『総合的な暗譜』

中嶋@管理人

想い出の樹2008.5.23より)

La Musipue du soleilのお仲間、
栞先生のブログで話題になっていた暗譜。
改めて、暗譜について振り返る機会となりマシタ。
その上、来月発表会を控えている我が教室。
大人の初心者の生徒さんの場合、
暗譜のためのレッスン、暗譜のための取り組み方、
というアプローチがどうしても必要になってきます。
タイミングがバッチリだったんですよね〜。
これは暗譜について考えをまとめるいい機会だと、
自分の考えをまとめる意味合いをこめて、
ここに書くことにしました。

初心者の大人の生徒さん。
普段は暗譜で弾けているのに、
緊張したら頭が真っ白になって、
自分がどこを弾いているのかわからなくなってしまう。
緊張しやすい大人の生徒さんによくあるコト。

まず、私が基本としているのは以下の3つです。

@左だけで暗譜で弾ける。
A右だけで暗譜で弾ける。
B左を弾きながら、右を歌って弾ける。
   ・・・・・詳細は、ミューズ図書館のここに書いています。

特に左は、感覚だけでなんとなぁく弾いている場合が多く、
緊張した瞬間に、頭が真っ白になりやすいようです。
確実にドレミで歌える・・・が基本だと感じます。
また、Bは横の流れを感じるために、とても重要で、
全く流れを感じずに練習していたことが発覚すること多々あり・・・です。
流れをわからずに演奏していると、
本番途中で止まってしまったとき、次に進むことができなくなってしまいます。
止まった自分に対処できなくなってしまうのです。

音楽として体に取り込んでいないものは、
なかなか根付きにくいものです。
音の流れがよくわかっていない状態で、
とにかくドレミで覚えている。
これでは体が素直に反応してくれません。
それに、弾いていてつまらない?!

音楽的ってなんでしょう?
私たちは、楽譜から何を感じ取って表現するのでしょう?

私は、楽譜から音と音の連なりを感じます。
ハーモニーを感じます。
そして、遠目になって楽譜全体を眺め、
それぞれの部分に自分が何を感じるのか、
自分に問いかけます。

ここは嘆いているのか?男女のささやき合いなのか?
それとも内に篭って何かを思索しているのか?
うなだれているのか?

ここは喜んでいるのか?
それともはしゃいでいるのか?
はたまた、爽快な気持ちで心を開放しているのか?

それぞれの部分に、自分が感じる感情があります。
私は暗譜と、このような音楽的な感覚を、
別個に捉えることができません。
表裏一体だと感じるからです。
音と音の連なりそのものを暗譜する。
連なりを感じていれば、そこに感情が発生するはずです。
連なりを感じているということは、
ひとつひとつの音を認識しているということでもあります。
認識できていれば、暗譜は容易です。

例えば、こんな楽譜があったとします。

anpu1

これを音名とリズムだけ暗譜して、
「ドーレッ、シードッ、ラーシッ、ソーー」
と覚えることもできるでしょう。
しかし、それはとても薄っぺらな暗譜で、本番とても危うい。
そこに何も感じていないということは、
記憶として定着しにくいものだからです。
印象が薄すぎるのだろうと思います。
暗譜は、印象が強ければ強いほど根強く確固たるものになると感じます。

anpu2

この音楽が、実は2分音符のソに向かっていて、
ド→シ→ラ→ソという音の方向性があるのだと気づいたらどうでしょう?
一気に暗譜しやすくなるのではないでしょうか。
そして、気持ちが込もりやすくなる。
そこに何かを感じる自分が生まれるからです。
そこに何かを感じるということは、
その感じたものを表現しようという意識が働くということ。
そういう強い意識が、ゆるぎない暗譜に繋がるのだと私は思います。

次に私が気をつけているのは、遠目で楽譜を眺めるということ。
これは、自分の立ち位置をはっきりと認識した上で演奏する、ということです。
一体自分は楽曲のどの部分を演奏しているのか?

初心者の大人の生徒さんで、
24小節の楽曲を演奏する人がいます。
1区分あたり4小節。3部形式の楽曲です。
Aという音楽には、4小節ずつのaとa1があり、
Bという音楽には、4小節ずつbとb1があり、
A1という音楽には、4小節ずつのaとa2があります。
生徒さんが暗譜で危ういのは、a1とa2の区別です。

でも、この2つは明らかに意味合いが違う。
行き先が違うのだから当然です。
次にこの曲はどこへ進もうとしているのか?
そこにある音には、必然性があるのです。
そこへ向かうための音の流れがあるからです。

a1は、この楽曲の盛り上がりとなるBへ進もうとしています。
a1を演奏する際には、次にくるBを想定して演奏しないと、
感情が湧き上がりません。
そして、そのために置かれた”音”がある。
この音の流れがあるから、Bへ行ける・・・という音です。
そこに気づいた瞬間、暗譜は完成します。
なんとなく弾いていた音が、なんとなくではなくなるからです。

Bを弾き終えると、次にはA1が待っています。
b1は、この楽曲が終息するA1という音楽へ向かっているということ。
そして、A1では再びAと同じフレーズが聴こえてくるのだということ。
楽譜にデクレッシェンドが書かれていなくたって、ここはそう弾きたくなる!
デクレッシェンドが書かれているから、デクレッシェンドにしなさいではなく、
必然性がそこにはあるのです。
 ・・・・もちろん場合によっては、デクレッシェンドしたいと自分が思うような場面でも、
    作曲家の意向でクレッシェンドと書かれている場合も多々あります。

この必然性に気づくと、自然に音は流れていきます。
無理がない。言われてからやってます感のない音楽になります。
そして、今自分がどこへ向かおうとしているのか、
立ち位置がはっきりし、確固たる意識で演奏することができます。

再びAの音楽に戻ってきての、最後の4小節。
a1と明らかに違うのは、発展性がないということです。
a1は音楽が発展するBへ向かいたかった。
でも、a2はこの楽曲が終わる小節なのです。

こういった全体を把握して部分練習をする。
今私はどこを練習しているのか?
今私はこの部分に何を感じて弾いているのか?
私はこの音楽をどうしていきたいのか?
立ち位置がはっきりしていると、
あらゆる事柄が明確になってきます。
そして、”自分の意思”が働きだします。

暗譜にとって、”自分の意思”は必要不可欠のものではないでしょうか?
何より、意味も解らず練習するより、
「こうしたい。」という意識がはっきりとした上で練習する方が、
ずっとずっと楽しい!!

このような練習に部分練習は不可欠です。
そして、「こう演奏したい」が、音と音の繋がりがあってもたらされるものなのだとしたら、
その演奏は、全体の構成に合った部分練習になるはずです。
立ち位置がはっきりした状態での部分練習は、
そのまま暗譜に役立ちます。
いつでもどこでも、自分の弾きたい場所から弾くことができる。
ゆるぎのない確固たる暗譜です。

暗譜に関わらず、私がピアノ講師になった当初から念頭に置いていたこと。
それは、生徒さんの”気づき”でした。
楽譜から何かに”気づく”ということ。
これがなければ表現へは繋がりません。
クラシック音楽の特徴は、楽譜にあります。
西洋では、ミュージックというと楽譜のことを指すそうです。
それくらい、楽譜が重要な位置を占めている。
それがクラシック音楽です。

楽譜から”気づく”ことができて、
初めてそこに”自分”を見出すことができる。
じゃぁ、自分はその”気づき”をどう演奏しようか?に発展させることができる。
”気づき”を提供することができれば、
「どう演奏しよう?」という解釈は、生徒さんの自由です。
そこに私の入る余地はない。

生徒さんの演奏を聴いて、
あぁ、この生徒さんはこんな風に弾きたいのだな、と感じる。
でも、なかなかそういう音楽にはなり得ていない。
そういうときに、
こう弾きたいのであれば、こういうテクニックがあるよ・・・というアドヴァイスをする。
それが私の存在意義。

なぜ私はここにいるのか?
それは、楽譜からの”気づき”を生徒さんに発見してもらうため。
そして、生徒さんが演奏したいという表現を、
実際の音となるようアドヴァイスしてあげるため。
生徒さんに使われるピアノ指導者でありたい。
生徒さんにとって利用価値のあるピアノ指導者でありたい。

いかに楽譜から”気づき”をもたらすことができるか。
そう演奏したい・・・ためのテクニックの引き出しがどれだけあるのか。
これは、一生かけて私が得ていかなければならない課題です。
楽譜はただの記号。
でも、そこにはとてつもない奥深さが秘められていて・・・・。
だからこそ、クラシック音楽は一生をかけて楽しめる世界なのだなぁと感じます。