料理とワインの店:BISTRO KRI-KRI  
   

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イボタノキ

 窓辺にに鉢植えの木を置いた。冬も葉が落ちないからと勧められてその気になった。洋風のカタカナ名は覚えにくいものであったが、花屋の店員が「ほら、イボタノキですよ」と教えてくれた。
 イボタノキなら家の近くにも生えている。葉が小さく目立たないので何年も存在を知らなかった。秋草を探していて黒紫の実を見つけ、それがイボタノキだと知った。翌年にはギンモクセイに似た白い小さな花も見ることができた。樹皮上にイボタロウ虫の分布するイボタ蝋ができ、ロウソクなどに利用されると何かに書かれていた
 鉢植えのイボタノキは葉が斑入りになっていて山梨の自生のものとはえらく印象が違う。秋になると大方葉も落ちてしまい、窓辺の殺風景さは変わらない。それでも寒風吹きすさぶこの二月、枝先に無数の芽を見つけた。頬がゆるむ瞬間である。

 昔、ロウソクは今より身近なものであった。停電もあったし、夜に電球が切れてもコンビニなど無かったから朝まで待たなくてはならなかった。ロウソクとマッチ箱は居間の必需品であった。戸棚には肩の張った仏事用らしい和ロウソクも仕舞ってあった。花の絵が描かれた豪華なものであった。一度、母がその一本に火を点けたことがある。ひょっとしたら母の祖母の命日であったのかもしれない。母は自分の血筋のものの仏事を家で行うことがなかった。命日には私を連れて青山の墓地へ行き、卒塔婆を書いてもらうだけであった。
夕食も終え、継父が飲みに出た後のひとときだったろう。骨太の煙を上げて花が溶けていく様は縁日の夜店のように徒っぽく、何やら秘密めいていた。炎の向こうには形良く閉じられた母の唇があった。唇の印象が強いのは、口紅が光っていたからではないか。母は家では紅をささなかったから、思い違いかもしれないが。
やがて寝る時間になり火は消された。強く漂う匂いに、帰宅する継父が不機嫌にならねばいいがと案じながら寝支度をした。
誕生日のときはケーキの上に細いロウソクを立ててもらった。炎をフーッと吹き消すとき、継父がそばにいた記憶がない。いなかったという確証もないのだが。
 
 一時期、自己催眠にはまったことがある。ロウソクの灯りの元で紐に下げた五円玉を持ち、「回る回る」と念じていると独りでに五円玉が回るようになる。あとは、「鳥になる、鳥になる」と鳥になり、キツネやウサギ、苦手な蛇にまでなった。見るのは苦手でも自分が蛇なら怖くはないらしい。頭が疲れてくると、「元にもどるぞ」とパンと手を叩く。が、しばらくは催眠が解けず、頭がこんがらかったようになっていた。その遊びは母に叱られて止めた。まだ母の言うことを素直に聞いていた頃らしい。

 手術の後、母は五色の紐で髪を束ねていた。幼女のようだと看護師が笑ったが母の心は絵ロウソクの夜のように不安に塞がれていたに違いない。そして一緒に笑った私もまた同じ不安の中にいた。
同室の患者たちが驚くほどしっかりした足取りでトイレに立っていた母はやがて力尽きて寝たきりになった。転院したカソリック系の病院で洗礼を受けた。ベッド脇にはマリア像と「祝洗礼」と朱で書かれたロウソクが置かれていた。
母が煙のようにはかなく消えたのは、数日後のことであった。

 私の催す「茶語り」は白の和ロウソクを使用する。練習でも点けることがある。元々一人で点てるお茶は心を覗くようなところがあるが、ロウソクを立てれば尚更である。照らされた私の心には、あの時の不安がまだ居座っている。(2013年2月10日)

 

イボタノキモクセイ科の落葉低木。日本各地の山野に自生する。ネズミモチと同じ属である。

 
 
 
 
     
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