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何ヶ月か前、マスターがチラとテレビに出た。
それは日本テレビの「ほんの昼メシ前」という番組で、その日のゲストが俳優の藤木悠さんご夫婦だった。藤木さんたちは、よくご一緒に近所を食べ歩かれる。くりくりもずいぶん前からごひいきに預かっている。
「お店の紹介するから、夫婦で出てね」
奥さまがおっしゃる。
「うちのはダメですよ、ブスで。だから家から出したことない」
「あら、大事に床の間に飾ってるの?」
「とんでもない。押入れにつっこんだまま長いこと忘れちまって。こないだ出してみたら、カビだらけで顔もわからない」
「まあ、落語みたい。ホホホホ」
というわけでくりくりからはマスター一人が出演した。撮影が昼間ということもあって、私にはお声がかからなかった。
マスター夫婦は藤木さんの著書も読んだりしているので詳しいのだが、私はあまり藤木さんのことは知らなかった。以下は放映当日、テレビから得た知識である。
番組はまず、藤木さんと体面した男優さんが、「Gメンもだいぶ、お疲れのようで」というような意味合いの感想を述べるところから始まる。すると、すかさず藤木さん「今はラーメンだよ」。くりくりのカウンターに座って、「あれ、ワインなくなっちゃった。このグラス穴があいてるんじゃないか」という藤木さんそのままだ。
さて、それから藤木さんの来し方あきらかになっていくわけだが、驚いたのは藤木さんがかつて大酒飲みであったという事実だ。それも半端な酒飲みではない。毎日ウィスキーのボトルを一本あけるほどのウワバミだったそうだ。それだけではなく、朝からステーキを平らげる大食漢で、奥様は食事作りに明け暮れていたという。
それで、糖尿病。当然といえば当然なのだろうが、その頃は世の中はまだ成人病に対する認識が希薄であった。まして映画スターである。なにかと華やかで豪勢な生活が身についてしまっている。とくに藤木さんはその偉丈夫のために豪快な役柄も多かった。大酒を飲むも大食するもイメージそのまま、だれも病気になるなどと考えもしなかった。で、本人も、入院先で足の指がなくなりそうになっても、「俺は不死身悠だ」とわけのわからない事を言って平気な顔をしていたそうである。私は当初、藤木さんは糖尿病の恐ろしさを知らなかったのかもしれないと思ったが、どうもそうではないらしい。
もともと藤木さんというのは変な御仁なのだ。
まず体毛を自分でむしってしまう。テレビでは「腕の」と言っていたが、そこはそれどこの体毛であろうと本人の自由なのである。とにかく毛をむしるのが趣味なのだ。さぞ痛かろうと思うが、目につくと放っておけない性格らしい。だから風呂に入ったときが要注意。湯船につかりながらふと首を垂れると何やら目につくものがある。「またお会いしましたね」などと挨拶をしているうちに、もう、いてもたってもいられない。ついに禁断の場所に手が伸びてバリバリと・・・。いつまでも上がってこないので、奥様が心配して風呂場を覗くとすっかり赤子のようになった藤木さんがクッショーンとクシャミをしていた、かどうかはわからないが、まあこの手の癖は理解できないでもない。枝毛を見つけるや切らねばいられない人、ポイ捨てタバコをジグザグつぶして歩く人、みんな同じだ。ただ、毛をむしるというところが、なんだかやっぱり変だ。
それともう一つ、歯も抜いてしまうそうだ。これは前例があるからハガサンボンの項も参照していただきたい。とにかく言えることは、歯を自分で抜く人というのは皆同じ過程をたどるということだ。
少しグラグラすると、どうにも気になってしかたがない。毛が気になるのとよく似ている。さて気になれば又もや手が動く。最初はそろそろと前後に。時には左右に振ったりもする。これは両隣の歯に抵抗されてやりにくい。そこで諦めたのでは変人が廃る。毎朝毎晩、満員電車の中年女性の如く、隙間のないところに無理やり隙間を作っていく。
そのうち前後左右どころかグルグル回すなんて芸当までできるようになる。そしてこれ以上動かすと寝ている間に抜けてしまうと思ったとき、そうはさせじと自らがスッポーンとやる。
世に、これ以上の至福があろうか。
ここで私は大きな疑問に心を占領される。抜けた穴はどうするのだ?自分で歯を抜くような人が今さら歯医者へ行くとも思えぬ。ハガサンボンは石膏作りができるから良いが、藤木さんは穴をふさぐ術を知るまい。まして俳優である。いつも歯抜けの役ばかりやるわけにはいかぬ。そんなことをすればお飯の食い上げだ。
すると料理上手な奥様あたりが何か細工でもなさってるのかしらん。たとえば大根や蕪で義歯をつくり、いらなくなったら温野菜として食べてしまうとか。もしくは乾燥パスタでも利用するか。
しかし近頃はほうれん草パスタやイカ墨パスタなんてあるから気をつけねば目立って仕方あるまい。また長くは持ちこたえもすまい。唾液でパスタがやわらかくなる。「おい、観念しろ」とすごんだ途端にパスタがにょろりとはみ出してはアンベエ悪かろ。ま、その辺ところを、今度しかと伺ってみずばなるまい。そして、是非とも詳細をハガサンボンに伝えねば、私の気が済まぬというものである。
(藤木悠さんが2005年12月19日お亡くなりになりました。くりくりは随分可愛がっていただきます。謹んでご冥福をお祈りいたします)
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