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花つきの鉢を購入したので、アネモネをスケッチをしている。昔より花が大きい。近頃は植物の改良が盛んでどれも豪華になった。種類によってはチョコレート色まである。
先日、何年ぶりかで根津美術館へ行った。リニューアル前は門の脇に外トイレがあって、その辺によく犬と自転車を置いていたが、管理の男性に叱られることもなかった。良き時代だったのだろう。
月に一度はお茶でも通っていた。庭の奥にある茶席で恒例の茶会があって、一席は会員のみが入室を許され、もう一席は誰でもが参加できた。会員になるためには申し込みをするのだが、なかなか順番が回ってこない。知恵ある人は有力な先生の推挙を得て一足飛びに会員になるが、強い後ろ盾を持たぬ者は後述の茶室だけで我慢するしかない。
しかしこのお席がなかなか素晴らしいものであった。席主は小田先生。陶磁器協会の理事であり、有名な茶道具商であり、遠州流の茶人でもあった。やわらかく軽妙な会話と優雅なお点前、お道具の立派さ、銀髪の下のお公家顔。とにかく華やかなお席だった。
そのようだから押せや押せやの大人気で、障子が開いて前の席の人たちが出るか出ないでもう次の人たちがどっと入る。そのような状態でも先生はいつもにこやかで饒舌、サービス精神も旺盛で時間が延びて次の回の人が障子を開けて覗くことさえあった。
またカルチャースクールの講師も勤められていて、貴重なお道具も見せていただいた。一度など利休さんの茶杓だった。当然ながら稀有物である。当代随一の目利きであり道具商であるからこそ、そのような場所にも本物の利休茶杓をお持ちになれるのである。
殺風景な机の上に、うっすらと拭漆の跡の残る古い茶杓が置かれていた。畳の茶室と違って立って拝見するので格別緊張した。他人より長く拝見していたのだろう、後ろの人に咳払いされたのを覚えている。
忘れもしない、その日はヴァレンタインデーで、デパートの地下ではチョコレートがひしめいていた。ふと先生のお顔を思い出して求めてしまった。とはいっても実際にお渡しするつもりはなかった。
講義は一時からなので、いつものように上の階のレストランへ寄った。ドアを開けると奇跡のように小田先生の姿があった。テーブルの上には大学ノートが広げられ、まだお食事前のようだった。心臓がドキドキした。そそくさと自分の食事を終えると、通りすがりに「チョコレートをお一つ」と袋を差しだした。「やあ」と一言おっしゃったが、いつものにこやかなお顔ではない。講義前の緊張感からなのか不快感なのか判断がつかなかった。野暮なことをしたのではと気が滅入って、その日は何を勉強したのか覚えていない。
病気で青山にも行けずにいたらその間に小田先生は亡くなられてしまった。憧れの先生であった。(2011年2月15日)
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