『機能和声を感じて/生きた楽典』

寄稿者:中嶋@管理人


楽譜をよく読む。
作曲家の意向を感じる。
クラシック音楽は再現音楽なので、
やはり楽譜を読み込む能力がとても大切。

とはいえ、
そんなことを知ることが演奏に役立つの?
と疑問に思っても仕方がないですよね。
事実私もそうでした。(^_^;)
楽譜から感じたままに演奏すればいいじゃん!と。

確かにそうなんですよね。
感じればいい。
ただ、どれくらい感じることができるか・・・なのだと思うのです。
感じることが多ければ多いほど、
「こう弾きたい」という思いが具体的になります。

ということで、機能和声なのです。
ここでは和声ほど小難しくなく、楽典の本に載っている程度で。
私が楽典のレッスンで大切に思っているコト。
それは「生きた楽典」「体に染み付いた楽典」です。
演奏に生かせる楽典というコト。

大学受験やら検定試験やらを控えている場合は、
スピードアップのための机上のスキルもお伝えしますが、まずは鍵盤上で。
時間があるならじっくり取り組みたい。
試験に惑わされることのない生きた楽典を。


楽譜を読む楽しみが倍増する、楽典。
演奏する楽しみが倍増する、楽典。
音楽を感じる楽しみが倍増する、楽典。



・・・と、前置きが長くなってしまいましたが、機能和声なのです。
楽譜を読んでいて、とっても大切だなぁと思うこと。
それは、このハーモニーは「Cコードだ。」と思うことではなく、
トニックのドミソだ、ドミナントのドミソだ・・・と感じるというコト。
コードでハーモニーを感じるのと、
機能和声でハーモニーを感じるのとでは大きな違いがあるように思うからです。

クラシックの作曲家は、これらの機能和声を知り尽くして作曲しています。
意識してそのハーモニーを使っている。
どういう感覚を覚えさせたくてそのハーモニーを使ったのか?
作曲家が意図した狙いが、そこにはあるハズなのです。

私は楽典をやっている生徒さんに、
必ずすべての調で「TWXT」のカデンツを弾けるようになってもらいます。
 ・・・・もちろん、子どもの生徒さんにも少しずつやってもらってマス。
これは、私が実際にやってよかったと思っているから。
調性への感覚がとても鋭くなるんです。
そして、そのとき必ず言うことがX→Tの進行。
機能でいうと、ドミナント→トニックです。
 ・・・・・カデンツの詳しくは
こちらをどうぞ

楽譜からドミナント→トニックが見えてくる。
聴こえてくる・・・と言った方が正しいかもしれません。
よくドミナントはトニックに解決する・・・と言いますが、
まさにその通りに聴こえてくるのです。

そこで、
そういう耳を作るためにカデンツを練習してもらいます。
ドミナント→トニック(X→T)で大切なのは、
導音が主音へ行くのを感じるということ。
わざとドミナントを大きめに弾いてもらい、
トニックを落ち着いた感じ、家に帰ってホッとした感じで弾いてもらいます。

音量でいうなら、ドミナントの後のトニックはドミナントの半分の音量で
すべての楽曲でこのような物理的音量差が発生するわけではありませんが、
基本としてこのような感じ方を身につけておくことは、
演奏上とても有効な気がしています。

これらをすべての調で体感すると、
同じドミソという和音でも、
調によって感じ方が全く違ってくることに気づかれることと思います。
それがとってもとっても大切だと思うのです。
楽譜を読んでいて大切なのは、
そのドミソがどういうドミソなのか・・・ということ。

私はこのカデンツを
5度圏で全調めぐってもらうようにしています。
これは属調を感じるいい機会となります。
そして、子どもたちがスケールの練習をするときにも、
この一番単純なカデンツを弾いてもらっています。
ハノンの最後についてくるカデンツは、ちょいと複雑すぎますね。(^_^;)
機能和声を感じるなら、まずは単純なこのカデンツがいいように思います。
これだと全調弾くのもそれほど苦ではないですし。
基本的なT→S→D→Tという文章を体で感じることができます。

このD→Tへの解決を体感できるようになると、
楽譜から大切なD→Tを見つけ出すことができるようになります。
見つけ出すというか、感じることができるようになるんです。
そうすると、感じるフレーズがとても大きくなります。
そして楽曲の全体が見渡せるようになってきます。

また、難しいハーモニーが使われていたとしても、
なんとなぁく「これってドミナントっぽい。」を感じるようになります。
そうすると隣り合ったハーモニーの関係性を体感しながら、
演奏することができるようになり、
「どういう風に弾こうか?」が具体的になってきます。
具体的になるというか、立体的になるんですよね。
それまで平面状でしか捉えられなかった楽譜が、
すごく立体的に見えてくる。
私は大人になってからこれを実感したので、
子どもの頃から当然のようにできてきた人には得られない、
目から鱗という感動を味わいましたヨ。

そしてなにより、
「先生にこう言われたから・・・。」と
わけもわからず言われたとおりに演奏するのではなく、
「こうなっているなら、私はこう弾きたい。」
自分の意見が言える楽しさを覚えました。


楽典を机上で終わらせずに、
生きた音楽として捉えていきたい。


この味わい深い楽しみは、
すべての演奏者に享受する権利があります。
そこには、聴くだけの愛好家や批評家には得られない、
演奏者にだけ与えられた喜びがあるんです。
プロだとか趣味だとかいった垣根なく、平等に与えられた喜び。

楽典は、その喜びを享受するための
です。
でもね、私はそのことに気づかないまま学生時代を過ごしてしまいました。
せっかくの喜びを享受できなかった。
そこには生きた楽典や和声がなかったからです。

机上でしか楽典や和声をやっていないと思われた人。
この喜びを享受してみたいと思われた人。
是非それを鍵盤上に戻してあげてください。
そして”感じて”ください。
音を文字にせず、音を音として感じてください。
演奏上の表現の幅がグッと広がるはずですヨ。