料理とワインの店:BISTRO KRI-KRI  
   

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父ムラキ子ムラキ

 仲のよい親子というものは今でも意外にいるだろうが、しかし、それが父と息子である場合はやはりまれである。
 ムラキさんたちは、そのまれなる親子なのである。父親のほうのムラキさん(以後、父ムラキと書く)は会社を子ムラキにまかせてユーユー自適の隠居生活である。もっとも本人はちっとも隠居に甘んじてはいない。しょっちゅう会社へ赴いては仕事にわがままな口をはさむ。子ムラキは黙ってそれを許している。
 休日には温泉めぐりをする。天気が悪いときには、自宅の風呂に温泉の元を入れて楽しんでいる。若いときに大病をしたとかで、健康にはたいそう気をつかっているのだ。
 今日はムラキ邸の浴槽に硫黄の匂いが充満している。今しも父ムラキは深呼吸をして硫黄の精分を体内に取り込んでいるところだ。横では子ムラキが孫ムラキを湯に入れている。言い忘れたが、子ムラキはバツイチで、一人息子を引き取っている。
 父ムラキは世の年寄りのように孫に関心を持つことはない。男子たるもの、もっと大きなことを考えるべきだと思っている。もっとも今は硫黄のことしか考えていない。
「硫黄はいい。わしゃあ、硫黄の温泉が一番好きじゃ」
 誰にともなくそう言って、父ムラキは手拭を頭にのせる。満足そうな父ムラキの「ウーム」という声が何度ももれる。
 さて温泉の効果てきめん、湯から上がった父ムラキの肌はピカピカである。ついでながら頭上もだいぶピカピカである。
 鏡にうつった父ムラキの顔は紅顔の美少年といっても過言でなくはない(自分で自分のことをどう思おうと勝手なのだ)。しかしまあ、確かに整った顔だちの父ムラキはいまだ壮年のおもかげを色濃くとどめ、とても八十過ぎには見えない。

 
 
    * * *
   
 
 
 美食家のムラキ親子はよくいっしょに食べ歩きをする。健康に留意するふたりらしくバランスを考えて食事のローテーションはぱっちりと決まっている。ヤサイサカナ、ニクサカナ、ニクニクサカナ、ヤサイニク、というふうである。レストランでいえば、イタ、フラ、日本、ロシ、朝、中、というぐあいだ。
 くりくりには、それらすべてに飽きた頃やってくる。その時も子ムラキは実によく父親の面倒をみる。多少不自由な父ムラキの足をかばって、ドアも開けるしイスも引く。トイレは外で待ってやる。
 さて、去年の夏のことである。その夜、父ムラキはなかなかトイレから出てこなかった。人間だものそういう日だってある。前日の中華の油まけかもしれない。
 手持ちぶさたの子ムラキがトイレの前に陣取りながら話しはじめた。
「この間、おやじと伊豆へ行ったんだけど……」
 そこから急に声をひそめた。
「おやじ、変なことにこっててね。埋めてくれっていうんだよ」
「ああ、あれね、海岸べりで砂とか利用してやる健康法」
「それが、そういう海岸じゃないんだよ。なーんにもない海岸。あるのはゴミだけ」
「お父さまも、もの好きねえ」
「そうなんだ。困っちゃうよ。で、どうしても埋めろってきかないから掘ったよ、宿からスコップ借りてきて……。穴じたいはそんなに難儀しないで掘れたんだけど、変に思われないか気になっちゃって。もっとも誰もいないような海岸だけど」
「それで、お父さま砂に埋まったの?」
「ああ、首だけだして満足そうな顔してた。わしはしばらく寝るなんて言って」

 
  それから子ムラキはしばらくその辺を散歩することにした。汚い海岸ではあるが海に変わりはない。潮風を受けながら歩いていると学生時代にデートした女の子の顔が浮かんできた。あの娘はどうしているだろう。とっくに結婚してるだろうな。娘のビキニと塩辛いファースト・キッスの味がよみがえる。
 気がつくとだいぶ遠くまできてしまった。振り返っても父ムラキの姿はよくわからない。向こうの方で光っているものがある。あれだ、あれにちがいない。目をさまさないうちにもどろう。
  子ムラキは頭をブルブルッとふって過去を追い払い、光る物体に向って歩きだす。
 海岸にはカラスと海鳥がいるだけだ。鳥たちの間延びした鳴き声が聞こえてくる。のどかな風景だ。
 やがてどこからか貧弱なノラ犬がフラフラと現われた。ノラ犬はあちらこちらと匂いをかぎながら、すこーしずつ父ムラキに近づいている。子ムラキはふと悪い予感がして足を早めた。ノラ犬はとうとう父ムラキの頭を見つけて匂いをかいでいる。子ムラキはますます足を早めた。ノラ犬は今度は頭をなめはじめた。父ムラキが目をさましたようである。
「しーっ、しーっ」
 父ムラキは必死で追い払おうとしている。と、次の瞬間、ノラ犬は片足を上げてチャーと父ムラキの頭にお見舞いした。言わずと知れたアンモニアだ。硫黄なんかじゃない。
「た、助けてくれーい」
 父ムラキの叫び声は、海岸中に響きわたったとさ。


 
 
 
 
     
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