料理とワインの店:BISTRO KRI-KRI  
   

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羊男歯科医院
 

 歯科医のSが羊男と呼ばれていると知ったのはそれほど前のことではない。羊男には同業の妻がいて、こちらは兎女と呼ばれている。どうしてそんな呼ばれ方をするのか本人たちにもわからない。

 もともと兎女はマスターの奥さんと友達で、その縁故でくりくりへ来るようになった。
 歯科医とあらば、通わぬ手はない。奥さんだけでなくマスターも私も歯には悩まされる体質、いや年代である。

 電車が駅に止まると、三人ほどの男女がドアの開くのももどかしげに走り出した。初回とあって電車の乗り換えに手間取った私は約束の時間ぎりぎりであった。つられるように私も走る。

  階段を駆け下り駆け上がり、改札を出るのも競走だった。私は走る彼らが羊男歯科医院へ向かっていると確信している。医者が二人いる以上、走る二人は兎女の患者だろう。とすると残りの一人が私と同じ羊男の患者だ。15分前後、予約の差があるとして、大幅の遅れで急いでいるのか少し早いが先にしてもらおうという魂胆か。あるいは衛生師が何人もいるとなれば同時の診察もありうる。少しでも遅れれば本来こちらが先のはずの羊男の診察があちら優先となり、こちらは衛生師が細部のチェックをすることとなる。初回ならばチェックも歯垢取りも必要だから後先は問題ではないが、もし先になった患者の状態がひどかった場合は困る。チェックも終わり歯垢も除去しレントゲンもとって、それでもずっと天井をにらんで待たなければならない、かもしれない。
  別段急ぐ旅ではないが、私は人一倍のせっかちなのである。ここは一つ勝ち取らねばならぬ。たとえ私の状態がひどくて一緒に走っているあやつが待たされたとしても、こちらはまるで頓着する者ではない。

 こうして走りながらも頭はめまぐるしく働いていた。それにしてもこれほど必死で通うとは聞きしにまさる名医だ。羊男などと呼んではバチがあたるかもしれない。もっとも名医というのはどこかかしら通常とはズレがあるから、そこらへんの凡人にはただの羊男と映っても仕方ないかもしれない。メスを持った途端、天才ぶりが披露されるわけなのだ。
  だが待てよ、歯科医はメスなど持つだろうか、いやいや持たぬわけもあるまい。歯茎を切開せねばならぬ時もあるだろう。するとあれは何というのだ?あのガガガと気持ち悪い音を出す、あれ。考えただけで背骨に響く。呼吸まで苦しくなってきた。いや呼吸の方は走ったからだろう。ここ何年も走ったことなどなかった。中学時代は徒競走の花だったのに。

  とこうするうち突然やつらが消えた。正確にはドアの向こうに走り去った。さてはここが歯科医と見上げれば、キラキラ輝く「パチンコ」の文字。

 やっと歯科医を探し当て、ゼイゼイ息を切らしながら保険証を出していると、羊男がのっそりと出てきた。羊のぬいぐるみはだぶだぶで鉢物の観葉植物の影がグニャリと映っていた。羊男はアゴが腫れて将棋のコマのようになった私を見てクスッと笑った。それから高くて細い声で、「王将みたいですね」と言った。私は、「飛車の方が好みです」と答えた。
 羊男は今度は笑わずに鋭い目で私を見た。

 診療の方はしかし、実にソフトで丁寧であった。衛生師の「ジョウガクコウガイソクシュッケツショウリョウ」とお経のような声を聞いているうちに眠ってしまったくらい。
 診察を終えて待合室にいるとマスターが息せき切って入ってきた。やっこさんもパチンコ組と先を争ってきたのかなと思いつつ、
「あ、マスターも予約、今日だったんですか?」
「ハアハアそうゼイゼイ、ゴホッゴホッ。あ、すいません診察券ここにおきます。ハアハア。保険証ですか?保険証は先月うちの奥さんが来たとき一緒に見せといてって頼んだんですけど。あ、そういうのは無しなんですか?おんなじの使ってるのに、なーんか不合理だなあ、ゲホッ」
 ブツブツ言ってたが間もなく診察室へ呼ばれ、私も支払いのために立ち上がる。小銭を探していると、マスターの大声が嫌でも耳に入る。

「それがねえ、山に入ってるとなかなか磨く間がなくてねえ。ザック背負って歩きながら、その辺の小枝を折ってゴシゴシやるくらいですかねえ。インドじゃガンジスにつかりながらゆったりと草の茎使ってますよ。これがほんとうのハグキ。ハハハ」
 得意の自慢話だ。下着をかえなかったり歯を磨かなかったりすることが男らしいと勘違いしている古い世代の山男なのだ。
「とにかく、どこへ行ってもちゃんと磨いてくださいね。この次はお宅で使っている歯ブラシを持ってらしてください」
 若い衛生師が優しく言っている。
「ああ、それなら今もってます。どこでも磨ける電動歯ブラシ」
 診察室の方をのぞいてみると、まさにブルルルルと実演をはじめたところである。

「ほのブラヒ、おはひいんれすよ、ひゅうにバッフの中れうごひらすんれすよ。フルルルルっれ。ういのおふさんにも、ほのブラヒ買っれやっらんれすがね、やっふぁりフルルルルらんれひろりれ動いれ、流ひに落ひちゃっらりふるんれすよ。ゆはい、ゆはい、ふぁふぁふぁふぁふぁ」
 
  恥ずかしくてすぐに歯科医院を出た。美人の衛生師が泡をふいて卒倒してなければいいが。

 
 
     
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