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ひと昔、いや、ふた昔も前の話になるが、西参道に終日なにかをいぶすような匂いが漂ったことがあった。なんのことはない、くりくりで燻製を作っていたのである。燻製といえば瀟洒なログキャビン風燻製小屋など想像されるだろうが、なんせふた昔前である。石油缶のごときブリキ箱が店の前に置かれているだけだった。ブリキはすぐにさびて、その赤茶けた四角い箱から煙がモクモクと上がっているのだった。よく消防署に注意されなかったものだと思う。消防署には注意されなかったが、しかし道往く人にはひんぱんに注意されたのである。
「ちょ、ちょっと、表でなにか燃えてるわよ」
早口で言いにくるのはスーパーの袋をさげた主婦である。
「あ、あれは燻製ってもんですよ、知りませんか?」
知らないのかと言われて気分のいい人はめったにいない。
「まっあー、ひっと騒がせなー、水くらい置いときなさいよっ」
怒った主婦の顔が風船のように膨らんでいるのは当然のことなのである。決して遺伝とかDNAとかの話ではないのであるのである。
クンちゃん(その燻製箱はクンちゃんという名がつけられていた)は小さな体のわりに働き者で、過酷ともいえる熱くて長い労働にもしっかり耐え、沢山のハムやソーセージを製作してくれていた。マスターはクンちゃんの販売元へ赴いてはヒッコリやサクラのチップを買ってきて、メニューにも自家製のスモーク類が名を連ねるようになった。店にショーケースを作りこれらの製品を売り出そうとしたのもこの頃である。折りしも山梨に農家を借りることができ、そこのお年寄りにスモーク作りを手伝ってもらおうかと夢はどんどん膨らんで、顔もモクモク、いやホクホクのマスターであった。
忘れもしない風の強い昼下がりのことであった。
クンちゃんは「風と共に去りぬ」してしまったのである。
その頃はランチもやっていたくりくりであるが、その店内にまでカランカランと大きな音が聞こえたものだ。だがまさかクンちゃんの悲鳴だとはつゆ思わないから、
「まーた、誰かタイヤの皿でも落としたな、ケケケケケ」
と洗いものをしていたマスターだったが、あまり笑いすぎて自分まで皿を落としてもその時はまだご愛嬌と言えたのである。
クンちゃんの残骸を発見したのはスーパーの袋をぶら下げた例の主婦だった。
「ねえちょっと、あれお宅のモクモクじゃないのー?」
勝ち誇ったような笑みを浮かべながら語尾をことさら延ばして言った。その後のドタバタは想像がつかれる通りである。かき集めたクンちゃんの残骸はどうやっても復元できなかった。
さて、店にはすでにショーケースがデンと据えられている。ショーケースとはケースを見せるものではない。中に物を置いて見せるものである。何も置かずに電気だけついているショーケースはショーガナイケースということになる。
マスターはそそくさと二代目クンちゃんを手に入れてきた。今度は底部に石などのせて風対策は万全と思われた。その二代目もなかなか働き者で、せっせと煙と匂いを西参道に撒き散らしていた。
そして、忘れもしない風の強い昼下がりであった。
二代目クンちゃんまで「風と共に去りぬ」してしまったのである。もちろんこの時も知らせに来たのはかの主婦だった。
「無理なんじゃないのぉ?こんな風の強い角っちょで。プッ、プププ、ケケカカハハハ」
大笑いした後、勝ち誇ったアゴをあげて「クリスパちょうだい」とのたもうた。主婦はこの日お客さんになったのである。
それからは主婦が外を歩いているのを見ると、「クンちゃんが通る」と言って皆で窓から覗くようになった。本元のクンちゃんは二代目で血が絶えたので、体の大きな主婦が三代目を継いだ。三代目がなにを撒き散らしながら西参道を歩いたのかは知らない。
同じころ、山梨の村が裕福で、誰一人としてスモーク作りを手伝いたいなどというお年寄りがいないことが判明した。マスターの広大な夢はいとも簡単にしぼんでしまったのである。
それから何十年、ショーケースは今でも寂しく電気をつけている。申し訳程度にオレンジやパプリカが置かれ、あとはガラス類があても無く冷やされている。
西参道の景観もずいぶん変わったが、風の強さだけは相変わらずだ。今ではくりくりは看板に貼り付けたメニューを飛ばしている。
三代目の顔も見なくなって久しい。何処へ「風と共に去りぬ」してしまったのだろう。
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