料理とワインの店:BISTRO KRI-KRI  
   

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相撲取り夫婦
 

 ひさしぶりの来店である。細君はあいかわらず小錦なみの大きさである。亭主の方もせっかく千代大海まで体重を落したのにまた小錦へ逆戻りしている。
「こいつがさ、次々食わせるんだよ、寝かせないほど」
「ふつうは寝かせてもらえないとやせるけどねえ」
「それもこれもみーんなクロダさんのせいだからね。今度来たら言っておいてよね」


 クロダさんがこの夫婦のことを本の中で面白おかしく書いてしまったのだ。亭主は半ベソをかきながら突き出た腹に指で渦巻きを描いている。そうだ、この人はこういう子供じみたところが昔からあった。お菓子もメチャ好きだった。その果てが小錦だ。
  細君は足を開いて椅子に座っている。身体を後ろへ倒し、バランスを保つために首だけは心もち前に傾けている。
この細君と私は以前一緒にお茶を習っていた。そのうち身体がにじり口から入らなくなって彼女だけやめた。


「クロダさんが書いたのは、あなたたちのことじゃないわよ。世の中よく似た夫婦がいるものよ」
「いいえ、あれはあたしたちです。合計体重400キロの夫婦なんて、他にはいません」
 細君は三白眼をむいてきっぱりと言った。
「そう言えば、本当の相撲取りの奥さんてけっこう華奢で美人だしねえ」
 あっと思ったがあとの祭り。細君が泣きだした。


「ちょ、ちょっと泣かないでよ。ねっ」
 私はあわててハンカチを差し出す。細君はひったくるようにして目にハンカチを押し当てた。アタタラ山にハエが止まったほどだ。あれ、何でアタタラ山なんて出てきたのか、一度も行ったことがないのに。だが、今はそんなことはどうでもいい。動くアタタラ山が泣いているのだ。私は急いでキッチンからタオルを持ち出し細君の涙をふいてやる。細君は足を広げたまま、しゃがれ声で「ごっちゃん」と言った。さすが茶道をたしなんだだけのことはある、礼儀正しい。こちらも礼をつくさねば。「どすこい」と返礼した。

「思いだすわねえ、あの夏の日」
 細君が落ち着いたところをみはからって話題をかえる。
 その夏の日、まだ若かった細君と私は奄美へ海水浴へ行ったのだった。波打ち際には巨大なナマコがゴロゴロところがっていた。その一つを踏んづけて悲鳴を上げたら、ナマコも悲鳴を上げた。それは細君の足だった。当時はまだ舞の海程度の身体つきだったが、それでも太い足だった。

 細君がまた泣き出した。舞の海時代をなつかしんでいるのだろう。思えば遠くへきたもんだ。
「小錦って言われたって気にすることないわよ。小錦だっていいじゃない。あたしだって好きだったわよ小錦。今でもよくテレビに出てるじゃない。チャーミングよ小錦って」
「そう小錦、小錦って言わないでよ」
 細君の機嫌は直りそうにない。


「そりゃいいわよ、本当の相撲取りだったら。あたしたちは普通の夫婦よ。それがよりにもよって二人小錦よ。小錦の二乗よ。小錦の双子なのよ。あたしだってまさかこれほどになるとは思わなかったわよ。本当の小錦が見たらびっくりするわよ。今じゃこっちの方が本当の小錦みたいよ。あっちは引退して少しは痩せてるだろうし。小錦だけじゃないわよ、小錦の親戚だって小錦の友達だってあたしたち見たら卒倒しちゃうわよ」
「おいおい、おまえこそ小錦、小錦って連呼してるぞ」
「なによ、いいじゃない。あたしが小錦のファンだったの知ってるでしょ。だからあんたと結婚してやったんじゃない。小錦のどこが悪いのよ。ええい、あたし小錦の三倍になっちゃる。見とれよ」
「それ以上でっかくなって生活できると思ってるのか。少しは考えろ」
「ええ、ええ、いつだって考えてますとも。あたしがどんなに食事や健康のこと考えてるか。あんたなんか金もかせげないくせに脂肪ばかりためこんで」
「なに、それが亭主に向って言う言葉か?」
「だれが亭主なのよ。ただのワン・オブ・ザ・コンシキズでしょうにいっ」
「な、なにをっ」
 夫婦喧嘩はだんだんエスカレートしていく。私は友人のよしみで行司をかってでる。メニューをかざしてハッケヨーイ、ノオッタノオッタ。
 両小錦が立ち上がる。すごい音をたてて椅子がくずれ落ちた。これ以上の破壊はふせがねばならぬ。私は二人を外へ導く。相撲取り夫婦は店の外で仁王立ちになった。私の視界をツイン・ピークス・アタタラが塞いでしまった。

 ああ、東京には空がない。

 

 

 
 
     
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