料理とワインの店:BISTRO KRI-KRI  
   

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花蘇芳

 車で走っていたら濃い臙脂色が流れた。「あ、花蘇芳が咲いた」と声に出てしまう。少しどぎつい色も久しぶりに出会うと懐かしい。

 昔スオウ先生という人がいた。通っていた小学校の先生ではなく、空き地の図画の先生だった。教えるといっても自分で描いている方が多かった。たまに子供が寄って来て、これ誰?君だよ、似てないや、じゃ君が描いてごらん、という具合。
スオウ先生のスを「酢」と勘違いして、子供たちはスオー先生と呼んでいた。酢が多い先生なのである。「スって大根に入ってるって」「中がスカスカなんだって」「すっぱいよー」様々な意見が出る。みんなスオウ先生のスカスカに穴のあいた酸っぱい脳みそを想像して顔をしかめる。ムラ君が「脳みそが大根と同じわけないよ。酸っぱいのは胸やけなんだ」と立派なことを言う。ムラ君は私と同じクラスの学級委員である。女子の学級委員は私だ。ムラ君のお父さんは医者だから息子のムラ君も一目おかれていた。私は蹴飛ばす力が強いから一目おかれていた。時代が違ったらサッカー少女になっていたかもしれない。
ムラ君がややこしいことを言うので、みんな駈け出してしまう。誰が何と言おうが、スオウ先生の脳みそはスカスカで酸っぱいのだ。
その先生が展覧会をするというのでビックリしたら、会場は近くの墓地だった。「なーんだ」「おばけーっ」と騒ぎながら会場を走り回り、結局みんな空き地に戻ってしまった。スオウ先生は翌日、展示した画用紙を子供たちにくれた。子供たちはみんな先生のモデルだったから。
スオウ先生は気がついたら来なくなっていた。

墓地でかくれんぼをしていたら落ち葉の中にスオウ先生の画用紙が一枚丸まっていた。そのままにしておいたら次には無かった。寺の人が拾って捨てたのだろう。
町で口髭を生やした人を見るとスオウ先生ではないかと思った。いつもニコニコしていて良い人であった。母はスオウ先生には会っていない。展覧会の話をした時、おかしそうに聞いていた。話だけでスオウ先生が好きになったようだった。似ていない私の肖像画は墓地の一枚のように丸めて押入れに突っ込んであった。そのうちどこかへいってしまった。
スオウ先生は、今の世だったらただの変なオヤジだろう。今は変なことは歓迎されなくなった。どちらかというと変な部類に入る私にも生きづらい時代である。

 ムラ君は三年生になると空き地には来なくなった。塾へ通っていたらしい。塾は家の方針だったろうが、ムラ君自身も勉強が好きだったようだ。六年生までずっと一緒に学級委員をしたが、教室であまり会話をした覚えがない。静かに教科書を広げていた。こちらが無口だったせいもあるが、あまり級友に興味が無かったのではないか。学校もよく休んだ。勉強で休むのである。先生も承知だった。
私は六年生の夏、遅ればせに受験することが決まった。母はあわてて塾を探していた。十二月になると担任が学校を休んでもいいと言った。勉強より走り回る方が好きだった私には辛いことだった。
私は級友と別れて私立へ行ったが、ムラ君も区立二中に行かず私立へ行った。どこの学校だったか忘れた。今頃はきっと立派なお医者さまになっているだろう。たまには一緒に学級委員をした蹴飛ばしのエリを思い出すことがあるだろうか。
そう言えばムラ君だけは蹴飛ばしたことがなかった。(2013年3月30日)


花蘇芳   マメ科 名は色が蘇芳で染めた色に似ているため。イスカリオテのユダが首を吊ったという伝説からユダの木とも呼ばれる。

 
 
 
 
     
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