【ハープシコードからフォルテピアノへ】

ピアノが普及するのは18世紀末のこと。
それまでは、クラヴィコードやハープシコードが主流でした。
クープラン、ラモー、スカルラッティ、ヘンデル、バッハ。

では、ハープシコードの時代から突然フォルテピアノの時代へと突入したのでしょうか?
もちろん違います。
この2つの楽器は同時期に共存し、
ハープシコードからフォルテピアノへと橋渡しをした作曲家がいるのです。
バッハの息子たち、ハイドン、クレメンティ、モーツァルトなどがそうです。

ハイドンやモーツァルトを演奏するとき、ピアノだけを連想しますか?
それともチェンバロやクラヴィコードも連想しますか?
この時代の楽曲を見ると、
チェンバロやクラヴィコードのための曲と思えるものが多々あります。
モーツァルトが幼少期に作曲したものは、
チェンバロやクラヴィコードのための曲ばかり。
モーツァルトは旅行にクラヴィコードを持ち歩きました。

基本的に1770年代のウィーンではチェンバロが主流でした。
ウィーンは保守的だったのですね。
その7年後、モーツァルトはフォルテピアノをアウグスブルクで見て感激しています。
モーツァルトが21歳のときのことです。

1790年代にはウィーンでもフォルテピアノが優勢となります。
1790年ハイドンは、ある婦人にシャンツ製のフォルテピアノを勧めています。
ハイドン自身1788年にシャンツのフォルテピアノを購入した形跡があるそうです。
ハイドンが56歳のときのことです。

フォルテピアノが優勢になる以前、
これら作曲家の作品は、チェンバロやクラヴィコード、フォルテピアノと、
様々な鍵盤楽器で演奏されました。
ハイドンの初期と後期、モーツァルトの初期と後期の楽譜を、
これら楽器の変遷を想像しながら眺めるのも面白いですヨ。