料理とワインの店:BISTRO KRI-KRI  
   

ホーム
  ご来店になる前に
  歴史
  お知らせ
  メニュー
  最近のおすすめメニュー
  おすすめワイン
  マスターのコーナー
  マスターの奥さんのコーナー
  おもろいお客さん
  花族
  畑情報 嵐のち晴れ
  リンク集
  地図
  更新情報
   

 
花族
 
 
 

嵯峨菊

 今年は水不足で作物や花が育たないと書いたが、去年セールで買った菊が畑の隅でいつの間にか大きくなっていた。秋になってからの天候が良かったのだろうか。何菊というのか分からないが、食用として売られているものに花びらの形も大きさも似ている。香りも至極良い。

 先日、喪中葉書をいただいた。N先生がこの夏に亡くなっていた。不徳の致すところで、今まで知らせてくれる人もなく、まさに青天の霹靂であった。
 人間はその死によって、否応なく他者とのつき合いの終結を見るわけだが、しかし他者がその死を察知できなければ死は死ではなく、生来のつき合いは依然続いている勘定になる。架空ともいうべきこの四カ月を、知らずにそのお茶に想いを馳せていたのだから、先生はその間私の中で生きながらえていた事にはなるまいか。それならば直後に死を知らされるよりずっと幸せだったと思いたい。

 N先生のお茶は堂上のあでやかさを横糸に、小粋な江戸の情緒を縦糸に織り込んだ、まことに美しい設えのお茶であった。余人には決して真似出来ないものであったからこそ、多くの師匠たちがお宅へ集まったのであろう。
 先生の月釜に通うようになったのは二十年も前のことである。当初は正直、居心地が良いとは言えなかった。居並ぶ先生方の中で浮いてしまって、自分を場違いのように感じていた。そんな不安から救ってくださったのは他ならぬN先生と奥さまであった。他流の私に何かと気を遣ってくださったのである。厳しい先生が点前を褒めてもくださった。それが嬉しくて、伺うのが至上の喜びになった。一昨年から事情で休会しているが、先生のお茶に触れられない味気無さに耐えきれず、来年こそはどんな事があっても伺うぞと決めた矢先の訃報であった。言はむ方なし。

 新内に親しまれた先生は江戸風をこよなく愛されていたが、関西在住も長く、京の文化にも造詣が深かった。公家の書や京焼だけでなく、ざっくりした造りの嵯峨棗などもお好きであった。古い嵯峨棗は目の肥えた茶人を惹きつけるとあって、なかなか手に入らないそうだ。先生ご所持の嵯峨棗は池田巌監修「嵯峨棗」にも幾つか載っている。
 嵯峨といえば嵯峨菊が有名だが、先生がこの花一輪を活けられた時のことをよく覚えている。花びらが静かな炎のように上に流れて、情感のある、それでいて格調高いお床であった。
 先生のお花は会員が持参したものや道端の雑草などを飄々と活けられるのだが、いつも花から風が匂い立つような風情があった。

 嵯峨菊を思い描いた夜、先生の夢を見た。会が終って足を崩された先生が、お茶碗をかかえて愛しそうに眺めていらした。奥さまは横でお薄を上がっていた。私が点ててさしあげたのだろう。
 茶室には夕方の光が柔らかく射し、空気中のかすかな塵が海の妖精のように舞っていた。そこへ突然、犬の鳴き声である。何故かそれを自分の犬だと思った私はしきりに恐縮している。ふと上げた先生のお顔がいつもより白くて、「ああ、白薩摩のよう」などとわけのわからないことを考えていたら目が覚めた。
 外で犬が吠えていた。こんな時間にどこの犬だろうと思いつつ、また眠りに入ろうとした瞬間、涙があふれ出た。それが、N先生との今生のお別れであった。合掌。(2012年12月1日)

 

 

嵯峨菊  キク科 中国原産。奈良時代に移入。嵯峨天皇御愛の菊として、嵯峨御所(大覚寺)の大沢池の島に植えられたのが始まり。

 
 
 
 
     
    目次
    ページの一番上へジャンプ