法の絢爛たるテクニックと、
モーツァルトからフンメルに受け継がれた
ウィーン奏法の歌うスタイルとが結合されて、
フレージングや表情が、
火花のようなパッセージ・ワークと共存し、融合している。』

と評されました。

ベートーヴェンの時代、
モシェレスはウィーンで最も人気の高いピアニストの1人で、
ロンドンではクレメンティーやクラーマーと並ぶ名演奏家と賞賛されました。
1824年にはベルリンで15歳のメンデルスゾーンを指導しています。
翌年からロンドンに定住し、王立音楽学校のピアノ教授になりました。
このとき前述のタールベルクを指導しています。
その後ライプツィヒ音楽院で多くの弟子を育てました。

ウィーンとイギリスという対照的な2つのピアノが共存していた時代、
ピアニストはそのどちらにも関わる機会があり、
またそのどちらも知っておく必要があったのかもしれないですね。
このモシェレスはウィーン奏法とイギリス奏法、
2つの伝統をドイツのライプツィッヒにもたらしたのでした。
ウィーンの音楽批評家はこのモシェレスを

『ピアノの古典楽派最後の代表者であると同時に、
新時代の開拓者』

と評しています。

そのほか、イギリス奏法・ウィーン奏法の両方を受け継いでいる人に、
あのチェルニーがいます。
チェルニーはベートーヴェンの弟子として有名ですが、
1800-1803年までの3年間ベートーヴェンから学んだ後、
ウィーン奏法のフンメル、イギリス奏法のクレメンティにも学んでいます。

両方の奏法を受け継いだチェルニーは、
名教師として名を馳せ、
リストやクーラック、レシェティツキらを育てたのでした。